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112日(火) コシツェ 晴れ

 

【本日の列車&バスの旅:結果】

コシツェ           Spisska Nova Ves              レヴォチャ

0815 → 0911

0914 → 0935

レヴォチャ         プレショフ

1250 → 1410

プレショフ  コシツェ

1647 → 1735

 

【日帰り旅行、レヴォチャとプレショフ】

 615分に起床。まずはレヴォチャに向かうのだが、コシツェからレヴォチャへは直通の列車はない。

Spisska Nova Ves までブラチスラヴァ行きの急行列車に乗り、田舎列車に乗り換え、ゴトゴトとレヴォチャへ向かう。

レヴォチャの鉄道駅は市街地から離れたところにある。旧市街まで20分ばかり歩く。城壁も残る古い街並みである。

レヴォチャ見物の目玉は、やたらと大きなゴシック様式のヤコブ教会だ。

しかし行ってみると、教会の周囲には工事用の柵がある。

「修復中のため見学不可か?」と不安になるが、正面入り口は使えないものの、教会の脇には観光客用の入り口があって、ここから入れる。KASSAで券を買い、中に入る。

 

【レヴォチャが誇る聖壇職人パヴォル】

このヤコブ教会の聖壇は16世紀の職人パヴォルによるもので、手の込んだ木彫りの装飾が非常に素晴らしいが、聖壇の高さ18.62mというのは世界最大とのこと。しかも職人パヴォルはここレヴォチャの出身だという。彼の力作というわけだ。教会内部の北面はフレスコ画(聖人の迫害、天国と地獄風の絵あり。偉い王様が悪魔にやられている)、何面はステンドグラスが美しい。12月以来、教会ではどこへ行ってもベツレヘム(キリスト生誕の図)のジオラマを見るが、この教会のそれはとても立派なものであった。

 

 職人パヴォルは16世紀の初頭、東部スロヴァキアで数々のすばらしい宗教美術彫刻を残した方だそうで、住居兼工房が博物館になっている。その数々の作品のレプリカや写真が飾られ、宗教はともかく、芸術としてすばらしいものだ。なんでも、彼はブダペストやクラクフの聖壇も手がけたそうな。人物像はみな垂れ目でヒラメ顔なのが特徴的だが、それがかえって人間味を誘うのか、温かみがある。動き出すのではないかと思うぐらいだ。

マリアが悪魔を踏んづける像はおもしろい。

 

 昼食はレストランApostorolで取る。ユウコはマスの料理をメニューで見つけ、

「久しぶりに魚だ!」と喜び頼むが、500gの魚が一匹まるまるドーンとやってきた。その分高くついたが、とてもおいしかった。僕はミックスグリルを食べた。

このお店は盛況だが、お客さんはみなハイソな雰囲気を醸し、お洒落な格好をしている。そしてどうやら、みんなしてセットメニューを、注文もしないのに座っただけでそれが出てくる。まずスープが来て、やがてメインが来て、最後にお菓子がついている。しかも食べ終わると金も払わずに帰っていく。ツアーにしては行動にまとまりがない。しかし、メニューはみな同じだ。

 

【イスタンブールとバルト海を結ぶ南北交通の要衝プレショフ】

 レヴォチャからプレショフへはバスに乗っていく。

とちゅう、SPISSKA POHRADIEなる街を通ったが、町はずれにある丘の上のお城がたいそう立派で驚いた。恐らく廃墟(つまり城跡)と思われるが、石造りのお城は、遠目で見る限り、トレンチーンの城よりも堂々としている。

ロンプラをあらためて見ると、この城のことが少し書かれている。それによれば、城の名はスピス城といい、建造は1209年とのことである(ちなみに、東スロヴァキアをスピス地方というのだそうだ)。1780年に焼け落ちてしまったのだが、それでもなお当時の姿をしのばせるのものが残っている、らしい。そういえば、同じような「丘の上の石造りの城」は、ブラチスラヴァからトレンチーンへ行く途中にも車窓から見えた。あれは丘の上というより岩山の上にどかんと建っていたものだが、地名は分からない。

