1225日(金)晴れ シゲット・マルマツィエイ

 

【クリスマスの朝】

 久しぶりにゆっくり眠り、8時半に朝食を取る。

昨日の団体さんは広い食堂にはいない。どうやら奥の別室で食べているようだ。給仕が忙しそうに料理を運んでいる。

 食後は部屋でのんびり過ごし、10時を過ぎたところで外へ出た。昨日より多少は暖かくなったような気がするものの、温度計はマイナス15℃を指している。天気はとても良いのだが、足をガボガボと積雪に取られながら丘に登ったところで、ウクライナとの国境は霧に隠れて見えない。今、橋を渡ってきたイザ川も、見事なほどに凍り上がっている。

 

【バスに乗りたいが】

 明日から祭りが始まるのだが、その前にサプンツァの「陽気な墓場」をユウコに見せたい。サプンツァはシゲットからバスで小一時間。正午のバスがあったはずだと記憶している。まだ間に合う。というわけで、鉄道駅前にあるバス発着所の待合いまで足を急ぐ。

 しかし、バスの待合室は閉まっていた。シャッターが下ろされ、貼り紙が出されていた。

なんと、今日は全休である!

明日も全休だ!!

さらに、明後日の運行バスは、830オラデア行き、1200バイアマーレ行き、1530サチェル行きの3本しかない!!!

 

 僕は貼り紙の前で立ちすくんでしまった。

「これがクリスマスなんだ・・・」。

あらためて事実を思い知らされ、頭になにかガーンと打ち付けられた気がする。

 

 振り返って鉄道駅を望むと、駅前の売店「NON-STOP」も店を閉めている。駅前にたむろする数台のタクシーが、なんだか虚しい。我々も虚しくなって、もと来た道をうりうりともどる。

 さきほど駅へ向かうとき、通りに面した教会から歌声が聞こえてきたことを思い出した。うまくいけばセレモニーを見物できるかもしれない。そう思って教会を訪れた。

 

【クリスマスには教会、そして・・・】

 歌と説法(詩の朗読のように聞こえるが、きっと聖書の一節を語っているのだろう)は、我々が戻ってきても、まだ続いていた。儀式の途中でのこのこ入るのは、今までのルーマニアでの経験からなんとなくはばかられ、我々は入り口の前で一段落するのを待つ。あとからきた参拝客が、我々をチラリと横目に見ながら、教会の扉を神妙に開け、中に入っていく。10分ほど待っただろうか。朗読が終わったのをチャンスとばかり、中に入る。

 

 教会の内装は、ブコヴィナで見てきたような、世界的にも有名な僧院の教会に比べればシンプルである。しかし、祭壇も、最近描かれたであろうフレスコ画も、あれらとは違った美しさが感じられた。ふと、シハストリアで出会った修道士の言葉が頭に浮かぶ。

「美しいのは絵だけではなく、そこに見えない何か別のものがあるのです。それが神の力なのです。ここ(教会)はHoly Placeなのですから」。

いうなれば、この教会の美しさは、地元の人々に愛されているという事実そのもの、つまり人々の愛なのか。それにしても、地元に根付いている教会は、観光教会とは違うよなぁ。

 

【事件の予兆・・・】

そう思って入り口そばから祭壇を眺めていると、中にいた1人の青年が英語で声をかけてきた。名はサンドゥという。明るく爽やかな若者である。「ここは聖なる場所だからダメだよ」と言われるのを承知で「写真を撮りたいのだが」と聞くと、「ノープロブレム」という答えが返ってきた。意外な返答に、聞いた本人が目をぱちくりとしてしまうが、とにかく了解が得られたので写真を撮る。

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 カメラのブラインドがおかしいことに気がついたのはこの辺りからだ。

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 写真を何枚か取り終え、サンドゥからは「何かあったらここへ電話を」と、自宅の電話番号をメモした紙をもらう。

 

【そして、ついに】

さて、あらためて散歩に行こうかと思って教会を出ると、今度は女の子に声をかけられた。どうやら我々が教会に入って以来、我々の様子を気にしていたらしい。「この教会はどう?」「この町はどう?」といった、当たり障りのない質問を受けた後、僕は祭りについて詳しいことを聞こうと、話題をそちらに向けた。

すると彼女は、

「それについては話すことがたくさんあるの。我が家で一緒に昼食を取りながらおしゃべりしない? うちの母は、人を呼ぶのがとても好きなのよ!」

と来た。

 

瞬間、心の中の僕は飛び上がらんばかりに喜び、そして叫んでいた。

 

