ルーマニア4(No.66)世界遺産・ブコヴィナの修道院〜ミルチェスティ・スチャヴァ・ネアムツ

【プライベートルームでのもてなし】

ロマン駅へ着くと、ヨゼフさんと娘のティミさんが我々を迎えに来ていた。ヨゼフさんは、いかにも人のよさそうな人。ティミは学校でロシア語とフランス語を教わったという。英語も結構流暢に話している彼女だが「英語は本で勉強しました」とのこと。たいしたものだ。

駅からヨゼフさんの家があるミルチェスティまではかなりの道のりがあるが、案内された家は立派でキレイ!なんと20畳近い部屋をあてがわれた。もともとはリビング兼食事室と思われる。陶器でできたストーブが美しい。このストーブはもちろん薪であたためるのだ。「オナカスイテマスカ?」とティミに聞かれ、夜中なので煩わせると一瞬ためらったが、お言葉に甘え、食事をいただくことにする。ダイニングでしばらく待っていると、山盛りのパンと共にラグメン風のスープが出てきた。このスープに入っている麺が、日本の乾麺(うどん)とそっくり!スープにはやや酸味がある。心なしか飾ってあるカーペット、部屋の雰囲気など、アルマトイのバーバの家を思い出す。バーバの故郷、ウクライナはお隣の国だ。スープを飲んで「ああ、まんぷく。」と思っていると、どかっとイモ&肉が!アクスー・ジャバグリ国立公園のエフゲニーさん家の夕食にはかなわないが、夜食としては充分すぎて余りある量。歓待だ。カザフスタンでよく飲んでいたミネラルウォーター、「BONAQUA(2l)」もあって、なんだか懐かしさ倍増。

ここに滞在する時間が限られているので、ブコヴィナ修道院の見学は1日にして、もう1日はモルダヴィアの州都ヤシへ行こうかと思っていたが、ティミのくれたパンフレットの写真がきれいなので2日ともブコヴィナ修道院の見学に行くことにする。明日から楽しみだ。

しかし、こういう一般民家に御世話になるのだったら、もっとルーマニア語を勉強しておくのだった・・・と思う。どこの国を訪れてもそうだが、言葉はやっぱり大事だ。

 

【修道院ツアー一日目】

1222日(雪ときどき曇り)

修道院(モナストリ)ツアー。今日はブコヴィナ北部のスチャヴァ県にある修道院をまわる。数字は回った順。

@     ヴォロネッツ修道院(Voronet)。Trees of Jesus 内部、New paint 最後の審判(←すごいっす)の写真をとる。

A     モルドヴィッツァ修道院(Mordevica)。首を切られている(首チョンパ)の絵多し。16世紀にペトル・ペレシュ(モルダヴィア王国王子)が建立した。奥に博物館があり、古いイコンを展示している。ここでテレビ取材をしていた。

B     スチェヴッツァ修道院(Sucevita)。中は閉まっていた。外に天国と地獄の絵があり、地獄に人々が突き落とされている図が印象深い。

C     スチャヴァの城跡、キャタテア・デ・スカウンに行く。城自体は廃墟な上に、雪が降り積もって、入るのも難しいが、高台にあるこの建物からのスチャヴァの眺めは美しい。

D     スフィンツ・ロン・セル・ノ修道院(Sfintu loan cel nou)。外は白一色でシンプル。中もフレスコははげ落ち、すすだらけだが、現在でも使われているので、地元の人がお祈りに来ていて興味深い。若い人、親子連れも来ている。ちょうど5時だったのか、モナストリの鐘の音が響き渡り、美しい。

 

【明日の予定など】

夕食は昨日のスープの中に、うどんではなくイモとスメタナを入れたもの、スープの出汁として煮込まれたであろう肉にコンソメおかゆが付け合わせとしてついたものとミントティー。

ヨゼフさんの計らいで、明日の列車はパスカニでつかまえることになった(少し遠くまで走ってくれる)。

モナストリは思いの外美しい。今日はモナストリで全くお金を取られなかったので、使ったお金は0円(レイ)だ!クリスマスサービスで入場料がないのだろうか?今日のモナストリでは女性の修道士を多く見かけた(絵あり)。クリスマスに向けてなのか、どこのモナストリでも大掃除をしていた。

