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121日(火)イスタンブール 曇り

 師走になった。

 

イスタンブールの街角には、旅行者向けのインターネットコーナー、国際電話、国際FAXのオフィスがいくつもある。ツーリストオフィスで本屋の場所を確かめたあと、昨日荷物を受け取った報告を兼ねて親父にFAXを送ることにした。

 

【親父に宛てた手紙(一部)】

前略 師走の候、お忙しい毎日のことと存じます。本日(12/1)日本総領事館より荷物を受領しました。御手数をかけましたが、無事届いて感謝しています。イラン・トルコは水が良いので安心です。また、トルコは大衆食堂が多く、食べ物には不自由しません。御安心を。11/28、出発してから123日目にしてイスタンブールに到着。東から来た我々にとって、この都会ぶりは目を見張るばかりです。もちろん、物価の高さにも驚いています。(それでも日本よりは安いのですが、トルコ東部の物価はイスタンブールの2分の1、イランはさらに2分の1といったところです。イランに丸1ヶ月居ましたが、滞在費は75,000円程です)写真を送ります。なぜかサイズが大きく、「整理が大変だ」と怒られそうですが・・・。

 現在の居場所。 HANEDAN GUEST HOUSE ハネダン ゲスト ハウス

Tel  0090-…

  Fax  0090-…

 124日(金)までなら、ここにいます。時差は7時間(東京の正午はイスタンブールの午前5時)

 ここまでの道程を簡単にまとめておきます。

 7/29-9/1 中国(上海、西安、甘粛省から新疆)

 9/2-9/11 カザフスタン(アルマトイでホームステイ)

 9/11-24 キルギスタン

 9/24-29 カザフスタン(2回目、南部のみ)

 9/29-10/13 ウズベキスタン

 10/15-11/13 イラン

 11/13-現在 トルコ

今後については以下のように考えています。

12月:イスタンブールからブルガリア、ルーマニア

   クリスマスはルーマニアで。その後、ハンガリーへ

1月:ハンガリー、ポーランド、バルト3

2月:ロシア(オーロラを見に行き)その後、シベリア鉄道で中国東北部へ。そのまま南下(四川、雲南)

3月:中国雲南からラオス、タイ

それで、バンコクから成田へ帰ります。

 寒いのは確かに問題ですが、やれるところまでやってみようと思っています。ブルガリア・ルーマニア・ハンガリーは東京よりもやや寒いくらい。ポーランドは北海道程度のようです。

 たびたび恐縮ですが、以下の本を送って頂けませんか。これらは出発前に用意しておいた荷物箱に入っていると思います。

     地球の歩き方「中国」(上海のページは切り取ってあるが、かまいません)

     旅行人ノート「メコンの国」

送り先:在ハンガリー大使館

 Embassy of JAPAN

    Address …

    Tel  0036-…

12月末までに届けば幸いです。ちなみに先の小包は1117日に届いていたそうです。

 熱燗のうまい季節になり、少々(かなり)うらやましい。トルコはワインも、ラクという地酒も美味しく、2人で楽しんでいます。イスタンブールの寒さは東京と同程度。既にコート、手袋、帽子、タイツなどそろえ、今後に向けての備えは万全です。お身体に気をつけて。

 親父様

 1998.12.01 イスタンブールにて 暢・ユウコ

 

追:洗濯は主に部屋にロープをかけて、バスルームでしています。毎日少しずつ洗っているので、量は少なく、そう、苦ではありません。

追:中国新疆、キルギスタンではトイレが水洗化されておらず閉口しましたが、イラン、トルコでは水洗が徹底されており、公衆トイレでもきれいです。紙を使わず、水でお尻を清める文化なので(我々には真似できませんが)水を大量に流すため、きれいなのかもしれません。日本より状況は良い位です。(汚い話ですみません)

追:友人よりの手紙の類、嬉しく読みました。ありがとうございました。中国で知り合った高一家は病院に勤めているため「病院から手紙が」とご心配なさったことでしょう。すみませんでした。」

 

 日本への返送用の小包を出しに郵便局へ行く。船便だが今回はかなり重量があるため、少々高くついた。

本屋ではロンプラ東欧編を難なく購入できた。

 

【考古学博物館は大きく見どころいっぱい】

 考古学博物館へ行く。まずは午前中いっぱいをかけて、同じ敷地にある古代オリエント博物館を見る。ここにはトルコのほか、エジプトやシリアなどからの出土品もあり、シュメールやアッカド時代のものなど、見応えは充分だ。

