215日(月)イルクーツク 晴れ(薄曇り)

 

【バイカル湖を、今日は車窓から】

 今日はウラン・ウデまで移動する。

6時起床。暗い中を駅へと歩く。駅舎の電光板には−8〜−9℃と出た。

列車は定刻通りやって来た。今回の車掌さんはオジサンである。チケットを見せると、4人寝台(クペ)の片側上下段をあてがわれた。

荷物と布団を上段へ、そして我々は2人で下段へ腰掛ける。同乗はロシア人の、おとなしそうな中年夫婦である。我々を気遣ってテーブルを片づけたりしてくれた。

彼らも上下で(旦那さんが下、奥さんが上)、昨晩から乗っているのだから、もちろん布団が敷いてある。我々は今日の夕方には降りてしまうので、布団は必要ない。よって、車掌が配るシーツも断った(車掌は「寝っころがったほうが楽だぞ」と、身振りで説明したが)。しかし下段の寝台で2人して座りながらウトウトとなる。

通路に出ていた旦那さんが、上段で横になっている奥さんに「おい、バイカル湖だぞ」と声をかける。その声で我々もハッと目覚める。奥さん、面倒くさそうに応対するだけで動く気配がない。で、我々が通路に出る。通路は進行方向左手である。車窓からは、線路に迫るバイカル湖と、はるかかなたにそびえる雪山が見えた。そして、やはりバイカル湖はどこまでも真っ白であった。

 

1155分。バイカル湖畔のスリュジェンカに到着。ここでは10分ばかり停車するので、我々も食料を買い出しする。名物の魚売りが多い。

 

 この列車はモンゴルの首都ウランバートル行きとあってか、モンゴル人の乗客が多い。そして、駅の職員や車掌の中にも、それと思われる顔がある。客のモンゴル人は概して荷物が多いようだが、通路での往来が激しい。次から次へと通り過ぎ、しばらくするとまた戻ってくる。しかも、狭い通路に大きなカバンやら段ボール箱を抱えて通るものだから、車窓から景色を眺めたい我々としては、楽しみを邪魔されて良い気分ではない。みんなして通路を行ったり来たり。一体何をしているのか、全く落ち着かない。

彼らを観察してみると、男は一見ガラの悪いのが多い。精悍な顔立ちというのか、細く切れ上がった目と口。全般的に丸みが無く、直線的である。女は、カワイイ人もいるが、全般に化粧が濃く、これまたガラが悪い。背は低いが、体格は良い。ブン投げられてしまいそうだ。

男も女も黒い皮のチョッキを着けているが、このチョッキは片方の肩にしか掛かっていない。そして、皮は胸から腹を包むが、背中には生地がなく、ひもだけだ。腹の辺りにポケットが付いており、ここにパスポートや財布などの貴重品が入っている様子である。

彼らが運ぶ荷物というと、ウォッカ、果汁、ペットボトルのジュース、ヨーグルト等々、見えているだけでもこれぐらいある。ほぼ全てが箱詰めである。

買い出しか?

モンゴルにはモノがないのか?

荷物を抱えて通路を忙しそうに、そして面倒くさそうに、モンゴル人だけが落ち着かない。そういえば隣か、もうひとつ向こうに食堂車があったことを思い出した。そこには役員がいて、税関チェックなどおこなっているのだろうか。

 

 どこまで行っても真っ白なバイカル湖が続く。車窓が楽しいと、あっという間に時が過ぎる。

1620分、定刻にてウラン・ウデに到着した。

ここでほとんどのロシア人の客は降りるらしく、残るのはモンゴル人ばかりのようだ。この列車は、ウラン・ウデを出て少し行ったところでシベリア鉄道の幹線を離れ、次の停車は国境のキャフタなのだから、当然ともいえる。我々の車両の車掌さんはロシア人だが、なんだかさみしそうだ。この先、国境まで肩身が狭いのかな。

