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29日(火)モスクワ 雪時々曇り

 

【シベリア鉄道を東へ】

 いよいよシベリア鉄道に乗る日がやってきた。今回はイルクーツクまで乗る、車中4泊の旅である。今日乗るNo.10鉄道は奇数日のみの運行で、モスクワ出発は今夜2120分、80時間(車中4泊)かけてイルクーツクの到着はモスクワ時間の朝520分。現地イルクーツク時間では1020分とのことだ。

我々はシベリアを旅したあと、中国との国境を越え、満州里を通過し、哈尓浜に行くつもりだが、そのTans-Manchurian Railwayは、モスクワを毎週金曜日に出発する。

 

シベリア鉄道の寝台といえば、41組、上下2段寝台のコンパートメントが一般的だが、我々はとくに特別料金を払ったわけでもないのに、車掌の隣の2人部屋をあてがわれた。これはクペ(4人寝台)のラッキーゾーンとでも言うべきか。車掌のオネーサン、ステキで愛想がよい。よろしくおねがいします。

 

車両は20両編成。我々の車両番号は12、つぎの13との間に食堂車がある。

我々のコンパートメントのテーブルには、白いクロスが敷かれ、そしてビールとビスケットが置かれている。

「これはなんだ?」と僕が言うと、ユウコは「ウェルカムドリンクじゃないの?」という。こいつは嬉しい話だ。しかもビールの銘柄はアドミラル。偉い人に歓待された気分である。

(しかしこのとき、あとで金を取られるとは、ゆめゆめ思っていなかったが・・・)

 

2人部屋は気楽で良い。少し残念でもあるが、誰と一緒になるか分からないしなァ・・・。とにかく、列車は2155分に発車した。モスクワ-イルクーツク間を走る、この「バイカル号」は、去年(1998年)開通100周年を迎えたらしい。車掌から配られたシーツも、100周年記念のビニル袋に入っている。

通路に時刻表が出ていたので、それをノートにメモしていたら、車掌のオネエサンが、スッとパンフレットをくれた。これも100周年記念物らしい。すばらしい。ユウコと乾杯する。

 夕方、風雪ともに強くなり、寒くなったが、夜は気温が上がった。

 

**

210日(水)  車中2日目

 

 列車が動き出してしばらくすると、車掌による館内放送がある(もちろんロシア語)。そして、FMかなにかのロシアンポップスが流れてくる。

楽しい夜で、1時に就寝。その後は寝たり起きたりで、午前1150分ににキーロフ到着。

長く停まるので、買い物に降りる。駅には立ち売りの人が多く、なんと本売りまでいる。

 

 沿線は白い。雪が深いのだ。森も多いが、農地や集落もよく見る。

1510分、バレジノ着。ここには1529分まで停まる。

キオスク「ヴォストーク」は車掌さん達に人気がある。みんなして袋入りの牛乳を買っているようだ。

 

 今朝、車掌に会うなり「お茶かコーヒー、飲む?」と聞かれ、「じゃ、コーヒーを」と応じると、ニコニコして持ってきてくれたのは良いが、金を取られた。てっきり好意だと思っていたのだが、「そんなに甘くはないよ」とユウコが笑う。車掌さんの小遣い稼ぎのような気もするのだけど。

 

ペルミ1913分着。6分の遅れ。

よく晴れ、星も見える。外へ出る。寒くはない。−20℃といったところであろう。

ここの駅の立ち売りやキオスクにはウォッカもシャンパンもない。車内での販売(食堂車からやって来る)では、シャンパン95、ウォッカ60と高めだ。レストラン料金だから仕方がない。

カップラーメンは安いので買う。コリアンラーメンである。

「ああ、中国のビールが待ち遠しいな。西凉碑酒はまだかナー」と思うが、まだ先だ。

 

しかし、コリアンラーメンが意外とうまい!

