1228日(月)シゲット・マルマツィエイ 晴れ

 

【ふたたび、旅立ちの朝、のはずだが・・・】

 6時起床。

ホテルの朝食は朝8時からなのだが、今日はあきらめなければならない。25日のコンサートで頂いたパンを部屋で食べる。7時過ぎにチェックアウト。

ホテルの宿泊料金は朝食込みなのだが、「食べないからその分金を返せ」という理屈も通るまいと思っていると、フロントのオネエサンは、意外にも我々に「朝食が付くのよ。食べないの?」と尋ねてくる。

「知ってますよ。だけど時間がないので」と答えると、

「だったらサンドイッチを作ってあげるわ。持って行きなさい」と言って厨房のスタッフに声をかけた。

 パン、チーズ、ソーセージが支給された。ホテルティサは明朗会計である。

 

 結局両替はせず、そしてこのホテルではドルはもちろん、カードも使えず、レイで約100ドル相当の金を支払ったわけだが、ダナ一家のおかげか神のご加護か、この4日間でほとんどお金を使っていないので、まだ懐は暖かい。贅沢さえしなければ、もう両替は不要だ。

 

【バスはまだまだクリスマスダイヤなのか?】

 朝から良い気分で、まだ薄暗い中をバスターミナルまで歩く。が、目当てにしていた朝8時発のサツマーレ行きは「今日は出ない」という。

サツマーレ行きは午後2時まで、無い。時刻表にはたしかにバスがあるのに・・・

「こんなことなら、朝6時半のオラデア行きに乗れば良かったねえ」と、後悔してももう遅い。オラデア行きは朝の便しかない。

 

 考える手は2つある。1つは、もう1日シゲットに留まり、明日の払暁にオラデア行きに乗る案。もう1つは、少しでもハンガリーに近づくべく、とにかくどこかに行く案。いまやサツマーレ、オラデアへは行けないことは明らかだが、幸い8時発のバイアマーレ行きはあるという。バイアマーレならば、この地方でも大きい町だし、ハンガリー行きのバスがあるという話を聞いたことがあるし、そもそもサツマーレに行くといったところで、その先は行ってみなければ分からないのであって、それがバイアマーレに代わったところで、我々にとって大した問題ではない。

 

それより、昨日、あれだけ感動的な涙の別れを終えた今となっては、シゲットに残るというのはためらわれる。「もしもダナに出会ったら、どんな顔をすればいいのだろう・・・」。我々はバイアマーレに行くことに決め、目の前のバスがそれだというので乗り込んだ。

 

【さわやかな都市、バイアマーレ。そして思い出の街、それは】

 バイアマーレには10時半に到着した。雲間が晴れ、さわやかな青空がのぞいてきた。日差しがまぶしい。

 バイアマーレのバスターミナルは、朝の出発ラッシュを終えたあとといった感じで閑散としている。ハンガリー行きのバスの情報を探すが、時刻表にも案内掲示板にもそれらしいものはない。夏しか出ないのだろうか。

案内所で聞いても要領を得ないので、バスはあきらめ、バスターミナルと隣接している鉄道駅に向かう。

ところがこの時間とあっては西へ向かう列車はすべて出払ってしまい、あとはオラデア行きの夜行列車しかない。そこで方向を変えて考えて見ると、南へ向かう列車は、1535分発のクルージ・ナポカ行きがある。これは鈍行で、到着時刻は不明だが、5-6時間で行くだろう。となるとクルージ着は夜だ。

 

クルージは、僕は前にも一度行ったことがある。あのときにも泊まった駅前のホテルに泊まって・・・。

「そうだ、朝一番の国際特急があったはずだ」。これはマリアのアパートに置いてあった時刻表を見てメモを取ってあったはずだ。

日記をめくると、あるある。IC20 クルージ発745 オラデア発1006 ブダベスト・ケレチ(東駅)着時刻は不明だが、午後1時頃と記憶している。これに決めた。

 

