1119日(木) トラブゾン 曇りときどき雨

 

【スメラ修道院】

 冷たい雨が降る。明け方にはザバザバと降っていた。ホテルをチェックアウトし、バス会社FINDIKKALEのオフィスでカイセリ行きの切符を購入。そしてULUSOYのオフィスでスメラ行きのバスを待つ。お客は我々以外に少ないようだ。これでツアーバスが出るのかな、と少し不安になる。

 

係員のオニイサンは英語が話せる。そこで昨日テレビで見た、少し気になるニュースについて尋ねてみた。そのニュースとは、イスタンブールでイタリア領事館を囲んだ抗議行動デモをやっている様子を報道したものだった。

「君の国は、イタリアとなにか問題があるの?」

すると彼の話は「デモ? あぁ、とくに問題はないよ」と笑ったあと、以下のような話をした。

 

PKK(クルド解放戦線)のリーダーで、アブドラ・オジャランという人物がいるんだが、彼は現在ローマにいる。それで、引き渡しを求めるためのデモがあったんだよ」。

彼は続けて

「奴はテロリズムのリーダーなのさ。以前はシリアにいて、その後モスクワへ飛んだ。ローマに来たのは最近なんだよ。奴を裁判にかけるべきなんだが、『具合が悪い』というので病院暮らしをしている。病気のはずがないよ。彼はお客様扱いなのさ」

「イタリアは黙っているが、PKKを支援しているんだよ。いま、彼らの内閣は9党連立なんだけど、このうち緑の党と共産党が、陰でPKKとつながっているんだ。なぜだと思う? PKKは中東からヨーロッパへの麻薬ルートを握っているからなんだ。彼らはそれで資金を得ているのさ。イタリア政府は、その麻薬密輸ルートを止めることができないでいる。だから、我々トルコとの関係は悪くなるばかりだ。今日か昨日のうちに引き渡し要求の回答があるはずなんだが、この調子では、トルコ政府はイタリアとの関係を断絶してしまうだろうね。イタリアにとって、トルコは第3の貿易相手国だから、ショックは相当大きいだろうね」。

彼の話はさらに続く。

「そもそも、トルコは隣国との関係が悪いんだ。シリアやイラクとの関係はご存じの通りだと思うけど、アルメニアとも関係が悪いし、イランともいまひとつだ。ギリシアに対してもキプロス島の問題がある。2年前、地中海沿岸のイズミルという街で爆弾事件があったんだけど、それもPKKの仕業なんだ。奴らは、すぐ近くのギリシア領の島からやって来たんだよ。この意味、分かる? 奴らは非合法組織だからトルコには居られないんだが、ギリシアやイタリアでは自由に活動できるのさ」。

 

 イランの話が出たので、我々はトルコに来る前にイランに滞在したことを話すと、彼はこう語った。

「あの国では女性のスカーフを強制するよね。でも、コーランを読めば分かるけど、そんなことは何も書いてないんだよ。だいたい、服装なんて宗教とは全く関係ないよ。そうだろう? 問題は心だよ。僕の母も、外へ出るときはスカーフをするけれど、頭を全部隠すわけじゃない。簡単にかぶるだけさ。長いワンピースコートなんか着ないよ。それでも、彼女は毎日5回の祈りを欠かさない。敬虔な信者だと言えるだろう?」

 

 ところで、バスはいつまでたっても来ない。彼にそれを問うと、本来の仕事を思いだしたかのように言った。

「スメラへの日帰りツアーバスは、お客が3人以上いないと出せないんだ」。

なんと、がっくり。「だけど、スメラに近いメチュカという町に行くミニバスがあるから、君達が望むならそれをメチュカからスメラまでチャーターすることはできるよ。ただし、料金は3人分払うことになるけど」。料金は12,000,000リラを3人分払えばそれで良いという。タクシーよりはずっと安いので、この話に乗ることにした。彼とともにミニバスまで歩き、そこからバスに乗る。と、彼はとつぜんミニバスの客引き兼車掌に転じ、大声を上げたり金を集めたりしはじめた。バスが出発すると彼は我々のそばに座り、名札を見せて「僕の名はVolkan。日本語では『カザン』と言うでしょう?」とニッコリ微笑んだ。

 

 トラブゾンからメチュカまで平坦な道を30km。そこからスメラへはさらに16kmの山道を渓谷に沿って進む。崖が迫る。良い景色だが、ガスがかかっているのが惜しい。スメラ修道院へ上がる山道の麓でバスを降りる。この先はちょっとしたハイキングである。なかなか険しい登山道だが30分ほど登り続けると、ガスの中からボワーと修道院が見えてきた。

