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1220日(日)ブラショフ 霧 (ポイアナでは晴れ)

 

Ski in Romania2弾】

 今日は山のリゾート地ポイアナまでスキーに行く。

 

 霧の中、早起きをしてバス6番に乗り、街の中央にある市バスターミナルへ行く。ここからバス20番に乗り換えるのだ。乗り場にはすでに若者を中心としたスキー客の列ができており、期待が膨らむ。バスは満席になった。街を出ると坂道を延々と登っていく。やがて霧が晴れ、日が射してきた。天気が良いぞ!

 

 30分ほどでポイアナに着く。

バス乗り場は山の合間の雪原にあり、どちらにゲレンデがあるのか、ここからでは分からない。人々のあとについて少し山に入ると、立派なホテルが見えてきた。「ANA HOTEL SPORT」とある。3ツ星である。

「まさか、全日空じゃないよねえ」と思うが、内装はそれを思わせるほど立派なリゾートホテルだ。フロントで「スキーを借りたい」というと、脇のレンタル事務所を案内される。応対に出たオネエサンは英語が通じた。レンタルは一日2人で24ドル相当と、シナイアに比べると高い。が、それは覚悟の上でリゾートスポーツに来たのだから、今日は気にしない。

スキーセットの借り受け場は地下1階だというので、借受書を手に階段を下りる。そこには暖房のよく効いた一室があって、スキーセットがずらりと並んでいる。サロモン、ロシニョール、ノルディカ、等々。どれもピカピカである。新品に近い。

「これ、レンタル品かな」ユウコが期待を込めて言う。

「僕もそれを期待したいが・・・まさかね。泊まり客の持ち物じゃないかなあ。こんなに良いの借りられるとも思えないよ」。

 

ところが実際に貸してくれたのは、まさにそこに立て掛けてあった新品同様の板と靴であった。インナーのクッションもおろし立てであろう、フカフカだ。穿いてみる。おお、ばっちり。ユウコも、「家にある自分のスキー靴より良いかも」と喜んでいる。まったく、持って帰りたいぐらいだ。

 

 かくしてコースへ乗り出す。快晴だ。テレキャビンを使って、まずは山の頂上へ上がる。コースはいくつかに別れているが、道標があるので迷うことはない。山の景色を楽しみつつ、尾根つたいのコースを滑り、そして斜面を降りる。快適だ。涙が出るほどに快適だ。

ゲレンデには1台のテレキャビンのほか、リフトが何台かとロープウェイ、それに2人乗りの対面式簡易ゴンドラがある。チケット売り場を見るとロープウェイとゴンドラはいずれも1118,000レイである。「回数券を買おうかなあ」と思ったが、何回乗れるか分からないのでやめる。とにかく、天気も良く、雪質も良く(多少ガリガリがあるが、軽い!)、人も適度に多く、地元客の他、英語やドイツ語をしゃべるファミリーも見かける。そして何といってもスキーセットの良さが楽しさを盛り立てる。

 

♪山はしろがね 朝日をあびて すべるスキーの 風切るはやさ♪

 

素晴らしいゲレンデである。スキー客には外国人(白人)も多く、英語やドイツ語などを耳にした。それにしても、地元のルーマニア人をはじめとして、みな上手い。とくに少年団、うますぎる。ただ、ゲレンデの真ん中をパラグライダーの出発点としているのは、ちといただけない。パラシュートをゲレンデに広げているので、気を使う。もっとも、飛び立つ彼らを、100mばかり降りたところから見上げるのはなかなか印象的な風景であった。そのほか、ゲレンデの真ん中をハイキングよろしく歩いているお客さんもあったりして、スキー場とはいえ、板を穿いている人が一番偉いわけではないようだ。そのスキーヤーも、ゲレンデの真ん中でたむろして腰を下ろしたり、空き缶などのゴミをあちこちに投げ捨てたり、マナーには少々問題がある。しかし、そういった悪い面を考慮しても、スキーリゾートとしては申し分ないところであった。

 

滑った時間は10時から16時まで。満喫した。

 

【ブラショフ最後の晩餐】

ブラショフに戻ると、街はやはり霧に包まれていた。ブラショフは盆地状のため、霧がたれ込めている日が多いように思う。それで、今日のように山に登るとかえって天気が良いのであろう。そして気温も、日の射す山のほうが高いように思う(それでも氷点下だろう)。街の並木には氷晶がびっしりと付いている。毎日が真冬日だが、それでも路上の雪は日に日に少なくなっている。

 

アパートに戻るとお湯が出ない。どうしたことであろうか。そして台所では、若い白人が2,3人とジョン君が、英語でたいそう盛り上がっていた。今日はお客が多い。料理を作ろうと思っていたユウコだが、「あれじゃあ、当分無理だわね」と部屋に戻ってきた。先日2人でパーティをやったときは我々以外に客がいなかったことを思うと、つくづく幸運であった。様子をうかがいつつ、ユウコは再び台所へ行く。

 

僕も後から台所に行くと、白人達が部屋に引き上げた。ラーメンを作り、食事する。その後、Nさんもやって来て、ジョン君と4人でおしゃべりする。ジョン君は昨日、風邪をひいて一日寝込んでいたのだそうだ。

「お湯が出ませんね」と僕が言うと、「奥にあるもう一つのシャワーだったらお湯は出るそうです。やり方がややこしいみたいですね。今日は満室のようですよ。見てください、この散らかりよう。今、何人いるんやろ」と、Nさんは少々おもしくないという顔をする。

 

