123日(土)ヴィリニュス 曇り

 

【カウナス12日の旅】

 今日からカウナス一泊旅行に出かける。昨日の少女団は朝も早起きで、我々の部屋の奥にある食堂で朝食を取るべく、元気な足音と声につられ、我々も7時に起床した。

日曜の夜にはここに戻ってくることにしてザックを預け、我々はサブバッグを1つずつ背追ってバスターミナルへ行く。

カウナスまでのバスは頻発しており、950分発のバスに乗り、1150分に到着した。

 

【カウナスを散策】

 人口40万人強のカウナスはリトアニア第2の都市で、旧市街には15世紀のゴシック様式の街並みを残す古い町である。世界大戦の間、ヴィリニュスはポーランドに占領されてしまったため、22年間はこのカウナスが首都となった。そのため、今でもヴィリニュスに対抗する意識が強いのだという。事実、この町の人口は90%近くがリトアニア人というから、リトアニアとしての誇り、文化意識が高いと言われると、「なるほど」と納得できる。ちなみに首都ヴィリニュスの人口のうち、リトアニア人は52.8%である。

 

 着いたバスターミナルから旧市街まで、てくてく歩いて1時間、民宿の斡旋所Litinterpに行く。オフィスはアパートの2階にあるが、向かいのファミリーを紹介された。優しそうなオバチャンが出迎えてくれる。部屋も良い。サービスはいわゆるB&Bで、朝食が付いている。LitinterpKaunas in your pocketを入手し、これを頼りに散歩に出かける。

昼食はCafé Vasareへ。素敵なお店は値段が安く、そしてうまい!(ユウコ日記参照) ビールは、なんといってもKalsapilsがもっともうまいと思う。

 

 民族楽器博物館へ行く。建物は小さいが、新旧の民族楽器が展示されている。アコーディオン、バイオリン、そしてクラリネットのような古楽器。角笛をリードで吹くのが興味深い。館内で流れている民族音楽も良い。

この館の一角に、中曽根首相(当時)のサイン入り書状と共に、尺八、三絋が展示されていた。書状から1988年に贈られたものだということが分かる。歴訪記念ということで、つまり中曽根氏はここに来たらしいのだが、書状には肩書きが全くなく、「内閣総理大臣」はもちろん、「日本国」の記述すらない。「中曽根康弘」一個人が贈呈したように見えてしまう。

「アンタ、ダレ?」ってかんじだ!

 

 その後コーヒーでも飲もうかと再び街を歩き、モカが美味しく、また店の名の通りホットチョコレートをはじめとするチョコレートドリンクが自慢という触れ込みのSokoladineを目指すが、あいにく修復中であった。それで、早々と部屋に戻る。

 

 部屋に戻ると、オジサンと犬が出迎えてくれた。

 

 リトアニアは、バス・宿・食事等々、ポーランドとコスト的には大差ない(あるいは少し安いかもしれない)のだが、それでも全てが許されてしまう。なぜか? それは、この国の明るさによるものであろう。民族性の違いももちろんあるだろうが、街が明るい。開放感がある。ポーランドのように、難しい顔をした人、くたびれた人は少ない。物乞いは相変わらず存在するが、街全体には、ポーランドのような、暗く陰鬱な雰囲気は全く感じられない。

 

 夕方5時半過ぎに食事に出る。ふたたびKaunas in your pocketを開き、「歩き方」でもお薦めのAntisに行くが、修理中であった。で、ワインバーのVynineへ行く。なかなか良い感じのバーで、食事もできる。リトアニアの赤ワインは全般的に甘い印象がある。そしてこの店には白ワインがなかった。他国のはいろいろと、ブルガリア、ハンガリー、フランス、スペイン、イタリア、チリ、カリフォルニアなどが並んでいた。

 

7時に帰宅。

 

部屋にテレビがあるのが嬉しい。久しぶりにテレビを見る。クイズ番組が放送されていた。一般視聴者参加の単語当てクイズである。「□□□□□□□、さてなんでしょう」。3人の回答者が当てずっぽうにアルファベットを言っていき、そのとちゅうとちゅうで「この単語は○○○○○○○です」とやる。のだが、回答者もスタジオの視聴者もみなガラが悪く、スキンヘッドのいかついオニイチャンばかりである。コワイ!

