1216日(水) シナイア 快晴

 

おかげさまで27歳になります。

 

とはいえ、旅の途上でもあり、それほどの感慨はない。そして今日はブラショフまでの移動日としていた。シナイアからブラショフまでは鈍行列車でも2時間程度で行けるはずなので、午前中はシナイア観光に当て、お昼頃の列車に乗る予定である。

 

【シナイア教会、ペレシュ城、案内犬】

7時起床。宿のオバアチャンに声をかけ、チェックアウトをし、駅に荷物を預け、ブラショフ行きの列車の時刻を確認する。10時前の急行を逃すと、次は1156分の鈍行で、これは途中のプレデアルまでしか行かないの。だが、そこで乗り継ぐことは可能であろう。これを逃すと1403分まで列車はない。

 

坂道を歩いて、街から少しはずれたところにある、可愛らしい、しかしどこか厳かな雰囲気のあるシナイア教会を訪れる。時計を見るとちょうど9時を回ったところで、お祈りの時間だったらしく、教会内ではオバアサンが3人ばかりお祈りを捧げる中、神父さんのお祈りが聞こえてくる。詩を吟じるようなその響きは美しい。その「歌声」は1人だけではなく、時折ハーモニーや合いの手が入ったりするのが興味深いが、彼らは祭壇の向こう側にいるため、我々はその姿を見ることはできない。

祭壇の雰囲気は、同じ正教という意味ではブルガリアで見てきた教会との共通性も感じるが、しかしどこかロマンチックな雰囲気があるところが、なんとなくブルガリア正教とは違う。ラテンとスラブの民族性の違いであろうか。正教の礼拝堂は、座席がずらりと並んでいるカトリック教会とは異なり、中央はさながらイスラムのモスクよろしくカーペットが敷かれ、広い空間があり、壁際にお祈り用の席が並んでいる。オバアサン達は、その壁際の席に思い思い腰掛け、敬虔な祈りを捧げたり、神父の詩吟に聞き入ったりしている。

 

教会を出て、坂道をそのままペレシュ城へと進む。メス犬が一匹ついてくる。シナイアには野良犬が多いが、どれも毛並みがきれいで、しかもカワイイ。誰かに飼われているのではないかとさえ思う。いま我々にヒョコヒョコとついてくる小柄な彼女も、かわいげがある。道が二股になり、「どっちかね」と我々が立ち止まると、彼女は足を止めず右の道へ進んだ。5mほど先を行き、立ち止まって我々に振り返る。まるで道案内をしているかのようだ。

「こりゃ、おもしろいや」と我々もついていく。携帯食として持ってきたパンがあったので、ひとかけちぎって彼女に投げると、うまそうにそれを食べた。ペレシュ城のチケット売り場手前で、ここを縄張りとする2匹の中型犬が彼女を見とがめ、ほえかかると、あわれ彼女はもと来た道を一目散に逃げ去ってしまった。

 

駅から30分ほど歩いただけだが、ここはもう林の中で、道の両側にはなだらかな稜線が続く。お城は谷筋にあり、針葉樹の広がる山と青い空、白い雲をバックに控え、そして前面には雪原が広がっていた。ここにはペレシュ城、ペリショール城、フリショール城という3つのお城があるのだが、あいにくと開館しているのはペレシュ城だけであった。後の2つは外観だけを見る。

ペレシュ城内部の見学は英語のガイドが付き、よって自由に見て回ることはできない。写真撮影は禁止。見学用のスリッパ(靴の上からビニルをかぶせる。泥よけだ)を穿き、入り口のロビーで少し待つ。4,5人集まったところで見学開始。ルーマニアの片田舎の、自然に囲まれたのんきな城と思っていたが、まあしかし内装は見事なものである。これは豪奢というよりは優雅と表現するべきであろう。お城というよりは王様の住んでいた屋敷あるいは宮殿だが、イランやトルコのそれらとの大きな違いは「肩肘を張っていない」というか、「自然の成り行き」みたいなものが感じられることだ。

こうしてヨーロッパの城を見ると、サファヴィ朝にしろオスマン朝にしろ、アジアの宮殿というのは「わざわざ金をかけて作りました」「俺達はこんなデカイものを造ることができるのだ」「だから欧州になんか、負けはせんのだぞ」という雰囲気を醸していたことが、あらためて思い出される。

