928日(月)ジャバグリ 晴れ

 楽しいひとときは終わり、再び街中にもどる。身が引き締まる思いだ。

 

 6時起床。「朝食だよ」と言われてダイニングに行くと、すでにパンとチーズが用意されていた。「今日は早起きだから朝食は軽めにしてくれたのかな」と思い、これらを食べていると、あとからオムレツ、茶、更にパンケーキと次々に出てきて、慌てて食べきった。

まだ薄暗い道をエフゲニーさんに案内されて行くと、路端にバスが停まっている。街灯もなく、バスも照明をつけず、真っ暗けで人の顔も見えないが、バスは定刻7時半に出発し、順調に走って9時半にシムケントに着いた。珍しく警察の歓待がなく、安心してユウコがトイレに行っている間に、それはやって来た。それでも所持品を簡単にチェックしただけで、あとは「スリに注意しろよ」と言うばかり。「もっとも注意すべきはあんたらだ」と言ってやりたい。

すぐに別のミニバスに乗り換え、北西へ165km離れたトルキスタンへと向かう。ここにはトルコ系民族のムスリムとしての初期の偉人、ホッジャ・アフメド・ヤサゥイの廟があるのだが、これがだいそう大きなもので、14世紀の覇者ティムールが造らせたものらしい。ヤサゥイその人は12世紀の指導者である。ただ、ここ数年、廟は修復中との話も聞いていた。

12時半にトルキスタンに到着。バスターミナルの向かいにある平屋の宿泊所があったので、部屋を見せてもらう。部屋には蠅が多く、裏はバスの修理場らしくにぎやかで、あまり落ち着くところではないが、「これも試練だ」と思いチェックインをする。しかし水場はなく、トイレは「外だ」というので行ってみると、そこには壊れかけの便所が1ヶあるのみで、汲み取り式だがモノはすべてやりっぱなしで、乾燥地帯だからニオイはないものの、正面の壁はないので人が通れば丸見えである。これならばそこらの砂地でやるのと何ら変わりがない。ユウコがゲンナリしていた。ならば他のホテルを探してそこに移ろうということになり、ヤサゥイ廟の見物がてら宿探しをする。

廟は話のとおり大きく立派だが、まさしく修復中で半分は足場に隠されていた。トルコ資本で修復をしているらしく、事業計画を誇らしげに掲げた立派な看板が出ている。廟の周りも、これまでの殺風景な原っぱから花壇を造ったり遊歩道を造ったりと、観光資源としての気の使いようも感じられる。が、完成はまだ5年は待たねばなるまい。

 ヤサゥイ廟を見てしまえば、このトルキスタンでやるべきことは他にないので、不快な宿に泊まるくらいなら多少高くても街のホテルに泊まろうと、シムケントに戻ることにした。そうなると宿のキャンセルでもめるのではないかと心配したが、部屋の荷物を取り、宿の入り口で暇そうにしている受付の女の子に「泊まりません、さいなら」と言うと、彼女は「あっそ」と実に商売っ気がない。バスターミナルには来たときのミニバスが停まっていて、我々が近づくと運ちゃんがニヤッと笑って「仕事は済んだか?」と聞いた。乗り合ったお客の中には、行きに乗っていた家族もいた。

 

 我々は後ろから2番目の左側の席に座ったが、最後尾には男2人、女、男の4人が並んでいた。このうち2人連れの男はたいそう酔っぱらっており、出発する直前にもウォッカをさらに1本買い込み、2人してグデングデンに酔っぱらい、横の女にちょっかいを出したりと、実に不愉快である。はじめのうちはもぎりの車掌が注意すると「わかったわかった」と神妙であったが、やがて前後不覚となり、態度も声も大きくなり、たまりかねた別の男が、女へのちょっかいを止めに入ると、今度は男に因縁を付けはじめる。僕はこの2人を眺めつつ、「ユウコにカラんできたら一大事だなあ」とハラハラしながらも、「いやー、酔っぱらいとは困ったもんだナー」と、呑気に思う。『人の振り見て我が振り直せ』とはよく言ったもので「俺も日本にいた頃は、あのように酔っぱらって迷惑をかけたことがあったのかな・・・」と思う。知らない人にちょっかいを出したことはないが、一緒に飲んだ知人友人にはかなりの粗相を働いたことであろう。とにかく彼らは、大声でどなる、からむ、なぐる。迷惑な話だ。たまりかねたのか、車掌もついに怒りだし、街道筋のスイカ売りの前でバスを止め、輩共に「降りろ」と命ずる。ここで休憩を取ったのが良かったのか、その後2人はおとなしく寝入ってくれた。それは良いが、そのうちにゲロゲロとやり出すのではないかと思うと、気が気でない。

