1128日(土)セルチュク 曇り 夕方から雨 ***123日目***

 

【払暁出立】

 そういうわけで5時起床、5時半に朝食。宿の家族と記念撮影のあと6時に宿を出る。

オバチャンの話では「今日はセルチュクのバザールだから、人がいっぱい集まるわよ」とのことで、要するに引き止められたのだが、我々は前進するのだ。

オトガルに着くと、我々はイズミル行きのミニバスの一番客であった。まだ辺りは暗く、切符売りも寝ぼけまなこである。

バスに乗り込んで5分ぐらい待っている、なんとペンションのジイサンとオバチャンが同じバスに乗り込んできた。近郊のオリーブ園に行くらしい(彼らは出発してから10分ほどで降りた)。

 

【そしてまたしても・・・】

バスが停まっている目の前に乗り場の案内板があり、その下の時刻表を構内の蛍光灯が照らしている。バスはドアこそ開いているものの、エンジンはかけておらず、車内灯もついていないので真っ暗だ。我々も起き抜けでまだぼんやりとしている。

と、バスの目の前、蛍光灯のそばを、ザックを背負った1組の男女が通りがかった。立ち止まり、時刻表を眺め、二人でバスの確認をしているようにも見える。

 

「あれは・・・!」

僕はさすがにこの目を疑ったが、おそらく間違いないだろう。横でうつらうつらしていたユウコを肘でこづく。

「・・・あれ?」

ユウコも彼らを見て驚いた。

 

その男女はバスの横にいる切符売りに金を払い、前ドアから我々が座っているバスに乗り込んできた。

まさか! イスタンブールまで同行するのか?

 

バスの中は暗く、彼らは我々の存在に気づいていない。

いっぽう、彼らは今まで明かりの下にいたので、我々には彼らが、というより、より正確には、男が誰だかはっきりしている。

僕は声をかけた。

 

 「バーテン君!」

 

 その男は声に気づき、僕をしばし見つめていたが、状況を把握したのか「えー!?」と声を上げた。

 

「まさか・・・」「ここまでご一緒することになるとは・・・」

僕と彼はお互いの顔を唖然と見つめた。彼我の思考が、ここまでも同期するとは、夢にも思わないことである。

 

 同行する女性は韓国人だと言って、バーテン君が我々に紹介してくれた。彼が言う。

「彼女がイズミルからイスタンブール行きの鉄道があると言うので、それに便乗したんですよ」。

「このバスで乗り継げるんですか?」と僕が聞くと、「まあ、なんとかなるって言ってるんで」と呑気である。

昨日、鉄道事情を多少調べた僕としては、正直のところ厳しいのではないかと思うが、「うまく乗り継げたら僕らも鉄道にしましょう」と答えた。

 

しかし実際のところバスの足は遅く、イズミルの街には750分頃に入ったものの、途中渋滞やなんやかやで、韓国人キムちゃんは1人運転手の脇に立ってハラハラと気をもんでいたが、オトガルに着いたのは810分であった。「こりゃあ、さすがにダメでしょう。バスにしますか」と4人で納得し、我々はバスを乗り継ぐことにした。

 

【イズミルで乗り継ぎ、目指すは一路イスタンブール】

オトガル構内にはバス会社の窓口が林立し、どこも客引きの声が元気である。ところで、イスタンブールから先はバスにするか鉄道にするか、まだはっきりとは決めていないし、イスタンブールから直接ブルガリアに入るか、それともワンクッション置いてエディルネを訪れるか、これもまだ決めていないのだが、とにかく、我々にとってはこれがトルコで乗る最後のバスになる可能性もある。そこで思い出したのが、トルコNo.1の会社ULUSOYである。あれはトラブゾンだったか、ULUSOYのオフィスでバスのパンフレットを見せてもらった。バスの車内の様子はデラックスバスの域を超え、SF映画の宇宙船のような造りである。これに一度は乗ってみたい、と思ったのだが、あいにくとイスタンブール行きの発車時刻は遅く、しかも、人気サービスともにNo.1とあって、料金も高いのであきらめた(15,000,000リラ)。

 

そこでPAMUKKALEという別の会社の客引きと交渉し、なぜか学割料金にしてもらって、8時半発のEXPRESSの切符を買う。イスタンブールへはルートが2つあるらしい。PAMUKKALEのバスもなかなかのゼータクぶりで、添乗員は蝶ネクタイにベスト着用と、高級ホテルのドアマンのような出で立ちである。

 

バスは流れるようにスイーッと走り、ブルサを13時半に過ぎ、15時にはヤロワに到着した。ヤロワからはカーフェリーでマルマラ海沿岸を巡る街道をショートカットし(15301610)、渡ったあとはさらに西進する。