そうは思いながらも、こちらの部屋にはペルシャが誇るカシャーンのシルク絨毯が敷かれ、あちらの部屋にはトルコ自慢のヘレケの羊毛絨毯が使われ、アジア文化も負けてはいない。クリスタルはイタリア・ムラノである。伊万里焼の陶器も陳列されていた。

お城の自慢は「4つの特別室」で、ここにはフィレンツェ風、ヴェニス風、アラビック(スパニッシュ)、トルキッシュという、風情の異なる4つの応接室が並んでいるのが面白い。

 

【鈍行列車でブラショフへ】

お城をひととおり見物し、雪でぬかるむ道を急ぎ足で駅へと戻る。なんとか1156分の鈍行に間に合った。駅の時刻表によると、この列車はプレデアルが終点で、ここには1220分に到着予定だが、そこで1時間ほど待てばブラショフ行きに乗り継げることができるらしい。お客は少ない。峠の坂道を、列車はのんびりと行く。

ところがプレデアルに着いても終点という雰囲気はなく、列車の中にはまだお客が残っている。「この列車がそのままブラショフに行くのではないか?」と思い、折良く通りがかった車掌に片言のルーマニア語で聞いてみると、「そうだ」とうなずいた。時計を指さし「何時に?」と尋ねると「1 ORA」という答えが返ってきた。ORAは「時間」を意味する。

「あと1時間で着くのか、それとも1時に着くのか・・・」

ユウコと2人で首をひねる。まあ、着くと言われたのだから安心であるが、列車は動かない。1時を回っても、なお動かない。「『1時に出発』でもないんだねえ」。

答えは、「1時間後に(プレデアルを)出発する」だったのだ。

 

ルーマニア国鉄CFRは、全国一律でお昼休みを取っているのではないかと思う。ブカレストの駅で時刻表を眺めたときも「おや?」と思ったのだが、朝10時までに列車はほとんど出払ってしまい、次は13時まで、全くと言って良いほど列車は無いのだ。シナイアの時刻表を見ても同じで、ここでは11561403の間、発着する列車が全くない。以前ルーマニアを旅したときも少し感じたのだが、長距離列車は早朝か昼過ぎ、もしくは夜行しかなかった。12時から13時の間に動く列車は存在しないのである。ルーマニアを通過する国際列車も例外ではないと思う。なかなか徹底している。

 

ブラショフにはちょうど午後2時に着いた。

 

【ブラショフのマリア】

ブラショフの駅には「マリア」という名物オバチャンがいる。要するに私営民宿(プライベートルーム)の客引きで、自分のアパートの部屋を旅行者に貸すのである。ロンプラにはもちろん、最近では「歩き方」でも取り上げられている。こういう客引きを嫌う旅行者もいるようだが、我々としては宿探しの手間が省けるし、下手なホテルよりも人が住んでいる家屋のほうが、設備もしっかりしていることが多いことをすでに知っているし、そして時には思わぬサービスも受けられるというものだ。

 

とはいえ、話によると彼女は「ブラショフに停まる全ての急行・特急から降りた者なら必ず出会うことができる」らしいが、我々が今乗ってきた列車は、時刻表の上ではプレデアルからの鈍行ということになっており、僕としては出現を期待していなかった。いなければいないで、別の宿を探せばいいだけだ。まだ日はあるし、天気も良い。だいいち、ブラショフはルーマニア随一の観光都市だ。宿探しも苦にならないだろう。

 

そんなことをユウコと話しながらホームの階段を下り、地下通路を歩いていると

「チョトスミマセン」

と女性の声がする。

 

ちょっと太めの、小柄で青い目をし、愛らしい帽子をかぶった女性が、人なつこい笑顔で我々を歓迎してくれた。

マリアさんであった。

僕は日本にいたころ、インターネットの情報で「彼女はかなりエネルギッシュで熱い人だ」と聞いていたので、大柄な人物を勝手に想像していたが、目の前のオバチャンは、可愛らしく、むしろ少女である。

しかし、しゃべりは圧倒的であった。彼女に案内されるまま、駅の待合室のベンチに腰掛け、彼女は手提げカバンから地図を出し、英語と、そして「さいきん勉強を始めた」という日本語で説明を続ける。

 