 

この宿には2,3泊したい気分だが、残念ながら戻らねばならない。

 

***

 

124日(日) カウナス 曇り

 

【久しぶりに実感するヨーロッパの日曜日】

 昨日、朝食を8時にお願いしておいたのだが、街はまだ眠っている。TVも眠っている。9時でも良かったかもしれない。オバチャン、早起きさせてすみません。

こじんまりとした、しかし素敵なキッチンの小テーブルにパンケーキが置かれていた。お湯とインスタントコーヒー、果物はネーブル。いったん部屋に戻ってTVアニメを楽しみ、10時にチェックアウトした。荷物がないので身軽だ。カウナス城、ゲオルグ教会、ベルナルディン修道院と見て回り、ネムナス川の河辺を散歩する。大聖堂では日曜説法が行われており、シナゴーグは午前中は閉館であった。

 

 カウナスでの変わりものスポットは「悪魔の博物館」である。名前はアヤシイが、これは画家ジムイジナヴィチウスが世界中から集めた「悪魔」を展示しているのだそうだ。コレクションはユーモラスなものが多く、楽しく見物できる。日本の般若や鬼の面もあった。どこかの国の、ナマハゲに似た仮面があったが、ナマハゲそのものはない。ちょっと残念である。ふと「鬼と悪魔は同じなのか?」と考えたりもするが、あまり気にしない。魔女もいる。像となるとポーズが可笑しく、エンガチョのポーズや、ピロピロ〜と人を小馬鹿にしたポーズを取っているのもある。コレクターの本業は画家なので、彼本人のアトリエ(住まい)が隣接しており、そこには絵の展示もあるが、これは今ひとつであった。

 

 昼食は名前にひかれPizza Jazzに行くが、まったくJazzyでなかった。

 

 ヴィリニュスにはゲディミナス大公(王位1316-1341)がいるが、カウナスにはヴィタウタス大公(1392-1430)がいる。リトアニアをバルト海から黒海に至る大国にし、最大版図を築いた大公の像はカッコイイ。彼の足下には、彼が支配下に置いたロシア人、ポーランド人、タタール人、ドイツ騎士団の軍団が踏んづけられていた。

 

 お昼を過ぎて再びシナゴーグに行くと、今度は門が開いていた。外見、水色に塗られ、しかも古びてぼろっちいが、内装は立派である。黒塗りの祭壇に金の装飾が映え、美しい。それにしても、どうして外装はあんなに地味、というかみすぼらしいのか。修復の金がないのか、派手にすると風当たりが強くなるのか・・・そんなことを考える。シナゴーグには人が集まり、談笑している。その中の1人のおじさんが英語で話しかけてきた。「スギハラを知っているか? 日本人はユダヤ人を救ってくれました」と嬉しそうに語った。

 

 バスターミナルへ向かい、1510分発のヴィリニュス行きのチケットを買う。さほど大きくない、地味なバスターミナルだが、ひときわ派手なバスが1台入ってきた。これが我々の乗るべき、ヴィリニュス行きEXPRESSだという。このバスはカウナス−ヴィリニュス間をノンストップで結ぶのだが、トルコで見たことのあるその車体は「いちどは乗ってみないね」と話していた、ULUSOYのバスと同型の、宇宙船のようなバスである。高床の座席、トイレも装備。ゴージャスな内装。たかだか2時間のバスに、なぜこれが? と思うが、日本で言うなら東京−大阪のような幹線なのだ。

 

ヴィリニュスには16時半に着いた。

 

 YHに戻る前に、いつも使っているスーパーEKOで買い出しをする。EKOYHに向かうバス34番を、フィラレタイからさらに4つ行ったところにある。このスーパー、あらためて回ってみると、サラダやお総菜もばっちり用意されており、魚のマリネ、フライ、薫製、干物、鳥焼き、ソーセージ、なんでもある。買い物には困らない。もっとも、お総菜がこれだけそろっているということは、「作らない」家庭が多いということでもあるのか・・・。

 

 YHは再び客なしとなり、我々が独占している。

 

 明日は、

   ラトヴィア大使館でVISA申請(即日が望まれる)

   カメラのフィルムを出す。

   ゲディミナス大通りを散歩

   たまった洗濯をする

 カウナスの宿の夫婦は素晴らしかった。また会いに行こう。

 

バスターミナルで調べた、リガ行きの時刻

 2045030040Lt

 2330063026Lt

 07001250

 11401810

2045分発のバスが割高なのは、きっと寝台バスなのだろうと思う。。。

「寝台バス?」

中国以来の言葉の響きに、ちょっとした懐かしさと、郷愁に似た感情を誘う。