【バイアマーレを観光。意外なところで意外なものが役に立つ】

 まだ時間はたっぷりある。そこで駅の荷物預かり所にザックを預け、街へ散歩に出かけることにした。シゲットの偉いオジサンからもらった観光ガイドが思わぬところで役に立った。ここにはバイアマーレの観光地図のほか、見どころなども書いてある。市バスに乗って市街の中心広場まで行く。バイアマーレでは市バスターミナルはもちろん、各バスストップにも明快な路線図が掲示されており、分かりやすい。ブラショフより進んでいる。天気も良く、気温も上がってきた。路上の雪が融けている。なにやら春めいた気分である。教会の塔が、青い空と白い雲の下で輝いている。ステファンの塔(1446年建築)、ルーマニア教会などを見て歩く。市の中心、自由広場の一角にあるピザ屋で昼食。味はよい。

 

 少し早いが14時過ぎには駅に戻ってきた。切符を買い、売店を冷やかしたりして過ごす。我々の少し前に、東洋人らしい女性が1人、切符を買っていた。頭にスカーフを巻き、後ろ姿なのでなんともいえないが、服装と荷物から推察するに、観光旅行者ではないようだ。

 クルージ行き鈍行列車(ペルソナ)はほぼ満席だったが、なんとか座ることができた。

 

【変わり者は、どっち?】

列車が走り出して10分ほどしたところで、さっきの東洋人女性が我々のコンパートメントに現れ、「こんにちは」と声をかけてきた。実のところ、彼女が日本人であるとは思っていなかったので一瞬面食らってしまったが、僕の隣の席に「ここ、良いですか? ちょっとお話ししたいなと思って」と彼女は遠慮がない。ブダペストに留学に来ているのだという。「バイアマーレから、さらにバスで山に入ったところにハンガリー人の村があって、そこに知り合いがいたんで、遊びに行ったんですよ。変わってるでしょ、へへ」と笑った。

その知り合いの家には「しばしば」遊びに行くらしく、行って何をするでもなく、楽しく過ごしているとは彼女の弁だが、「それで今日はクルージまで戻って、そこで何日か遊んでからブダペストに戻るんです。バイアマーレに泊まったんですか?」

 

こちらが聞いてもいない話を勝手にし、そして勝手に質問してくる。僕はシゲットでのいきさつを簡単に話したあと、ここはひとつ情報を引き出して見ようかと思って、とぼけた顔で「クルージに泊まろうとは思っているんですが、宿は決めてないんですよねー」と流してみた。すると彼女は、

「そうかぁ。街まで歩けば安い宿はありますよ。でも夜だからなあ。駅前にもパックスというホテルがあって・・・」。

《そうそう、駅前のホテルパックス》

と思い出すが、黙ってうなずき、彼女の続きに耳を傾ける。

「たしか、シャワー付きのダブルなら、30ドルぐらいで泊まれますよ。だけど、あそこ・・・」

顔に手を当て、さも物知り顔で、いわくありげに言う。

 

「お湯が出ないんだよなぁ・・・」。

 

 「えーっ! 30ドルも出して、お湯が出ないんですか?!」

 

 明らかに、彼女は我々に対して、このような反応を期待していた。彼女の中ではシナリオが決まっていたのだ。

しかし、我々はさほど驚かない。ホテルジャンブール、ホテルシムケント・・・。30ドルでお湯が出れば、むしろ御の字ではないか? 僕は「ふーん」と返す。

 

 シゲットからバイアマーレに来て、それで今はクルージへ行く我々の旅の今後に、彼女は興味を示した。

僕が、「クルージに1泊して、朝の特急でブダペストに行くつもりなんですよ」と答える。すると彼女はクスリと笑ったのち、こう言った。

 

「ブダペストに行くのに、わざわざクルージまで下ってきたんですか? まぁ、ごくろうさま」。

 

【ごくろうさま】

ここまでの話の中で、彼女はどうも礼儀知らずな部分が目立っている。まあ、学生なんだから仕方がないかと思いつつも、相手は明らかに5つは年下であろう女性である。友達か、あるいは年下の子に説教するような口調で話を続ける彼女は、僕にはどうもいけすかない。そして今の一言がとどめであった。

 

「『ゴクロウサマ』とは何様だ!」

 

僕はそう思ったが、ここもこらえて彼女の話を聞く。彼女には以前、やはり留学先のブダペストからルーマニアに遊びに来て、ブダペストに帰る際、我々と同じようにクルージで切符を買おうとした経験があるという。ところが窓口のオバチャンは、国境のなんとかというところまでしか切符を売ってくれない。で、彼女が「その先はどうすればいいの?」と尋ねると、オバチャンは「さあ。国境を越えるバスにでも乗って、アナタがどうにかするんでしょ?」と答え、「鼻で笑われた」のだという。