ところで、降りる前に車掌さんからチケットを返してもらうのだが、車掌は同室のオジサンに「彼らの券はずいぶんと高くて・・・1つの券で4人分・・・」とかなんとか話している。そして我々に向き直り、「ずいぶん高いんだね」というようなことを丁寧な口調で言い、チケットを返してもらった。僕は面白くない。

「高いったって・・・この券を買わせたのはアンタの同僚だ」

と、一人つぶやく。

たしかに寝台(クペ)とはいえ、昼間の特急に8時間乗って、133ドル相当とは、僕も高いナーと思ってましたよーだ。

 

【ブリヤート自治共和国の首都ウラン・ウデ】

 駅は街の中心から少し離れているので、今日のうちに次の移動を確保しておきたい。そこでインフォメーションに聞いてみると、2階の外人窓口に行くよう言われる。

先客がいた。30代ぐらいの、中国人夫婦のようだ。

チケット予約/発行端末がDOSであることに訳もなく感心し、そして哈尓浜行きは難なく入手できた。

No.20列車はモスクワ発、満州里経由の北京行き。ここウラン・ウデには現地時刻で1610分に到着し、1625分の発車である(モスクワ時刻だと、1110分着、1125分発)。

 

 ホテルはGeserと決めていた。ロンプラで「安くて快適」のお薦め物件だったこともあるが、駅から最も近いところにあることも大きい。

この街には2泊しかしない。明日ラマ教寺院イヴォルジンスキー・ダッツアンを見て、時間があれば民族学博物館を見て、それで充分だ。

駅舎を出て、鉄道にかかる陸橋を渡り、20分ほど歩く。しかし、地図で「この辺り」とされるところにホテルがない。

「うーん、ないなあ」。

違う道に行ってみる。ない。

「まあ、この辺りにあるのだろう」と、僕はあまり気にしていなかった。夕方とはいえ、まだ日はあるから、焦る必要はない。殺風景な街並みだが、人通りはある。分からなくなったら人に聞けばよい。

 

立ち止まって「どうしようか」と考えていると、若い女性が2人、前から歩いてくる。

「コートと帽子が可愛いな」。僕はそんなことを思った。

ユウコが「あの人達に聞いてみようか」と言う。

「うーん」。僕が何の気なしに答えると、ユウコはザックを置いてやおら歩き出し、10mほど先で彼女らに声をかけた。めずらしく積極的である。

そして彼女らが指さす方向に向かって一人で歩き出し、角を曲がったところで見えなくなってしまった。

僕は彼女の様子をなんとなく眺めつつも、しかし全然気にしていなかった。

 

5分ほどで彼女は「あったよ」と戻ってきた。機嫌が悪い。

 

 ホテルについた。外見はくたびれているが、中は結構しっかりしている。

フロントのオネエサンは英語をしゃべった。2人部屋で359.1ルーブルという。

部屋はきれいだ。これで18ドル相当とは、安い。思うに、モスクワやサンクトペテルブルグ、イルクーツクでも、Geserのようなルーブル払いの中級ホテルに泊まった方が、ドル払いの(今まで安宿と言われてきた)外人旅行者向けの宿よりも安く上がったのではないかという気がする。しかし、そうはいっても、そのクラスで良い宿(少なくとも不快に思わない宿)というのはなかなか見つからないのも事実である。

 宿を確保して落ちついたのか、ユウコの機嫌が直った。

まだ明るいので、散歩を兼ねて、明日乗るためのバスを確認するためにバスステーションまで歩く。

ウラン・ウデにはバスステーションが2つある。はじめはローカルバスステーションに行くが、ダッツァンに行くバスはここからではなく、メインバスステーションに行く。イヴォルジンスキー・ダッツァンまで行く104番バスは、71012001600。ちなみにダッツァンまでは30kmの距離がある。手前のイヴォルグ村へ行く130番は62014441700(最近、本数が減らされたらしい)。朝7時のバスとはあまりにも早起きだが、昼のバスでは列車に間に合うのか不安だ。それに、帰りのバスも気にかかる。タクシーをチャーターしたほうが良さそうだ。ホテルに戻る。

