11月15日(日) カルス しとしと雨時々曇り
【日曜日は町全体が休日】
アニ観光は月曜まで待たねばならないので、実際のところ、今日は別段するべきことはなにもない。朝、買い出しのためにユウコがスーパーに出かけたが、日曜日のせいか8時に行ってもまだ開いていなかった。商店街ものんびりしている。日曜休日。「いよいよヨーロッパが近づいてきたんだな」と感じる。中国から旅を始めた当初は、「いったいいつになったらイスタンブールに着くのやら」と、想像も付かなかった。実際、本当にここまでたどり着けるかどうかも疑問だった。しかし、もはや我々はトルコ国内にいる。その気になれば、イスタンブールまでは一晩で行くことができる。
時間があるので今後の旅程について、「歩き方」のコピーをもとにあれこれと考える。が、読めば読むほど、我々がオフシーズンの中にいることに気づく。来たからにはあちこち見て歩きたい。が、そのためにはいくつか難問がある。たとえば、@(とくに山村は)寒い Aオフシーズンなので観光客が少ない。ゆえに現地での日帰りツアーが出ない Bイランほどに決定的要素に欠ける(どれも魅力だが、「どうしても」というものは少ない)。
イランでは「1ヶ月かけてあっちもこっちも」と思わせるだけの魅力が各所にあり、我々も気合いが入っていた。そして、どこもわりと気楽に行けた。トルコは、どうも具体的イメージに乏しい。だがそれは「トルコに観光名所が無い」のでは決して無く、僕自身の中に「トルコで何々を見る」という積極姿勢が少ないからなのだろうと思う。ユウコはトルコを楽しみにしていたようなので、このような書き方をすると怒られそうだが、「おもしろそうだなー」と思う半面、上記のような不安も捨てきれない。それはユウコにしても同じ考えに至りつつあった。
「行きたいけど・・・オフじゃあねえ」。
2人で相談した結果、「ハイライトのみを見る」のが良策という結論に至った。今後の旅程は以下のように落ち着いた。
11/16(月) アニ観光 カルス泊
17(火) カルス→トラブゾン ☆ トラブゾン@
18(水) トラブゾン観光(聖ソフィア教会、ポズテペ) トラブゾンA
19(木) トラブゾン観光(スメラ修道院) トラブゾンB
20(金) トラブゾン→ギョレメ※ ギョレメ@※
21(土) カッパドキア観光@ ギョレメA
22(日) カッパドキア観光A ギョレメB
23(月) カッパドキア観光B ギョレメC
24(火) ギョレメ→コンヤ(3h) コンヤ@
25(水) コンヤ滞在※※ コンヤA
26(木) コンヤ→パムッカレ(6h) パムッカレ@
27(金) パムッカレ滞在 パムッカレA
28(土) パムッカレ→エフェス(3h)→セルチュク セルチュク@
29(日) エフェス観光 セルチュクA
30(月) セルチュク→イスタンブール イスタンブール@
・・・
☆ペルセウス流星群(ドゥバヤジットで会った日本人からの情報)
※トラブゾン→ギョレメは長距離のため、夜行バスが適切
※※コンヤは1泊でも充分かと思われる。
セルチュクではもう1泊して、近辺の遺跡巡りも可。また、イスタンブールへの移動は鉄道に乗ってみたいところだ。
それで、トルコに残された宿題ツアーはだいたい以下の通りになる。
1)成田→イスタンブール イスタンブール泊
2)イスタンブール→カラビュック→サフランボル サフランボル泊
3)サフランボル→アンカラ アンカラ泊
4)ポアズカレ観光 アンカラ泊
5)アンカラ→シワス シワス泊
6)ディブリィ観光 シワス泊
7)シワス→マラテヤ マラテヤ泊
8)ネムルト山ツアー マラテヤ泊
9)マラテヤ→エルズルム エルズルム泊
10)グルジア渓谷ツアー エルズルム泊
11)エルズルム−(飛行機)→イスタンブール→
12)→成田
さらにエルズルムからワンへ行き、ワンからイスタンブールに戻るのも良い。あるいはアンカラを起点にする考え方もある。
別に弱気になっているわけではないが、こういう観光国家だからこそ「少しは金をかけて、良いツアーにしたいよなー」と思うこともある。
【あれこれと考えること】
トラブゾン行きのバスをチェックしにバス会社のオフィスを訪ね、ジャミイ(モスク)を見物し、昼飯はピデを食べた。トルコのピデ(ピザ)は安くてうまい。スーパーで久しぶりに牛乳を買う。バス会社を探して歩き回った帰り、ホテルのすぐ隣に別の会社のオフィスを発見した。
天気も悪いので、町をひと回りしたあとは部屋でゆっくりと過ごす。ユウコは昼寝をしている。僕は久しぶりに「チーズの話」を開く。我々はチーズを各所で食っているわけでもないし、農家や遊牧民達と積極的に交流したわけでもないから、本に出てくるような旅の話、チーズという一貫したテーマを持って世界を旅するという姿勢は羨ましいと思うが、これはこれで旅の志向が違うというものだ(通訳を雇ったり車をチャーターしたり、けっこう金をかけている)。ただ、自分たちがこの目で見てきた国にまつわる話を読むと、あらためて興味深いものがある。そうそう、カルスの城塞も、もとはセルジュク朝の建築物(1153)だが、モンゴル軍に破壊され、1500年代(オスマン朝時代)に再建されたものらしい。中央アジアからトルコに至るまで、どこに行っても「モンゴル軍が来襲し、そして破壊した・・・」という逸話を聞く。なんとも言えぬ気分である。「チンギスハンとは、結局『破壊王』であり、モンゴル帝国とは、結局『略奪王国』だったのか」。僕は歴史家でもないし、偉そうなことを言える身分ではないが・・・。
今朝、お茶を作るためにフロントで湯を所望したら、快く応じてくれた。無料なのかな。夕方、ホテルのロビーではオッサン共が神妙にテレビを見ている。ドゥバヤジットのホテルでもそうだったのだが、トルコ人はけっこう寂しがり屋なのだろうか。
ビールの味に慣れたのか、美味しく感じられてきた。EFESよりもTUBORGがうまい。タシケントでは500ml缶が2ドル相当もする高級品であったが、トルコでは0.7ドル相当の庶民の品になっている。
寝る前に500mlの牛乳をグイと飲みきった。