 

 プレショフの小さなバスターミナルから旧市街へは、やはり歩いて20分。

レヴォチャより街並みはさらに美しく、さらに可愛らしい。ミクラーシュ教会(英語ではニコライ教会となっている)が立派だ。1347年に創建され、16世紀初頭にゴシック様式に改築された教会である。そしてここにある聖壇もパヴォル氏による1696年の力作だ。彼の作る芸術品は、どれも魂がこめられている。

 歴史美術館には民族衣装の展示があるとのことなので楽しみに行ってみるが、それはなかった。

 

カフェで休憩をとり、田舎列車でのんびりとコシツェに戻る。

コシツェの駅窓口でクラクフ行きのチケットを買った。急行に乗る予定だが、昼間の列車は座席の予約は不要とのこと。どうでもいいが、買ったチケットは2ヶ月有効というからすごい。もっとも、120ドルというのは少々高い。それにしても、スロヴァキアの列車はきれいで、しかも広い。ルーマニアなどではコンパートメントで向かい合う乗客の膝がつくほどの狭さだが、スロヴァキアの車両はそんなことはない。

 

【スロヴァキアあれこれ】

 スロヴァキア人は道路の信号をけっこう真面目に守る。赤信号で道路を渡る人は少ない。そういえば、ブルガリア以降、ヨーロッパ各国では、人が道路を横切ろうとすると、自動車が親切に停まってくれる。トルコ以東では、そんなことはまずない。

 スロヴァキア語は、語感はもちろん、単語レベルではロシア語にかなり似ているのではないかと思う。TVなどを見ていると感じる。ある種、とくに発音などに関してはブルガリア語よりも近いのではないかとさえ思う。チェコ語はロシア語と似ていない印象があったが、不思議なものだ。

 

 

【旅の雑感:日本に帰るということ】

 最近、ふと「日本に帰りたいな」と思うことがある。それは、旅が嫌になったとか、ホテル暮らしに疲れた、ということではない。また、一時期のように「日本食を食べたい」「日本酒を飲みたい」「宴会したい(人に会いたい)」というのでもない。「帰って仕事をしたい」というのでもない。ものすごく漠然としている。

「日本へ帰る」という行為が、「ロシアに行く」「雲南に行く」といったのと同じ1つのイベントになっているのかもしれない。

いま、当たり前のように宿泊&移動の生活が続いているが、「日本に帰る」ことで、当たり前のように住居を定め、当たり前のように仕事が始まるような気がする。つまり、全てが延長線上にあるのであって、「ここまでが旅で、そしてここからがフツーの(前に日本にいたときのような)生活」という切り替わりというのは無いのではないか。リトアニアに行ったらロシアのビザを取る。ロシアに行ったらシベリア鉄道に乗って中国へ行く。中国でラオスのビザを取る。ラオスから陸路でタイに入る。バンコクから飛行機で日本に帰る。日本に帰ったらアパートを探す。社長に挨拶に行く。仕事に就く・・・。

「日本に帰る」ことが、今後の予定の一環として存在するのだ。だから、「日本に帰る」ことで何かが終わるわけではなく、全てが連続しているのである。「ラオス、たいへんかなあ、だいじょうぶかなあ」というのと、「日本に帰ったらたいへんかなあ、だいじょうぶかなあ」というのが、僕の頭の中には同じ次元として存在している。自分でもおかしいが。

 

 

 シャワー室は廊下の突き当たり右にある。男女別にはなっているが、鍵がかからない。いっぽう、シャワー室の目の前、つまり廊下を突き当たって左側には談話コーナーというかロビーというか、とにかく大きなテレビにソファが並んでいる。しかし照明がなく、真っ暗な中でテレビがついている。たまに人がいるようだが、それすらも真っ暗なので判別しかねる。ユウコがシャワーに行く際、さすがに気になるようなので、僕は「門番」となってシャワー室の入り口そばに立っていることにした。テレビを見ていた1人のオジサンに、怪訝な顔で見られた。