1階に入っているインツーリストがまだ開いていたので、話を聞いてみる。「冬だから博物館は閉まっているかも」とユウコが心配していたが、やっているという。街の中心にある広場から8番のバスに乗ればよい。ただし、降りてから1km歩かねばならない。タクシーなら20ルーブルで行けるという。町からの距離は6kmとのこと。親切な2人のオバチャンが、英語を交えたロシア語で説明してくれた。

 

 ホテルのレストランで夕食を取る。生バンドの演奏があり、やかましい。地元の人で賑わっている。値段もまあまあだ。

 

 フロントのオネエサンはユウコの友人によく似ているが、町中では女優の小林聡美によく似た人に出会った。

それにしても、こんなにブリヤート人が多いとは、自分の無知とはいえ驚いた。ブリヤート自治共和国の首都なのだから、ブリヤート人がいるのは当たり前だが、中国の自治区、例えばウイグルの区都ウルムチを見る限り、中心街は漢人が多い。しかし、ブリヤートは違う。男女とも、思わず声をかけたくなるほど日本人的な顔立ちの人、中国人(漢人)ぽい人、モンゴル人ぽい人、といろいろなタイプの顔がある。

そして、首都でありながら田舎町である。満員のボンネットバスを見るにつけ、キルギスタンの首都ビシュケクを思い出す。あそこも田舎っぽい町であった。

そうだ、ここの人々、とくに男性は、キルギス人と似ているよ。こうした中、ロシア人の金髪は、ときとして浮いて見えることもある。

他方、ここはソ連邦の一部であったし、いまもロシア連邦内共和国であり、文化的にはロシアである。東洋人の顔立ちの人々も、ロシア人と同じように長いコートを着て帽子をかぶっている。ロシア人にはよく似合う格好だが、「日本の方ですか?」と声をかけたくなるような若い女の子がこの格好をしていると、ぎゃくに奇妙に見えるときもある。

そして、ブリヤート人であってもロシア語をしゃべっている。ぜひとも、ブリヤート語をしゃべって欲しい。このあたり、なんとなくながら、旧ソ連が瓦解して独立したキルギスタンと、ロシア連邦を構成する自治共和国としてのブリヤートの違いを感じる。

しかしこの街では、今まで見てきたロシア連邦とは違う一面を見ることができた。素通りしなくてよかった。

 

 ウラン・ウデには信号がない。あっても働いていない。街灯も、柱はあるが灯のつかない通りが多い。よって夜の町は暗い。電力不足なのか、貧しいのか?

 それでも通りには外車が目立つ。ロシア国産車LADAはむしろ少数派だ。

 

 明日は7時朝食(宿代に含まれている)。荷物を預け、タクシーを手配してもらってイヴォルジンスキー・ダッツァンへ行く。そして町へ戻って、野外民族博物館へ行く(バス8番)。遅くても午後3時半には荷物を取って宿を出なければならない。ちょっと慌ただしいが、頑張ろう。

 

【ここはロシアと言うべきかアジアと言うべきか、目指す中国はいよいよ近い】

 ロシア2週間余り。あっという間だった。そして、ほぼ順調な旅行であった。国土が広いので移動に時間とか値がかかるのはやむを得ないが、それは中国とて同じことで、宿泊費より移動費に金がかかる。

ロシアでは、何かと気分の良い日々であった。治安はわりと良い。物価もそれほど高くない。物資はある。人々は優しい。そして、英語を使わない人々に出会う日々も楽しい。そう、ロシアは楽しいのだ。

 さて、そしていよいよ中国だ。「帰ってきたー」という思いもひとしおだが、同時に雪辱戦でもある。返り討ちに会うかもしれないけど。気の引き締まる思いがする。中国はなんとなく、「呑み込まれてはイカン、圧倒されてはイカン」という決意と覚悟が要る。そんな気がする。