ユウコがモスクワの駅で出発前に買ってきてくれたロシアンラーメンは、歯触りモッチャリな上に腹の中でふくらんだ気がして、どうも良くなかったが、これはどうだ。

「日本も、こういうところに進出すればいいのになあ」と思うが、如何せん、モノが高すぎるのだろうか。

 

 シベリア鉄道で話題に上る名物のひとつに、

「アジアとヨーロッパの境界に立つオベリスク」がある。これはモスクワから東に1777km行ったところにある。

車掌さんからもらったパンフレットによれば、我々がそこを通過するのは真夜中(0時〜040ぐらいと思われる)らしい。

まあ、境目とはいっても、つまり白いオベリスクが立っているのだそうで、夜中とあっては見えようもない。まさかギラギラにライトアップされているわけでもあるまいし。

そこで思うのだが、ヨーロッパとアジアという概念は、歴史的経緯も考えると、ロシア(旧ソ連圏)の領内では、当てはまりにくいような気がする。中央アジアは、アジアといえるだろうか? ロシアは、ヨーロッパといえるだろうか? 極東、バルト、コーカサス。大体ロシアだって、本当にロシアと呼べるのは東方進出する前の、ピョートル大帝の領内がせいぜいなのではないかと思う。それにしても、人口45万のムルマンスクとか、63万のイルクーツクとか、よくも人が行ったものだ。アメリカも同じだけど。

 

**

211日(木) 車中3日目

 

よく晴れている。

 昨日、ペルミに着いた時点(モスクワ時間1913分)で、プラス2時間だから、その時点で現地時刻は2113分だ。

今日のオムスク着の1つ前、ナズィヴァエフスカの手前でプラス3になるので、ナズィヴァエフスカ着はパンフレットに載っているモスクワ時刻では1114分の予定だけれども、現地時刻では1414分ということになる。だんだん頭の中がややこしくなってきた。

 

 今日は8時半(現地時刻10時半)に起きた。

 イシム着は919分(現地1119分)。

売店でシャンパン、ワインとブランデーの中間のような飲物、スナックなどを買う。

立ち売りのバアサンからは、ゆでジャガイモを買った。バアサン、頼みをしないのにピクルスをサービスしてくれる。他の人は、マンダリンやパンを売っている。

ところでこのワイン(というかブランデー)はイシム産である。ここの名産らしい。

売店で「ウォッカはないか」と聞いたらこれを勧められたのだ。ウォッカは無いという。ちなみに売店のシャンパンは、車内の半額である。

 

118分(現地148分)ナズィヴァエフスカ着。予定より6分早い。

この駅では物売りが多く、車両の乗降口にワンサカとやって来る。ピロシキを買った(ブリヌイでもよかったかな・・・)。

イシムを出てから雪になり、ナズィヴァエフスカでも良く降るが、物売りのオバチャン達は頑張っている。ウォッカ、魚の揚げ物、ケフィール、ビール、ミルクもある。

イシムで買おうかどうしようか迷ってやめたマンダリンは、ナズィヴァエフスカでは売っていなかった。

 

1218分オムスク(現地1518分)。

ここにマンダリンあり。

今日はシャンパンで乾杯。ロシアンヌードル(2個目)、パン、サラミ、チーズ、スナックで夕食。

 

1512分(現地1812分)タタールスカヤ着。

駅の電光板に「+1℃」と出た。「暖かいね!!」と、2人で顔を見合わせる。

タタールスカヤは、緯度は高いが、経度で見ると、アルマトイとほぼ同じだ。

 

どんどん東に進んでいる。

 

日本を出発して以来の世界地図を眺めると、カザフスタンを旅していたときのページの上の部分を走っている。

ページの中央部、カザフスタンには、我々の9月の軌跡が書かれている(むろん書いたのは僕だ)。

9月か・・・」「長かったねえ」「大変だったよねえ」「バーバ、元気かな」「ナーディアの子どもは産まれたかな」などと、あのときを振り返る。

 

それで、シャンパン片手に地図を読むと、昨日のペルミ(出発してからラーメンを食べた)はイランのマシュハド、ケルマンの北に当たる。

まあ、もっといえばサンクトペテルブルグだって、ずいぶん西にあるような気がするけれども、経度ではイスタンブールよりもちょっと東、東経30°になるのだが。

 

 それにしても、来るまでは不安だったロシアだが、来れば来たでなんとかなっているものだ。まだ終わってないけど。

「そして、もうすぐ中国だ」「牛肉面に刀削面」「おいしいよね、中国」「大変だけどね」。

そこへ行けば、イヤというほど目にする面(麺)だが、やはり待ち遠しい。

「中国は問題が多い!」とさんざん腹を立て、嫌な思いもした中国だが、再び行くとなると、嬉しい。

アジアというのは、そういうものなのだろうか。

行けばうっどうしいが、行かないでいると、寂しい(その意味では、トルコやイランも同様である)。

 

