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1222日(火)ミルチェスティ 雪のち時々曇り 夜、晴れ

 

【ブコヴィナ僧院ツアー その1】

 朝食を取り、845分、小雪がちらつく中をヨセフ氏の運転で出発する。はじめのうちは快調だったが、雪は意外と激しく、そのため視界が悪く、なかなかスピードが上がらない。その上、寒さのせいか、エンジンの調子が今ひとつのようでもある。ワイパーもフロントガラスも凍ってしまい、そのたびにヨセフ氏は車を停め、雑巾で窓ガラスを拭く。この先どうなることやら、心配だ。

 

街道を北へ、2時間走ってもどこにも着かない。ヨセフ氏は英語を話せず、我々はルーマニア語を話せないので、会話もできない。心配ばかりが募る。出発時に「今日はどこへ行きます」ということを明らかにしていなかったのが失敗だったのだ。しかし、車は既に走り出している。いまさら引き返すわけにも行かないし、ヨセフ氏としても、早く第一目的地に連れていきたいはずだから、イライラしても何にもならないのだと開き直ることにした。どちらかといえば、ヨセフ氏のほうが(悪天とエンジン不調に)苛立っているように見える。

 

【ヴォロネッツ】

沿道に「HUMOR」との道案内が出たが、素通り。昨日のティミの話によると、「HUMORの修道院は、修復中のため閉鎖されている」とのことであった。ほどなく「VORONET」の道案内あり。ここが第一の目的地となっていたらしい。街道をはずれ、田舎道に入る。村の直前で工事中の大型車が停まっていて、前に進めない。イライラと10分ほど待たされ、工事現場を過ぎると、すぐそこに僧院があった。降りて歩けば良かったような気がする。1140分であった。ヨセフ氏は車で待つというので、ユウコと2人で降りる。

ヴォロネッツの僧院は「ヴォロネッツ・ブルー」というほど、その青が独特であるとガイドにも書いてあったが、なるほど、僧院の門をくぐって中庭の教会をみると、教会外壁の青は素晴らしい・・・というより、始めに口をついて出たのは「なんじゃこりゃあ!?」である。

写真で見て知っていたとはいえ、いざ目の前に立つ教会を見ると、口をポカンと開けてみるよりほかにやることはない。外壁にフレスコ画を描くというのは、実に珍妙であるが、いや、まあ、とにかく「なんでなの?」と言いたいぐらいに絵が詰まっている。天気が悪いのが残念だが、その青さは有名なだけあって目を見張る。

フレスコ画のハイライトは、教会の入り口の裏に当たる西面いっぱいに描かれた「最後の審判」である。中央上部にキリストが座り、その左右には天使たちが控えている。その一段下には人間達が並んでいる。ガイドによると、左側にはパウロに率いられた天国行きの人々が審判を待っている。いっぽう、右側にはモーゼに率いられた地獄行きの人々が、これも審判を待っている。地獄行きとなっているのは、ユダヤ人、トルコ人、タタール人、アルメニア人、アフリカ人であるという。右下部には、哀れ地獄行きとなった人々の悲惨な末路が描かれている。

また、もう一つのハイライトとして「GENESIS」なる絵があり、そこにはアダムとイブ、ケインとアベルが描かれているのだが、これは修復中のため見ることはできなかった。なお、フレスコ画のオリジナルは1547年、教会自体は1470年の建立とのことである。1時間も2時間も眺めていたいところだが、先もあるので、名残惜しくも次へ向かうことにした。そして、外壁もスゴイが、内装も素晴らしい。

 

【モルドヴィツァ】

車に乗り込み、移動。1320分、モルドヴィツァ僧院に着く。

ここもまた、ヴォロネッツと同様、素晴らしいフレスコ画が満載だ。写真に収めようにも、一体どこをどのように撮ればよいものやら、カメラを片手にうろうろするばかりである。地元テレビ局の取材が来ており、フレスコ画の背にして語る修道女を撮影していた。いま、彼女が熱心に説明している大きな絵は戦争画である。ガイドを見ると、626年におけるコンスタンティノポリス(現在のイスタンブール)防衛戦の様子を描いたものらしい。守るはビザンチン・ローマ帝国軍、攻めるはササン朝ペルシャ軍(しかし描かれている様子を見るとトルコチックである)とある。

