97日(月) アルマトイ 晴れ

 ふたたび平日になり、ナーディヤもバーバも早起きになる。ふたりとも、朝8時前にはでかけてしまう。ナーディヤは学生だから学校に行くのだろうが、バーバはいったいどこに行くのだろうか。それでも毎日「お勤め」に出る。そして昼過ぎには戻ってくるらしい。ナーディヤも帰りは早く、夕方前には戻っている。それで、2人しておしゃべりばかりしている。いったい、何をしゃべっているのかと思うのだが、とにかくなにかをしゃべっている。

 さて、今日の我々の「仕事」としては、

@銀行へ行き、カードで1000ドルばかりの金をおろす。これは当座の生活資金となる。

A郵便局に行き、はがきを出す。

Bインターネットカフェに行く。

C夕方にはカンテングリへ行き、パスポートを受け取る。同時に山の湖へ行く方法について尋ねてみる。

銀行については昨日の「ドルがない」という話が気になるが、自分たちの目で事実を確認するためにも訪ねてみることは重要であった。

 バーバは今日も「テンゲが下がり、ドルが上がった」と嘆いている。

 

【ドル、ニェット?】

 アルマトイ市内でクレジットカードによるキャッシングができる銀行は非常に限られており、ロンプラによればAlem Bankぐらいである。そのAlem Bankへは我々は既に一度足を運んでおり、T/Cの両替ができることを確認していた。今日はここでキャッシングをするつもりであった。

 しかし1000ドルを申請すると、しばらくして窓口から「このカードは使えません」という返事が返ってきた。使えないとは、どういうことだろう? 状況が分からないが、窓口からは「日本の銀行に電話して確認してください」と言われる。まさかと思うが、銀行がつぶれてしまったのだろうか。暗証番号が変わってしまったのだろうか。まさか、知らないところで悪用されているのだろうか。無職になったことでカードが無効になってしまったのか。あるいは中国で使用した時に、トラブルが発生したのだろうか。

 いったん窓口を離れ、待合いの席に腰掛けてゆっくりと考えてみる。「もしかしたら、キャッシングの限度額を超えているんじゃないかなあ」とユウコが言う。なるほど、それはあり得ることだ。キャッシングの限度額についてはメモを持っていないが、たしか20万だか30万だったと思う。そこでもう少し具体的に考えてみることにした。限度額を20万円と仮定する。僕のカードは15日〆の翌月10日引き落としである。それで、財布に入れてあるメモから計算すると、さきの中国では815日までに約2200元、つまり4万円ほど使っていることになる。15日以降は8000元ほど使っているらしい。つまり14万円弱だ。ということは、残りは6万円。これでは1000ドルの金を下ろせるわけがない。

 試しに再び窓口へ行き、500ドルを申請すると、これはOKが出た。さきほどはカードが利用停止になったのではと心配したが、ホッと胸をなで下ろす。

 しかしこれは予想していない事態であった。カードの利用規約をしっかり頭に入れていないのが悪いのだとはいえ、無計画なキャッシングをしていては、銀行口座に金があるにもかかわらず、「手元に金を得られないために」旅の続行を断念しなければならない事態になる可能性もある。旅を断念するだけでなく、日本に帰るチケットすら買えなくなるのではないか? 「でも、チケットはショッピングだから、キャッシングとは違うよ」とユウコ。「それに、月20万円おろせるならなんとかなるよ」。たしかになんとかなるだろう。しかし、それにしても〆日と引き落とし日を考えて銀行に行かないと、ヘタをすれば2ヶ月前のキャッシングが尾を引くことになるし、そうすれば無駄に利子も掛かる。Alem Bankでは4%の手数料を取られた。日本でもまた利子を取られる。

 

 日本のカード会社に電話をして限度額を上げてもらおうか。親に連絡を取って手続きを代行してもらおうか。限度額は本当に20万円なのか、確認もしたい。ユウコは「家族カード」を持っているのだが、これはユウコが独立に20万円という限度額を持つのか、それとも「2人で20万」という意味なのか、これも確認が必要だ。前者と後者では、精神的な圧迫感がまるで異なる。重要な問題である。

 もし本当にカードが使えない事態になれば、日本の銀行から我々の滞在先の銀行に「送金」してもらうという方法もある。少し時間を要するが、できない方法ではない。しかし、日本の銀行口座のメモを持っていなかった。カードを持っていれば十分と思っていたのだ。考えが浅すぎた。困った、今後どうしようか。