このなかに「石のライオン」なる石像があった。ハマダンの公園で見たものと、ほぼ同時期のものだ。ハマダンの「石のライオン」は風化と摩耗により、もはや黒光りのよく似合う、輝く石のかたまりで、到底ライオンとは思えぬ現代美術的オブジェクトになっているが、かつてはこのように立派なライオンだったかと思うと興味深い。

本館の考古学博物館は昼休みが無く、我々はお昼から午後にかけて見て回る。こちらはヘレニズム・ローマ時代の彫像がいっぱい並んでいる。この質感がスゴイ。衣服のなめらかさ、生地のしわ、そして人体の素肌の肉感。とても石の像とは思えぬ。

ところで、この時代の作品を見る限り、「神様」といってもみな人間と同じ格好をしている。アテナ、アフロディテ、ゼウス、ヘラクレス・・・。

展示物は神像のほかに、ごく普通の人々の彫像もある。これは墓標としての石柱だったそうな。1人亡くなるごとに等身大の彫像を造るとはたいしたことだ。それにしてもこれらの彫像、素っ裸が多いのはなぜだろう。

「実際に素っ裸だったんじゃないの?」とユウコが言う。

たしかに映画などでも、この時代の人々はシーツみたいな大きな布を身体にまとっている姿がイメージされるが、ここでの像は、そのシーツを湯上がりタオルよろしく肩に掛け堂々と立っている姿あり、下半身にまとい上半紙は裸の像ありとさまざまだ。そして、このシーツはかなり薄かったに違いなく、女性の像などはスケスケで(このスケスケ感を石像で出すのも大した技術だが)、実に魅惑的・官能的である。

ローマ時代は天下太平、性もオープンであり、同性愛なども当たり前のように存在していたという話をなにかの本で読んだことがあるが、彫像を見ていると、その時代の様子がなんとなく理解できる気がする。衣服が厚くなるのはローマ時代以降のことなのだろうか。

 シドンのネクロポリスから出たという石棺も、周囲のレリーフが豪華絢爛で素晴らしい。それに引き替え、その時代以降、4世紀から12世紀にかけての出土品とされる墓石やレリーフなどは、ダサイ。稚拙なのだ。キリストを題材にしたものもあるが、あきらかに技術が劣っている。大人と子どもの絵を比較しているようだ。トルコ人ではダメなのだろうか? ガンダーラの芸術は、アレクサンダー大王の遠征と共に東進してきた芸術家がやって来て華開いたと言うが、彫像技術はギリシア人やエジプト人にしか出来ないことなのか?

 

【都会は便利だが物価が高いのもまたツライ】

 まだ明るい時間だが、博物館を回って歩き疲れたので部屋に戻る。今朝の寒さはそれほどでもなかったが、どんよりと曇った空の下、朝よりも日中のほうが寒々しい。寒気到来か。

 旅の予算を切り詰めたい我々にとって、物価の高いイスタンブールで食事をするのはけっこう気を使う。レストランに行けばたちまち10ドルの壁を突破してしまうので、大衆食堂のロカンタへ行くのがせいぜいだ。もっとも、さらに切り詰めるとすればパンとチーズを買って部屋で細々と食べるという手もあり、実のところ、それはときたまやっている。ロカンタのトルコ料理はどこも美味しいのだが、毎日食べていると飽きも出てくる。

スルタンアフメト公園の近所に韓国料理屋を発見し、ここはひとつ食べに行ってみることにした。メニューのキムチチゲが美味しそうだが、セットで19ドルとはさすがに高く、1200円と言われればそれまでだけど、今の我々には手が出せない。

「やっぱり高かったね・・・」「出ようか・・・」と渋っていると、店の人は「チャーハンなら安いよ」と勧めてきた。スープもサービスしてくれると言う。値段もまあ良い線なので、これに従った。意外と量が多く、そして付け合わせにキムチも付けてくれた! うまかった。味は良い。

店員さんはすべて韓国人で、家族経営のようである。門構えを見る限りでは敷居が高いが、中に入れば家庭的、大衆的、庶民的である。気を使ってBGMに日本の演歌をかけてくれたりして、優しい・・・のだが、店ははやってない。お客は我々のみだ。この店は、しかし不思議と街の観光案内板にでかでかと載っている。まさか公営なのだろうか。帰りぎわに「カムサハムニダ」と言ったらみんなにっこり笑ってくれた。ちなみに店の名は「New Chinese」である。なんのこっちゃ。

宿に近いOrient Youth Hostelにはインターネットコーナーがあり、そこでメールの読み書きをする。トルコでは観光地ならどこでもインターネットのサービスがあり、便利だ。