129日(金)リガ 雪 道中は曇り後快晴 タリンでは雪

 

【エストニアの首都タリンへ】

 5時起床。

昨日、日中に一時止んだものの、雪は一日降り続いたのだが、そういえば雪の積もった道を歩くのは久しぶりのような気がする。

まだ暗い道をバスターミナルまで歩く。街灯の明かりの下ではなにやら降っているが、視程は良い。雪というより氷晶が降っているようにも見える。ダイヤモンドダストか?

 

 バスは720分に出発。立派なバスだが暖房が今イチ。ユウコは辛そうだ。

思い返せば、彼女はここしばらく鼻風邪が続いている。月曜日は寒空の中を大使館の前に並び、火曜日はトラカイで風に吹かれ、水曜日には再び大使館の前に並んだ上に、寒いバスでの移動、木曜日は風雪の中リガの街を歩き回ったのだから、元気を取り戻すほうがおかしい。今日も早起きをしたし、そろそろ休養しなければならない。

 

 バスは森の中のハイウェイを流れるように走る。景色は良い。森の中の集落はまるでおもちゃの家が並んでいるようだ。

920分、トイレ休憩。というより、買い物休憩のようにも見える。

930分に出発し、すぐにパスポートチェック。ここが国境のAinazi-Iklaである。乗客のパスポートが集められる。しかしチェックは10分で終了。

1040分、パルノの街を通過。海のすぐそばを北上しているはずなのだが、森に阻まれ、水は見えない。それでも、沿岸が近づくと周囲には松が並び、まさに白砂青松、松原を走る。これは防砂林の役目も果たしているのであろう。そして沿岸部には雪が少なく、よく晴れている。空の青、松の緑、雪の白がよく合う。

道はまっすぐなのだが、沿道の森が、樺やエゾマツ、トドマツ(モミ?)と変わり(とちゅう広い畑もあるが)、あっというまに雪原の世界になった。

木々は着雪で白くなり、とくに樺は、ルーマニア以来の「芸術品」となる。やがて雲が多くなり、雪が降り出す。タリンに近づくにつれ雪は激しくなるが、バスは猛然とハイウェイを飛ばす。

タリンには定刻通り135分に着いた。

 

バスターミナルに着く前に市街地を通り抜ける。地図を片手に車窓を見ると、ヴィルホテルが見えてきたところでバスが停まり、乗客が何人か降りたので、我々もつられて降りる。

宿の目当てはない。旧市街のラエコヤ広場にあるという案内所で民宿の紹介を期待していた。ところが広場まで歩いて案内所へ行くと、オネエチャンの愛想は悪く、そしてリストアップされた宿はみな高い。そこで、来た道を戻って民宿センターRasastraに行く。ここのオネーサンは愛想が良い。ただ、この民宿も高めで、

「街の中心地なら2人で406EEK(=33ドル)」と言う。

これより安いのもあるが、街から遠い安ホテルかユースホステルか、あるいは民宿となる。長居もしないし、遠いと出かけるのがおっくうになりそうで、旧市街に近いところの民宿を斡旋してもらった。

 

宿に入る前にカフェで軽食。ちょっと食べても10ドルになってしまう。少々物価が高い。

 

紹介されたアパートへ行くと、小柄で太めの、優しそうなおばちゃんが出てきた。

ユウコは部屋で休息をとることにして、僕は両替のため街へ行く。ラエコヤ広場の愛想の悪いオネエチャンに再び会いに行き、サンクトペテルブルグ行きの列車の時刻、および値段をチェックする。そして米ドルを入手できる銀行(隣のFOREKS PANKでオーケーらしい)を教えてもらう。銀行ではラトヴィアのLsはコインを受け付けてもらえず、都合3.31Ls(≒6ドル)余らせてしまった。

「エストニアでも両替はできる」とタカをくくっていたが、やはり自国の通貨は自国で両替をしたほうが良い。

「早めにやっておけば?」とユウコが言ったとおり、リガのバスターミナルの両替所でやっておけばよかった!

 

 ユウコに元気を出してもらおうと、食料品店を求めて歩き回ると、マクドナルドの近所にSPARを発見。このスーパーには総菜もあってうれしい。

SPARのワインコーナーは充実していたが、外国産のものが多い。自国(エストニア)産もハーフで300円ぐらいするので、トカイをはじめとするハンガリーワインや、ルーマニアワイン(これらは400500円相当)も、高くなく見える。しかも、買い物客はけっこう高め(700円ぐらいでも)のワインをほいほいと買っていく。さらに、イラン型ナン(つまり薄焼き)が売られていた!

