1113日(金) (つづき)

 

【トルコ国境ドゥバヤジット】

ドゥバヤジットは小さいながらも賑やかな活気のある町である。ビールの看板に感動し思わず写真を撮ったり、通りがかったロカンタ(食堂)に並ぶ料理を見たり、楽しみながら宿探しに歩く。ホテルエルズルムはシャワートイレ共同で1,800,0006ドル)とは、ちと高いかなあと思いながらも、なんとなくここにした(ユウコは少々嫌がっているようであった)。

 

 バザルガンで少し残った少額のリアルを両替所でリラに替える。その後、銀行のATMで金を下ろそうとマスターカードを使ってみたところ、うまくいった。そしてロカンタで昼食を取る。ドネルケパブがうまい。ロカンタでは、フランスパン風のエキメッキと呼ばれるトルコパンがぶつ切りになって入った大きなタッパと、飲料水の入った水くみが各テーブルに1つずつ置かれているのが印象的である。パンと水は飲食自由なのだ。そして、どちらもうまい。

 

 昼過ぎ、時間もあるのでイサクパシャ・サライに行ってみることにした。イサクパシャ・サライは町を外れて東へ5kmの小高い丘の上にある、1685に建てられ始め、1784年に完成されたという宮殿の遺跡である。町の東はずれにあるバスターミナル(オトガル)を過ぎると、2kmほどの平坦な道の先に丘があり、その中腹に、なにやらそれらしいものが見えている。

オトガル前からドルムシュもあるとのことだが、それらしいものは見あたらない。通りがかったタクシーが「往復10ドルで行ってやる」と声をかけてくるが、高い。天気もいいのでハイキングがてら歩いて行くことにした。平坦な道の左手には軍用施設があり、若い兵士が任務に就いている・・・というより、油を売っていた。遥か遠くにはアララト山が見える。右手にはなだらかな丘陵地帯が続いている。

歩くに連れ、丘が近づき、アスファルトの道はやがて登り坂になる。なかなか苦しい。サライは着々と近づきつつあるが、未だ遠い。「やっぱりタクシーを頼めば良かったかなー」と思い始めたその時、上がってきた1台のジープが我々の目の前に停まり、中に乗っていた数人の若者が「乗ってきなよ!」と声をかけてくれた。2人して大感激し、好意に甘える。

 

 サライは「強者共が夢の跡」という感じであるが、さらに少し道を上がったところにあるカフェから見下ろすと、その美しさがよく分かる。

 

帰りもてくてくと歩いて戻る。軍用施設を過ぎたところに小学校があり、ちょうど授業が終わった時分で、子ども達が校舎から出てきたところだった。我々を見るなり、子ども達は道沿いのフェンスに駆け寄って、みな口々に「Hello, what’s your name ?」とかわいい笑顔で言う。イランでは学生達が英語で声をかけてくるとき、初めの質問はたいてい「What’s your job ?」だったが、いずれも学校で初めて習う英語の質問に違いない。お国柄の違いというものだ。それにしてもトルコ人は大人も子どもも愛想が良く、隣国イランのような、じろじろゲラゲラの女子どもも、くだらん質問をしてくる男もいない。老若男女、にこやかに我々を見守ってくれる。

 

 宿に戻り、あらためて両替レートを見ると「1ドル=295,400」となっていた。これをもとに、今朝、イラン側のバザルガンでおこなった両替を総括してみると、

 支払い金:504000リアル≒78.2ドル

 受取り金:21,000,000リラ≒71.7ドル

ということで、10%の手数料を取られたようなものだ。

 

【日本人旅行者との出会いと交流】

 16時半だというのにすでに真っ暗だ。フロントでお茶を頼み、部屋でひと休みしたのち、再び外へ出ようとすると、1階のロビーに3人の日本人男性が談笑していた。みな学生であろうか。声をかけられ、そのうちの1人がおもむろに「アニに行く予定がありますか?」と聞く。アニはアルメニア国境に近い遺跡である。彼は1人旅なのだがアニへ行くにはタクシーをチャーターしなければならないので、同行者を探しているという。他の2人もこの宿で知り合った行きずりなのだが、彼らはこれからイランに向かう「東向きコース」を取っているそうだ。我々もアニへは行く予定だったし、彼が「アニへ行くにはカルスのツーリストオフィスで許可を得る必要があるんだけど、明日俺が行くことはすでに連絡してあるんですよ」というので、これに乗じれば我々も楽だ。というわけで我々3人は明日一緒にカルスへ行くことになった。彼の名はY君といった。長旅のわりには小ぎれいな格好をしており、MAのジャンパーに、紺のジーンズと、なかなかいかしている。