そのいい加減な対応に腹を立て、「どうしてブダペストまでの切符を売ってくれないの?」と詰め寄ると、ぎゃくにオバチャンから、「それがルールなんだから、しょうがないでしょ!」と怒られたのだそうだ。というわけで彼女は、

 

「あなたたちも、きっと切符買えないですよ」と言い、いたずらっ子のような笑いを見せた。

 

【知ったかぶりは、どっち?】

 僕はフムフムとうなずいて聞いていたが、この話は、じつは知っていた。ガイドブックに書いてある。すなわち、CFRの駅の切符売り場で、国際列車の国境越え切符を購入することは、原則としてできないのだ。国境越えの急行や特急の切符は、駅ではなくて、街中のCFR国際切符窓口で前もって買うのが「ルール」なのだ。駅の窓口で切符が買えないのは、むしろ当然といえる。そこから先は、オバチャンの言うとおり自分で何とかするのである。そのまま乗っていれば車掌がやってきて、何とかしてくれるのであろう。

 30分ほど話をしたあと、彼女は自分のコンパートメントに戻っていった。

 

 クルージには2030分に到着した。

列車を降り、さっそく駅の時刻表でブダペスト行きの列車の時刻を確認していると、あとから降りてきた彼女が

「なにしているの?」と声をかけてきた。

そして、「まだブダペストに行くつもりでいるの?」と言い放ち、我々を小馬鹿にするように、フフと笑った。

 

「行けっこないわ」。

 

彼女の目がそう言っていた。

 

「だから試すのさ」。

 

言葉には出さず、僕はニヤリと笑って返答した。

 

 クルージの切符売り場では英語が通じない。しかし、オバチャンの説明はよく分かる。やはり、ブダペストまでは買えない。国境のEpiscopia Bihorまで買って、そこから先の切符は国境の駅で買いなさい、ということだ。しかも「前日売りはしていないので、明日の7時に来なさい」と言う。心配は無用である。

「ビホールといえば、シナイアで買ったパリンカは、なんとかビホールって名前だったなあ。パリンカはルーマニア西部の特産だと言うからなあ」

と、僕は切符の話とはまるで関係ないことを思い出していた。

 

【思い出(?)のホテルパックス。やっぱり暖かい】

 駅を出て、ロータリーの向かいにあるホテルパックスに入る。フロントが改装され、きれいになっている。しかし値段は以前より安くなっていた。外人料金がなくなったらしい。ダブルが180000レイ(約18ドル)とのことで、部屋を見せてもらう。シャワー・トイレは共同だが、部屋には洗面所が付いており、文句はない。暖房がよく効いている。むしろ効きすぎて乾燥している。カーテンもカーペットもステキだ。これで18ドルは安い。「シャワー付きだといくらですか?」と尋ねると、フロントのオネエサンから「高いからやめた方が良いわよ」と、親切なアドバイスを頂いた。料金表を見ると225000レイとある。

 

 それにしても、悪気がないのは無礼に等しい。こんな輩が物知り顔で外国に留学し、留学先では知った風な「日本論」を展開し、「日本は保守的で、上下関係や儀礼が細かくていやんなっちゃうわ」などと言っているのか、と思うと、腹を立てる前に、呆れて言葉が出ない。いったい、日本人は何を教育されているのだろうか。

 

 「教育」ということでユウコと話をしていて思い出した。昨日のダナ一家との食事の中で、ウィーンフィルのクリスマスコンサートを聴きながら、彼女らは「アメリカは嫌いだ」と言う。「あなたはどう?」とミカに話を振られ、僕は「彼らは、自分こそが世界の中心だと思っているところが嫌いだ」と答えると、彼女は苦虫をかみつぶしたような顔をして「それもそうだけど、アメリカ人はものを知らなさすぎるわ」と言った。街の高校に英語の教師としてやって来たJohn Scott氏なる人物が、もの知らずの代表としてひとしきり盛り上がったが、彼に限らず、ミカの知るアメリカ人は、バッハもモーツァルトも知らないらしい。

 

 ホテル脇の売店でワインを買ってきて、テレビを見ながら2人で飲んだ。明日も早起きだ。