2月1日(月)サンクト・ペテルブルグ着 曇り(空明るく、晴れ模様)
【思いのほか順調にサンクト・ペテルブルグに到着】
列車内では、すべて定刻通り手続きが進み、朝6時30分、サンクト・ペテルブルグのワルシャワ駅に到着した。国境を越えたので時計がまた1時間進み、日本との時差は6時間になった。
ところで、ロシア入国の際、税関申告のオッサンは所持金チェックにおいて「少しみやげを」と、日本円を所望した。小銭であれば大した額でもないし、まあいいかと10円玉、50円玉をあげる。穴の空いている50円玉は珍しがっていたが、彼としては紙幣が欲しかったらしい。「もっとも額の小さい紙幣はどれかね」と聞くので1000円札を見せる。すると今度は「これはドルでいくらか?」と聞いてくる。10ドルだと答えると、オジサンは少し顔をしかめて考え込み、「それはちょっと高すぎるなあ」とつぶやく。この辺りがこの人の好さなのだろうが、しかし彼がコンパートメントを出てから、「こういう場面では、1円たりともあげてはイカンのだよなー」とも思う。安易にモノをあげるのはクセになるから良くない。
【目指すは宿だが、街はまだ暗く、しかし駅は明るい】
ともかく、列車は駅に着いた。まだ真っ暗である。「地下鉄の駅があるはずだが」と思って、地図も開かずワルシャワ駅の西側にあるバルチック駅のほうへ歩く。もっともそちらへ歩くのを選んだのは、駅の明かりに惹かれたからでもある。と、バルチック駅の傍らに大きな「M」の青いマークがあった。
「おおー、あれがMETROの入り口だ」。
建物に入ると、外の暗さとは一辺、中は明るく、そして人がいっぱいいる。
サンクトの地下鉄は半自動改札と言ってよく、いわゆる改札口にはジェトンと呼ばれる乗車コインの入れ口があり、そこにガチャリとジェトンを入れ、改札のバーを押すと、ゴトリとバーが動いて改札終了となる。で、そのジェトンは改札の脇にある、切符売り場ならぬジェトン売場で買うのだが、ここには早朝にも関わらず行列ができている。
ジェトンの買い方の要領もわからないが、とりあえず列に並び、前の人々の様子を見ながら、自分の番になった。ジェトンの値段は案内板ですでに分かっている。幸い小銭があるので、黙って2枚分の金を出せば、売場のオバチャンは「2枚?」と尋ね、そしてジェトンをチャラリと出す。全く問題ない。
問題なくロシアで買い物ができた。この事実だけで、我々は嬉しい。
さて、目指すのはサンクトのユースホステルである。これはロシアにある唯一のYHだが、この地下鉄に乗れば、乗り換え無しで近くまで行ける。
はじめ、乗る方向を間違えたが、無事、目的のПЛ.ВОССТАНИЯに着いた。
地上への出口の扉をくぐると、目の前にライトアップされた立派なモスクワ駅の駅舎が建っている。
【ユースホステル(YH)は、ここなのか?】
さてYHだが、ロンプラの地図を頼りに歩くこと10分、ようやく「ここがそうだろう」と思われる建物の前に着く。が、看板が見あたらない。違う建物か、通りを一本間違えたか。うろうろして見回ってみる。どうもこの建物で合っている。しかし、わからない。
「困ったぞ、引っ越しをしたのではないだろうか」。不安がよぎる。
入り口の前で、中に入るまいかどうしようか悩んでいると、歩道を掃除するオバチャンが通りがかった。
我々が口を開く前、我々の姿を見るなり、建物の入口の扉をホウキで指し、「ここだここだ」と言う。見ると、小さい看板があった。
建物の1階、廊下の奥を突き当たる前、左に曲がったところにレセプションがある。
と、ここに扉が一枚、閉まっている。貼り紙には「レセプションは8時から」とある。
時計を見ると、7時を回ったところだ。まだ1時間ある。
「ここで待つしかないなあ」と思っていると、今度はさきほどから建物の中を掃除していたオバチャンが鍵を持って現れ、その扉を開けてくれた!
なかには革張りのソファが置かれた広いロビーがあった。
「ここで座って待ってなさい」と言う。 みんな、親切だなあ!
