1227日(日)シゲット・マルマツィエイ 曇り

 

【シゲットのクリスマス:今日はメインイベント】

 ユウコは少々お疲れの様子だが、今日はクリスマスのメインイベントだ。

 

 今日のイベントは、一言で表現すれば「町のメインストリートでのパレード」ということになる。マラムレシュ地方の村々の人々が、村毎にお揃いの民族衣装を身にまとい、歌ったり踊ったりしながら練り歩くというものだ。昨日、ホテルの近くに舞台が組まれていたのを見たが、練り歩いた村毎の団体が、壇上でもパフォーマンスを見せてくれるに違いない。

 

 朝食を食べ終え、外に出ると、すでに通りは人だかりになっていた。仕切りのロープも張られている。パレードの行列が通るであろう通りには、民族衣装鮮やかな青年が操る馬が疾駆したかと思えば、今度は馬そりに乗った、これまた統一された民族衣装を着た女性陣が滑っていく。前座よろしくブラスバンドで行進する人々がいる。そのうしろに、珍妙なお面をつけ、珍妙な出で立ちの一団が続く。いずれも、これから始まる祭りの先遣隊として、場を盛り上げてくれる。

 

「きっとステージのそばにいるのが良いに違いない」と思い、仕切線に並び始まりを待つ大衆に混じって、我々も良い場所を陣取る。そこから舞台を見上げると、壇上には一昨日から来ている外人ツアーの人々がところ狭しと立ち並んでいて驚いた。あれは舞台ではなくて、「お偉いさん用の観覧席」だったのだ。皆、良いカメラやビデオを片手に今か今かと待ち望んでいる。仕切線には地元の警官が出張っているが、押し合いへし合いごった返す観衆に対して、いちいちうるさく人々を制することはしない。むしろ、彼らも祭りを心待ちにしているのだ。

 

【ラッパが鳴って、祭りの始まり】

一番手の村の、3人のラッパが鳴って、祭りが始まった。

 

パレードの一団は、舞台に向かって右手、ちょうど我々と反対から歩いてくる。つまり我々は、パレードの下流にいることになる。パレードは、村の名前をプレートに掲げた人を先頭に、まず舞台の前まで歩んできて、そこで止まる。そして舞台に向かって整列し、パレードの代表が口上を述べたのちに、ある村は歌い、ある村は踊るなど、かねてから用意してきたパフォーマンスを披露する。芸が重複するのもあるが、それは別段気にならない。村の一団といっても、ある村は老人ばかりだったり、ある村は青年ばかりだったり、あるいは引率者を伴った子ども達だったり、あるいは混合チームだったり、米を巻いたり、一芝居売ったり、仮装だったり、とにかく次から次へと、飽きさせることがない。ふと、祇園祭の山鉾巡行を思い出す。あれは山と鉾がメインのパレードだが、この祭りではそれが歌と踊りに取って代わっている。とくに子ども達のパフォーマンスは、その場を和ませると共に笑いを誘う。

 

我々はどうも報道陣に紛れ込んでいたらしい。テレビ局が多数来ている。彼らに混じって、僕も出し物の人々のそばへ寄り、写真を撮る。パレードにはマラムレシュの村々だけでなく、サツマーレやブラショフといった、遠方からのゲスト団(?)の参加もある。そして、今年の大トリはスチャヴァであった。最後ということもあるので、団員も多く、パフォーマンスの量も多く、ブラスバンドに歌に踊りに、お偉い人がイカした衣装で口上を述べるなど、スチャヴァ一つだけ見ても充分の出し物であった。

 

パレード本体は11時に始まり、13時に終わった。

 

【ユウコ、再び体調不良】

ユウコは体調が悪いようなので1人ホテルへ戻ったが、祭りが終わっても人々は家路につくことなく、歩行者天国となったメインストリートを散歩している。僕も彼らに混じって、そこらをぶらぶらしてみた。パフォーマンスを終えた村人達は、今度は自主的に、思い思いの場所で再パフォーマンスをしている。これもまた良い。ホットワインやクリスマスカードの屋台が出ている。昨日のイコン職人のオバサンも出店を出し、イコンの他にクリスマスソングのテープを売っている。ただ散歩しているだけだが面白く、これを1人で回るのは勿体なく思えて、ホテルに戻って再びユウコを連れだした。若者達に話しかけられたり、珍妙なマスクの人と写真を撮ったりしながら、散歩する。この「珍妙なマスク」というのは、民族的には非常に特異なもので、周囲の地域には類似する文化がないという。しかし、遠くシベリアの民族の中には、似たような文化を持つものがある・・・らしい。これはシンポジウムで聞いたんだったかな。