 我々の前に座る母娘が大きなメロンを買っていた。「うわー、立派なメロンだなあ」と僕がつぶやくと、隣のユウコが「メロン、美味しいかなあ。食べたいね」と言う。しかし「あんなに大きいんじゃあ、2人では食べきれないね」「ほんと、スイカみたいだもんね。夜食べて、朝食べて・・・新疆にいたときみたいに食べればいいよ」。そんなことをしゃべっていると、娘がメロンを我々の目の前に差し出しだ。我々にくれるというのである。我々の意図を察していたのかと思うとなにやら気恥ずかしいが、「いや、いいです」と言ってもきかない。どうやら、酔っぱらいでメーワクした我々ガイジンを、この親娘が気遣ってくれたらしい。親切な方もいるもので、ありがたくいただいた。

 

 シムケントのバスターミナルは市の中心から離れている。幸いにもバスは街の中心を走っていた。他の乗客が多く降りた賑やかな通りで、我々も降りた。目指すホテル・ユージナヤが近くにあるからという目論見だが、どうも通りの名前が地図と実際とでかみ合わず、あちこち歩いても見つからない。団地の中を右往左往するばかりである。そこで、通りがかった中年のオバサンに聞いてみると、「ユージナヤはつぶれたわ」という答えが返ってきた。

「ホテルシムケントならやってるわ。そこでいい? 私が案内してあげる」と、彼女は我々の先頭に立って歩き出した。

彼女は見るからに東洋人だったが、同じような黒髪・黒眼の我々に興味を持ったのか、オバサンのほうからロシア語で尋ねてきた。「どこから来たの? 旅行者? あら、日本からなの。ツアーじゃなくて? ええー、ほんとに? 2人だけで旅行しているの? このカザフスタンを?」と驚く。オバサンはというと「ソ連の朝鮮人なのよ」と、あっさりと自己紹介した。彼女は何度も同じ話を繰り返し -要するにユージナヤはやってなくて、ホテルシムケントなら大丈夫だと言いたいのだが- 、そのたびに「パニャートナ(分かった)?」と笑顔で確認する。その表情が、40すぎのオバサンとはいえ、かわいらしい。我々は「分かった分かった」とうなずいても、本当は分かっていないことを察しているのか「誰か英語の分かる人はいないかしらねえ」とロシア語でつぶやきながら前を歩く。通りすがりの、特に若い学生風の人と行きすぎるごとに「あなた、英語できない?」と声をかけて歩く。オバチャンがいるので歩くのに退屈はしないが、ザックを背負い、しかも僕はくだんのメロンをビニール袋に入れ、これを手に提げて20分以上も歩くのはしんどい。

3人で歩いてようやくホテルシムケントに着いた。高層810階建てのドデカイ建物だが、相当にくたびれている。まあ、インツーリストのホテルだと思えば全ては納得がいく。入り口で「ありがとう」と言い、別れようとしたら、オバチャンは率先してホテルの中に入っていく。そして、頼みもしないのにフロントで「部屋はあるか」と尋ねる。我々がロシア語のできないことを知って、お節介をしているのである。フロントの太ったオネエサンと言葉を交わしたあと、後ろに控える我々を振り返り「luxの部屋なら100ドルだけど、良い?」と、相変わらずの愛想良い笑顔で尋ねる。「良くないデス!」我々は無造作に首を横に振り、「ニェット」を繰り返す。すると再び交渉の末「1700テンゲの部屋なら空いているが、お湯は出ない」とのことで話が決まった。

