926日(土)ジャンブール(タラス) 晴れ

 ユウコの熱は下がったものの、体が重いというので今日は移動せず「休養日」とした。

ところが朝食後、部屋に戻ってしばらくすると、ユウコは思い立ったのか「やっぱり行こう!」と僕に言った。「頑張って行ってみよう」というのである。さっそく荷造りを開始し、10時半にチェックアウトする。目指すのはアクスー・ジャバグリ自然公園への拠点となるジャバグリ村である。ジャンブールからシムケントに向かう途中で街道を外れ、南の山麓に向かうので、当初は一旦シムケントに出るのがいいかと思ったが、それでは遠回りになる。よくよく調べて、まず街道沿いのヴァンノフカというところで降り、バスを乗り換えてジャバグリに行けばよいと知り、バスを目指す。

 1140分、タシケント行きのバスに乗る。運転手に「ヴァンノフカだぞ」と言われて降りると午後2時を回っていた。ここでバスに乗り換るのだが、バス停はない。ただ、暇そうにしているタクシーのオヤジが2人、我々を見ていた。ここでバスを待てばいいはずなのだが、はたしてバスは来るのだろうか。いつ来るのだろうか。我々を客と認識して停まってくれるだろうか。不安を覚える我々につけ込むかのように、タクシーのオヤジ共は「バスはないよ」と言う。ウソかホントか分からないが、いつ来るか分からないバスを待つよりはと思ってタクシーに乗った。たかだか67kmの道を600テンゲとは少々ぼられた感があるが、今となっては仕方がない。タクシーの運ちゃんは「お前らはどこから来た? 日本か。俺はイラン人だ。日本とイランはドルジバだ」と喜び、そして「我々は来月、イランに行きますよ」と言うと、ますます喜んだ。

 

ジャバグリには15分足らずで到着した。ここにはくたびれたホテルがあるそうだが、それよりもZhenia&Lyudaという民宿(B&B)がロンプラの強いお薦めなので、ここにたどり着かねばならない。イラン人の運ちゃんはジャバグリに不案内なようで、僕らに「ホテルはどこだ?」と聞き、車を降りて村の人に尋ねてみるが「ホテルはないらしいぞ」と言う。車で村の一本道を行きつ戻りつするが、通りには小さな商店が1軒あるのみで、カフェも食堂もない。「ホテルはないが、『ゼニアとリューダ』という場所があるはずだ」「それはホテルか?」「ホテルじゃないが、旅行者が泊まれるはずだ」。彼は再び車を降りて村人に聞く。僕はなんとなく、その小さな商店がクサイとにらんだが、はたして運ちゃんが店の売り子に声をかけると、店の中に動きが見られ、運ちゃんは我々に「見つかったぞ」のサインを送る。この売店につながっている、横の大きな家がそうらしい。ほどなくして、脇の戸口から優しそうなニコニコ笑顔のおじさんが出てきた。40代から50代。体は細く、額は広く、白髪が多い。彼がタクシーの運ちゃんと挨拶を交わす。僕らも車を出て挨拶する。

このおじさんが民宿(B&BZhenia&Lyudaの御主人、エフゲニーさんであった。彼は英語ができるので安心だ。運ちゃんとは固い握手で別れる。いま、こうしてイラン人と対面すると、いずれ訪れるであろうイランも楽しみになってくる。

 

 エフゲニーさんの案内で中に入ると、奥さんと子どもが出迎えてくれた。家の中は清潔そのもので、雰囲気も明るい。そして部屋もきれいだ!!