袋を抱えて部屋に戻った。

 

 街の電光掲示板で「−17℃」と出た。昼間は風も強く、バスから降りた直後はさすがにたいへんだったが、夕方は雪も風もやみ、慣れてくるとけっこう「フーン」だ。

「これぐらいでないと、来た意味ないよなー」などと思う。しかし、風邪をひいてはたいへんだ。ユウコよ、早く良くなれー(と祈る)。

 

 カザフ以来の炭酸水BONAQUAは、バルト三国に来てからちらほら目にするが、ついに今日、そのボナクアを買ってしまった。タリンでは、飲料水はこれとEvianしか売っていないような気がする。あと、気軽に飲むものといえばSAKUビールしかない。

どうも、エストニアはフィンランドに引っ張られているせいか、リトアニア、ラトヴィアに比べて物価の上昇が目立つ。ホテルは総じて「歩き方」(95年夏情報)の2倍だし、両替レートも2割ほど上がっている。固定為替で頑張るリトアニア、ラトヴィアとの違いが際だつ。

「まぁ、ロシアも物価が高いんだろうけどねー」。そう考えると、リトアニアはとくによく頑張っていると言えよう。

 

***

 

130日(土)タリン 晴れ

 

【久しぶりに青空の中、タリンの街を散策する】

 今日はゆっくり9時起床。ユウコは復調したかしら。10時過ぎに部屋を出る。

今日はタリン散策である。雪がちらついていて、風もやや強いが、晴れ間も見えており、期待する。

 

 街中に人は少ない。ニコラス教会の横を過ぎ、ラエコヤ広場の辺りを一回りして、トーンペア(山の手)に上がる。良い天気だ。アレクサンダー・ネフスキー寺院が青空に映え、輝いている!

 その近所にある大聖堂は、歴史があると言えば聞こえはよいが、実のところ古っちい。12時からオルガンの演奏があるというので楽しみにしてきたのだが、出来は今ひとつ。しかし、バッハはヘビメタだ(ユウコの日記参照)。たしか、分散和音を持ち込んだのが斬新(前衛)だったとかいう話だったっけ。

 

トーンペアの展望台からは海、そして下町の眺めがよい。のっぽのヘルマン、思ったほどのっぽでない。

ふたたびラエコヤ広場へ下ってきて、案内所の横にあるカフェで昼食。僕はパンケーキ、ユウコはスープ。

 

午後は下町を散歩する。ピック通りを上り、ライ通りを下る。太っちょマルガリータ、背の高ーいオレフ教会などを見る。

3時のコーヒーは、タリンでもっとも歴史のあるというカフェで飲む。雰囲気は良く、そして行列ができるほどの賑わいだ。

 

まだ明るいので、デパートを冷やかし、僕は手袋を入手した。はじめ、厚手のものが欲しくて、露店の土産物街などを見て回ったが、これというものが無かったので、良いものを見つけた。しかも安く、機能的である。

 

そしてふたたびニコラス教会へ行く。目的は17時からのオルガン演奏だが、教会内部はギャラリーにもなっており、そしてなにより暖房が入っている教会は他に例がない。ここは美術館なのだ! 死者のダンス、聖壇のフレスコなど、素晴らしい。

座席はパイプオルガンを背にする(つまり逆向き)なのでなんだかおかしいが、ここのオルガンの音質と、演奏者の腕前は、大聖堂より良かった。

演奏は30分ほどで終了。教会を出ようとすると、聖歌隊らしい人がぞろぞろと現れた。

「第2部でもあるのかな?」と思いきや、そうではなくて、これから結婚式が始まるらしい。

「ああ、それで礼拝堂が白い花で飾られていたのか」と、納得しつつ、歌が聴けるのかなと期待して立ち止まっていたら、「部外者は出ていってください」と追い出された。

 

 さて、明日はいよいよロシア行きである。

タリン発サンクトペテルブルグ行きR120列車は1947分にタリンを出て、朝630分にサンクトに到着することは、すでに知っている。クペ(2段寝台)は1251EEK。そこでふと気になったのだが、明日は31日だ。ロシアのビザは2/1から有効である。国境で日が変わっていないと、入れないのだろうか? いやあ、そんな融通の利かないことは・・・

「あるかもね」。ユウコが言う。

「行ってみなければ分からないさ」と返してみるが、そこで追い返されたら路頭に迷う。それは困る。だんだん心配になってきたので、帰りがてら案内所のオネエチャンに尋ねてみると、国境の街Narvaに着くのは夜中の05分だという。「だからNext Dayよ!」と元気に答えてくれた。そんなわけで、鉄道駅2階の国際チケットコーナーでチケットを購入した。いよいよロシアだ。

 

 夜は風もなく、かえって暖かく感じられる。人出も、昼以降に増えて、夜も賑わっている。そこかしこに24時間カフェがある。博物館も11時開館だし、バルトの人々は夜型なのか? と思う。

 

そのバルトも、明日で終わりだ。けっきょく都合11日間の滞在であった。しかし、タリンはライターSさんやブラショフのNさんも絶賛していたが、だから期待が大きかったせいか、それほどの感動はなかった。「冬のせいか?」とも思うが、今日は青空が広がり、歩いていても気分は良く、良い1日だったが、どうもしかし、それほどでもない。かえってリガのほうが(1日しか歩かなかったこともあるが)、もっとよく見たいなぁという気がする。

といって、タリンであっても「もっとほっつき歩いてみたいなー」と思っているから、まだまだ見足りないのは事実だ。リガは、ほっつき歩くというより、博物館などに興味がある感じ。タリンは、街の隅々、横丁まで歩いてみたい感じ。ヴィリニュスは、また違う興味があるが・・・。

いずれにせよ、また次回。今度は夏に、祭りを見に来なければ。夏なら夜中まで明るいから、ナイトライフもオッケーよ!