そのほか、マリアの生涯をつづった続き絵や、イエスの木など、今まで見てきたフレスコ画(といっても、ここに来るまでのフレスコ画は全て教会内部にあった)と似たような題材の絵もある。教会内部にも壁一面にフレスコ画が描かれており、とくに弾圧、すなわち聖職者達が虐げられる絵が数多くある。ある者は首をはねられ、ある者は逆さ張り付けにされ、水樽につけられ、火にあぶられ・・・。

そして、ヴォロネッツほどの規模ではないが、ここでも「最後の審判」を見た。教会の脇に小さい建物がある。これはモルドヴィツァの建立者ペトレ・ラレシュ皇子に関する資料館であった。

 

【チゥミルナ峠】

再び車で移動。なだらかなカーブの続く山の坂道を長いこと登り続け、登り切ったところでヨセフさんは車を停める。1420分である。目の前には大きなモニュメントがある。地図を見ると、ここは標高1100mのチゥミルナという峠らしいのだが、このモニュメントが何を意味しているかは知る由もない。しかし、ヨセフさんは「モニュメントの前で写真でも撮ってきたらどうだ」といった仕草をする。無下に断るのもなんだか悪い気がして、ユウコと2人で車を降り、モニュメントの前に立つと、なるほど、眼下には今登ってきた峠道を見下ろすことができる。「景色が良いぞ」と言いたいのだろうが、あいにくの天気のため、「遠く遥かな峰峰を望み・・・」というわけにはいかなかった。

 

【スチェヴィツァ】

1440分、スチェヴィツァ僧院に到着。ここでのフレスコ画のハイライトは「イエスの木」である。これは、壁の下部にキリストが横たわり、その胴体から一本の木が生え、幹はまっすぐに伸び、枝が壁一面に広がっているのである。キリスト、およびその木の周りには、聖人やら昔の哲人やら、いろいろな人がイエスの方を向いて立っている。しかし・・・「これって、涅槃だよねえ」。ユウコが言った。僕も同じ事を考えていた。

スチェヴィツァ僧院のフレスコ画は「イエスの木」に代表される緑の色調が一つの特徴であり、ヴォロネッツの青、そして見ることのできなかったフモルの赤と対比されるのだそうだ。

別の外壁には「地獄から天国への30ステップの階段」なる大きなフレスコ画がある。階段は右下から左上に伸びており、階段の右が天国で、階段を上る人間を天使達が見守っている。あるいは呼び寄せているのかもしれない。いっぽう、階段左は地獄で、哀れ階段から堕ちた人間共が悪魔に喰らわている。階段が30というのは、キリストの享年にちなんだもので、1ステップがキリストの生涯一年分をあらわしているのだそうだ。

スチェヴィツァはこの地方で最も大きな僧院である。僧院を取り囲む壁はまるで城壁のように堅固である。

 

【スチャヴァ王宮跡】

16時を過ぎ、そろそろ暗くなってきた。昼飯は食べていない。「もう帰るのかな」と思っていたが、つぎはスチャヴァの街へ案内された。車を降り、街にある王宮跡を見学する。その近くにIOAN(イオアン、つまりヨハネ)教会がある。ちょうどお祈りの時間のようで、参拝者がちらほらといる。神父の詠う聖書の響きを聞きつつ、堂内をのこのこと歩き回っていたら、壁際の椅子に座る1人の老婆に「シッ」とたしなめられた。やはり異教徒としては今ひとつ居心地の悪い空間である。

 

【レッツゴー、アットホーム】

車に戻るとヨセフさんが珍しく声をかけてくれた。「レッツ、ゴー、アット、ホーム」。慣れない英語で言う彼の優しさを感じながらも、僕は思わず苦笑してしまった。「アットは要らないんだよ」。もはや真っ暗である。星が見える。帰り道は順調だったが、ヒーターが壊れてしまったらしく、寒い。助手席から後ろを振り返ると、ユウコは死んだように固まって眠っていた。

夜道とはいえ、行き交う自動車は多い。馬車も目立つ。この寒さと暗い道では、御する人も大変だが、走る馬も大変だ。家に着いたのは1910分であった。けっきょく朝飯を食べて以降、まったく飲まず食わずで一日を過ごしたが、それでも道中2回トイレに行き、いままた帰宅してすぐトイレ。いったい、どこから水分が出てくるのだろう。

 

【明日も僧院ツアー】

ティミが夕食を運びながら明日の予定を伝えてくれる。9時起床、10時出発。今日よりは近所の僧院を回るので、18時には戻れるだろう。それで夕食を食べてから、パシュカニの駅まで送ってくれるという。そうすれば乗り換えが一回省けるので、我々としても助かる。