部屋は3階だというので階段を探そうとすると、「こっちよ」と、オバサンはなおも我々を案内する。我々はあとを追い、荷物を担いでエッチラオッチラと階段を上る。部屋の鍵はフロントで僕に手渡されたのだが、部屋の扉を開けるとオバサンも入ってきた。驚く我々を尻目に「ちょっとトイレを貸してね」とシャワールームに入る。「もしやここで謝礼でもせびられるのでは」と要らぬ不安が心によぎる。「『御礼だ』と言って、このメロン渡そうか」「そうだね・・・2人じゃ、食べきれないものね」。ところが、我々の心配を意に介さないかの如く、オバサンはトイレを出るなり「この部屋で良い? お湯が出ないけど、良いのね? じゃあね」と、アッサリ部屋を出ようとする。僕は慌てて「御礼です。これを」とメロンを差し出すと、彼女はびっくりして「あら、いいのよ」と手を振る。「いや、御礼です」と再び言うと「うちにも大きいのがあるのよ。それは2人でお食べなさい。じゃあね」と去って行った。

 

 ホテルシムケントの部屋の調度はまさにホテルインツーリストそのもので、内装家具の粗末さ、壊れ具合もそのものだ。「100ドルの部屋って、どんなもんなんだろうねえ」とユウコが言うので、「部屋の大きさが23倍になるだけで、なにも変わらないんじゃないかな」と僕が答える。100ドルのluxルームだけが温水完備とは考えにくいし、そこだけ調度がレベルアップしているというのは、可能性は否定できないが、想像はしがたい。

夕食がわりにメロンを食べていると、とつぜん停電した。だいたい、インツーリスト系のホテルというのはやたらにデカイ建物が多いが、中の設備はへっぽこな場合が多く、それはこの旅行に出る前から知っていることであった。いま我々が泊まるホテルシムケントにしても、100ドルの部屋とはいったいどんなものか、分かったものではない。階が上になるだけで、中身はぜんぜん変わっていない可能性もある。それにしても、こんなに部屋も多いのに客はちっとも入らないし、各フロアにジェジュールナヤはいるし、維持費ばかりかかって大変だ。もう少しお客へのサービスを上げてくれよ・・・と思ったところで、ふとひらめいた。「このホテルの入室率って、どれくらいだろうか」「さあ・・・1割も入っていないんじゃないかな」「つまり、このホテルは10階建てとすると、このフロアにしか客をいれない、ということだね」「それはあり得るね」。ユウコの反応が良いので、僕は説明を続ける。「ということは、ホテルに対して宿泊客が維持費を支払っているとしたらどうだろうか。つまり、入室率が10%とすると、我々はこの1部屋しか使わないけど、ホテルスタッフから見ると、ほかの空いてる9部屋をも同時に維持しなければならないとしたら・・・」「つまり我々が、10部屋分の料金を払っているということ?」「そう!! そして、ガイジンだったら『金持ち』なので、さらに支払額が増えるというわけ。10部屋分で100ドルなら、高くはないでしょう?」我ながら納得のいく説明である。ユウコもうなずいている。事実は如何に。

 

 夕食を取る前、「余ったテンゲはカザフにいるうちに替えたほうがよい」というエフゲニーさんのアドバイスを受け、さっそく両替に出たのだが、すでに夕方5時を回っていたので、銀行も両替所も閉まっているところが多い。まだ空いているところでも、我々の所持するテンゲを全て替えるだけのウズベクソムを持っている所は無く、ウズベクソムの在庫があるという2軒の両替所で、合計5000テンゲほどを替える。これでもまだ12000テンゲほど、つまり150ドル強の余りテンゲがある。国境で両替するチャンスがあれば良いのだが、カザフ-キルギスの国境と同様、まともな検査が無いと仮定すると、停まる時間も微々たるもので、そこで「両替したいから待ってくれ」などと言うわがままは通用しないであろう。となると、「レートは悪い」と言われてもウズベクで両替するしか道はない。

 いままで両替所のレートを見る限り、カザフスタンでは

 

     テンゲに        テンゲを

ソムを  0.25-0.30(良) ソムに (良)0.35-0.38

USDを 80       USDに    81

なので、ウズベクではこれを逆算し、

     ソムに             ソムを

テンゲを 2.63-2.85(良) テンゲに (良)3.3-4.0

USDを  210.4-228

ぐらいになるはずだが、レートはもっと悪くなるはずだ。今日の両替では1ソム当たり0.370.38だったから、国境でこれより良くなるか、どうか。

 

 日本を出発して、明日で2ヶ月になる。テンゲは手元に200ドル強ほど余っている。我ながらけっこう頑張ったものだと思う。これかれもがんばろう。