918日(金) 車中にて 晴れ

 

【車中の一夜】

 ふたたび目を覚ますと、また停車している。いや、まだ停車している。故障したのではないかと不安に思うが、いかした運ちゃんも、アタベク氏も、ユウコも、その他全員、眠りこけていた。僕は、かえって眠気が覚めてしまった。

人気もない、真っ暗な山中で、山賊でも出たらどうするのだろう。まず生きては帰れまい。いつか知人から聞いたことのある、メキシコの「怖い話」を思い出す。

「・・・ある晩、メキシコの平原でガス欠になった乗用車。男は愛する女を残し、ガソリン調達のために、道の先にあるであろう村に行く。そのとき男は女にこう言い残す。『いいかい、どんなことがあっても、ドアを開けてはいけないよ。それは盗賊なのだから』。女は後部席で横になり、毛布にくるまって寝ていると、ドアをたたく音がする。女は男の言葉を思い出し、ドアを開けまいと身を固くする。盗賊が来たのではないかと恐れ、女は毛布から顔を出すこともできない。ドアをたたく音は絶え間なく、次第に大きくなり、そして悲鳴とともに、止む。静寂が訪れる。女はおそるおそる顔を出す。すると、フロントガラスの向こう、ボンネットの上に、なにかが見えた。男の首であった・・・」。

 2時間ばかり停まっていただろうか、うつらうつらしているうちに車はエンジンをかけ、ふたたび走り出した。元気を取り戻したのか、さきほどよりも運転が快活、というか豪快になっている。僕はうたた寝をしながらも、左のドアに額をぶつけ、鼻がしらをぶつけ、後頭部をぶつけ、眼鏡に擦り傷ができた。うしろの積み荷も気になる。前に崩れるのではなく、横の少年達に崩れてくるのだ。積み荷は膨大な量のビニルシートだが、その上には我々2人のザックが置かれている。少年2人も崩れまいと気を使っているので、少し申し訳ない。ふと「荷物室のほうが快適だったかも」と思う。車のフックなどを頼りにロープでザックを固定する。揺れる車内で後ろ向きになっての作業なのでかなりおぼつかない締め方だが、あるていどの効果があったと思う。ザックが落っこちることは一度もなかった。

 あまりにもすきま風が寒いので、運転席に用意してある毛布を1枚借りた。

 ひたすらに山道の悪路がつづくが、我々のジープはすっ飛ばす。道は我々の左、つまり東方に山、右つまり西方に谷を見つつ、大きく3つほどの峠を越えたようだ。もっとも眠っていたのでよく分からない。真っ暗な中を走るので、一歩間違えれば道をはずして谷に落ちるのではないかと思うと恐ろしくもある。

 

【アタベク氏と、男の酒「カラ・バルタ」】

 夜が明け、朝8時、沿道の食堂で朝食。何軒か店が並んでいる。お客もちらほらある。南に下ったせいか、あるいは標高が下がったせいか、意外にも暖かい。ズボン下のタイツは不要に思われた。いかした運ちゃんが「朝飯は食べないのか」と言う。ショルパがうまそうに見えるが、「でもあれ、羊だよね」と、ユウコが疲れたように言う。僕も腹は減っていないし、食べれば出すことになるのだが、トイレらしいトイレもない。椅子に腰掛け茶だけ頼む。

と、そこへアタベク氏がやってきた。「おはよう」と、元気に微笑み、片手には娘のイリュファール、片手にはウォッカ。僕は彼の顔を見た瞬間、なにかしら覚悟ができていた。昨晩は車中だったのでなんとか断ることができたが、今や我々は食卓についており、もはや逃げ場がない。ついでにユウコにも逃げ場はない。3人で、欠けた茶碗にウォッカをなみなみといただく。「日本とキルギスの友好を深めよう。ドルージバ!」

アタベク氏が快活に挨拶して乾杯する。「寝不足の朝にウォッカとは、なんともキビシイ」。そう思って茶碗をチリンと当て、チビリとやると、アタベク氏「そうじゃない」と僕をたしなめ、「こうだ」と、いま自分の茶碗に注いだばかりのウォッカを一気に飲み干し、さらに手酌でそそいだ。「そうじゃない」と言われた以上、ドルジバのためには僕も負けじと一気に飲み干す。僕はユウコの分と併せて2杯いただいた。「キビシイ」と思ったわりには、飲めてしまう物絵である。

