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1130日(月)イスタンブール 雨

 

【ホテルが寒い】

 ハネダンゲストハウスの部屋は広くてステキだが、暖房設備がなく、寒い。しかも昨晩はシャワーのお湯が出なかった。フロントに「お湯が出ないぞ」と言って調べてもらうが、「湯沸かしの調子が悪いみたいだが、俺では直せん」と言うばかり。ついてない。隣の部屋に泊まっている白人の中年夫婦も「明日もお湯が出なかったらお金払わないわよ」と怒っている。

 お湯が出ないついでに「部屋が寒い」とフロントに言ったら毛布を追加してくれたものの、それでも朝は冷える。まだ雪は降らない。集中暖房を備えたホテルを探せば良かったな、とちょっと後悔する。

 

【日本領事館で日本からの荷物を受け取る】

7時起床。朝食後、雨の中をバスに乗り、タキシムからはてくてくと登り坂を歩いて日本領事館のあるスイスホテルへと向かう。高級ホテルの静かな雰囲気に圧倒されながら、日本語の順路に従ってスイートタワー2階へ上がる。イスファハンで親父に電話し、ここへ荷物を送るよう頼んでおいたのだ。

パスポートを見せ、職員が台帳をぱらぱらめくり、1117日に届いたという、小さな小包を奥の倉庫から出してきてくれた。領事館に来たついでにルーマニア・ブルガリアのビザの要不要について尋ねるが、「今まで通りビザが必要ですよ」とのこと。アジアに変な噂を流した奴は誰だ!

 

【ルーマニア領事館】

午前中なら申請できるかもと思ってホテル前に停まるタクシーに乗り、タキシムにあるルーマニア領事館へと向かう。「ここだよ」と言われて降りると目の前に立派な建物があり、門前にはビザ申請待ちであろう人々が列を作って並んでいる。「ここだここだ」と我々も並ぶ。が、掲げられた国旗が違うことに気がついた。門前のプレートを見ると、ここはベルギー領事館だった! 幸い住所が近いため、ここから歩いて3分ほどのところにようやくルーマニア領事館を発見した。小さい建物である。建物の入り口前に数人の男女がたむろしているが、かまわず扉を開けて中に入ると、優しそうな警備員が立っていた。「ビザを」と言うと、横の窓口へどうぞとアッサリ通され、そこには陽気なオネエサンがいた。「ビザは11ドルです。写真が1枚必要です」と、こんなに安いビザは初めてだが、「ただし月火は休みです。水曜日に来てくださいね!」と追い払われた。さて、そうなると次はブルガリアビザだが、領事館はここから遠いし、すでに10時を回っているから今から行ってもくだびれもうけになる可能性も大きいので、後日に回す。イスタンブールよりも国境に近いエディルネの領事館のほうが手続きは簡単だという話もあるから、そっちで取ろうかなとも考える。まだ時間はある。

 

【困ったときはマックに限るか】

 お腹が空いてきたのと休憩を兼ねて、タキシムのバスターミナルにあるマクドナルドに入った。こういうとき、こういう場所に入るのは安易だなあと思うが、しかし日本でも見慣れているお店だと、気楽にくつろげるという点においては利用価値は大きい。ハンバーガーは日本のものよりやや小ぶりだ。久しぶりに食べるフライドポテトが妙にうまい。

 ひと息ついたあと、バスに乗ってカーリエ・モザイク博物館に行く。これはヨーロッパ側にあるのだが旧市街の中心からはやや離れたところにあるので、イスタンブールの観光名所のなかではマイナーだが、「アジア横断」ではオススメである。入るなり、「おおーっ!」と声を上げてしまうほどに、見事なフレスコ画やモザイク画が並んでいた。この建物は14世紀の建築で、それ自体も歴史を感じさせる重みがあるが、絵画はどれもビザンチン時代における芸術の質の高さを物語り、見応えは充分であった。

 バスでエミノニュに戻り、エジプシャン・バザール(ムスル・チャルシュ)を冷やかす。ところで、トルコに来てこの方、朝晩はだいぶ冷えるが、昼間はコートが邪魔になるほどに暖かい日が多かった。パムッカレでもエフェスでも、日中の観光時にはコートは不要だった。が、イスタンブールでは天気は悪く、冷え冷えとしている。鉛色の雲が厚く空を覆い、まだ雪にはならないが、いつ降ってもおかしくないくらいの寒さだ。手袋はすでに購入してあるが、さらなる寒さ対策のため毛織調の帽子(2人分)を買う。ユウコはほかに靴下や下着も買った。マフラーも欲しいが、ここでは今ひとつ気に入ったものがない。