 ロシアのウラジミール公は、「酒はロシアの最も大きな楽しみだ。これが無くては生きては行けない」と言ったという。

「良い言葉だよねえ」。

酔っぱらって気分の良い僕はつぶやいだ。

以前、「イスラムは砂漠の宗教だ」という話を2人でしたが、今こそまったくうなずける。ロシアにイスラムなど流行るはずがないと思う。

 

♪なににつけても 一杯飲まねば ものごと はかどらね アーハイハイ♪ (秋田音頭)

 

 列車の長旅も、これはこれで楽しい。もっとも、独りではつまらないかもしれない。2人いるから、気楽な部分も確かにある。しかし我々は、それを自力で実現させた。

モスクワ→イルクーツクは5191km。イルクーツクは東経104°。ほぼ蘭州の真北にある。

「蘭州からモスクワまでは、89日発の、29日発だから、ちょうど半年だね。

それを80時間で走るんだから、バイカル号は、うーん、すばらしい。

キャー、ステキー!! ってかんじだね!」

 

僕はだいぶ酔っぱらっている。

 

昼間から酒を飲んでいるせいか、なかなか眠れず、ユウコとおしゃべりをしていたら、2148分(現地048分)ノヴォシビルスクに到着した。

夜中の到着だが客は多い。大荷物の人が多い。ザックの人、スキーを背負っている人もちらほら見かける。

地図を見ると、ここはカザフスタン行きの鉄道とのジャンクションにあたる。そして、近くにスキー場があるのかな? それにしても、リゾートのわりには大荷物だ。

 

**

212日(金)車中4日目 曇り

 

 昨晩は寝るのが遅かったため、今日は朝10時(モスクワ時刻は6時)を過ぎても2人してグウグウ眠る。

しかし朝になれば車内販売は活動し、我々が起き出したことに気づくと、すぐに車掌がやってきて「コーヒー飲む?」などと聞いてくる。

 

1111分(711分)、アチンスク着。

その後、昼頃にトイレに入ったら、とつぜん列車が停まり、困った。

シベリア鉄道は(というより、おそらくロシアの鉄道全てが)、昔の日本の国鉄同様、トイレは垂れ流しなのである。

駅に着いたらトイレに入っては行けないことになっている。長い停車駅では車掌が鍵をかける。

臨時停車のようだが、ずいぶんと長く停まっていた。車掌に怒られることはなかったが。(これが中国だったら、追い出されていることだろう)。

 

クラスノヤルスクには定刻より23分遅れて1435分の到着(モスクワ1035分。時刻表では1012分)。

列車に群がる物売りのオバチャンから、ついにタバカをGetした。キルギスタン以来のタバカ(日本語ガイドには「圧縮フライドチキン」という訳になっている)は、列車に乗ってから何度か目にしており、なんとなく惹かれていたのだ。

 

車掌2人、乗降口を降りて勤務の傍ら、ヒマワリの種をポリポリと食べている。「若い女車掌だなー」と思っていたのだが、あらためて見るとオバチャンであった。30代ぐらいだろうか。

ロシアのオバチャン車掌というと、ごつくて太くて圧倒的な女性をイメージしてしまうが(たぶんアエロフロートのイメージの影響だろう)、2人ともスマートで、しかも控えめな感じである。

 外は暖かく、クラスノヤルスクでは23℃はあるのではないかと思う。帽子も要らない。

 

クラスノヤルスクを出ると晴れ間が出てきた。夕日も見える。いくつか車窓からタイガの写真を撮ってみた。

列車から見る限り、タイガというのは「見渡す限り密な森林が続き・・・」というわけではない。もっとも、開拓の伐採跡地なのかもしれないが。

沿線は森林や原野ばかりではなく、夏には農地になると思われる平原と、そして集落が意外と多い。ただ、人は少ない。冬には都会に出稼ぎに行くのでは・・・という気がする。

それほど広くない、区画された土地に、それほど大きくない家屋が一軒、そんな感じの「家」が並んでいる。

廃村ではないことは、まだ真新しい建物も存在することから分かる。そのいっぽうで、あばら屋もある。

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 これらの多くが、いわゆる「ダーチャ(週末の別荘:家庭菜園)」であるらしいことを知ったのは帰国してからのことだ。

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1735分(1335分)、27分遅れでザオゼルナヤに到着。

 

疲れているのか、長いこと懸案としていたロシアを実現できて気が抜けたのか、ラオスにこだわらなくても良いような気がしてきた。

もっとも、ラオスに行きたいのは「雲南〜ラオス〜タイを陸路で行く」という目標があるからなのだが、今となっては「そんなに無理をしなくても・・・」という気がする。

タイ・ラオスは1週間から10日間の休みがあれば観光できるし、そして飛行機移動をした方が当然効率が良い。だったら今回も飛行機を使って回れば良いのだが、それなら今でなくても良い。