【久しぶりに旅先で出会う日本人旅行者】
荷物を下ろし、ソファに腰をかけ、ロンプラを開くが、頭がぼんやりしていて何も読めない。
ほどなくして、白人のオネーサン旅行者、続いて、同年代と思われる日本人男性が相次いで入ってきた。彼らも今着いたところらしい。
男性は少々疲れた様子で背中のザックをおろし、僕の横に座った。僕はしばらくロンプラを眺めていたが、本から目を離して一息つくと、彼の手に「歩き方」があることに気づいた。彼は気のせいか、寝起きのようにぼんやりとしている。と、僕の視線に気づき、「あ、見ます?」と、手にする「歩き方」を差し出した。
「東北の方だ!」
僕は彼のなまりで、半ば直感的にそう感じた。
レセプションの受付担当のオネエサンは8時半に現れた。
「コピーが取れれば良いがなあ」と思いながら、男性に「歩き方」を返す。
順番から行くと我々が一番客なので、まず我々が行く。2人部屋は1人21ドル。ドミトリーだと1人15ドル。さっそく宿代が今までよりも跳ね上がるが、ここは落ちついて2人部屋を頼み、3泊分支払った。トイレ・シャワーは共同。部屋は建物の3階。トイレは同じ階にある。シャワーは1階。ロビーの、廊下を挟んだ反対側にあるという。ただし夜しか使えない。
部屋に入る。広い部屋だが少々寒い。
自前の朝食を食べ、再びレセプションに降りて、地図を入手し、インターネットの出来る場所(目抜き通りのネフスキー通り沿いにあり、わかりやすい)と、中国ビザを取るため中国領事館の場所を教えてもらう。中国領事は月・水の朝9時半〜11時半。市の中心から少し南に下った、グリバエードフ運河沿いのニコライ聖堂の近くだが、かなり距離がある。
「バスに行くにはどうすれば良いですか?」と尋ねると、
「わからないけど、バスはきっとあるわよ」と軽く返された。
【中国ビザを取りたいが、その前に】
中国のビザはモスクワでも取れるのだが、モスクワでは申請する人が多いなど、いろいろの事情があり、日数がかかるという情報がある。サンクトのほうが簡単に取れると言われている。
なので、早いところ行きたいのだが、我々はその前にレジスターをしなければならない。
「外人登録」というのは旧ソ連の多くの国に未だ残っており、カザフスタンでは苦労と日数がかかった。
今回、我々のロシアビザはリトアニアのゲディミノツアーを通して取った。その際、
「サンクトに着いたら、まずここを訪れてレジストリーをしなさいね」と言われたのは、モスクワ駅から西、海軍省やエルミタージュに向かってズバンと伸びるネフスキー大通りを進み、その少し手前のБЛ.КОНЮШЕНАЯ通りを右に曲がったところにある「コンパニオン」なる旅行代理店であった。つまり、この旅行社を通じてロシアのビザが取れたというわけなのだ。
ということで「コンパニオン」へ赴く。相手をしてくれた若い(まだ16か18ぐらいの)オネエサンは、英語が片言程度しかできず難儀をしたが、我々がレジストリーをするのに何日かかるか知りたがっていることに気づくと、「アラ、そんなのすぐよ! ちょっと待っててね」とその場でビザになにやら書き込み、そして終了!
これは拍子抜けであったが、「これなら、今から中国領事に行けるぞ!」と、意気揚々で、
「中国領事に行くには何番のバスに乗ればいいですか?」と尋ねると、
「バスはないわヨ。それより、歩いても近いワ」と要領を得ない。
建物を飛び出す。
時間がない。
急ぎ足で行く。
たちまちユウコが遅れた。
待つ。
歩く。
遅れる。
待つ。
時は過ぎる。
【中国のビザは取れるのか?】
僕はついにユウコからパスポートをもらい、ダッシュで領事館を目指すことにした。
歩道にはまだ雪と氷が多く、走るのは危険だが、しかし時間がない。今日を逃すと、次に申請できるのは水曜日だ。それで、いったいいつビザが発給されるだろう。次の月曜日か、水曜日か。そこまで待てない。一日でも早いほうが良い。なんとしても今日申請しておきたい。
息が切れる。
歩をゆるめる。
体が熱くなる。ゼイゼイしてきた。
再び走り出す。
汗が出る。
鼻水が出る。
涙も出てきた。
額から汗が流れてくる。
中国大使館がわかりやすいところにあるのが幸いであった。11時30分直前、建物の入り口の前にたどり着く。
ブザーを鳴らし、インターホンから「ブザー脇の貼り紙を読め!」と怒鳴られ、書いてあるとおりに暗証番号のテンキーを打ち、中に入る。