現在の宿の状況をNさんから確認する、今朝、新たに日本人カップルがやって来たと言う。彼らはこのアパートの一番隅にある2人部屋に泊まっている(ちなみにその横には、先に書いた「もう一つのシャワー」がある)。その隣には1人部屋があり、かつてこの部屋にはギターのあんちゃんが泊まっていたが、ここにジョン君が入っている。その隣は我々2人の部屋。台所の横の部屋は4人部屋なのだが、ここにNさんの他、ペンシルベニアから来たという、鼻ピアスをした若い白人の女の子、スコットランドから来た女の子、イタリア人の男の子がいるらしい。このイタリア君は英語が不得手のようだが、ジョン君とはなぜか気があっている様子だ。

ペンシルベニアからの子はブラショフへ来る列車の中でザックをそっくり盗まれてしまったらしい。「つい、うとうととしていたらそのスキに」と言う。「はじめは頭が真っ白になったんだけど、でも旅行は続けるの」と言っていたらしい。これはユウコが料理中に横耳にした話である。

 

ともあれ、お客は総勢9人。シャワーは2つ。「限界人数を超えてますよ。マリアもうまくやってるよ」と苦々しげに言うのはNさんである。「考えてみてください。110ドルでしょう。だから今日だけで90ドル。一日で一月分稼いでいるんですよ。エエ商売やね」。

 

2人は明日ここを発つというのでアドレスを交換する。

 

ひょんな事で音楽の話になり、ジョン君が「縦笛を持ってるよ」というので見せてもらうと、それは韓国式リコーダーというべきか、音階が違う。楽譜も持っている。決して上手ではないが、アリランを吹いてくれた。Nさんが、「おまえ、それで稼ぎながら旅すればいいんじゃないか」と茶化すと、意外にもジョン君はそれを実践したことがあるという。

「インドでやったんだ。その日の食事代ぐらいにはなったよ」と笑った。話のついでなので、僕は日本の友人から「旅の餞別として」携行している口琴を見せる。Nさん、半ば呆れるように「なんでみんなそんなん持ってんねん」と声を上げた。

 

ジョン君は10時の特急でブダペストへと西進する。我々よりも一足早くハンガリー入りすることになる。それで、「クリスマスはブダペストでのんびりするよ」とのことだ。

 

いっぽうのNさんは明日6時の列車でブカレストへ行くという。ベオグラードに戻るのはあまりにも無駄があるので、10時に開館する在ブカレストのブルガリア大使館で即日ビザにトライし、うまく行けばそのまま南下してギリシアへ。

「うまくいかなかったら?」「ベオグラードにもどるしかないなあ。いややなあ」。

 

「ブルガリアでは、ソフィアには行かないのか?」とジョン君。するとNさんは「行かねえよ。あそこは世界で最も危険な街だ」と答えた。そこで僕は、「モスクワはどうでしたか?」と聞くと、「あそこは全然大丈夫ですよ、まったく問題がない」と、これまたアッサリと答える。

いずれにせよ、彼はギリシアを目指し、あとはトルコ、イラン、パキスタン、インドと東進したいという。つまり日本に戻る方向で旅を進めたいのだが、彼の言うことには、

「なにしろどこへ行くにも、ここから東に向かうには、ビザ、ビザ、ビザでしょう。だから嫌なんですよ。その点でもヨーロッパはいいですよね。ジョンは、ブルガリアもルーマニアもヴィザ不要で、うらやましいや。マサトさんは、ルーマニア3回目なんですか? 好きですねえ」

「けっきょく、全部陸路では帰れないでしょう。インドからミャンマーへは抜けられないし、フンジュラブ峠は5月まで待たなきゃいけないし。ネパールから中国ってのもあるけど、時期が悪すぎます。あー、中央アジアがあるか。それこそビザだらけですね、ダメだ。そうするとやっぱり、どこかで飛ばなアカンのですよ。デリーとか。中途半端だな。いっそ、バンコクまで飛ぶとかね。どうしようかなあ。ロンドンから帰るってのもアリなんですけどね」。

 

4人でしゃべって12時を回ってしまった。

 

おひらきとなり、各自、部屋にもどる。ベッドに入る準備をしながら、ユウコと、「知り合った仲間が去るというのは、寂しいものだね」としゃべっていたら、部屋のドアをノックする者がある。ドアを開けるとNさんが立っていた。彼は右手を出して僕に握手を求め、少し照れくさそうに言った。

 

「良い旅を してください」。

 

瞬間、僕は声を失ってしまった。なにか、心にグッと来るものを感じてしまったのだろうか。

 

「良い旅にする」というのと「良い旅をする」というのは、たった一字の違いだが、それが何か大きな意味を持つように思う。

僕はこれまで、旅を「良いものに、良い経験に、良い思い出に」しなければならない、そんな思いで旅を続けてきたような気がする。帰国後、あるいは旅の途中で人から話を聞かれたとき、そして人が我々の旅を評価するとき、「良い旅に」なっていなければならない。そんな意識に駆られていたのではあるまいか。

だが、「良い旅をする」というのは違う。結果的に自分で「良し」と納得できれば、それが「良い旅」なのだ。他人の意見や批評は気にしない。失敗してもいい。ズッコケでもいい。わざわざ「良い旅にする」必要はない。「良い旅をした」と自分で思えればそれで良いのだ。

僕はNさんの一言で、なんとなく気になっていた心のしこりをほぐされたような気がした。そして彼は最後に一言付け加えた。「僕もがんばります」。彼の目が潤んでいた。私は、彼の手をグッと握り返した。

 

 そして、シャワーから湯が出た。