 

 冬だというのに、観光客は多い。街のWalking Tourに参加していたり、城壁の露店土産屋(毛織物)で買い物したり。オジサンオバサンが多い。SPARでも、昨日今日とバックパッカーっぽい人もチラホラ見る。

 

***

 

131日(日)タリン 薄曇り後雪

 

【バルト3国を抜け、ロシアへ向け出発】

 

R120 今日の旅程(1/312/1

タリン        19:47

ナルヴァ       00:05着(45分停車)

           00:50

---1時間増える)---

イワンゴロド     01:56着(60分停車)

           02:56

サンクトペテルブルグ 06:30(ワルシャフスキー駅)

 

この「ワルシャフスキー駅」という名称が曲者である。ポーランドでの苦い経験が思い出される。あんな目(集団スリ)には二度と会いたくないが、どうなることかわからない。

 

荷物をまとめ、11時に部屋を出る。オバチャンは「学校」に行くとかで、昨日言われたとおり、留守番をする少年に鍵を返す。出発までは街を散歩できるので、荷物を預けようと雪の中を鉄道駅まで歩くが、Baggage Officeは閉まっている。そこで駅の案内所に尋ねるが「No」とつれない。しかたないので、ザックを背負ったまま旧市街まで戻る。

 

ふと、ラタスカエヴホテルの前を通りかかった。

「グッドホテルだよね」「次回来るときは、こういうホテルに泊まって豪遊したいね」

と、2人で笑うが、ダメでもともと、レセプションで、「我々は宿泊者ではないが、夜まで荷物を預かってくれないか」と頼んでみる。

すると、

「ホテルは今日から改修工事に入るのですが、預かってあげましょう」と、ニッコリ笑顔と共に嬉しい返事が返ってきた。よかった!

 

ラエコヤ広場の案内所には無料コピーサービスがあるので、ここでロシアビザのコピーを作る。地図ではインターネットカフェがあることになっているが、インターネットサービスはない。そこで知らないふりして聞いてみると、

National Libraryに行きなさい。だけど、日曜日は休みよ」と素っ気ない。カフェはないのか? と思って地図の建物に行ってみると、ビル全体が修復中であった。

 

セントラルホテルの向かいにあるカフェ・コメットは、お客は少ないがオバチャンはニコニコと明るい。

その後、イタリアン・カフェなる店を発見し、「ピザを食べよう」と入ってみるが、スパゲティしかない。しかし、ここのスパゲティはうまかった!

 

お客(店員?常連?)の1人にバングラデシュから来たという男がいて、話しかけられた。

「この3日間、タリンはこの冬でいちばん寒かったよ!」と言う。

「でも、寒気も今日でおしまいだ」とも。我々はタリンに寒気と共にやって来て、寒気と共に去る。

 

彼は1990年から1991年にかけて、アメリカの会社に勤めていた関係で、日本にも居たのだそうだ。

 

ところで、エストニアに限らず、ここらの国ではGipsy Kingの人気が高いような気がする。この店でもかかっている。というか、このところ、どの国でも同じCD(しかも古い曲)がかかっている。「ベスト版が出たのかな」とユウコが言った。

「ジョビ、ジョバ、顔がにやけたケロンパ、ジョビジョービ、ジョビジョーバ、かーおがにやけたケロンパーアー」。

カフェで笑うのは我々日本人だけだ。

 

歴史博物館に行くと、「今日はコンサートがある」と言う。エキシビジョンの部屋に椅子が並んでいる。なにかと思って誘われるまま座ってみたが、これはバイオリンスクールの演奏会だった!

少年少女の発表会なのである。しかも(あとから気がついたが)本番は16時からで、15時半に入った我々はリハーサルまでつき合ったことになる。真剣な、緊張した面もちでバイオリンを弾く子どもたちの顔が印象深い。博物館自体は大したことはないが、発表会が終わったのが1715分だったので、けっこう時間をつぶせた。

 

向かいのカフェでケーキを食べ、ラタスカエヴホテルで荷物を受け取って、駅へと歩く。まだ18時半だ。待合いらしい待合いがないので少々物騒だが、人も多いのでそれほどの恐怖感はない。でも、やっぱりアヤシイ輩は多い。警察も巡回している。

19時にホームに行くと、列車は既に入線していた。乗降口で女車掌にチケットを見せ、乗り込む。

 

ウルムチで乗ったアルマトイ行きの列車と同じ車体、同じ4人コンパートメントの2段寝台。あのときはカザフスタンに入ったわけで、ロシアではないのだが、なんとなく「帰ってきた」という心境になる。

発車直前、女車掌がコンパートメントに現れ、ビザとパスポートのチェックをし、「シーツ代110ルーブル」を徴収していった。タリンで一軒だけロシアルーブルへの両替可能な銀行を発見していたので、「レートは悪いが何かの役に立つだろう」と、もはや利用不能となっていたラトヴィアのLsをルーブルに換えておいたのが、さっそく役に立った。

 

(ロシア編につづく)