☆☆☆☆☆☆ ついに来た! ☆☆☆☆☆

 

これだ。これなのだ。僕は心の中で大はしゃぎになりながらも、しかし「申し出は有り難いが・・・」とためらってみると、彼女は「今はクリスマスだし、お客を招待するのは私たちの習慣だから、遠慮しないで」と言う。

僕はいよいよ顔のゆるみを隠しきれなくなった。これを待っていたのだ。僕はもはや遠慮もなく「じゃあ、せっかくだから御邪魔しようか」とユウコに言う。

しかし、「うん・・・」とうなずくユウコは明らかに乗り気でない。今までの経験から考えて、気安くかけられた誘いに乗ると、ろくなことが起きない。ユウコはそれを心配している。それは、聞かなくてもわかった。ユウコの顔には、無理に作った笑顔の中に不安と疑念が浮かんでいる。

そんな彼女に、僕は「言いたいことは分かる。だけど、ここではそんな心配は無用だよ」と訴えたい。この町の人は信用できるのだ。しかし、その信用はユウコには実感がない。もしかしたら、目の前にいる2人の女の子は観光客目当ての悪者なのかもしれない。本当に大丈夫なのかどうか、僕にも確信は持てない。しかし、こういう「誘い」こそが、僕がルーマニアで求めていたものなのではないかと思う。ならばどうして、他の国ではそれを求めてこなかったのか? ユウコは無言で僕にそう訴えている、ようにも思える。僕はその問いに、答えることはできない。この場で言えることは、「この町でなら、シゲットなら、だいじょうぶだよ」ということだけだ。

けっきょく、僕らは彼女の誘いに乗って家に御邪魔することにした。

 

【シゲットの姉妹と、その母】

話しかけてきた女の子はダナという。19歳である。背は160cmほどで、さほど高い方ではないが、体格も輪郭もがっちりしている。いっぽう、先ほどから彼女の少し後ろに立っていた小柄の女の子は −ダナより年下の友人かと思っていたが− ダナの「姉」で、名はモナという。23歳である。もっぱらしゃべるのはダナで、モナは全般に控えめである。町の住宅街へ入り、歩くこと約10分。家に案内された。

 

その家は、周囲の家と比べてさほど大きな家ではない。むしろ平均的な大きさといえるだろう。さして大きくない玄関扉がある。しかし、中に入ると広い玄関ホールがあり、立派なリビング(客間)があり、奥には広いキッチンがあり、そして広いバスルームがある。水道設備から察するに築年数は相当のものだろうが、外見も、内装も、古くささは微塵も感じられず、むしろ豊かで余裕に満ちた空間である。あとから話も出てこようが、きっと彼らの年収は我々の10分の1にも届かないであろう。しかし、この家の広さは、我々には及びもつかない。比較の対象が間違っていると言われればそれまでだが、しかし、家に入った瞬間にそんな思いがついついよぎってしまった。

 

姉のモナが一足先に帰ってきて我々の来訪を告げていたので、母親は我々を見るなり、まるで旧知の友人であるかのように大歓迎をしてくれた。母の名はミカ、年齢は51だという。ルーマニア人にしては珍しく、細い。

 

とにかく、我々は言われるがままテーブルに着き、言われるがままに杯をいただき、そして言われるがままに食前のお祈りに参加し、そして出された料理は「豪勢」の一言に尽きた。

 

【ルーマニアのクリスマス料理としては一例に過ぎないが】

まず、それだけでメイン料理として出せるような、煮こごりのような豚肉料理が前菜として出てくる。それに先立ち、コカコーラのペットボトルに入った食前酒が振る舞われる。ツイカだという。

僕はいよいよ喜びを隠せなかった。ツイカは、いままでどこの酒屋へ行っても手に入らなかったのである。聞けば、いま振る舞われたツイカも自家製だという。

前菜の次はチョルバ(スープ)。続いてサルマーレ。いや、もう、ほんとに、出来過ぎの展開である。

酒はツイカに続いて2種類のワインが出てきた。いずれも使い古したペットボトルに入っており、片方はアッサリと甘口の白ワイン。もう一つはスパークリングの、ややあっさりめの赤ワイン。いずれも隣人のブドウ農家から分けてもらったものなのだそうだ。

料理は更に続く。次は豚肉(シュニッツェルというべきか)とソーセージの、焼き肉風味の料理。これがメインで、さらにデザートとしてドルトとケーキが出てくる。

 

