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122日(水)イスタンブール 曇り一時雨 朝夕は風が強い

 

雨はやみ、部屋の窓から海を眺めると視程も良くなってきたが、雲は取れない。

 

【ルーマニアのビザは11ドル】

早起きをして、朝9時から業務開始のルーマニア領事へ向かう。月曜日に聞いたとおり、日本人の手数料は11ドルであった。我々の前にいた、英語を話す白人旅行者は30ドル払っていたことを考えると、厚遇である。写真1枚と1ドル札、それに申請書を添えてパスポートを差し出す。申請書には「Money」という欄があり、なんのことか分からず記入しないで出したら、受付のオジサンが「君、一文無しでルーマニアに行くのかね?」と笑われた。予定する所持金額を記入する欄だったのだ。

受け取りは16時。即日でビザが取れる。

 

【ドルマパフチェ宮殿はアタチュルクの執務室でもあり最期の場所でもある】

新市街側に来たついでなので、午前中は海沿いのドルマパフチェ宮殿見物をすることにした。

タキシムからドルムシュに乗り、入り口の門前で下車。

ドルマパフチェ宮殿は、いまやすっかり観光名所化されたトプカプ宮殿と趣が若干異なり、衛兵が門前に立ち、厳かな雰囲気を残している。1856年、ときのスルタン、アブドゥルメジドが列強に対抗するために大枚はたいて造らせただけあって、重厚壮麗である。そして、入場料金も敷居が高い。宮殿とパレス見物で13,500,000とはびっくりだが、カメラ持参だとさらに2,000,000リラを必要とする。ちなみに学生ならば入場料はマルが一つ取れて200,000となる。

「良いなあ、学生は」

宮殿内はフラッシュ禁止だが、撮影許可のチケットチェックをするわけでもなく、荷物預かりにサブザックを預けた際にカメラも渡してしまったのは失敗であった。内部は自由に見て回ることは出来ず、お客がある程度集まったところで英語のガイドさんと共に順路を巡る。

まあ、内部の豪華絢爛なことよ。4トンもあるという大きなシャンデリア、バカラのシャンデリア、ロココ様式の家具、日本の壺、西欧風の内装様式。

列強に対抗するために造った宮殿というが、宮殿を造ったおかげで、ときのトルコは財政難になったという。なるほど、これだけのものと造ってしまっては国が傾くわけだ。ちなみに建国の父アタチュルクは革命後、ここで執務を行ったが、使用した部屋はわずか2つ、執務室と寝室だけだったという。彼はここで息を引き取ったとのことだが、死因は「肝硬変」。酒が好きだったそうな。

 宮殿の豪奢さに比べると、隣接するハレムは質素であった。質素とはいっても比較の問題で、これだけ見れば充分贅沢である。

 

 ミニバスに乗ってタキシムに戻り、昼食(タバク、壺煮)を取る。アイランを飲んでみたが、なかなかさっぱりしてうまい。

 

【軍事博物館とトルコ軍楽隊】

 午後は軍事博物館へ行く。ここのチケットは安い。おみやげコーナーの絵はがきも安い。お目当ては3時から始まる軍楽隊である。軍事物には対して興味がないのでサラッと見てしまおう・・・と思い、それでも2時過ぎに入ったのだが、見始めるとあれもこれも面白く、葵の御紋をつけた日本刀なんかもあって喜んだりして、あっというまに3時になった。

軍楽隊の演奏ホールはローマ時代の円形劇場を似せた造りになっていて、舞台を囲むように、半円のすり鉢状に座席が並ぶ。お客はそれほど多くないが、地元の子ども達も見に来ている。

楽隊は打楽器隊の行進リズムに合わせて登場し、整列。編成は、座席から見て左からコーラス隊(鈴持ち)9人、オーボエに似たネイ5人、長いトランペット5人、小太鼓を小脇に抱え、両手にばちを持つ者5人。両手シンバル5人、たすき状に掛けたひもから大太鼓を抱える者5人(彼らは右手に「ドン」と鳴らす太ばちを持ち、左手は大太鼓を支えつつ「カカ」と鳴らす細ばちをもつ)。

これらが舞台中央を向いて半円状に並び、彼らの背後に旗持ちが5人、各楽器隊のうしろに立つ。楽隊の両端には、直立不動の旗持ち、鎖帷子の兵士、近衛兵が各側1人ずつ並ぶ。

中央にはティンパニ1人のほか、これまた直立不動の竿持ち、旗持ちなどが総勢6人並ぶ。

ティンパニの前、つまり舞台中央のお客に最も近いところに、指揮者が立つ。

服装は全員オスマン時代のそれを彷彿とさせるような、赤いローブ、あるいは緑のローブを着用している。その下衣には矢絣のような模様が見える。

 

総勢53名の楽団である。

 

 指揮者は一曲ごとにお客に向かって曲名を告げ、背を向けると、1mぐらいの指揮棒(ちょっと見たところ、肩たたきを連想させるような棒)を右手に

「ハッスル・・・ハイ(ヌ)・・・ヤァッラ」

と声をかけて曲が始まる。しかし指揮者がテンポを決めるのではなく、むしろ指揮者が楽隊に合わせている。

 

オスマントルコの軍団はこの楽隊と共に侵攻し、ビザンチン帝国を初めとするヨーロッパ諸国を震え上がらせたという話は知っていたが、ある音楽評論家はこれを「音響兵器」と評しているとおり、なるほど、たった53人でもたいした迫力である。とくにネイの音量たるや勇ましく、トランペットを完全に打ち負かしている。ホールの音響効果もあるとはいえ、とても5人で吹いているとは思えない。この楽団が1000人規模で山の向こうからやって来て、1453年、コンスタンティノープルを陥落せしめたのかと思うと、恐ろしい。

TVドラマ「阿修羅の如く」でテーマ音楽に使われた曲もやってくれた。これは地元でも最も有名らしく、子ども達は大喜びで、曲に合わせて彼らも歌っていた。

軍楽隊だから4拍子ばかりかというとそうでもなく、7拍子(3-2-2)、9拍子(2-2-2-3)の曲もあった。休憩を挟んで約1時間の演奏はあっという間に終わった。

 

 16時を過ぎ、タクシーでルーマニア領事へ急ぐ。ビザは無事に取れた。

 

 海に近いわりには市場ではサカナが高い。見ているとどれも美味しそうで、たまには魚料理を食べたいものだが、どこの食堂も高いのであきらめた。高級品なのだ。そういえばロカンタには魚料理がほとんど無い。魚市場の横にある立ち食いサンドイッチ屋でアサリフライが美味しそうだったので食べる。今の我々にとっては、マクドナルドやバーガーキングでの食事が、せめてもの贅沢である。魚料理はエミノニュ名物サバサンドで充分、と自分に言い聞かせる日々である。