 

そして、今日も素晴らしい夕食であった。

 

ところで、僧院の入り口は必ず入場券売場があり、カメラ代は別途支払うことになっている。しかし、カメラ代はもちろん、入場料さえ取らない。だいたい、売場には誰もいないのだ。なかで修道女とすれちがっても「金を払え」と言うこともなく、むしろ彼女たちは竹箒を片手に年末大掃除(彼女らにしてみれば、クリスマス前の大掃除なのだろうが)に夢中なのだ。我々のことなど、気にも留めない。

 

ところで、今日は1日、そして明日も、ヨセフさんの運転の世話になるわけだが、これはこれで気楽だけれども、「旅の苦労」がない分、少し寂しい気もする。僧院のありがたみが薄れるとでも言うべきか。苦労して自分でルートを調べて自力で出かけたら、きっと土地勘もつくだろうし、喜びも感動もより大きなものになるのだろう。そして旅の途上でも、きっといろいろなことが起きるのだろうし・・・。

 

村々の民家がみなおしゃれで素敵なのも印象的だ。門構えも立派なものである。そういうところで立ち止まることは、もちろんヨセフさんの車でも可能だが、車に乗っていると、スッと行きすぎてしまう。自分の足で歩いていれば、立ち止まることができる。とはいえ、今日見てきたブコヴィナの僧院を一つ一つ自力で見に行くのは大変だ。なにせ交通の便が悪いのだ。冬は寒くて、とてもできたものではない。だから、旅の良い季節に、11つずつ見て回るぐらいの覚悟と余裕を持って回れたら、それは面白い旅になるだろうなと思う。それは、どの僧院でも近所の民家のなかに民宿(Vila あるいは Zimmer Freiの看板がある)やHotelがあるのだから、そういった、いわば素朴な宿を泊まり歩くことも、旅の楽しみとして面白いだろう。

 

ブラショフでも気になっていたが、雪が降ろうと真夜中だろうと、どの家でも洗濯物が戸外に干しっぱなしである。カンカンに凍っており、しかも雪が積もっている。この家もまた、例外ではなかった。

 

ふと、「ヨセフさんは数学の先生なのよ」というマリアの言葉を思い出した。

その数学の先生がわざわざ我々2人のために今日1日車を出してくれたのだが、料金は(今のところ、マリアの情報以上のものはないが)ガソリン代込みで30ドル程度である。スチャヴァの旅行社、あるいはタクシーに直接交渉しても50ドルは下らないという。こういう金の使い方にも慣れてきた。というか、自分たちの中で、何かが変わってきているのだと思う。「お金をかけても平気」になったのではない。金のかけ方が上手になったのではないかと思う。

 

いや、そうではなく、「ここへ来たのは、こういう金の使い方で観光をするためだ」という割り切り感なのか・・・。そう思うと、キルギスでの旅の失敗は、こういう「金の使い方」にあったのではないかと思う。つまり「お金のかけ方」に対して不勉強だったのである。

「片道6.5ドルのタクシー代をケチって、山道を3時間も歩く必要はなかったよなあ」とか、

「ヴァレンティンさんに会って、彼の手配のもとでトレッキングにでかければよかったなあ」とか。

そうは思うが、しかしだからといって「もう一回、キルギスへ」とは思わない自分がいる。キルギスを離れた直後は、「いつかまた、再びキルギスへ」と思っていた。「次はトレッキングを目的として訪れよう」という強い思いがあった。しかし今は、チャンスがあればとは思うが、しかし、無理して行く気はない。

 

「無理をして、行く・・・」。僕はつぶやいた。その言葉は、彼の国、彼の地域にしか似合わない。少なくとも、ヨーロッパにはそれは似合わないように思う。やはり、ヨーロッパの方が快適なのだ。

 

それにしても、どこも見事なフレスコ画で、見飽きることがない。他のものももっと見たいものだ。同じフレスコ画という意味では、イスファハンのアルメニア教会で見たフレスコ画の方が衝撃的ではあった。が、「もう一回見に行きたい」という思いにさせるのは、ここブコヴィナのフレスコである。それは、もしかしたらフレスコ画そのものよりも、立地のせいかもしれない。周囲の雰囲気というか、味というか。僕にとっては、ルーマニアの方が好みなのだろう。

 

今日の出費 ゼロ