【大使館は中国、ここはロシア、オレは日本人、国際交流は・・・英語・・・?】
入るなり、廊下を通りかかった女性のロシア人職員と目が合う。僕は汗だくのまま、手にしたパスポートを掲げ、「ビザ、ビザ」と訴える。右手を指された。奥の間に、申請窓口があった。
目の前で、ロシア人が2人、申請書を書いている。
脇に椅子があるので、座る。
こうして待っている間に「はい、ここまで」と言われたらどうしよう。
体が脈打っている。顔が真っ赤になっているのがわかる。
僕の番になった。僕はへたり込むように窓口に顔を近づけ、相手方の男性を見た。
中国人だ。
中国語で声をかけられた。
半年ぶりの響き。
頭が混乱する。
いったい、何を言えばいいのだろう。
「我(ウォ)想(シァン)・・・
えっと、いや、
Я(ヤー)ХОЧУ(ハチュー)
・・・ではなくて、あの・・・」
言葉が出てこない。
するとおニイさん、ロシア語で、「英語は話せますか?」と尋ねてきた。
体の力が抜ける。そうだ、英語で良いんだよね。
「ビザを取りたいんです」。すると彼は、
「招待状は持っていますか?」。不意な質問だったが、ともあれ言葉が通じて、僕はいくぶん落ちついてきた。
「日本人は、中国のビザを取るのに招待状は要らないのです」。
すると、そのおニイさん、「あ、そう」、という表情を見せた後、
「ではパスポートを」と言って手を伸ばした。思いのほか親切な対応である。
申請書を渡される。本当はユウコの署名も必要なのだが、かまわず僕が書く。
ビザは、通常なら来週の月曜日受け取りで、1人20ドル。緊急発行の場合、今日の午後受け取りで55ドル。水曜日受け取りも可能だという。
一週間は待ちきれないが、55ドルは高い。しかし水曜日でもやはり55ドル。
なんとなく考えて、なんとなく水曜日受け取りにした。今日の夕方にもう一度ここに来る元気が、なんとなく無かったのだ。
再び後ろの壁にある椅子に引っ込む。ユウコはどうしたかな・・・。
もう11時45分だ。この建物は見つけることが出来るかしら。門前払いを食っていなければいいが・・・。
と、心配していると、ユウコが入ってきた。
「よく入れたね。もう時間が過ぎてるよ」と僕が言うと、彼女も少し驚いたような、ほっとしたような表情で、
「うん、なんか、入れたよ」と答えた。
【理解不能、通信不能、しかし、それもまた旅の愉快】
これで申請はおしまい。ひと仕事終えると気分が楽になる。
来るときは運河沿いに走ってきたが、帰りはニコライ聖堂沿いを北東に伸びるСАДОВАЯ通りを散歩しながら戻る。
とちゅう、オバチャン達の集まるバザールがあったりして、楽しい。
カフェで休憩。ネフスキー通りまで出たところで、両替をし、そしてインターネット(1時間2ドルちょっと。安い!)。
再び通りのカフェに入る。というか、ファストフード店のようでもある。ロシアンポップスがかかっている。レジの店員さんが声をかける。僕らはキリル文字で書かれたメニューを見て考える。
「うーん、どれにしようかな」。
僕は日本語でつぶやいた。
するとレジのオネエサンが、「なにか言った?」とロシア語で聞いてきた。
僕はつい英語で「いや、ちょっと待って」と答える。
すると彼女は眉をしかめ、
「あ?」
と聞き返した。
僕は思わずユウコと顔を見合わせ、笑った。
「あっは! 言葉が通じないぞ!」
ロシアでは言葉が通じない! 英語だって通じない!
僕らは、その事実に喜びすら感じていた。
我々はボルシチとビフテキを食べた。通りにはカフェテリアがいっぱいある。
【偉大なロシア、明るいロシア】
今日は通りを流し見で歩いたが、カザン大聖堂、ニコライ聖堂、キリスト復活教会などなど、それぞれが個性的で立派で優雅で、圧倒される。
すごい、すごい。
今まで見てきた教会とは、まるで印象が違う。
ネフスキー通りをはじめとする街並みも素晴らしい。
大きな街だ!
そして、なんといっても街が明るい。
バルト三国の町々とは、緯度がそう変わるわけでもないが、なんだか明るい。
大きい街は日当たりも違うのか?
街の明るさは、人々の雰囲気にもあるかもしれない。
少なくとも、ここの街を行く人は、ポーランド人のようにくたびれていない。優しい顔が多い。
けど、ロシア人は、なんだかみんな、早口だ!