 「久々の当たりだねー」とユウコは大喜び。無理をおして来た甲斐があったか、疲れも吹っ飛び、すっかり元気になった。家は平屋で簡易木造のようだが、部屋数は多い。部屋の内装もくたびれた部分は全く見られず、共同のトイレ・シャワーは高級ホテル並の装いで、お湯は「もちろんいつでも出ます」とのことだ。素晴らしいの一言につきる。

荷をほどいていると、エフゲニーさんがお茶に誘ってくれた。広いダイニングに案内されると、そこは食堂兼団欒室のような部屋で、書棚には本がぎっしり詰まっている。ジャバグリ自然公園を案内する立派なガイドブックもある。香ばしいお茶と共に、「これはうちのホームメードで」と、イチゴジャム、リンゴジャム(リンゴと言っても、サクランボ大の小リンゴ)、そして地元産の蜂蜜と、それを付けて食べるためのクラッカーを運んでくれた。ウェルカムティーといったところだが、ジャムも、ハチミツも、クラッカーにつけて食べると、これがうまい!! すでに夕方5時をまわったところなので、もうすぐ夕食が出ることになるが、このジャムとクラッカーと素敵なお茶だけで腹いっぱいにしたいと思わせるぐらいに、ジャムがうまい。

 

 お茶を飲みながら、エフゲニーさんの説明があった。我々のように突然訪れる旅行者というのは少ないらしい。今はすでにオフシーズンなのでお客は少ないが、5月〜8月の登山シーズンには、各国からの団体ツアー客でいっぱいになるのだそうだ。「ほら」と見せてくれた今年・来年の予約表には、予約がひっきりなしである。オフシーズンだから良かったものの「これがシーズン中だったら、我々は泊まるところもなく困っていました」と言うとエフゲニーさんは笑って「そういうときは隣の人の部屋を借りるから問題はないんだ」と答えた。英国のGreen Tour社が主催するネイチャーリングツアーでは、毎年20人ぐらいのお客さんが来るのだそうだ。「日本人も来るんだよ」と写真を見せてくれた。名前は忘れてしまったがどこかの大学の先生で、何年か前に、その英国ツアーと合流してここにやって来たらしい。とにかく商売繁盛で「オンシーズンは忙しいんだよ」と笑う。楽しくやっているようだ。

で、「明日はどうしますか?」という話になった。宿泊に関しては12食付きで110ドル。昼飯をつけたフルサービスだと15ドル。自然公園でハイキングをするためには入山許可が必要だが、これはエフゲニーさんに頼めば今からでも大丈夫。山に入るならばガイドを付ける必要があるとのこと。春にはチューリップの花が咲き乱れるお花畑を見に登るツアーや、夏には泊まりがけで奥の山まで入り、先史時代の壁画を見物に行くツアーもあるという。それはそれで楽しそうだが、既に9月ともなると「山の上は寒いよ。雪が降っている」そうだ。我々の旅程、すなわち今日明日はここに泊まるが、明後日にはシムケントに行く旨を伝えると、エフゲニーさんは「おやおや、忙しいことだね」という表情を見せる。が、相変わらずのニコニコ顔で「それならば明日は日帰りでハイキングに行くと良い。ガイドは英語もしゃべるから大丈夫だよ」という。

 

他に泊まり客がいないようなので、そのことを尋ねると、「ドイツ人の若い女の子が2人泊まっていたのだが昨日から泊まりがけで山登りに行っていて、もうすぐ帰ってくるよ」と話していると、その彼女らが現れた。20前後の大学生で、2人ともよく日に焼けている。我々を見ると、まるでこの宿のスタッフであるかのような歓待を受けた。彼女らは大学の研究プロジェクトの一環でやって来たらしく、ジャバグリに来る前はカザフ北部の新首都アクモラに近いクルガルジノ自然公園にも調査に入ったのだそうだ。そこは山ではなくてステップ草原なのだが、テンギス湖という美しい湖があり、水鳥の楽園ともいうべきところで、フラミンゴもたくさんいて「ぜひ行ってみると良いわ!」と薦められた。我々がロンプラを持っているのを見て「それにも出てるわよ。私たちもそれを使っているの」と言った。中央アジアに関してはドイツも日本と同様、自国語の良いガイドが無いという。2人とも英語はもちろんロシア語も達者で、エフゲニーさんとはロシア語でペラペラと会話している。うらやましくもあり、情けなくもある。その彼女たちは明朝の早いバスでアルマトイに向かうと言い「どこか安くて良い宿はないかしら」と聞くので、バーバリャーナの家を教えてあげた。英語で上手く説明できず苦労したが、2人は「安いわね!」と驚いていた。住所と電話を教えたが「突然言っても驚くと思うし、既に客がいるかもしれないから必ず電話を」と伝えておいた。その後、どうなったか・・・