 

町はだいぶ落ち着きを取り戻し、いつもの日曜日になってきた。我々はティサ川まで歩くことにした。川は完全に凍っており、そこでスケートをする家族がある。川向こうの小山ではスキーに興じる人々がある。

 

無理やり連れ出したが、やはりユウコは疲れているらしい。それで、15時半にホテルに戻ってひと休みすることにした。先日、ショーウィンドウに貼られてあった、今回のフェスティバルのポスターをもらったのだが、ホテルのフロントで新品のポスターをくれた。

 

【ふたたびダナと】

今日は午後5時からオルトドクス教会(但し古い方、黒い教会)でコンサートがある。ダナとはそこで待ち合わせることになっていた。ホテルから行く途中にあるロシア正教会が開いていた(今までずっと閉まっていた)ので、寄り道する。教会から出たところでダナに出会った。「ごめんなさいね! 黒い教会のコンサートは6時からだったのよ!」しかし、5時からはカトリック教会で別のコンサートがある、というので、3人でそれを見に行くことにした。

 

あらためてカトリック教会に入ってみると、オルトドクス教会との造りの違いが認識できる。@祭壇(オルトドクスは礼拝堂が平面的に造られ、聖人達のフレスコ画が並ぶ。そして「奥の間」がある。カトリックの場合は立派な彫刻の聖壇がある) A椅子(カトリック教会には長机・長椅子が並ぶが、オルトドクスにはない B内装を飾る壁の絵(カトリック教会のほうがロマンチシズムに富んでいる。正教のは多分に実直である)

コンサートは青年団によるもので、さして上手というものでもないが、しかし妙に俗っぽく感じられた。クリスマスコンサートとはいえ、曲の合間に、僕でも知っているようなポップスソングを挟んだり、シンセサイザーやギターの伴奏があったりしたせいだろうか。いずれにせよ、宗教色の全く感じられないコンサートであった。教会を出たあと、ダナもユウコも同じ事を言っていた。

 

 コンサートは一時間で終わり、続いて黒い教会のコンサートへ急ぐ。こちらは一昨日の教会コンサートと同様、聖歌隊による、まさにクリスマスコンサートである。気分を満喫するにはこちらのほうが断然良い・・・のだが、今日の聖歌隊は妙にピッチが外れていることが多く、ときにはわざとやっているのではないかと思うほどに不協和音となっているときがある。その原因は、コンサートが終わったあとで「再びごめんなさいね」というダナの説明で明らかになった。今日のコーラス隊は40代〜60代の人々で構成されており、なかには高齢の方もいるため、「音程が微妙にずれるのよ」ということだ。

 

 「カトリック教会のコンサートの参加者は全員ハンガリー人だったの。司会もハンガリー語だったのよ。ルーマニア語とは違うでしょう? わたし、彼らが何を言っているのか、ちっとも分からなかったわ」とダナが笑う。我々には、ルーマニア人とハンガリー人との見分けも付かない。ただ、「色白の人が多いなあ」とは思った。

 

【そして、また夕食に】

 コンサート後、例によって夕食に招かれる。家に着いたのは午後8時。

「今日はミカが特別料理を作ってくれたから、楽しみにしていてね!」とダナがはしゃぐ。

その特別料理とは、ママリガと、お米の料理と、とびきりうまい豚肉のステーキだった!!