 とりあえず、今日は現金で500ドルを下ろすことができた。それまでの手持ちと合わせると1000ドル近くになろうか。これを盗まれてしまったら、無くしてしまったら、もはやカードで金をおろすことはできない。「いや、家族カードの限度額が別枠だったら下ろせるか・・・」。

 事実を確認するためにはまず日本に電話するべきなのだが、これにもお金がかかる。そこで、郵便局へ行ったついでに隣の電話局におもむき、コレクトコールについて尋ねてみるが、「そんなシステムはカザフスタンには無い」との答え。ならば直接国際電話と考え直すが「1325テンゲ」かかるという。つまり1700円である。むちゃくちゃだ!! けっきょく、電話はあきらめた。今後の金の扱いに充分注意しなければならなくなった。

 

 カード会社に電話しても金がかかるだけだし、親に電話しても無駄に心配させるだけだし、限度額を上げる手続きは本人でなければできないだろうし、それにいま手続きをしたところで実効は1ヶ月も2ヶ月も先なのだから、当座の困難を解決するものではない。よって、「お金も下ろせたんだし、限度額が20万円だったということで、いいのではないか?」という結論に到った。電話は「できなかった」のではなくて、神様が「電話するな」と言っているのだ、そう思えば少しは気が楽になる。

 インターネットカフェに立ち寄るが、この日は簡単にWeb新聞など見るにとどめる。出発当時1ドルは147円だったのが、133円にまで持ち直していた。宮沢大蔵大臣就任の効果なのか知らないが・・・。

 

 パスポートを受け取りにカンテングリに行く。いつものターニャの席には赤毛のショートヘアの女性が座っていた。ターニャは今まさに「パスポートを取りに行っている」とのことで、待たせてもらう。

 ところで、先日バーバには我々がキルギスに行く予定を話したところ、はじめは「そうかそうか」と気にも留めない様子だったが、昨日になって突然「キルギスはよくない。あぶないよ」と言いだした。まさかと思うが気になるのでカンテングリでも尋ねてみるが、「キルギスは全く問題ありません」とあっさり。なんだったのだろう。あれこそ老婆心なのだろうか。

ターニャが戻り、パスポートが返ってきた。やはり手元にあると安心である。顔がほころんでしまう。

 

【家族の団らん】

 今日は早いうちに家に戻り、ユウコは料理のため台所へ行く。バーバとナーディヤはいつものように台所でおしゃべりをしている。僕は自分の部屋で日記を付けたり本を読んだりして過ごすが、3人で仲良くおしゃべり(?)をしている様子なので、顔を出してみた。バーバとナーディヤは僕の顔を見るなり「秘書が来た!」と笑った。

 ユウコが23日前に大きなキャベツを買ってきていた。我々には半分もあれば十分なのだが、バザールでうまく説明できず丸ごと買う羽目になったのだそうだ。それで「バーバたちに半分あげようと思うんだけど、さっきからそれを伝えたいんだけど、分かってくれなくて」困惑していたらしい。そこへ「秘書」が登場したというわけである。そこで、「秘書」が説明をする。「我々はこれをバザールで買いました。我々はこれを食べます」。そこまで言うとバーバがうなずいて、「うんうん、料理をすると良いわ」というようなことを言う。僕が「そうじゃなくて、これは、えーと、大きすぎるのです」と続けると、バーバも「そんなことないわよ。たくさん食べなさい」と返す。「いやいやいや。それで、これを」僕は手振りでキャベツを半分に分ける仕草をし「これを、あなたがたに。残りを、我々に」。バーバはきょとんとしているが、ナーディヤは理解してくれたらしく、ニコニコとうなずいてバーバに説明した。事情の分かったバーバは「あら、そう! ありがとう!!」とにっこり笑った。ユウコがホッとした表情を見せる。

 さきの両替の件は話題にものぼらず、2人は以前と同じように優しく、いろいろと質問をしてくるのであった。バーバが「ロシア語の勉強をしましょう」と言い「これは椅子。これは机。これはナーディヤ」「ひどいわ! バーバったら、私を椅子や机といっしょにして!」。笑い。バーバが続ける。「これは頭。これは腕。これは足。あれは猫。名前はリェーフ」するとナーディヤが「ライオンのことよ」と言ってケラケラと笑った。

