1122日(日)ギョレメ 快晴

 

【今日は自力で観光】

 洗濯物は部屋の窓を開けて換気しておいたほうが乾きが断然早い。おとといの晩は部屋が冷えると思って閉め切っていたのだが、それでは一晩で乾かなかった。

今日はツアーで見られなかったゼルベ野外博物館、ウチヒサールなどを見物に行く予定である。のんびり朝食をとり、オトガルへ行くと、ゼルベ方面に行くバスはあと1時間待たないと来ない、というので、先にウチヒサールへ行くことにした。ウチヒサールとはトルコ語で「3つの砦」という意味だが、岩山をくりぬいて作った拠点である。岩山の中をくぐって上へ上へと上がると頂上に着く。カッパドキアを見下ろすここからの景色は素晴らしく、“トルコ富士”エルジェス山(3916m)も遥かに眺めることができる。ここからギョレメへは下りになるので歩いて戻ったが、途中にある「View Point」からの眺めも良かった。

 

 ギョレメからアヴァノス行きのバスに乗り、ゼルベ野外博物館へ行く分岐で降りる。博物館まではここから4km歩く。バスでは同宿のアメリカさんと一緒になり、連れだって歩く。とちゅう、なんだか見た風景だなと思っていたらここはパジャパーであった。アメリカさんはまだ見ていなかったとのことで「あちこち寄り道してから行くよ。あとで会おう」と道を外れ、奇岩見物に出かけた。我々はアスファルト道に沿って歩く。

しかし、初日のギョレメ野外博物館といい、このゼルベ野外博物館といい、ちょっと割高の感がある。まあ、中には奇岩あり、岩をくりぬいた住居あり、古い教会ありとさまざまだが、ならばどうしてパジャパーは無料なのか?と考えると、わざわざ金を払ってみるものでもないような気もしてくる。(もちろん、見たから言えることだが)。

 

 博物館入り口前の土産物街でコダックのフィルムを買った。いままでトルコで見てきた中で最も安い値がついていたのだが、それでも1,600,000リラとは5.3ドルだ。イランでは3ドルだった。買いだめしておけば良かった。

 博物館をひと回りして外へ出ると、ちょうどギョレメに戻るドルムシュに乗ることができたのだが、パジャパーを呆気なく行きすぎたのはちょっと残念だったかと、あとから思う。

 

【愚見者ナスルッディン・ホジャと、彼の寓話】

 ヴェッケルさんが「バスの予約もここでできるよ。次はどこに行くんだい?」と聞くので、「コンヤに行くよ」と答えると驚いた。「おや、珍しい。でもあんなとこ、見るものは少ないよ、3時間で終わりだ。パムッカレも同じ。3時間で終わり。それよりもエフェスだよ、あそこは3泊だね」と笑った。コンヤ行きは明日の朝8時発とのことだ。

 

アリ、ヴェッケル両君は今夜も別の客を連れてベリーダンスを見に行くとのことで、彼らの都合により夕食はちょっと早めの6時半になった。ユウコはチキンバーベキュー、僕はタシケパブを頼む。両君も共に席に着き、一緒に食べる。

 

「ナスルッディン・ホジャを知ってるかい?」

 

ヴェッケルさんが我々に聞く。愚賢者ホジャの寓話集を、すでにトルコの土産物屋でよく見かけていた。日本語を含めた各国語の翻訳本である。

それ以前、我々は彼の銅像をブハラで見ている。リャビハウズの池を見るように、彼はロバにまたがり右手を上げ、ナディル・ディヴァン・ベグのメドレセの、日輪と2羽のクジャクの描かれたアーチを背後にして立っている。トルコで立ち読みした翻訳本によれば、彼はトルコの出身で、ティムール朝時代の人間という説もあるが、実際にはそれ以前、13世紀に存在したというほうが正解らしい。彼は風刺とユーモアを携え、為政者を批判し人民を喜ばせていたわけだが、その彼の銅像がなぜブハラにあるのか、手元に資料もないので事実のつかみようがないのだが、ともあれヴェッケルさんは、彼の寓話を英語でいくつか披露してくれた。

 