17時、イスタンブールのアジア側に入る。

「アジア横断」によれば、イスタンブールに入ったあとバスは高速道を大回りしてヨーロッパ側のオトガルに行くことになる。オトガルは街から遠く、アクセスも不便なため、アジア側のハレムカラジで降り、船を渡ってヨーロッパ側の旧市街の港エミノニュに行くのが、時間が速くて良いとされている。しかしこのバスは「ハラムガラジには寄らない」という。

 

とある郊外の街道で停まり、トルコ語のアナウンスがある。どうやらここからセルビスが出て、それでハラムガラジに行ける・・・ようなのだが、なんとなくめんどくさくなって、このまま乗り続けることにした(結果的にはここで降りた方が賢明であったが)。

薄暮の中、夜景を眺めながらボスポラス海峡を渡り、続いて金角湾を渡り、17時半、長距離バスターミナルに到着した。もう真っ暗だ。

 

【大都会イスタンブール】

ドルムシュを探そうと思ったらセルビスが出るというので、それに乗ってアクサライに出て、トラムに乗り換える。イスタンブールの地理に明るいのは僕だけなので、バーテン君もキムちゃんも僕のあとについてチケットを買い、トラムのホームに立つ。

街は賑やかだ。ネオンがまぶしい。空気がひんやりと湿っている。

トラムが来る。ユウコは韓国人キムちゃんと座席に座っておしゃべり。僕とバーテン君は、並んでドアの近くに立つ。バーテン君、トラムの路線図を見つめ、「英語ですね」とつぶやく。

車内の自動音声アナウンスが流れる。「ネクスト・・・スルタンアフメトジャミイ、ブルーモスク」。

「ブルーモスク・・・」

バーテン君が、やはり路線図を見つめながら、小声で反復する。感無量という顔をしている。こみ上げてくる思いを抑えるかのように、彼が僕に向かってゆっくりとしゃべった。

「都会ですね・・・誰もジロジロ見ないし・・・別の国みたいだ・・・でも、イスタンブールですよね・・・。つ、ついに来たぁー、みたいな」

 

ところで、車内で、僕はさっそくスリに遭遇した。トラムはさして混んでなかったし、存在には気づいていたので、難を避けることはできたが、降りたあとでみんなにそのことを話すと「え!? そうかぁ、都会だからなあ」と、バーテン君はあらためて気を引き締めた様子であった。

 

 我々4人はスルタンアフメトで降りた。バーテン君が言う。

「僕はMoonlight Pensionに行こうと思ってるんです」

「じゃあ、ここで別れましょうか」と僕。すると彼は、

「次に会ったら一杯やりましょう。・・・パリあたりで」と笑った。

といって、彼もイスタンブールから先の旅程はまだはっきりとは決めていないらしい。

 

「物価と治安に問題なければ東欧にも行きたいなと思うんですが・・・寒いの苦手なんで」

ハハハと笑って、

「ギリシア、イタリア、スペイン・・・。イスタンブールに着いたら帰っちゃっても良いんですけどね」

と、また照れくさそうに笑ったものだ。

 

我々はパリへは行かない。おそらくここでお別れになるだろう。

 

【宿を取り、やっと一服】

 宿探し。いかにも日本人が溜まっていそうなところは避けつつ、SultanW5,000,000但しシャワー別)、OrientW4,500,000 朝食付き シャワー別)と見てまわる。どこも今ひとつであるが、料金はオフのせいか割安になっているようだ。それで、ちょっとランクを上げてHanedan Guest Houseを覗いてみる。はじめはフロントにたむろしているトルコ人のガラが悪く見えて心配したが、それは見た目だけで、黒人のフロントは流暢な英語で親切に応対してくれた。朝食付き、シャワー・トイレ付きの部屋がW5,000,000で良いという。部屋を見せてもらう。きれいな部屋。きれいなシャワールーム。「おおー、スジャクスーだ、ガリャーチャヤだ!」と、何語かわからぬ言葉で感動を表し、ここに決定した。

 

 「ついにイスタンブールだ!」

と、すぐにでも外に飛び出したい気分だが、あいにくすでに真っ暗なので、ライトアップされたスルタンアフメトジャミイとアヤソフィアしか見えない。スルタンアフメトに夕食を取りに出る。

物価が高い! ロカンタの軽食なんて、ドゥバヤジットの3倍だ・・・。

 

観光見物も楽しみだが、仕事もあって、

・写真現像、コメント、送付

・思い出グッズ(集めた資料や不要のガイド)の送付

・日本領事館へ荷物を取りに行く

・東欧VISA情報の確認

・現金のCashing(この先1ヶ月分)

・ツーリストオフィスへ行ってメヴラーナ博物館の上演時間を確認する

・インターネットも、手紙も。