1224日(木)車中 晴れ

 

【サルヴァ寒空、星の光が雪面に突き刺さりそうだ】

 

 430分 サルヴァに到着する。

 

待ち合わせの列車はない。我々が降りると、すぐに列車は去ってしまった。

 

 437分 乗り継ぎの列車は来ない。駅のアナウンスがなにか言っている。

 

 星の光が突き刺さらんばかりの寒さだ。「寒い」という言葉を発することすらおっくうに思われるほどに、寒い。ユウコはすっかり言葉をなくしている。インチキ温度計が、再びマイナス20度を指した。我々と共にかなりのお客が列車を降りたが、それ以前から、列車を待つ客がことのほか多く、驚いた。みな、すぐに乗り継ぎができるはずの目当ての列車が来ないので不審と不安が入り交じった表情をしている。

 

 5時。未だ列車は来ない。

再びアナウンスが流れる。ホームで列車を待つ人が一団、また一団と、駅の待合室へ引っ込んでいく。ホームの時刻表を見ると、この時間帯に来る列車は、シゲット行き以外には近郊のローカル列車が2本あるのみ。ここにいるほぼすべての人々は、ブカレストから来るシゲット行きの急行に乗り込もうとしているのだ。

 

我々も待合室に引き下がることにした。

 

待合室はごった返していた。ラジカセで音楽を流す若者、カードゲームを興じる一団、おしゃべりに余念のないオバサン、ただじっとベンチに座っているジイサン、等々。座る場所は、もはやない。人混みのため、歩き回ることもできない。我々も集団の一部と化し、列車を待つ。待合いは、暖房があるのか、人の熱による効果か、多少暖かいのが救いである。

入った瞬間メガネが曇り「うわー、あたたかいなあ!」と声を上げたが、しばらく経ってから温度計を見ると、5℃にも達していない。靴から落ちた雪が融け、床が濡れ汚れている。ザックを下ろすことはできない。

 

三度目のアナウンス。待合いの喧噪は収まり、みな、一様に耳を傾ける。やがて、ひときわ大きなため息と呆れの声が挙がる。列車が遅れているのだ。ユウコは今にも消え入りそうな表情で、寒さと疲れと寝不足に耐えている。僕も足がしびれそうだ。

 

【やっと列車が現れたが・・・】

6時。四度目のアナウンス。

待合室を出る人々がいる。我々も外へ出る。満天の星空。まだ明けぬ空と白い雪原に延びる鉄路の奥から、一つ目の白いヘッドライトを光らせた列車がゆっくりと現れた。我々の後ろについて歩いてきた青年が、列車を指さし、僕に向かって「シゲット?」と尋ねる。僕は白い息をたてながら、うんうんとうなずく。列車がゆっくりと停まる。待合いから出てきた人々は、あちらこちらの乗車口に駆け寄る。我々も近場の車両に乗り込む。ヨーロッパのプラットホームは低い。まずユウコを「ヨッコラショ」と乗せ上げ、続けて僕が乗り込む。しかし・・・、

 

「いっぱいだ!」

 

僕は声をあげた。デッキまで人があふれている。コンパートメントにはもちろん、通路に入るのがやっとの状態だ。僕のあとから乗り込んだオバサンが、無理矢理にでも中に入ろうと僕の荷物を後ろから押してくる。「ふざけるな!」と言いたいところを我慢するが、それでもオバサンは構わず押し続け、願いが叶わないと知るや、今度は我々をなじり始めた。

「オバサン、我々に言ったって、中に入れないのは見て分かるじゃないか」。通じもしない日本語で僕は応えた。

 

【がんばれユウコ、がんばれオレ】

列車はいつの間にか動き出していた。通路の窓が凍りついている。車内は人が多いので湿度が高い。

外を見ようと窓の氷を削り落としても、たちまちのうちに新しく霜氷が張ってしまう。突っ立っているだけなのに、まるで正座を組んでいるときのように足の指がしびれてきた。親指も、小指も、靴の中で膨張しているような気がする。

 

列車はのんびりと走り、のんびりと停車し、そして再びのんびりと動き出す。その繰り返しが、暗闇の中で続く。お客の数は、しかしほとんど変わらない。早く、早く先へ進んで欲しい。ユウコは泣き出しそうだ。「がんばれ、がんばれ」。僕が声をかけるたび、ユウコは声も出さず、表情も変えず、小さくしかししっかりとうなずく。

 

7時半。空が明るくなってきた。

 

8時半。レオルディナに到着。ここでかなりのお客が降りた。

 