じっさい、量が多いことに加え、我々は旅の連続ですっかり粗食に慣れているために、久しぶりのごちそうでお腹が破裂しそうだ。

するとみんなして、「今日は夕方5時からコンサートがあるから一緒に聞きに行きましょう。だから慌てないで、ゆっくり食べて飲んでいけばいいの」。

まあ、そんなわけで13時半から16時半まで、実に3時間もかけてランチを楽しんだのである。

 

【ミカとツイカとテレビと歌】

ミカはツイカもワインもよく飲む。そして僕には何かにつけて「Please, My Dear」と酒を勧める。しかも、杯を空けないと、怒る。これは大変なことだ。彼女は英語が話せなかった。2人の姉妹はいずれも英語を理解するが、モナよりもダナのほうがよくしゃべり、ミカと我々との通訳もダナがすべてやってくれた。おしゃべりをしたり、テレビを見たり、酒を飲んだり、料理を食べたり。

 

テレビではヨーロッパ各国のチャンネルも映し出される。ウィーンフィルがクリスマスコンサートをやっている。ニューイヤーコンサートだけではないのだ。というか、この場の雰囲気は、日本人に言わせれば正月そのものだ。じっさい、正月はルーマニアにとっては大きなイベントではない。クリスマスは2526273連休になっているが、正月休みは1日のみである。ついでにいえば、ここには盆もないのであって、ルーマニア人にとっての「盆と正月」は、さしずめ「クリスマスとイースター」ということになる。前菜で出てきた煮こごりも、クリスマスと、新年の日と、イースターにしか作らないのだそうだ。

 

【クリスマスコンサートへ】

そんなこんなのうちに夕方4時半になった。5人で連れ立ち、先の教会で行われるクリスマスコンサートに出かける。教会は賑わっていた。かつて家庭科の先生をしていたというミカは知り合いが多く、あちこちの人から声をかけられている。我々は前から二番目の席に座った。左から、モナ・ダナ・ユウコ・僕、そしてミカ。ミカの右は中央通路である。目の前にはコーラス用の段が組まれているが、コーラス隊はまだいない。

 

満を持したように、どこからか歌が聞こえてくる。洗練された、美しい歌声だが、一体どこから歌っているのだろうか・・・と訝っていたら、中央の通路を後ろから入場しつつ歌っていたのであった。僕はてっきり、階上のどこか(たとえば教会に良くあるパイプオルガンのある壇)で歌っているのかと思っていたので、一瞬声を失った。

 

「なんという、美しい歌声だろう!」

 

コーラス隊が入場すると、3人の女性による挨拶があり、その後、13曲を40分で歌った。聞き疲れることも、飽きさせることもなく、全ての歌が、僕の耳には新鮮で、洗練され、そしてどこか神秘的であった。教会の音響効果も絶大だとは思うが、このコーラス隊は、美しい歌声の中に、なにか宗教的な重いものを良く体現しているような気がする。

 

ユウコは始めの入場曲の美しさに涙を流したという。

 

僕の右側に座るミカは、しばしばコーラスと共に口ずさんでいた。

最後に恰幅の良い神父さんの挨拶があった。なんでも「今日は日本からの貴重なお客さん2人をお迎えして・・・」という一説もあったらしい。ミカが僕を肘でこづいてウィンクをした。

 

【終わりは、次の始まり】

コーラスが終わる。ミカやダナはいろいろな知り合いに声をかけ、あるいは声をかけられ、話に興じている。ミカが我々を招き寄せ、人々に紹介する。

彼女が僕らに何かを説明した。ダナの通訳によると、このあと教会の地下室で小パーティがおこなわれるのだそうだが、我々2人をぜひとも「招待したい」と言うのだ。なんのことやら分からない不安があるものの、「私たちも行くから心配しないで」というダナの誘いもあり、背中を押されるまま皆さんと共に地下室へ案内された。

ダナの話では、本来は教会関係者、およびコーラス隊のみのパーティなのだという。つまり、打ち上げといったところだ。はるばる日本からやって来た珍客を招待してくれたのか、あるいはミカが知り合いに売り込んだのか、それは我々の知るところではない。とにかく、プラスチックのコップによるツイカの乾杯で立食パーティは始まり、一口ケーキが振る舞われ、手を休めていると誰彼構わずツイカをすすめられ、飲めば飲んだでまたすすめられ、そして、再び歌が始まる。そしてそばにいる人たちは、我々に「歌え歌え」とせっつく。

 