「ホジャはある日、友人から壺を1つ借りた。後日、ホジャは壺を自分の壺を添えて返した。友人が『あんたには1つしか貸してないよ』と言うと、ホジャは答えた。『壺が妊娠してたんでね』。友人は喜んでそれを受け取った。数日後、ホジャは同じ友人から再び壺を借りた。しかし、何日経っても返さない。ある日、友人は『ホジャ、あの壺はどうしたんだい』と尋ねた。するとホジャは答えた。『死んじまったよ』。友人は怒って言った。『うそつきめ、さては壊したんだろう』。ホジャは表情を変えずに言った。『妊娠した話は信用して、死んだ話は信用しないなんて、矛盾じゃないか?』」

 

「木の上で昼寝をしている男がいた。その木を切り倒そうとしている人がいるのを、通りがかったホジャが見つけ、上の男に言った。『そのまま寝ていると、いつか木が倒れて落っこちてしまうぞ』。昼寝をしている男は事情も知らず、目を開けず答えた。『ホジャ、おまえはいつから予言者になったんだね?』。やがて木は切り倒され、寝ていた男はホジャの目の前に落っこちた。男は目をぱちくりさせて言った。『ホジャ、どうして予言できたんだ?』」

 

「最近、ホジャの住む村では泥棒が頻繁に現れ、村民を悩ませていた。ある晩、ホジャが家で寝ていると泥棒が入り、彼の財布を盗んで逃げた。泥棒をあらかじめ察知していたホジャは奴を追いかけ、やがて泥棒の家に着いた。ホジャは自分の財布に目もくれず、テーブルの上に置いてある泥棒の財布を取って去ろうとした。泥棒が言った。『ホジャ、何をする気だ』。ホジャは平然と答えた。『おまえと同じことさ』」

 

また、これはホジャの話ではないが・・・

「将軍ケマルパシャは、最近妻に愛人が居ることを察知していた。どうやら彼の30人の部下の中に犯人が居るらしい。そこで彼はある晩、妻の大事な部分にこっそり剃刀を仕込んだ。1ヶ月後、彼は部下を一列に並ばせ、全員にズボンを下ろしパンツを脱ぐよう命じた。1人を除いた全員の股間に傷があるのを見て、将軍は呆れ、30人全員に鞭打ちの刑を命じた。傷のない部下が言った。『将軍、私は無実です』。将軍は目の色を変えず、言った。『ならば貴様、舌を出して見よ』。この男もやっぱり鞭打ちになった」

 

 話に笑いながら「ホームメードだよ」という白ワインをいただく。これは喉ごしもよく、すいすいと飲めてしまう。良い酒だ。

 

【カッパドキア四方山話。良い印象も、良くない印象も】

 ヴェッケルさんが、中国人ともめていた経緯を説明してくれた。それによると、彼らが不満にしていたのはホテルのサービスではなくて、我々という日本人が同じ宿にいることが耐えられなかったらしい。それで写真を一緒に撮るのも、同じツアーに参加するのも嫌がったのだそうだ。ヴェッケルさんには申し訳ないことだが、我々にはなにもできない。

 

 カッパドキアは思いのほか良いところだ。ツーリストは多いが、町のみやげ屋はしつこくないから不愉快になることもないし、だいいち、この奇岩の風景は見ていて飽きることがない。やはり、有名な観光地というのは魅力のレベルが高いものだ。マイナーな観光地も、それはそれで楽しいが、それは街の喧噪を逃れるために人里離れた山中でキャンプするようなもので、たまにするのが良いのであって、毎日やれば飽きる。そこで生活することに馴れてしまえば、話は別だが。そう考えると、オフシーズンの有名観光地こそ(閉鎖されていない限りは)ベターだということか・・・京都も、人の少ない冬のほうが魅力あるからなあ。

 

 昨日のツアーで同行した英語コミュニティの一団を見ていると、日本人旅行者が溜まり場を作るのも少しわかるような気がする。が、長旅とはいえ、彼らはみなこざっぱりとした格好をしていたのが印象的であった。いかにもという小汚い格好をしている欧米の若者というのは、ほとんど見ない。意外と「ルンペン旅行」を未だに気取っているのは、もはや日本人だけなのではないか、とも思う。もちろん、貧相な格好は「金持ちニホンジン」と思われないための防衛策の1つであることは事実だが・・・。それにしても、旅に出て以来、国籍を問わず、学生とは隔絶の感が強くなっていることを認識せざるを得ない。歳の近い、あるいは年上の社会人のほうが、親しみが持てる。もはや我々も若くないよ。