ようやく、通路も歩けるようになっていた。前に立っていたジイサンが我々を手招きする。そして空いたコンパートメントを探し出し、我々を座らせてくれた。よほどひどい顔をしていたのだろうか。「ありがとう!」しばし眠る。が、この列車は暖房が全く効いておらず、あいかわらず寒い。同じコンパートメントに乗るオジサン達は、おしゃべりしたり、インスタントコーヒーを買って飲んだり、なんとビールを飲んだりしている。通路に立つ若者達は、余裕が出てきたのかラジカセから音楽をかけ、それに合わせて歌ったりして賑やかに盛り上がっている。

日が射してきた。「ああ、陽があるってすばらしいね」。

 

【そしてシゲット・マルマツィエイに到着】

10時半。予定より2時間半遅れてシゲット・マルマツィエイに到着した。

降りる客も多く、出迎える人も多く、駅全体が盛り上がっている。クリスマス休暇、日本で言うなら年末帰省ラッシュといったところだろうか。

 

僕は2年前にも来たことのある町なので、目指すホテルも明らかだ。ユウコを連れ、雪が凍ってつるつるになった歩道に足を取られながら、まずはプチホテル・マグラを目指すが、どうやら休業中らしく、門は閉められ、呼び鈴を鳴らしても誰も出ない。人気もない。

そこでホテル・ティサを目指す。インチキ温度計は−13℃とでた。もはや足の指の感覚はないに等しい。ユウコに言うでもなく、「がんばれ、がんばれ、もうすぐだ」と、一歩一歩、足を進めていく。

 

そのとき、とつぜん一台の車が我々の横に停まり、中から太っちょのおじさんが出てきて、我々に英語で声をかけた。「宿に困ったら、うちに来てね!」とカードを差し出し、そして風のように去っていった。モーテル・ブツィの客引きである。2人で朝食付き300,000とある。客引きにうれしさを感じつつも、「これはちょっと高いのではないか?」と思う。

 

ホテルティサは、フロントロビーが改装されており、たいそうおしゃれな造りになっている。それは、1階にあるバーもレストランも同様である。以前のさびれた雰囲気は、もはやない。フロントには英語の案内板も出ている。以前は、いかつくて話しかけるのもためらわれるようなオバチャンがフロントに座っていたものだが、いまや、若くてスマートで、高級感を漂わせるオネエサンが応対してくれる。話しかければ英語が通じる。2人で朝食付き250,000という。

「泊まれますか?」

「いつまで泊まりますか?」

「決めないと泊まれませんか?」

「予約がいっぱいなんですよねー」。

一瞬、ギクリとなるが、通りに面した2階の部屋(おそらく2年前に来たときと同じ部屋)をあてがわれた。さっそくシャワーを浴びる。

 

【ようやく落ち着いて、まずは両替と食事】

やれやれ、やっと落ち着いた。足の感覚も戻ってきた。そろそろ両替をしなければならない。ひと息ついたあとで外へ出るが、ホテルの向かいにある両替屋は閉まっている。「Closed」の看板の前で立ちすくんでいると、横から「Hey! Exchange?」とオッサンが2人、声をかけてきた。が、彼らはアヤシイので相手にしない。「たしか、駅への道の途中に銀行があったはずだが」と行ってみると、たしかにBCR(銀行)はあるが、これも閉まっている。みんな、クリスマス休暇なのか?

 

お腹が空いてきたので食堂を探すことになった。

「あなたは以前ここに来たことがあるんでしょう? どこかオススメのお店はないの?」とユウコが聞く。

僕が2年前訪れたときには、この町に3泊している。しかし、

「朝と夜はホテルの食堂で食べたし、昼は歩き回って食べてないからなあ」

「毎日、あんなおしゃれなレストランで食べたの?」

「あのころはお洒落じゃなかったんだよ」。

 

そう、あの当時、ホテルのレストランはくたびれていた。カーテンも、テーブルクロスも、照明も、うらさびしいものであった。お客はほとんど入らず、とくに朝食時には、だだっぴろいレストランで僕は1人でソーセージとマッシュポテトを食べ、濃いコーヒーを飲んでいた。英語のメニューがないので夕食時には厨房に呼ばれ、調理前のカツレツとソーセージと肉団子を見せられて「どれが良い?」と聞かれたものだ。いまや、そのレストランは若者のデートスポット、いや、名士や有閑マダムの社交場として賑わっている。

 

そんなわけで町を歩き、適当な食堂を見つけ、中に入ってみた。午後3時を回ったところである。

食事を終えて立ち去ろうとすると、我々のあとから入ってビールを飲んでいたオジサンに、

「あのー、すいません。きみたちは、ニホンジンですか?」と日本語で声をかけられた。

「ええ、そうですよ」と言うと、彼は目を真ん丸にして我々を見つめ、驚いたように「ほんとおー?」と声を上げる。

「信じられないくらいなら、日本語でモノを尋ねるな」と言いたいところだが、それを思う前に、僕は笑っていた。「ニホンジンにしては安っぽい服装をしている」とでも言いたいのであろう。それは自分たちでも十分納得できることなのだ。ブラン城で買った手編みのセーターと、タブリーズで買った中国製のコートは、ある意味において良い効果を発揮している。しかし、シゲットに住むハンガリー人だという彼が発した次の言葉が我々を驚かせた。