アタベク氏は乾杯を2杯も繰り返すと、もともと白い肌なので顔がほんのり赤らみ、ほろ酔いの表情を見るが、瓶に残ったウォッカを見て、「えい、これも飲んでしまえ」ともう1杯、これも一気に飲み干した。0.375リットルの「カラ・バルタ」はあっという間になくなった。隣の卓ではショルパを食べながら運ちゃんが笑って見ている。

 

【アタベク氏の家はバザールクルガンという町に:寄り道の連続】

 アタベク親子はジャラル・アバド近く、バザールクルガンという町の自宅前まで車を案内し、そこで降りた。そこで出迎えを受けるはずだったのだが、誰もおらず、イリュファールは泣き出してしまう。その後どうなったか知らないが、彼は我々にパンとブドウをふるまってくれた。本当は家に招きたかったようなのだが、運ちゃんがことわったのである。

 ここまでの道はかなりの寄り道であったらしく、運ちゃんはアタベク氏から、街道へ出るまでの道筋をなんども確認し、その後も道すがら幾人もの人に道を尋ねていた。誰に対しても、まず右手で固い握手、そして「サラームアレイコム」の挨拶。これが印象的であった。さらに運ちゃんは我々に「ウズゲンという町に寄るが、いいか」と聞く。「良いか」も何も、地理を知らないのでうんうんとうなずくばかりである。ウズゲンで女の子と少年、そしておじさんが降りた。オシュまで来たのはもう1人の少年と、我々2人であった。

 

【オシュに到着】

オシュの到着は午後1時半。町の一角で少年を降ろしたあと、運ちゃんは我々に「どこまで行くんだ?」と聞く。そこで、ホテル探しにつき合ってもらうことにした。

ロンプラによると、この町のホテルはどれもくたびれているか、セキュリティに問題がある。それよりも、町はずれにトゥルバザ・アクブーラなる緑あふれる温泉地があって、そこは安くて清潔とのことなので、今度こそ温泉と期待するが、運ちゃんは「そんなの知らんぞ」と首をかしげる。またまた町の人にあちこち聞いて、やっとトゥルバザの入り口までやって来た。そこには検問所のごときゲートがあり、僕はユウコと「これは変だね」とささやきあう。運ちゃんが車を止め、見えぬ宿まで足を運ぶ。10分ほどで戻ってきて「117ドルで泊まれると言うが、どうか」と尋ねる。ロンプラには2ドルと書いてあったので大きな違いだ。もういい加減寝不足で疲れているし、どうでもいいやと思うのだが、こんな田舎町で30ドル以上も出すのはあんまりなので、次を探す。

次に彼が教えてくれたのは木造3階建てのくたびれたアパートのようなところだったが、部屋も廊下も古びており、薄暗く、出てきたオヤジもひと癖ありそうで、うさんくさい。あばら屋もいいところだ。幽霊でも出てきそうだ。115スムとは安いが、トイレもなく、シャワーはどこかと聞けば、そばの庭から出ている水道口を指して「あれがシャワーだ」という。「泥棒宿」という言葉が脳裏に浮かび、やめる。

 運ちゃんにはすまないなあと思いつつ、しかし我々は大金を払っているのだからお客さんなのだと開き直って3軒目、ようやくホテルらしい建物に案内された。トイレ・シャワー付きで2人で1272スム(≒13ドル)。お湯は出ないが、部屋は綺麗だ。ジェジュールナヤもいるので、これは良い。「ここに泊まるよ」と運ちゃんに言うと、「高いけど良いのか?」という表情を見せたが、ようやく彼も安心したのか、ホッとした様子であった。あとで知ったことだが、このホテルの名は「アライ」といい、ロンプラでは「セキュリティに問題がある」とされたホテルである。

 運ちゃんに御礼を言い、固い握手で別れる。彼に「今日、ビシュケクに戻るの?」と聞くと、「わからん」と答えた。「客があれば、帰る」というところであろう。彼は、非常にドライで、体格もスマートながらがっちりしており、性格も体格に似合うくらいスマートで、「ナイスガイ」という言葉は、この人こそふさわしいという人物であった。ユウコもこれには強く賛同してくれた。名前を聞かなかったのが悔やまれる。