今日はお隣のオバアサンもご一緒。ユウコは、今日買ってきたドライフラワーとクリスマスカードをミカにプレゼントした。さらに、ここまでの道中で買った絵はがきの中からいくつかチョイスして、ダナやモナに贈った。西安の兵馬俑、新疆風情、ブハラのモスク、トルコの細密画。

 

ダナ家の大きなクリスマスツリーの前で記念撮影。

 

【マサトサウンド、サウンドマサト】

ホテルティサの目の前の広場では、深夜0時までビープ音のクリスマスソングが絶えない。おととい「ホテルではよく眠れた?」と聞かれ、

「いやぁ、通りでピープーとうるさくってね。ポピポピー、ポピポピー(もみの木ーもみの木ー)とかね」

と言ったら、僕の歌いっぷりに彼ら3人は大爆笑したものである。そして昨日も、さらには今日も、「もう一度アレを聞かせて」と彼らは言い、そして、同じように大爆笑する。

「もみの木もみの木いつもみどりよ」

「諸人こぞりて主は来ませり」

「真っ赤なお花のトナカイさんは」

「きよしこの夜」

「あなたからメリークリスマス わたしからメリークリスマス サンタクロースがやってくる」。

僕はほろ酔い気分で、なんどもポピポピーと歌い、そのたびに彼女らは笑う。

 

 今日と一昨日と、聖歌隊のコンサートを聴いたおかげで我々もルーマニアの聖歌を知るにいたり、ミカの指導のもと、みんなで歌う。いくつか印象的な歌があるが、「ブナディミニャッツァー モシャモシャジュー」という語呂がおかしくて、ダナに意味を聞いてみる。

「ビナデミニャッツァは『おはよう』 モシャモシャジューじゃなくて、モシュクラジュールと歌っているのは『サンタクロース』のこと」

なのだそうだ。ちなみに「モシャジュ」はクリスマスイヴのことを指すのだそうだ。

ちなみに僕は、パレードの最初に聞き、そしてその後も何度か聞いた歌が大好きになって、しかし言葉が分からないので節だけ歌うと、「それはきっと『Open the Gate』という歌ね」と、ダナが教えてくれた。たしかに、この歌は始まりにふさわしい歌だと思う。25日の聖歌隊の第1曲目もこれだったような気がする。

 

【別れのとき、次の旅路へ】

 10時半になった。別れがたいが、我々は行かねばならない。「私のことをルーマニアにいる母親だと思って忘れないでちょうだい。私はあなた達を、日本にいる息子・娘と思って忘れずにいるからね」と、ミカから抱擁される。

 ダナはホテルの近所まで見送りに来てくれた。「私のことは、妹だと思って、忘れないでね! ああ、あなたたちはついに行ってしまうのね」。ユウコとダナは涙の別れを終えた。

 

 今日の聖歌隊は、じつのところ少々聞き苦しい。顔をしかめながらも、ふと「聖なるものに、美しいもクソもないはずだが・・・」と考える。歌は、そもそも作られたものだ。ぎゃくに「美しいからといって必ずHolyかというと、そうでもないよなぁ」とも考える。歌にしろ、絵にしろ、美しいだけでは、上手なだけではダメで、やはりそこにもう一歩、「見えない何か」があるのだ。メッセージ性というか、あるいはソウルとかカリスマとか、そういう言葉になるにしろならないにしろ、そういう部分に人を惹きつける魅力があるのだ。つまり、それが教会で言うところのHolyパワー、ということになるのだろう。

 

 ダナは「この街には多くの宗派の人が暮らしているけど、決して争うことはないの。クリスチャンの中心地みたいなものね!」と言う。オルトドクス、カトリック、プロテスタント、ロシア正教(より正確にはウクライナ人のための正教)、バプテスト、他にもいろいろあって、全部で10とか15とかいう数字になるらしい。

 

 祭りは終わり、日常が始まる。我々は出立の準備にかかった。明日は朝8時発のバスでサツマーレまで南下し、鉄道に乗り継いで西部のオラデアに至る。そしてハンガリーへ入るつもりだ。乗り継ぎがうまくいかなければ途中で一泊しても良い。正月はブダペストで過ごす。オヤジが在ブダペスト日本大使館に荷物を送ってくれている。酒を送るようなことを、先日イスタンブールで電話した際に話していたので、受け取るのが楽しみだ。

 

 テレビで天気予報をやっている。シゲットの位置するマラムレシュ地方は、ルーマニアの中でも最も寒いことが分かる。それでも明日は暖かくなるとのことだ。パリは9℃、ブカレストは−2℃という。暖かいね!