「あやしい雰囲気・・・幽霊でも出てきそうだね」。

霧が濃く、寒い。お客は他にない。チケット売り場にも人がなく、変だなと思っていたら、すこし離れた詰め所からオジサンが出てきた。「115分だ」とぶっきらぼうに言われる。寒いのと深い霧のおかげか、修道院はずいぶんと幻想的に見えるが、全容は明らかにならず、「修道院は雲の中だなあ」と嘆くばかり。

周囲は自然公園になっているので、天気が良ければ山も絶景なのだろう思うのだが、何も見えない。11301330の観光ツアーであった。トラブゾンに戻ったのは14時半であった。

 

【夜、カッパドキアへ向かうがそこで・・・】

 FINDIKKALEオフィスでセルビス(オトガルまでの送迎車)を待っていると、そこに、あのバーテン君がひょっこりと現れた。さすがにお互い、この偶然の出会いには声が出ず、しばし見つめあったあと、バーテン君が、「あれ・・・? どこへ行くんですか?」と聞く。

そこで僕が「カイセリへ」と答えると、

「僕もですよ! 何時のバス?」「ええと、18時」「あら、おなじだ!」彼は目を真ん丸にした。

僕は先日の突然の再会を思い出して、「ところで、こないだバーテン君がロカンタで一緒に夕食を食べていた青年の1人はAという名前ではなかったですか?」と聞いてみると、「いやー、名前までは・・・でも、中国からパキスタンに来たって言ってたような気がしますね、そういえば・・・」。

ちなみにその2人は、その翌朝早々にグルジアに向かったのだそうだ。

 

 セルビスは20分ほど遅れてやって来て、オトガルには17時半に到着した。バスはこの上なく立派で、日本の長距離バスよりも設備が充実しているが、お客は少ない。(ちなみにバスの側面にはANADOLUのペイントがある)。お客は少ないが、定刻より早い1735には動き出した。

黒海沿岸を西に走り、2330サムスンに着く。ここまでの間はほぼ各駅停車並に、町々の停留所に停まっては少しずつお客を拾っていく。

食事休憩は長かったが、とくに腹も減っていないので我々は食べず。バーテン君も食べない。少し雨が降っていた。食堂の前で雨宿りをしながら、おしゃべりをする。彼は日本でバーテンをしていたぐらいだから酒好きなのだろうと話を振ると、彼はうれしそうに、

「そうなんすよ! でも、イランで酒なしでなんとかなるもんですよね。それでも、ドゥバヤジットで酒屋見つけて『さ、さけだぁ』って思いましたよね」

「僕なんか記念撮影しましたよ、ビールの看板の下で」と僕が言うと、彼は笑った。

 

彼の話が続く。

「それで、ドゥバヤジットに着いた晩に別の日本人と、ビール2杯とラク2杯飲んで、すっかり酔っぱらっちゃって。『あ、あ、おれ、酔っぱらってる』ってね、実感しました。おかしいですよね」。

彼の話しぶりもまたおかしい。僕は自分への皮肉も込めて、「毎日飲まなくてもいいんですけどね」と合いの手を入れると、彼は待ってましたとばかり、

「ですよねー。飲まなくても良いのに、誘惑に勝てないですよねー。でも、勝つ必要もないんですけどね。それでも、イランでは甘党になりましたよ」

「シュークリームとか?」ユウコが乗せる。「そう! シュークリームめちゃくちゃうまいですよね。マクーで『これで最後だ』ってんで、ばくばく食べました」。3人で大笑い。

 

 食事休憩のあと、しばらく走った街道沿いでバスが停まった。午前1時半である。うつらうつらしたあと、目が覚めるとまだ同じところに停まっている。運転手が仮眠でもとっているのか・・・と思うが、前方の席ではオジサンどもがおしゃべりに興じており、それが気になって眠れなくなった。後ろの座席の人々は、バーテン君も含め寝息を立てている。

 

 午前4時。まだ暗い。目の前からバスが近づいてきた。そのバスが我々のバスの横に停まる。同じ会社のバスだ。前でおしゃべりをしていたオジサンどもが席を立つ。

「ははーん、乗り継ぎの待ち合わせなのか、さてはあのバスが予定より遅れたのかな。それとも、バスの運転手同士で申し送りでもやっているのだろうか」と眺めていると、運転手が「Change!」と大声で残りの客を起こした。

「なんじゃあ?」乗り換えろと言うのである。すでに目を覚ましていた僕とユウコはすぐに席を立つ準備を始める。バーテン君、我々がゴソゴソしているのに気づいたのか目を覚まし、パチクリをして「なんですか、いったい?」と聞く。

「分かりませんが、乗り換えをするようです」。

バスが故障でもしたのだろうか。真相は不明である。同じ形のバスなので乗客はみな、先のバスとそれぞれ同じ席に座り、バスは動き出した。