それよりもむしろ、中国に集中した方が良いのではないか?ということだ。

そこで中国を考えるのだが、そうなると、実は強い関心が、今の時点では無い。どこを回るのがよいか、具体的なイメージが浮かばない。そこで中国に関してはユウコに託してみたいのだが、

「漢中にはいろいろ行きたいところもあるけど、今はガイドが手元にないから・・・」判断に困る、と言う。

地名としては、例えば長沙、武漢、南京、杭州などが挙がるが、どういうルートが効率的なのか、地図だけでは判断できない。

 

とすると「中国とラオスと、どっちが良いか?」ということになる。

この問いに対しては、やはり「ラオスに行きたい」のだ。

もっとも、いま手元にあるガイドを最大限に活用して、北京から四川・雲南・貴州を巡り、スタート地点でもあった上海で締めくくる、というルートもある。

けれど、それでは何か物足りない。

 

ラオスの懸案は「病気」である。取り越し苦労であることは分かっている。多くの旅行者が安全かつ快適に旅をしたことも知っている。

が、我々はいまだ「熱帯の国」「高温多湿の国」に行った経験がない。暑さにやられ、食事にやられ、蚊にやられ、ウィルスにやられ・・・という恐怖が、ある。

「だけど思えば我々も、夏の暑い新疆や中央アジアを苦しみながらも突破したし、だから何とかなるかナー」

と思ったり、

「いやいや東南アジアは大変ですよー」

と思ったり、

「今行かないと、行けなくなるよ」

と思ったり、

「まあ、『いつか行きたい』と思っているうちが良いのかも・・・」

と思ったり、決断が着かない。

 

ミャンマーは陸路で行けないから「また別の機会に」と割り切れるのだが(中国との国境は、外国人には閉ざされている)、ラオスには雲南からタイに続く道があるだけに、いや、そこに道があるからこそ行きたい、というか、そんな感じだ。

どっちつかずの中途半端な心境でユウコに話したら、また気を悪くさせてしまった。ゴメンナサイ。

 

イランスクの着発も25分ほど遅れている。

まだ時刻変更線には早いが、時計を1時間進める。

これでモスクワとの時差は+5時間になった。つまり中国と同じであり、そして日本とはついに1時間の時差となった。

 

**

213日(土)車中5日目 イルクーツク着 曇り

 

 どうもよく眠れなかった。隣が車掌の部屋なのだが、夜中、いつになくガタガタとせわしなく動いている音がしていたせいでもある。掃除、片づけでもしているのかしら。

815分(モスクワ315分)チェレンホボ着。34分の遅れである。

そういえば、昨晩も妙なところで臨時停車をしていた。目が覚めると停車しているので外を見ると、荒野の真ん中に停まっているのだ(と、思っていただけかもしれないが)。

 

ところで、車中で4泊したわけだが、乾燥と快適温度(20度ぐらい)のおかげで汗もかかず、体もべたついていない。

僕はいつもの寝間着、つまりキルギスのオシュで買ったグレーの長袖シャツに、カザフのアルマトイのデパートで買った、夏のアウトドアに合いそうな青色の綿パンツで過ごしていた。

廊下と部屋の床掃除は毎日1回、欠かさず車掌さんがやって来て掃除機でガーガーとやってくれたし、トイレも常に清潔だし、紙も補充される。

手洗い場の水もお湯も、そしてサモワールの熱湯も、無くなることがない。

食堂車からの車内販売は頻繁に往来するし、駅では売り子のオバチャン達が多く、飲み食いには全く困らない。

乗客も、酔っぱらって騒ぎ出すようなバカはおらず、みな静かだ。

我々以外に客がいるのかなあ? と思うほどである。トイレで待たされることもほとんど無かった。とても快適である。

 

列車の遅れは直前でかなり改善され(調整用のバッファがあるのではないかという気がする)、108分(モスクワ58分)、バイカル号の終着駅、イルクーツクに到着した。

駅舎はヨーロッパ風の立派な建物だが、モスクワと違って地方都市のニオイがする。

そして、アジアのニオイがする。

ここには、モスクワのロシア人とは明らかに異なる民族が住んでいる。もちろんロシア人も多いが、思わず「こんにちは」と声をかけたくなるような顔立ちの人もいる。