 「クロサワが死んだのよ。彼のこと、知ってる?」とバーバ。TVのニュースで流れたらしい。黒沢明が亡くなったのは今日のインターネットニュースでたまたま見て知っていた。残念なことだ。しかし、アルマトイでも報道されるとは、さすが世界のクロサワだ。

 

 翌日の夜、家に来客があった。僕がかまわずシャワールームで洗濯をしていると、ピアノの音が聞こえだした。シャワーの後、顔を出すと客は帰ったあとであった。なんでも冷蔵庫の調子が悪くなったので、修理屋を呼んで部品の交換をしてもらった。で、その修理屋は金を取らない代わりに、バーバの家のピアノを弾いて帰ったというわけだったのだ。それにしては上手い弾き手である。バーバとナーディヤは御機嫌であった。僕とユウコがやって来たので、ナーディヤも弾いてくれた。ユウコも弾く。

 ピアノをきっかけにした彼らの話によると、バーバもナーディヤも姓は「タンスカヤ」と言う。「中国のタン(唐)よ」とバーバは言う。もとはウクライナ人である。バーバリャーナ自身も、彼女は(あるいは旦那がなのか)地理の先生をしていた経験があり、今は亡き旦那さんと共に世界を回ったという。インド・ネパール・カナダ・キューバ・モスクワ、等々。何日か前、我々がここまでの旅の話、そして今後の予定を話したとき、バーバはすぐに本棚からアトラスを出してきた。それでいろいろと説明してくれた。キルギスの話、ウズベクの話、モスクワの話・・・。旦那の話もしてくれたが、詳しくは分からない。「でも、彼はもう死んじゃった」と、本棚の一段にある彼の遺影写真を見て、寂しそうにつぶやいた。23年前のことらしい。

 ナーディヤの両親、つまりバーバの息子あるいは娘夫婦は、いまはキエフに住んでいるとのことである。ナーディヤは22才で、細身のわりにお腹が出ているなあと思っていたら妊娠しているのだ。来月に出産とのことである。そういえば旦那がいちど遊びに来ていた。いま、2人の部屋を探していると言っていた。そうすると、バーバは一人暮らしになるのだろうか。

ソ連が崩壊したのがこの家庭にとって良かったのかどうか、それは知らない。

良い機会なので皆で写真を撮った。いつも台所までは顔を出していたが、彼らの部屋に入ったのはこれが最初で、そして最後であった。毎晩9時半からはニュースの時間で、これはバーバの楽しみでもあるらしい。TVを見たいというので我々は退散する。

 やっと仲良くなれたと思うが、もうすぐお別れである。

 

【飲料水と酒】

カザフスタンに入ってからというもの、飲料水といえば炭酸水ばかりである。メジャーなものは2種類あるようだ。1つは飲んだ後にスイカのような味が口に広がり、高校の頃「まずい」と評判(?)だったスイカソーダを思い出させる。もう1つはほんのりと塩味が感じられる。成分を見ると、たしかにNa+Ca+Cl-といった表記がある。しかし、いずれにしても買ったばかりで炭酸がきついときには味も分からないが、ガスが抜けてくると、この妙な風味がどうにも引き立ってきて、要するにコカコーラと同じく「ガスが抜けると非常にまずい飲み物」になるわけだ。飲料水といえば、中国のワハハは高いだけあって味も良かった。中国からはカップの牛肉面も仕入れているのだから、同じように水も輸入していただきたいものだ。「水道水がいちばんおいしいね」とユウコが言う。もちろんいちど沸かしてから料理に使うのであるが、お茶を飲むのにも使う。たしかに、中国ほど心配にはならない。お腹の調子もいまのところは良好といえる。

カザフスタンではウォッカがうまい。日曜日にバラホルカでみた酒屋では、ウォッカの品種の多さに改めて驚いたものだが、そこで買ったブルーベリーの香りただよう、やや辛口のこのウォッカもなかなかいける。また、バザールで買う国産ビールは安いし、味も悪くない。ウォッカもワインも、国産品は安い。とくにウォッカはコストパフォーマンスが良い。輸入品はどうも高すぎる。500mlとはいえ、BAVARIAだって国産ビールの2倍はするし、他の銘柄でも物によっては5倍近くもの差がある。ビールは高級品なのだ。