1120日(金)カイセリ着 晴れ

 

【カッパドキアにやってきた】

 午前6時半に日の出を見る。バスの左手の平原から、ポンと飛び出した感じ。カイセリには9時に到着した。カッパドキア観光の拠点ギョレメへはここで乗り換えるわけだが、9時ちょうど発のバスが出てしまい、11時まで待たねばならなくなった。バーテン君とともに3人で朝食をとる。

 

 どうでもいいことだが、Y君は格好いい風貌のわりには爪楊枝でシーシーとオヤジ臭いところがあった。それに比べ、バーテン君は見たところ旅行巧者で頼もしく見えるが、「犬が苦手なんですよ。ドゥバヤジットでイサク・パシャ・サライまで歩いて行ったんですが、あの辺ノラ犬が多いんですよね。会いませんでした? ぼく、追っかけられちゃって、おしっこちびりそうでした。涙流して走りましたよ、あの坂道を」と可愛いらしい一面もある。

 

彼はバンコクから旅を始め、タイ、ラオスを北上、中国を通ってチベット・ネパールへ抜けたと言う。面白いルートを取るものだ。「雲南も?」「ええ。景洪、昆明、成都、蘭州、西寧、ゴルムド・・・」。少し遠い目をしてしみじみと地名を挙げる。

お茶を飲みながら、彼は思い出したように、「インドって、こうやってのんびりできないんですよね。『お茶ぐらいゆっくり飲ませろ』って思うんですが、みんなジロジロというか、ギラギラした目で見るんです。インドって、よく分かんないですよね。あそこだけ良く分かんなかったですね。ただ、呑み込まれないように、一生懸命歩いたって感じですね。でも、思い返すと、スゴイっすね。リキシャのジイサンもね、目を血走らせて『リ、リキシャァ』てな感じで睨むんですよ。『乗らないか?』『乗ってくれよ!』じゃないんですね、あれは。『お前はここに乗る運命だ』みたいな、そんな光線が出てるんですよね。生活厳しいからなんでしょうね。だから一生懸命なんですよね・・・」

 

 ギョレメに到着した。ピリッと冷たい空気の中、空の青さが引き締まって見える。オフシーズンではあるが、ツーリストもちらほら目にするし、ツーリストオフィスのオジサンも「ツアーに行かんか?」と声をかけてくる。バーテン君と別れ、宿探しに行こうとしたところで、さっそくペンションの客引きが声をかけてきた。Motel Phenixという、「アジア横断」には無いマイナー宿だが、「次の版にはきっと載るよ。最近日本人を良く泊めるんだ」と気さくな客引きである。

探す手間が省けたとはいえ、こういう客引きにホイホイと乗る我々も軽いもんだなーと思う。

「そうは言いながらも、怪しい人って雰囲気を持っているよね。そういう意味では、わたしたちもけっこう見る目を持っていると思うんだけど、どう?」と、ユウコが言う。

見る目は、今回に関しては、あった。

まず、その宿はバスターミナルに近い。通りから少し入ったところに位置しているので静かだ。部屋は、今の我々には勿体ないぐらいきれいで清潔だ。ドミトリ(4人部屋)もあるらしいが、「オフシーズンなので」2人部屋を110ドルで良いという。2人で計20ドルは覚悟していたので、すっかり良い気分になった。「お腹空いているかい?」という彼の誘いで、スパゲティを作ってもらった。フロントのロビーはトルコ式で絨毯の上に置かれた長い座布団に腰を下ろす。

 

客引きと思っていた小柄な彼が、この宿のオーナーらしい。名前はヴェッケルさんという。食事をしていると眼鏡をかけた若い青年がニコニコと顔を出した。彼はヴェッケルさんの甥で、アリ君という。彼ら2人から(とはいっても英語の説明はヴェッケルさんで、アリ君は身振り手振りのアクションフォローをして我々を笑わせるだけだが)日帰りツアー等の案内をひととおり受ける。ロビーの壁には写真がいっぱい貼られており、日本人客も多いことが分かる。イギリスでホテルの経営を学んだというヴェッケルさんは、もちろん英語がペラペラだが、「いま日本語を勉強しているところです」と言い、

「イラッシャイ」「アリガトウ」「ワタシノ名前ハう゛ぇっけるデス」といった、ごく簡単な言葉はすでにひととおり知っていた。

 

 昼食を取りながらテレビを見ていると、PKKの人々もデモをやっているように見えた。イスタンブール大学で爆弾事件が起きたり、クルド人の女学生が抗議行動をして捕まったり、「我々は無実だ」ということなのだろうか。そのいっぽうで、クルド地方のハッカリでは小競り合いをしているのも事実だ。それにしてもヴォルカン君は「他国との関係が悪くて」と嘆きつつも、「その責任は決して自分たち(トルコ)にはない」という強気の姿勢が貫かれていたように思う。しかし、それが実際の多くの国民の考え方なのであろう。自国を悪く言う民族は、そうそういないのが普通では無かろうか。とくに隣国との関係においてはなおさらだ。そして、それが教育の賜物なのだ、と思う。「日本も、もっと自分の国を愛することが出来るような教育をしなければならないよ。それと国防だよね。国境で国を接するというだけで、緊張感や危機意識が違うもんだよねえ」。独り言である。

 

 今夜のベリーダンスショーは食事込みで125ドル(送迎に5ドル追加)。明日のウフララ渓谷ツアーは120ドル。宿代が意外にも安かったので、いい気になっている我々には全てが許されてしまう。それでも、今日のギョレメ博物館は少し高かった。ここでは日本人ツアー客にも出会った。

 

 夜、ヴェッケルさん、アリ君、そして同宿の中国人2人と連れだち、総勢6人でダンスを見に行く。ベリーダンスがメインというより「トルコ民族音楽とベリーダンスの夕べ」といった、きわめて健全なショーであったが、こういうのはさすがに1人では見に来られないよな、とつくづく思う。値段もけっこうするし。それでも見ていろいろと考えることもある。たとえば、トルコの音楽は、ブルガリアンによく似ている。とくにクラリネットの節回しとか、2-35拍子、2-2-2-39拍子、2-3-3-210拍子といった変拍子の曲感が似ている。テンポは変化に富み、踊りは時には激しく、時にはノンビリとしている。ベリーダンス以外にも楽しむ要素の濃い、面白い夜であった。

 

 寝袋のカバーの縫い目が少し破けている。とりあえずの処置としてガムテープをどこかで購入しないといけないが、これももう日本に送ってしまおうか、とも思う。捨てるのはあまりにも忍びないが、ほとんど使うこともないし、持っていても邪魔だし・・・。