「私のアパートは4つの部屋がある。シャワーは2つある。キッチンも使って良い。ブコヴィナの僧院に行く予定があるなら知り合いがいるからそこに泊まるといい。私から紹介してあげる。僧院へはその人が車で案内してくれるから大丈夫。宿も車も、タカクナイ」と笑う。ブコヴィナの知り合いの家へはブラショフから列車一本で行けるとのことで、次の旅程として興味をそそる。

また、「シギショアラにはぜひ行って欲しい。あそこへはブラショフから日帰りで行ける。ブラン城へのバスは、ほら、ここに時刻表があるわ。同じものをアパートにも置いてあるから、あとでゆっくり見てね。マラムレシュに行きたいの? ブラショフからは一本で行けるし、ブコヴィナからも乗り換え無しで・・・ ああ、それは夏だけなんだった。でも乗り継いで行けるわよ」。

さらに、

「あなた達、ハンガリーに行く予定ある? ブダペストにも知り合いがいるのよ。紹介してあげようか? それからクルージには行く? あそこに行くなら駅前のホテルPAXが便利だから、ぜひそこに泊まりなさいな」。

「バスに乗ったらスリには充分気をつけなさいよ。バックを背中にしたままではダメよ。必ず前に。それから、タクシーに乗っちゃダメよ。とくに夜は危険だからね。どこに行くか分からないんだから。あと、ニセ警官もいるから・・・」。

 

刹那、過去の記憶が蘇る。

 

彼女が笑って言う。「わたし、普段は鈍行列車をチェックしないのよ。だって、旅行者はだいたい急行か特急で来るでしょ? 南からはブルガリアやブカレストから、西からはクルージやハンガリーから。でもね、今日はなんだかピピッと来たのよね。それで、あなたたちに会ったというわけ。驚いちゃった。どうしてあの鈍行列車に乗っていたの?」

シナイアでスキーをしたと話すと、

「スキーが好きなの? だったら、ポイアナにも行くと良いわ。街中のバス停から30分で行けるのよ!」

 

いずれにせよ、ここで出会ったのは我々にとっても好都合である。1110ドルということでマリアさんのアパートに厄介になることにした。彼女が駅前でタクシーを拾い、5分ばかり走る。マリアさん、地図を片手に熱心に道順を教えてくれる。アパートは、確かに街中にあり、便利である。すぐ近所にはバス停がある。「ね、そこからバスに乗ればどこでも行けるのよ。タクシーに乗っちゃダメよ」と念を押す。食品店も近くにあるという。広いダブルベッドの部屋があてがわれた。隣の部屋に1人白人が泊まっているというが、今はいない。

 

【旅の道中で誕生日】

宿で一息ついたあと、街へ散歩に出る。

小腹が空いているし「誕生日だからケーキでも食べよう」ということになり、歩き方オススメのオリエント・カフェに行く。店内は物静かな雰囲気で、照明が少々薄暗いが、若いカップルにとってはムードたっぷりなのか、我々の向かいのテーブルに座る男女などはべったりくっついて上になったり下になったりしている。

ところで、メニューにはケーキと思われるものが6つばかり出ているが、ルーマニア語なので分からない。そこでウェイトレスに声を掛けてみた。ルーマニア語で「すみません、英語をしゃべりますか?」と尋ねる。すると、カワイイ顔したオネエチャンは笑って、うんうんとうなずきながら「アシャーシャーシャー」と答えたのだ。僕は面食らってしまった。僕のルーマニア語がよほどおかしかったのか、あるいは僕を中国人と思って、「チャンチョンシェンション」のインチキ中国語をやられたのか。そういえば「アシャーシャーシャー」は、ルセからブカレストに行く列車の中で、ある女に言われたような気がする。いずれにせよ、不可解である。僕がポカンとしていると彼女は続けて「少しなら」と英語で答えた。メニューの説明を片言の英語で受ける。アップルパイは、なるほどオススメだけあっておいしい。

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 「アシャーシャーシャー」は「アシャー シ アシャー」というルーマニア語で、意味としては「so so」ということだ。これはあとから知った。

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「街の中央にある黒の教会では、今日、演奏会があるから行ってみると良い」とマリアさんは話していたが、夕方5時に行ってみると門は閉じたままで、しばらく門前で待ってみるが、開く気配はない。「聞き違いかなあ」と思って、地図を頼りに「ニコライ教会」なる別の教会まで歩いていくと、ちょうど18時を回ったところでお祈りの時間であった。