 彼女ら2人は「カザフは良いところよね。そう思わない?」と笑い、我々がこの後イランに行くつもりだと話すと「大丈夫なの? とくにあなたは? スカーフしないと捕まっちゃうんでしょう?」と、ユウコを気遣う。中央アジアを旅行する2人の反応は、いままで中国などで出会った旅行者の反応とまるで対照的なのが面白い。同じドイツ人とはいえ、カシュガルで会った長身の男などは「イランは良いぞぉ」とニンマリする一方で「中央アジアなんかに行って、治安は大丈夫なのか?」と、我々の旅程を疑問視していたものだ。

 旅の自慢をするために旅行しているわけではないが、キルギスタンではソンキョル湖といい、アルティンアラシャンといい、あとから人の話を聞いて悔しい思いをした部分が大きい。アラシャンに関しては自ら「行かない」と決めていたから何とも言えぬが、ソンキョルはガイドにもあったのをよく確認しなかったのが残念であった。すべて情報不足によるものだが、その情報不足の中で、人から聞いた話でなく自ら決めて選んだ道として、このジャバグリは「大当たり」と言えるだろう。

 

 お茶を終え、シャワーを浴び、あらかじめエフゲニーさんの許可を得て洗濯もし、洗濯物は庭の物干しに干すと、早や7時で夕食の時間である。ふたたびダイニングに行く。まず新鮮キュウリとトマトのサラダ。次にトマトベースの野菜スープ。サラダもスープも山盛りで出てくるので、これとパンで既にお腹は満たされるが、さらに牛肉の煮物にふかしたジャガイモがメインでやって来る。デザートにはスイカ、そしてマーブルケーキ。ケーキのあとにはお茶のお供にジャムと飴! フルコースだ! 1人ではとても食べきれないくらいの量だが、どれもこれも御主人と奥さんの手料理で、涙が出るほどに美味しい。残すのは失礼だし、それ以前にこんな美味しい料理を残すなんて!! それでも「1人分を2人で分けても十分だったね」とは我々の本音である。苦しいほどに満腹だ。こんなに腹一杯の思いをしたのは久しぶりだ。おなかも驚いたことだろう。ここに3日も4日も滞在していたら、たちまち太ってしまうことだろう。

 食後のお茶を飲みつつ、さきほどのガイドブック写真集などを見て過ごす。春のチューリップをはじめ、赤や黄色の花々が咲き乱れる風景や、日帰りでは見られないと言う洞窟の壁画、そして熊や鳥、豹といった動物たちの写真を見ていると、興味は尽きない。明日は日帰りとはいえ、楽しみである。ただ心配は天気で、エフゲニーさんが言うには「カザフスタンでは『西風だと雨、東風だと晴れ』という言葉がある。この23日、西風の日が続いている。天気予報も良くない」とのことだ。西風はカスピ海からの水分を運んでくるため、カザフの平原は雨になるのだそうだ。エフゲニーさんが入山の取り計らいがうまくいったことを伝えてくれた。明日のガイドも心配ないとのことだ。料金については何も確認しないまま話を進めたが、宿代を考えてもべらぼうな金を請求する人とも思えず、そして、ここまで来て「山には登りません」というのは、温泉を目の前にして湯に入らずに去るほどに間抜けだし、そもそも山登りに来たのである。すべてを任せることにした。

カラコルのヴァレンティン氏も、同じように信頼できる良い人なのかもしれないが、彼との大きな違いは、エフゲニーさんはもともと自然愛好家であり、自然公園職員の経験もある科学者だということだ。こういう国に、日本からももっと簡単に来られたらいいのに、と思う。