 

【オシュ3,000

 昨日は寝たんだか寝てないんだか。いずれにせよ丸1日近く狭い車で揺られ疲れているので、ホテルの向かいにあるカフェでタバカを食べ(うまかった!)、あとは部屋でくつろぐことにした。夕方、夜食の買い出しに出る。近所にスーパーのようなお店があって助かる。プリングルスは55スムである。ウォッカよりも高い。が、さすがに味がよい。酒のつまみとしては高すぎるのではないかとも思うが、高級おつまみといったところだ。

アタベク氏と酌み交わしたウォッカ「カラ・バルタ」が非常に美味しかったので、今日は2人で飲もうと買ってみたが、あらためて飲んでみても、口当たり、のどごしともに良く、いうなれば端麗辛口純米吟醸、標準的な味という気がする。このウォッカのラベルの上端に「オシュ3000」なる標語がある。オシュは起源より3000年が経過したというのか。「オシュはローマよりも古い」というのが土地の人の誇りなのだということがロンプラにも書いてある。オシュはフェルガナ盆地の東端にある。西にはすぐウズベキスタンが迫っており、国境が近いこともあってかウズベク人が多い。キルギス人との違いは、男性は帽子で明確に分かるし、女性は服の派手さが違う。ウズベク女性は相当に派手な服を好むようである。町の雰囲気も北部とは異なっており、どこか土着というか、ロシア色は薄い。それにしても、あらためて車で移動して感じるが、オシュはフェルガナ盆地にある。フェルガナ盆地の大半はウズベキスタン領である。そしてここも、民族的には「ウズベク人の町」である。ビシュケクをはじめ、他のキルギス諸地方との交通の便は悪い。それは山がちな地理によるものだが、それがどうしてキルギス領なのか、理解に苦しむ。ウズベクとキルギスとの境は、いつ、どのようにして決まったのだろうか。

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 これは僕の不勉強によるもので、この国境に民族的な意味はあまりなく、スターリンによる「政治的意図」が強く働いたものらしい。だとすれば、いずれ国境線の変更もあり得るのだろうか。

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 ホテルの向かいにあるレストランの隣はチャイハナになっていて、おっさんどもが昼間からお茶を飲んでだべっている。夜になるとますます活気づき、夜12時頃まで音楽をじゃかじゃかかけ、賑わっている。日が変わると静かになった。

 ところで、中国新疆では羊を美味しく食べられた。キルギスに来てからはヒジョーに厳しいことが多い。臭みが強く、食欲を減退させるのだ。これはなぜだろう。

     新疆では臭みを抜く「秘術」がある(香辛料とくに七味とペパー)?

     羊の種類が違う。だから臭みも違う?

     羊の食べている草が違う?

     羊の鮮度が違う。鮮度が落ちるとニオイがきつくなる?

     町全体のニオイが違う。ウイグルの町は全体からして羊臭いから、料理の臭さは気にならない? キルギスはロシア人の影響か、町の清潔さが違うので料理のニオイが引き立つ?

     調理法がちがう。たとえば新疆では、アク抜きみたいな要領でニオイを抜いている。ヨーグルトに浸けておくと臭みが消えて柔らかくなると言うし・・・

     疲労によるもので、料理とは関係ない。

     むしろ考えすぎ。「もう羊はイヤだ」という先入観による拒絶反応に過ぎない。

 ラグメン(中国では拌面)は、中国ではゆでたうどんに肉トマトピーマン炒めをぶっかけたような料理が出るが、これは日本で言うなら「肉トマトピーマン炒めぶっかけ釜揚げうどん」とでもなろうか。中央アジアに来てからはトマト風味が強くなり、スープが増える。これはロシア料理(シチューなど)の影響かもしれないが、日本で言うなら「トマトスープ煮込みうどん」である。肉は中国でも羊だったり牛だったりしたが、それはカザフ・キルギスでも代わりはない。ただ、麺としては、中国のそれにはかなわないという気がする。中国の麺は、文句なしで、はるかに上手い。

 

 すっかり疲れて19時に寝たせいか、夜中の2時に目が覚め、以来目が冴えてしまった。