私といえば、今日は疲れていたのか、車に乗るとぐーと寝てしまい、1日の3分の2くらい寝ていたのではないかと思う。車をチャーターして移動するということを贅沢として心苦しく思う、貧乏の染みついた体になってしまった。

 

【修道院ツアー2日目】

1223日(くもり)

今日はブコヴィナ南部、ネアムツ県をまわる。「昨日にくらべ、どの修道院も近くだから・・・」ということで、10時過ぎの出発予定だ。

ヨゼフさんは出発前に学校に行っていたらしい。窓の外を見ると、そそくさと学校から帰ってくる夫妻の姿があった。昨日は「バイトのため学校は休んだ」のだ。先生、いいの?ともあれ、出発。

@     ヴァラテック(Varatec)修道院。今日回るモナストリは、外のデザインはシンプルだが、中は豪華!夏は入場料として外国人は18000レイとられるらしいが、今日はチケット屋はいない。中では修道女がお祈りをしている。真摯なその姿に「寄進がわりに・・・」と絵はがきを買った。ヨゼフさんの車「ダキア号」は、行きしなサーモスタットを替えたが、相変わらずエアコンが効かない。どんどん足が冷え、変温動物の私(!?)は冬眠。冬眠から醒めると・・・。

A     シハストリア(Sihasitoria)修道院に着いていた。このモナストリには夏と冬の教会があるそうで、夏の教会は石、冬の教会は木で建築されているそうだ。冬の教会の絵はウクライナ人の片目の絵描きが描いたそうで、目の不自由な人が描いたとは思えないほど美しい。だから「奇跡」なのだそうだ。私は教会内で失礼に当たるかと思って帽子をとったら「男の人は取って良いのですが、女の人はだめだと神の教えにあります」と怒られた。髪の毛を出してはいけないのかな!?カーペットといい、エライ人の座るところといい、やっぱりイスラム教に似ているのか?別の修道士は、まるでアラーにむかってお祈りしているかのように土下座した!キリスト教でこんな風にお祈りするのを見たのは初めて・・・。ここの修道士は英語ができ、「たくさんの外国人が来ますが、驚くべきことにその70%が日本人です。」という。しかも「ある若い(日本人の)女の人はルーマニア正教(オーソドックス)に改宗しました」という。私たちも「本当の人生とは何か」「自分の宗教に満足しているか」など勧誘?をうける。その話の中で出てきた、30年洞穴にいて、彼女が歩くと山が割れたという奇跡の女の人の話などは信じがたいが、改宗しちゃう人もいるんだなあ、と思う。「地獄に堕ちたら、一生地獄ですよ」とも脅された。怖いセリフだ。

B     シハストリアのふもとにあるセク(Secu)修道院へ。真ん中の教会は美しいが閉まっている。これも「夏の教会」なのかもしれない。そう思ってみてみると、今開いている教会は冬っぽい&夜っぽい感じの装飾。月の絵あり。夏は太陽なのだろうか。教会内で写真をとってよいものかと畏れるが、「撮れ撮れ」とのこと。おおらかだ。

C     ネアムツ(Neaus)修道院のつくりはティムールの時代のミナレットを思わせる。大変美しい。

D     時間的に見学はあと一つくらいかなと思っていると、「遺跡(廃墟)へ行こう」とヨゼフさん。寒―い山道を10分ほど歩いて、長い木の橋のあるお城の跡に出た。C-O-L-D。マサトのインチキ温度計も−10℃を指している。しかし、人間不思議なもので、歩くと暖かくなるもんです。

 

【お会計は・・・】

夕飯はスープ(今日はトリ)、ハンバーグとおイモ。会計は向こうで「いくらです」といってくれるのではなく、こちらで「おいくらですね」と言わねばならず、とまどった。それが、この家のスレていないところなのだろうが・・・。みんなで写真を撮ろうとすると、4人目の姉妹が出てきた。姉妹の中でちょっと感じの違う人。パーマかけてないからかな?写真を撮ると、皆大喜び。ぜひ送ってあげよう。しかし、こんなに子沢山でお父さんは大変だ。アコモデーションが場所にしては高いなーとか、家がモナストリから遠かったナーとか思ったが、こんなに子沢山なのをみると、(しかも皆いい娘なので)「まあ、(少々だまされても)いいか」と思ってしまう。ヨゼフさんと2人の娘が駅まで送ってくれた。マサトの温度計−20℃を指す。ほーらどな(ロシア語で“寒い”の意)。

 

 

(つづく)