925日(金) 車中にて 快晴

夜中1時、ビシュケクのバスターミナルに到着。

 アルマトイから西へ一路ジャンブールへと向かう道は一旦キルギス領に入りビシュケクを通り、その後再びカザフスタン領に入る。つまりキルギス-ウズベクの国境線と同じく、主要街道を走っているとカザフに入ったりキルギスに入ったりするわけだが、定期バスは国境でほとんど審査を受けることがなく、ちょっと停まって係官と運転手が二言三言言葉を交わすだけだ。

 我々にとってはビシュケクから戻ってきた道を再び走っていることになり、今更ながら効率の悪い道程だと思う。ビシュケクでは少し休憩を取るようなので、ここで降りて体を伸ばしたいが、降りれば警官が待ち受けているのは確実だ。いらぬトラブルを起こしたくないので、車内でじっと待つ。すると1人の警官がバスに入ってきた。一瞬緊張を誘ったが、我々を含めた何人かのパスポートチェックをするだけで、なにごともなく終わった。

 

 バスはすいすいと街道を走り、ジャンブールには朝6時に到着した。真っ暗である。これでは、どちらに歩けばいいやらサッパリ分からない。降りて荷物を受け取り、ユウコと2人で「市バスで移動するか・・・」「しかしこんなに暗くては何処で降りたらいいか分からないね」「じゃあタクシーで移動するか・・・」「何処のホテルがいいかなあ」まだ覚めない頭で考えていると、やがて警官の「出迎え」がやって来た。タクシーの客引きに素早く反応していたら逃れられたのに!と思っても、もう遅い。我々の他、ビジネスマン風の数人の男達も一緒に、バスターミナルの詰め所に連れて行かれる。このような「仲間」がいると少しは安心である。だが気は抜けない。まず我々のチェックをされる。ザックの中身はノーチェックだったが、ボディチェックをされる。ポケットの中身を全て出される。「靴を脱げ」と言われたのには驚いたが、無い袖は振れぬと言うか、火のないところに何とやらで、我々からは何も出てこない。チェックが終わるとタクシーとの交渉の上、とにかくホテルジャンブールまで連れて行ってもらうことにした。真っ暗な道をビューッと飛ばして5分ほどで着いた。

入り口もフロントもしっかりしており、清潔で、ちょっと良いホテルな感じである。フロントで応対に出た、静かな雰囲気のおばさまに料金を聞くと、12500テンゲだという。1ドル80テンゲと考えて約31ドルとは、ロンプラに書いてある値段(36ドル)より安い。他に選択肢も思いつかないし、更に安宿を探し回るよりまず寝たいので、ここで良しとする。ロビーのおじさんが荷物を運んでくれ、彼に案内された部屋はフロントと同様、清潔で良い部屋だ。TV・朝食・サウナ・トイレットペーパー・大きい石鹸など、付加価値を手に入れたことを考えると、31ドルは安いのかもしれない。ただし部屋のシャワーは湯が出ず、それをフロントに言うと「サウナを利用して下さい」。ひとまずお茶でも一杯と思って頼むと「ビュフェで飲んで下さい」。まあ、あまり気にしない。部屋がいいので2人はごきげんである。TVの天気予報によると、我々の居るカザフスタン南部ではまだ30℃を越えるという。朝晩は冷えるが、まだ昼間は暑い。西に来たので、7時半でもまだ薄暗い。

 

 1Fのレストランで朝食が取れると言われたが営業は9時からなので、それまでひと寝入りする。そして9時きっかりにレストランに行く。カフェテリア形式なので食べ放題なのだが、パン、マッシュポテト、ソーセージ、チーズ、サラダ、ジュースにコーヒー。どれもが素晴らしく美味しく、とくにマッシュポテトが美味い。2人してもりもりと食べる。思えば、このように素晴らしい朝食は実に久しぶりだ。

 食事の後は再び睡眠(10時〜12時)。僕は銀川以来髪を切っていなかったので、良いホテルに来たのをチャンスとばかり、ホテルの床屋に行く。ロシア語しか話さないオヤジは愛想良く、そしてあっという間に僕の頭を刈った。

 

 ジャンブールはもともとはタラスといい、6世紀頃にシルクロードの要衝として栄えた街だが、街そのものにはとくにこれといった名所はなく、むしろここを拠点として郊外の自然を楽しみに行くのがお薦めらしい。ジャンブールという名は、ここで産まれた詩人ジャンブール・ジャバエフにちなんだもので、ソ連時代の産物だが、今は元の「タラス」に戻しているのだそうだ。ただ、僕としてはこの町に何を見に来たわけでもなく、この先訪れる予定のシムケント同様、街の雰囲気が分かればそれでいいのであった。ジャンブール、シムケントと中継して、ウズベキスタンの首都タシケントに至る予定なのである。カザフ内での今後の明白な目的は、シムケントへ行く手前にあるアクスー・ジャバグリ自然公園に行くことと、シムケントから北に行ったトルキスタンにある「ヤサゥイ廟」を見ることだ。