カメラを出そうか出すまいか、迷っていた。カメラはコートの内ポケットに入っている。このイベントはぜひとも写真に収めたい。しかし・・・

「ま、いいや」と覚悟を決めて、カメラを取り出し、フラッシュをたく。

すると、予期していたことが起こった。こちらを取れば「次は俺達を」。それを取ると「次は私たちを」。今度は「我々の歌っている姿を」「ほら、あいつがケーキを食っている姿を」「なんだかあの2人、あやしいぞ。写真に収めてやれ」「カメラを前にもう一度乾杯だ」「あ、あいつら良いポーズで取りやがって。俺達も乾杯するから撮ってくれよ」。止まらないのだ。

 

カメラをしまうのはたやすい。しかし、彼らの無邪気な姿に応えないわけには行かない。だったらフラッシュだけをたいて、写真を撮る振りだけをすればいいのではないか。フィルムを惜しむならそれも正解かもしれない。ケチるつもりはないが、フィルムの消費は避けなければならない。しかし、それは彼らの好意を仇で返すような気がして、僕はカメラをしまうことはできなかった。ほどよく回ったツイカに気をよくして、写真を撮り続けた。ダナが言う。「神父さんが、『写真を送って欲しい』と言っているわ。いっぱい撮って、大変ね!」 その神父さんからは、なにやら有り難いお言葉と共に固い握手を頂いた。パーティは小一時間ほどで終わった。

 

パーティ後、「家でお茶でも飲みましょう」と再び5人で歩く。ダナが興奮して言う。「私、さっきのパーティでコーラス隊に誘われたのよ! いつか入りたいと思っていたの。来年はきっとステージに立つわ! これもみんな、あなた達が来てくれたからなのよ。神のご加護があったからよ!」 大喜びである。

 

昼食の時にも食前食後に祈りを捧げるダナ一家は実に真面目な信徒のように見える。今日の話の中でも、なにかといえば神を口にし、なにかにつけては十字架を切る。ユウコは十字架の切り方を「指導」されていた。気持ちはうれしいが、しかし我々はキリスト教徒ではないからなあ、と思う。しかし、ムスリムと違うのはこの辺りの寛容性にあるのではないかと考える。ムスリムの人々は、基本的に異教徒を寄せ付けない。そのかわり、いったんムスリムになれば運命共同だ。キリスト教は、いつでも門戸は開けておいて、「決めるのはアナタなのよ」といったところがある。

 

【クリスマスの夜は長い?】

それはともかく、我々は再びダナ一家の自宅に赴き、話し、歌い、明日も会う約束をする。我々が3月まで日本に帰らないと知り、彼らは大いに驚いた。そして「私が日本に行くなんて、夢のまた夢だわ」と言う。これは本当のところ、夢物語であろう。そういうことを面と向かって言われると、道楽で旅をしている身としては、はかなく、つれなく、なさけなく、なんとも言いようのない思いに駆られる。しかし、そんなことは今は構わない。明日もお昼を食べに来ればいいし、なんだったらウチに泊まっても良いし、と、これがルーマニア人なのだ。

 

テレビでは朝からクリスマス一色である。ダナの家ではホテルのテレビ以上にヨーロッパ発の外国放送を多く見ることができる。チャンネルを回してみると、どのチャンネル、つまりどの国もお休み気分である。テレビを見ているだけで、充分クリスマス気分を味わうことができる。これは日本との大きな違いといえる。ちなみに、クリスマスイヴである昨晩は、すくなくとも街中では何事も起きなかった。皆、家で過ごして、翌朝、サンタクロースの贈り物が来るのであろう。

 

ダナは、「私は日本に行くことができないけれど、あなた方が来れば日本を持ってきてくれるから、それで良いの」と笑った。この家には以前から、たまたまシゲットに来た日本人を家に呼ぶことがしばしばあり、彼らが帰国後送ってきた写真や手紙などを見せてもらった。ただ、日本人にしか声をかけないらしい。理由はよく分からない。日本人びいきということで良いだろう。ならば「次に来るときは、もっと日本をもたらそう」と心に誓ってみたりもする。

 

 ところで、今日はルーマニア共産党時代の指導者(独裁者)チャウシェスクが処刑された日でもある。ニュースでその話がでていた。チャウシェスクの墓前で追悼集会があったらしい。テレビのニュースを見ながら、しかしミカもダナも表情を曇らせて「政治は嫌い」と言った。けっきょく、あの革命はなんだったのだろう。ミカは「何も変わらなかった。むしろ悪くなった」と言う。革命運動の始まった1215日にはテレビ特集をやっていたことを思い出した。

 

 今日の教会では朝10時からセレモニーが始まったのだそうだ。終わったのは12時半ごろである。シゲットにはオルトドクス教会が2つと、カトリックの教会が1つある。

 

気がつくと、今日我々は一銭も使っていないのだった。