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123日(木)イスタンブール 曇り

 

 朝6時。部屋をノックする者がある。「電話だぞ」というのでフロントに降りるが、すでに切れていた(そういえば、この宿にはルームテレホンはないのだった)。

 

朝食時、ここに泊まっているというベルギーからの女子学生1人と一緒になった。彼女は中東文化を専攻しているらしく、トルコ語のほか、ペルシア語もペラペラらしい。すげー。

「イスタンブール、寒いわよねえ。あなたたち、なんでこんな寒い時期に来たの? 夏のほうが良いじゃない」と聞いてくる。

「でも、君の国ベルギーも、冬は寒いんでしょう?」

「そうだけど、家の中は暖かいわよ。暖房があるから」。

この宿の暖房設備は貧弱だ。彼女は日本にはまだ行ったことがない、と言うので、

「日本に行くなら・・・5月が良いかなあ。天候も安定しているし。夏は蒸し暑いし、秋は台風が来るからね」と言ったら、

「あら、5月は試験のシーズンなのよ!」と笑った。

 

【トプカプ宮殿】

 トプカプ宮殿まで一緒に行くことになった。彼女は歩いている間も「寒い寒い」と言っている。中も一緒に回ってもよかったのだが、我々はまずハレムを見たいので、入ったところで別れる。ハレムは入場制限をしているので早めに並ばないと待ちぼうけを食う、という話だったが、今はオフシーズンのためお客は少ない・・・のではなく、寒いからお客さんの行動も遅いのだ。昼前には盛況になっていた。早起きは三文の得である。ハレムも宮殿も、ドルマパフチェとはかなり雰囲気が違い、やはり世界的に有名なだけあってトプカプのほうが見応えがあるような気がする。とくに、宝石館がすごい。

しかし、イランで見たペルシア芸術の数々に比べると、全般に大味の印象は拭えない。

宝石館には18世紀イランのアフシャール朝のナディル・シャーがオスマン帝国マフムド2世に贈った玉座が展示されていた。もとはサファヴィ朝の創始者シャー・イスマイルの所有物だったものだというが、これと他の展示品、つまりトルコ芸術と比較すると、その差は自ずと明らかになる。細部の細やかさ、精密さが違うのだ。半面、トルコ人は「大きいもの」が好みのようで、宝石なども、みなでかい。

 ところで、ここで見るミニアチュアではトルコ人がけっこう中国人風に描かれている。昔のトルコ人は、もっと東洋的な顔をしていたのかな、と思う。昔の衣類なども、どこか中国を思わせるニオイがある。それと関係あるのかどうかは知らないが、スルタンは中国の陶器、青磁白磁が好みだったそうで、伊万里などのコレクションもある。ここで見る有田焼の絵柄も、日本というよりどこか中国チックだが、これはなぜなのだろう。当時の九州は清の文化の影響が大きかったのか。あるいは輸出用の、清好みのデザインだからなのか。それとも、昔の日本人は漢人チックな顔立ちだったのか・・・。

オスマン末期に各国から贈られたメダルの展示物コーナーに明治天皇からの贈り物があったが、鉱物の取れない日本にあっては、このメダルは完全に列国に負けている。日本のメダルには真ん中にルビーが一個光るのみである。ヨーロッパ各国のメダルのきらめきに比べると、日本の宝石細工は貧相だった。

 

【地下宮殿とサッカーの試合】

 朝食時、先のベルギーオネーサンが「地下宮殿ではコンサートがあるのよ。私は今日聴きに行こうと思っているのだけど、行かない?」と言うので、コンサートが始まる午後3時前に宮殿のチケット売り場前で待ち合わせをしたのだが、彼女は現れない。チケット売り場の人に聞くと「オフシーズンだから、コンサートはないよ」と言う。待ちぼうけをさせては悪いので彼女を待つが、来ない。通りがかった絨毯売りが「うちの店を見に来ないか」と声をかけてくる。「マルハバ(こんにちは)」とお愛想をすると「君、ほんとに日本人? 日本人はみんな『マルハバ』の発音が下手なんだけど、君は上手だねえ」とおだてる。

宿に帰ると、ロビーでベルギーオネーサンがフロントの黒人と談笑していた。我々の帰りを待っていたらしく、我々を見るなりそばに寄ってきて「ごめんなさいね、私ちょっと遅れちゃって。コンサートはなかったのよ」と言った。

 

 昨日の夜もそうだったが、今日も街中ではドンパチと破裂音がうるさい。何かと思って外へ出てみると、スルタンアフメト広場から花火が上がっている。なにかめでたいことがあったのだろうか・・・というところで朝の話を思い出した。ベルギーオネーサンによると、昨日サッカーのヨーロッパリーグ戦で、イタリアのユベントスとトルコのガラタサライとの試合があったのだそうだ。しかもイスタンブールの競技場にユベントスが乗り込んで来たらしい。「前回、ローマでの試合はガラタサライが勝ったのよ。イタリアとトルコの一件、知っているでしょう?」PKKのリーダーがローマにいることを指している。「それで、試合はどうなったの?」と聞くと「1-1の引き分けだったのよ。よかったわ。勝負がはっきりしていたら、とんでもないことになっているわ!」どうも最近、街のテレビでサッカーの話題が多いと思ったら、そういうことだったのか。そういえば、イタリアのチームが厳重警戒のもとで歩いている映像を見た気がする。

 

今夜も頑張って手紙を書いた。明日はこれを出しに郵便局へ行く。朝一番にはブルガリア領事へ行かねばならない。