 

 いっぽう残りの2人はトルコ観光を終え、明日の朝、国境を越えてイランに入る予定だという。「ただ、ヴィザがトランジットなので、10日間でパキスタンに抜けないといけないんですが」と笑った。我々2人と、やはりイランから西進してきたばかりのY君を交え、イランのオススメを語る。

2人が盛り上がる。

「やっぱマシュハドですよねえ」

「でも、とりあえず一気にテヘランまで行って、日本食『瀬里菜』かな」

「えっ? いきなり行っちゃうの?」

「行くでしょう、10ドルで焼き肉食べ放題なんだもの」

 

バスのチケットが余っていたので、彼らにあげた。僕は渡しながら、一つ一つ解説する。

「これはイスファハン、これはシラーズ、これはハマダンですね」

すると彼らは、

1ヶ月もあるとあちこち回れて良いですね。さすがにハマダンに行く時間はないだろうなあ。でも、もらっときます

と、なかなか愛想が良い。

いっぽう、彼らからはトルコのオススメを聞く。

「もう寒いからネムルトダアの山は登れないし、やっぱり、ハイライトとすればカッパドキアでしょう。あとはパムッカレですね、まあ『お約束』ってことで」

 

眼鏡をかけた背の高いほうの青年が「夜行バスに気をつけたほうが良いですよ」と半分冗談、半分本気の表情で言う。話を聞くと、ここ数日でトルコも急速に寒くなったのだが、カッパドキアに行く街道が凍結し、夜行バスがスリップして横転、乗員乗客のほとんど全てが「即死」したらしいのだ。

「僕が乗ったバスがその現場を通り過ぎたんですが、いやー、恐ろしいですよ。首無しの死体が転がってましたから」

笑いながら言うので本人がどれほど恐ろしがっているのか分からないが、たしかにそのような事故に巻き込まれては、不運と言う他はない。夜行バスではお茶や菓子を振る舞うふりして、中に眠り薬が入れられている話はしばしば聞かれるが・・・。

 

もう一方の彼は「地球の歩き方」を持っているというので、見せてもらった。

文字が多い! 情報が満載である。2人はこれからハマムに行くという。「ドゥバヤジットのハマムは安いんですよ」。Y君も一緒に行くことになった。

近所にコピー屋があるというので、彼らがハマムへ行くあいだに「歩き方」を借りる。ついついあっちもこっちもコピーを取ったが、よくよく吟味をしてみると要らぬコピーが多かった。

外へ出たついでにバス会社のオフィスを訪ねる。カルス行きの直行バスはなく、まずウードゥルという町までミニバスに乗り、そこで乗り換えろとのことだ。ウードゥル行きのバスは7:00,8:00,9:00とある。

 彼らがハマムから帰った頃合いを見計らって、借りたときに聞いておいた彼の部屋に行くと、3人でビールを飲んでいた。「我々にとっては最後の酒になりますので」。するとY君が「俺にとっては久しぶりの酒だ」と言って笑った。

 

【久しぶりのビール、ほろ苦い大人の味?】

 そう、我々にとっても1ヶ月ぶりの酒だ。部屋に戻り、ユウコと2人で「乾杯! わー!!」

・・・と、いきたいところだが、ことのほか感動が薄い。

「ビールって・・・」「苦いね」

2人で顔を見合わせる。我々はすっかり「甘党」になってしまったのか。「お茶のほうが良いね」と苦笑いする。「寒いからかなあ」。そうか、この寒さではビールは似合わないのか。「それに、このビールは冷えてないよね」。

寒いときでもビールは冷えてないとうまくないのか。いや、やはりこの寒さの中で我々に求められるのは日本酒なのだ。鍋とサケだ。