 

「ぼくは、みやこうせいのトモダチなんですよー」。

 

しかし、その事実に僕はかえって引いてしまい、大した会話もせず、ちょっと高い食事代を払って店を出た。

 

【民俗博物館に行ってみる?】

両替はひとまず置いて、民俗博物館に行ってみることにした。町はずれにあるという、その博物館に僕は行ったことがない。バスに乗ればいいとガイドには書いてあるが、どのバスに乗ればいいのか、分からない。「しまった、さっきのオジサンに聞けばよかったかな」と思いつつ、バス停のオバチャンに「ムゼイ、ムゼイ」と意思表示をしてみるが、要領の良い返事が返ってこない。というか、オバチャンは親身になって説明してくれるのだが、僕が理解できないのだ。

困っていると、自転車に乗った2人の少年が通りがかった。彼らの1人は英語が話せた。その彼によると、民俗博物館は2つあるというのである。

「ああー、それでオバチャンは、あっちだこっちだと、2つの方向を指さしていたのか!」と納得した。1つは町の中心にあり、もう1つはバスに乗らないと行けない。バスに乗っていく方の博物館の方が面白い、というので、教えられたバスに乗って行く。バスの中でも「次で降りるのよ」というオバチャンがいたり、運転手からは道順を教えてもらったり、その先でも別のオバチャンに助けてもらったり、なんとか着いた博物館は、しかし閉館中であった。

民族的な門構えだけを写真に収め、もと来た道をうりうりと帰る。バスの運転手はさきほどと同じオジサンであった。我々ががっくりしていたのか、彼の親切なのか、帰りはバス賃を取られなかった。

 

ホテルのフロントで両替について尋ねてみると「ホテルから電話すればいいのよ。そうすればすぐ人が来るわ!」との答えが返ってきた。

「誰が来るんだろうね」と僕。

「さっき両替所の前にいた『チェンジマネー』屋さんじゃないかな」とユウコ。

「けっきょく、そういうことか」。

 

彼らが正規の両替屋かどうかは別にして、とりあえず両替はできることが判明した。そもそも、さほどお金に困っているわけではないのだ。ホテルの料金、このさきの移動費、そして今まで通りの生活をしていけば、ある程度の余裕はある。しかし、せっかくのクリスマスなのだから、なにかパーッとしたことをやりたくなったときに、「お金、足りるかなあ」といった、余計な気苦労をしたくないだけなのだ。

それはともかく、どうにかなるということが分かったので、意気揚々と買い出しに出かけることにした。

 

今日は終日快晴で素晴らしい青空だ。しかし寒いことに変わりはない。手先もジンジンと冷えてくる。あかぎれ、しもやけにならないのが幸いだが、僕はタイツのせいで太股がすれて、それこそあかぎれのようになっており、痛い。乾燥しすぎているせいもあるのだろう。

 

先の両替屋の隣に、観光客向けの土産屋とツーリストオフィスが合体したような、ProTuristなる小ぎれいなお店がある。店員のオネエサンに話を聞くと、フェスティバルは明日から始まるのだが、メインは2627だという。店のショーウィンドウにはポスターが貼られてあった。

 

午前中はだいぶ賑わっていた町も、日が傾くと人通りが少なくなる。

「今日はみなさん、おうちでしずかに過ごすのでしょうか」。

というわけで、我々は快適なホテルの部屋でくつろぎ、テレビを見ながらルーマニアワインで酒盛りだ。1階のバーのワインは135000。同じワインを、町の酒屋で31000で買った。

 

 夕方、白人さんの団体ツアー客がホテル・ティサにチェックインした。

 

【ルーマニアに来たが、思ったほどチヤホヤされていないことに気づく】

我々はルーマニアで地元の人との交流をほとんどしていない。すなわち、僕が2年前にルーマニアを訪れたときに体験したような「衝撃的な出会いの日々の連続」というものがない。どちらが本当なのだろう。いや、どちらも事実なのだが。1人でいるのと2人でいるのとは、こんなに違うものなのか。あるいは季節が違うからなのか。あるいは、時世が変わったからなのか。あるいは、僕が年を取ったのか(2年の違いは大きい?)。

いずれにせよ、あのときの旅は相当恵まれたというか、充実した旅だったことに変わりはない。出会いなんて、そうそう起きるものではないのかもしれない。「あのとき会った若者達にばったり出くわすことはないかな」と、今日は期待半分で歩き回っていたが、結局何も起きなかった。あるいは、これがむしろ普通なのかもしれないが。

クリスマスのお祭りに期待したいところではあるが・・・。