 

 「ここまでバス移動ばかりだったから、たまには鉄道に乗ってみたいね」ということで、時刻を調べるためにジャンブールの鉄道駅へバスで向かうことになった。ところで、ユウコは朝食後から「お腹が張る」と言っている。「食べ過ぎたんじゃないか?」と僕はちゃかす。朝食では僕が驚くほど、彼女はもりもりとハッシュドポテトを食べていたから、きっとそのせいだろう。僕は「寝れば治るよ」と思い、そう言った。しかし昼過ぎ、駅へ行くという段になっても、なお腹が張っているらしい。イモを食べ過ぎてガスが溜まったか。それなら体を動かした方が良いのではないか。僕はそう提案し、ユウコも同意してバス停へと歩く。天気は良く、暑いが、カラリとしているので悪いものではない。

バスは混んでいた。停留所を3つばかり過ぎたところでユウコが「降りたい」と言った。どうも、人いきれで酔ってしまったらしい。降りて停留所にでも腰掛けるのかと思ったら、人目の着かない道ばたの茂みで、ゲェゲェと吐き出してしまった。疲れていたのだろう。久しぶりの良い部屋と、久しぶりの美味い西洋料理に興奮してしまい、体の調子の悪さも忘れて、つい食べ過ぎたのかもしれない。僕も配慮が足りなかった。昨日は夜行バスだったし、よく眠れていないのは僕も同じなのだが、彼女の不調には全然気がつかないでいた。悪いことをしたものだ。「部屋で休むね。1人で戻れるから大丈夫」というので、ここで別れ、僕は1人鉄道駅へと再びバスに乗り込んだ。

**

このとき、ユウコがホテルに戻るのもひと苦労だったとは、まったく気がつかなかった(ユウコの日記参照)。

**

 地図とバス路線で確認したので、乗ったバスは鉄道駅に着くはずだが、まだ着くか、いつ着くかと30分も揺られたのちに、終点の郊外バザールに来てしまった。目の前には団地が広がっているが、駅はどこで見失ったのだろう。いったん線路は見えたのに、ここは線路から遠い。今乗ってきたバスに再び乗りこみ、戻る。すると、たしかに鉄道駅のそばを通ったのだが、駅舎は高い並木の緑に覆われ、よく見えないだけなのであった。そして駅前のバスターミナルも、なんだかへんぴで、人口30万を超えるカザフ主要都市とは思えぬ田舎ぶりである。

 カザフスタンは独立した後も、列車は従来通りモスクワ時刻のタイムスケジュールを組んでおり、鉄道駅の時刻表や張り紙の時刻は全てモスクワ時間で書かれている。だから時差を考慮して、つまり足し算をすればいいのだが、それが今の僕には非常に面倒なものに感じられた。頭の回り具合が悪くなっている。やはり、僕も疲れているのだろうか・・・。列車の本数は多くない。が、どれも長距離列車で、ジャンブールを発しシムケントに着く列車はいずれも、夜中にここを発つか、あるいは夜中にあちらに着くか、という極端なものしかなかった。列車は長距離専用なのだ。地方都市を結ぶような線はない。だからこそバスが多くは知っているのだが。やはり明日はバスで移動しよう・・・と思ったところで、ユウコの体調が改めて気にかかる。戻ってみると彼女はベッドで寝ていた。少々熱もあり、下痢もしているという。あまり良くない。幸い、ここは部屋の環境が良く静かなホテルなので、明日は一日「休業」にするのがユウコのためでもあろう。

街の中央バザールに買い物に行く。途中、カラハン廟(11世紀)と、その近くにあるダウイトベク廟(13世紀)に寄り道する。どちらも緑豊かな公園の中にある・・・と言えば聞こえはいいが、公園の中にポツンとあるだけで人気もなく、うらさびしい印象を与える。バザールは夕方ともあって店じまいのところが多く、ユウコは「バナナが食べたい」と言っていたが、バナナは見つからなかった。それでも、飲み水・缶詰・ジュース・洗剤・パンなどを買って帰る。バザールの入り口にある大きなロータリーの中央に、詩人ジャンブールの銅像が建っていた。

 意外にも結構な荷物になり、えっちらおっちらと帰る。暑い。夏が帰ってきた! ホテルに戻ったらサウナのシャワーを浴びよう。と思って戻ると、そのサウナも「今日は故障でお湯が出ない」と言う。がっくりだ。

 

 ユウコにも夕食を食べる元気が出てきたようなので、朝と同じレストランに入る。あらためて入っても清潔さにあふれた良いレストランで、サービスも良く、愛想も良く、値段も安く、そして美味しい。130ドルを越えるホテルは、今の我々には少々高くついたが、部屋といい、レストランといい申し分がない。湯が出ないのは残念だが、サービスの良さと、我々の体力回復を考えれば、むしろ割安のように思われるのであった。