ブラショフの街の中央広場はクリスマス気分が盛り上がっている。夜になると広場からの目抜き通りにはネオンが輝き、広場には大きな樅の木がライトアップされ、高さ10mはあろうかというサンタクロースの風船人形が踊り、子ども遊園地も賑わっている。そんななか、我々は「たまの贅沢」とばかり、広場に面した「長城酒楼」なる中華レストランへ赴く。いつになく贅沢な夕食である。

 

宿に戻り、今後の旅程を立てる。

16(今日) ブラショフ滞在

17(木) ブラン城見物 日帰り

18(金) シギショアラ 日帰り

19(土) ブラショフ見物

20(日) ブラショフ→スチャヴァ

21(月) 僧院ツアーA

22(火) 僧院ツアーB

23(水) スチャヴァ→シゲット

 

で、クリスマスはシゲットで過ごす。と、これで充分ではないだろうか。そうするとブラショフには4泊することになる。マリアさんには「とりあえず3泊」と言ってあるので、1泊追加だ。

 

【やはり少しぐらいはめでたい気分になりたいもの】

 私事ながら今日は誕生日ということで、できれば移動日にはしたくなかったのだが、朝も晩も教会のお祈りを見たりして、なんだか有り難い日であったのではないかと思っている。そしてシナイアからブラショフと、盛りだくさんでもあった。贅沢したとはいえ、今日一日の出費は宿代を含めて50ドルに満たない。けっこううまく収まっている。

 

 そろそろ寝ようかとベッドに潜り込んだとたん、不意に寂しくなった。何かを期待するつもりも、何か特別なことをするつもりもなかったはずなのに、「何もなく今日が終わる」となると、それはそれで寂しい。ということは、心のどこかで、ユウコに期待をしていたのだろうか。自分では「何もしなくて良いよ」と言いながら、「何かやってくれるのではないか」という期待があったのだろうか。しかし、旅の途上においては普段から「節約セツヤク」とうるさく言ってきた手前、自分の口から「今日ぐらいはパーッといこうか」と言うわけには行かなかった。つまり、だから、僕はユウコに、それを言って欲しかったのか?

 

 長城酒楼で席について、「今日はせっかくだからコースで食べようよ」「今日はせっかくだからワインにしようよ」。

その言葉を待っていたのかもしれない。そして、彼女からそう提案されたら「うん、そうだね、そうしようか!」と答える準備は、実はできていたのだ。いつでもそう言えたのだ。いや、そう言いたかったのだ。そうだ、「飲み物、何にする?」と僕が尋ねたとき、僕はぜひ「じゃあ、ワインにしようか!」と言ってほしかったのだ。「乾杯しようよ」と言ってほしかったのだ。だから、「ビールで良いんじゃない?」と言われて、がっくりしたのだ。

 他力本願といわれるとそれまでなのだが。

 

 だが、ユウコ自身も「そういう提案をしたいが、常日頃から『セツヤク』と言われている手前、どうも切り出しにくい」というためらいもあったのだろう。「せっかくだからパーッとお祝いしたい。しかし、それが暢の本意でないならば、やるべきではない・・・」と、彼女も我慢していたのかもしれない。そう考えると、ちょっと済まない気もする。

 ただ、僕としては、やっぱり今日ぐらいは引っ張り回して欲しかったのだと思う。「今日は特別だから、あそこに出かけて、食事はこの店で、こういう料理を食べて・・・」。そういう期待が心の片隅にあったせいか、いつもと同じような行動パターンだったので、なんとなくブラショフに来てからイライラしていた部分もあるのだろう。

 

 それと、列車の中で「今日は15日だっけ?」と日付を間違えられたのは、さすがにショックであった。「今日という日は、その程度のものなのか・・・」と思い、がっくりとなったのは事実である。「旅先だからなあ」と自分を納得させたつもりではあったが・・・。

 思い詰めて、布団の中でユウコにしゃべったら、なんだか涙が止まらなくなった。ユウコも泣いている。お互いにお互いを気遣って我慢しあっていたらしい。こんなに不幸なことはない。申し訳ないことをした。