 帽子1つかぶるだけでも、だいぶ寒さが和らぐ。僕はすっかり快適だが、ユウコはそれでも寒いという。この調子では先が心配である。

 

【宿を替えるかどうするか】

 スルタンアフメトの霊廟、地下宮殿を見物したあと、ホテルをいくつか見て回ることにした。お湯もストーブもないホテルでは、いくらなんでも寒いのだ。で、話を聞けばどこでも「うちには集中暖房設備がありまして」という説明をしてくれる。値段とサービスを考えて、「Merih2が良いかねえ」と検討する。

 レストラン・ジャンで夕食を美味しく食べ、ホテルへ戻るとフロントのあんちゃんはソファにねっころがって眠っていた。シャワーのお湯が今日も出ない。さすがに腹を立て、クレームを付けに下へ降りた。なんと言ってやろうか、またつまらん言い訳をして直す素振りを見せないなら、金を払わずに出てってやるぞ、と気合いを入れて階段を下りると、フロントにはさきほどの人相の悪いあんちゃんは姿を消し、代わって、チェックインの時にいた黒人の優しいお兄さんがいた。彼なら英語が通じるし、話せる人のようなので安心だ。

「お湯が出ないぞ」

こう言うと、彼も困った顔をして「そうなんだよ」と肩をすくめる。湯沸かしが故障しているらしい。

「差し支えなければ、部屋を替わっても良いですよ」と言う。差し支えも何もない、むしろ「部屋を替えろ」と要求したかったぐらいだ。それで、中年夫婦が泊まっていた部屋の真上の部屋に移る。部屋は若干狭いが、窓からはマルマラ海がよく見えた。

Sea Viewの部屋だ!」

こちらの部屋のほうが値段が高いはずだがなあ、と思って「同じ値段で良いのですか?」と聞くと「もちろん」と答えた。ついでなので「部屋が寒いのだが集中暖房はないの?」と聞くと、「残念だが集中暖房はないんだよ。けど、ヒーターならあるよ」と、隣の部屋から電気式ヒーターを持ってきてくれた。そうか、初日に「寒いなあ」と思った段階で「ストーブはないのか?」と聞けばよかったんだ。部屋に備え付けていないから、無いものだと思っていたのだ。ともあれ、これで宿を替える必要が無くなった。喜び勇んでユウコに報告し、部屋の引越しのため荷物を移す。

 

【日本からの送り物】

 移動が落ち着いたところで、親父からの荷物を改めて開く。頼んでおいたガイドブック(歩き方中欧、バルト、ロンプラロシア)の他、銀行預金通帳のコピー、カード支払い明細のコピー、源泉徴収票のコピー、出発後に我々宛に届いた手紙・ハガキ、カメラのフィルム、お菓子(キャンディ)なども詰められていた。親父の手紙も長文に渡り、なかなかに感慨深い。

 

我々が旅に出たことを知らない友人知人が手紙をよこしてきたので、返事を書くのが大変だ。送られてきた荷物の箱を利用して、現像した写真や不要のガイドブックなどを返送する準備をする。ロンプラロシアは分厚い。こうして旅の資料が集まると、テスト前のノート集めよろしく、これで万事オーケーと、ついつい安心してしまう。ところで、「歩き方中欧編」は以前「東欧編」となっていたものの新版だが、1994年当時、学生時代に1人で東欧を旅行した際に使った版に比べると、地図はきれいになったものの情報量はかなり減っており、とくに紹介する街の数が激減していることに幻滅した。今の我々に役に立つ情報は非常に少ない。名所案内としての観光ガイドということならまだ良いのかもしれないが・・・。

いっぽう、「歩き方バルト3国」のほうは、交通手段などが細かく記載されているなど、有益な情報が多いだけに、よけい格差が目につく。「これは、だめだ」。はしょって「中欧編」という一冊物にしたのがまずかったか。多少高くついても国別編をそれぞれそろえるべきだったか。でもそうすると荷物になるし・・・。やはり中東欧もロンプラにしたほうが良かったかなあ。自宅にあるロンプラ東欧が恨めしい。あれも送ってもらえば良かったのだ。しかしもう遅い。イスタンブールの本屋で探そう。