モスクワ駅まで戻ってきた。目の前はヴォスタニヤ広場という。ここからユースに戻る途中に商店街を発見した。いろいろと買い出しをする。
【そしてなにもかもが新鮮に感じられるロシア】
我々の次の目的地はヴァレンツ海の軍港、フィンランドに近い極北の街ムルマンスクだが、ユース内のシンドバッドトラベル(1階のロビーを入って右側、宿のレセプションの反対側にある)によれば、サンクトからムルマンスクへの飛行機は毎日飛んでいて、サンクト19:30→ムルマンスク21:30。しかも料金は700ルーブルと、これは32ドル相当だ。
ほんと? 列車よりはるかに良いぞ(しかも列車なら2晩かかる)。
うーん、なんだかロシア気に入ってきた。意外と物価高くないし。そんなに危ない雰囲気もないし・・・楽しくなってきた!
ロシアンポップスが新鮮なのは、トルコ以降、ヨーロッパではどこへ行っても同じ様な音楽(しかもアメリカ物、Oldiesから最新ヒットまで)ばかりだったからなのだと思う。
とりあえずサンクト行きの列車の中でかかっていた音楽から違っていた。街中でも、たしかにいわゆる「洋物」もかかっていることもあるが、多くはロシアオリジナルである。そこがまた良い。
ロシア人は、当たり前のようにキリル文字を使い、当たり前のようにロシア語で話しかけてくる。英語なんか話さない。
そして、ファストフード店では、当然のようにロシア料理ばかりが並んでいる。サリャンカ、ピロシキ、マロージェナエが並んでいる。
駅前を通りがかれば「ТАКСИ НАДА?」と声がかかる。
すべてに懐かしさを感じてしまう。
これこそがロシアなのだ。
だからロシアは楽しい。なんだか妙な安心感がある。
治安も、経済も、手放しで安心はできないが、なにかホッとするものがある。
ユウコは、「まるで『帰ってきたー』っていう感じだよね」と言った。そういう感じだろうか。
我々はこの旅に出る前、ハバロフスクに観光旅行に行ったことがある。だからロシアの雰囲気を少しは知っている。そして、このたびの中でも、カザフスタンで、キルギスタンで、あるいはウズベキスタンで、擬似的にロシアの体験をしていた。かの国々はロシアではないが、街中にはロシア語があふれていた。そういう、「知っている」世界への安心感なのだろうか。
「ああそうそう、これこれ」という懐かしみなのだろうか。
「もう少し安定してくれれば、安心して旅行できるのになあ」と思う我々は、じつはロシアファンなのか?
ユースホステルのシャワーは共同だが、熱いお湯がドバーと出るのが嬉しい。
「こんなに出して、次の人が困らないかな」とか、
「ガス代、高いんだろうな」とか考えている自分は、すっかり放浪人生である。
【楽しいロシア、この先の旅】
帰国のだいたいの日取りも決まったし、ここからはシベリア鉄道で移動することを考えると、運行曜日が決まってこともあって、旅程はほぼ決まってしまう。
まだ未確定の要素はあるけれど、だいたいこんなもんだろう。
2/1(月) ペテルブルグ着 ペテ1
2/2 ペテ2
2/3 ペテ3
2/4 ペテルブルグ→ムルマンスク ムル1
2/5 ムル2
2/6(土) ムル3
2/7(日) ムル4
2/8 ムルマンスク→モスクワ モス1
2/9 モス2
2/10 モス3
2/11 イルクーツクへ出発 車中1
2/12 車中2
2/13(土) 車中3
2/14(日) イルクーツク着 イル1
2/15 バイカル湖 イル2
2/16 哈尓浜へ出発 車中1
2/17 車中2
2/18 哈尓浜着 ハル1
2/19 731部隊 氷灯見物? ハル2
2/20(土) →長春へ 長1
2/21(日) →審陽へ 審1
2/22 →北京へ 車中1
2/23 天安門 北1
2/24 故宮 胡同 北2
2/25 長城 頣和园 北3
2/26 →昆明へ 車中1
2/27(土) 車中2
2/28(日) 昆明着 昆1
3/1 ラオスビザ申請 昆2
3/2 石林? 昆3
3/3 民族村? 昆4
3/4 昆明→個旧 個1
3/5 個2
3/6(土)個旧→金平 金1
3/7(日)金平→個旧 個1
3/8 個旧→景洪 景1
3/9 景2
3/10 →モンラー モ1
3/11 →ウドンサイ ウド1
3/12 →ルアン・パバーン ルア1
3/13(土)→ビエンチャン ビエ1
3/14(日) ビエ2
3/15 →バンコク バン1
3/16
3/17
3/18
3/19
3/20 →成田?