929日(火)シムケント 晴れ

出国してから2ヶ月目の朝を迎える。冷えるが、天気は良い。

1015発のタシケント行きバスに乗り込んだ。ちなみにウズベク時間は2時間マイナスなので、向こうの時間では朝815である。

 

カザフ-ウズベクの国境検問所の造りはカザフ-キルギスとよく似ており、白塗りのゲートが建っている。日本の高速道路料金所の柱と屋根が白くなって、もっとちゃちくなったと思えばよい。役人のチェックはまったく無く、バスの乗降口から、運転手に向かって「ヨッ」と挨拶するのみである。

だが、ゲートの前でバスは停まった。車は多く、渋滞している。「あれ?」と思う間に、国境に来ることを察して昇降口に溜まっていた数人のオバチャン客が素早くバスを降り、続いて、バスの周りにたむろしてきた男女が、どやどやと上がり込んできた。

「降りた人々は国境を越える前に買い出しでも済ますのだろうか?」「それとも、乗り込んできたのは物売りなのか?」と、僕の頭は混乱するが、乗り込んだ人々はみな手に札束を抱え、前に座る客から順々に声をかけては一歩一歩奥に入ってくる。両替屋なのだ。

我々はいま、中央よりやや後部の席に座っているが、車窓を見ると両替所もあり、そこにはさきほど、われ先にと降りていったオバチャンどもが列を作って並んでいた。つまり、カザフを出る前に両替をする最後のチャンスなのである。しかしレートはどの程度のものなのか。隣に座っていたおじさんがあっさりと両替交渉を終えていたので、彼に「いくらでした?」と聞くと「2.90」という答えが返ってきた。

この回答に、僕の頭はさらに混乱してしまった。これは「1テンゲあたり2.90ソム」を意味するのだから、数値が高いほどレートが良い。冷静に考えれば簡単な算数なのだが、僕は昨日から「1ソムあたり何テンゲ」という考えばかりしていた。昨日は0.37から0.38で両替できた。だから、0.35ぐらいで出来れば良いかななどと考えていた。それをいきなり2.90だと言われたので、わけが分からなくなってきた。

ようやくそばに来た1人の両替屋が、電卓を手にして僕に声をかける。僕が「いくら?」と聞くとやはり「2.90」と電卓を打って答える。隣のオジサンと同じだ・・・これで良いのだろうか・・・。すると、その両替屋の後ろにいた別の両替屋が彼を押しのけ、「俺なら」と自分の電卓をたたき「2.95だ」と示す。まだ、数字の意味を把握できていない自分がいる。意味が分からない。どちらが良いのか・・・しかし、押しのけてきたんだから・・・! 「よし!やるぞ」と、あとから電卓を見せた彼の手を握る。

時間が限られているのか、彼らも、車内の客もそわそわしている。我々も急いで手持ちの現金テンゲを数え上げ、紙に所持金額を書いて両替屋に渡し、彼は目の前で札束を数え上げ、我々を見てうなずく。そして、もっと大きな札束を出し、目の前で数えはじめる。彼が数え終わると僕が受け取る。あまりにも数が多いので、半分をユウコに託す。2人で札束を数える。

このときいくらの両替をしたのか記録がないが(よほど慌てていたか、あるいはメモ紙で交わしたので、額面のメモを捨ててしまったのだろう)、ユウコによれば、12000テンゲの両替をしたということなので、これが「1テンゲ=2.95ソム」で計算すると35400ソムとなる。ウズベク紙幣の最大は100ソム札なので、すべて100ソム札だとしても354枚の束になる。2人して札束を抱え持つと「1枚くらい数え間違えたって」と呑気な気分になるが、「この1枚は血の1枚」と気を引き締め、数え上げる。昨日のメモで1ドル=210220ソムと考えても、100ソム札1枚が50円ていどの価値にしかならない。50円札の束だ。

自分の両替を終えると気持ちが落ち着いてきて、辺りを見回す余裕がふたたび出てくる。あとから乗り込んできた両替屋のほうが全般にレートは良いようであった。その両替屋たちが乗り込む前にさっさと降りていったおばちゃん達を考えると、外の両替屋は更にレートが良いのだろう。3.00を超え、3.10ぐらいにまでなるのではなかろうか。

 

 両替を無事に終え、テンゲは全てさばいて、あらためてタシケントへとバスは出発した。いよいよウズベキスタンだ。感動も新たに・・・と行きたいところだが、眺めも雰囲気もいままでとまるで変わらない。

それよりも、タシケントのバスターミナルでも警察の「歓待」を覚悟せねばならなかった。それはそれでやむを得まい。と、僕は腹をくくっていたのだが、ふと、さきほどの両替によってウズベク通貨を持っていることが「おとがめ」の対象となるような気がしてきた。少し気になって考え出すと、その心配ごとは頭を離れず、どうしてもバスターミナルに到着する前に降りたくなってきた。国境からは沿道に民家が続いていたが、やがて街がにぎやかになり、往来する人も車も増え、店が並び、道は広くなる。いっぽう、バスの乗客のなかには我々と同様、バスターミナルに着く前に降りたいとそわそわしている人が多い。運転手に話しかけている人もいる。これまでの経験から、地元民であっても、ターミナルまで行ったあとの移動が面倒臭いのではないかと思う。バスターミナルが見えてきたところで地下鉄の入り口前にバスが停まり、かなりのお客さんが降りた。我々もチャンスとばかり降りる。時計を見ると午後1時過ぎだが、時計を2時間遅らせると午前11時。なんとなく得した気分だ。そして、時差を感じさせるのも久しぶりである。

 

 僕は4年前、まだ学生の時分にウズベキスタンに来たことがある。当時はバスツアー旅行だったので土地勘はまったくないが、「初めてではない」というだけでずいぶん気楽である。ユウコも、僕が2回目であることを知っているので、多少安心しているようにも見える。しかし、いま新たにウズベキスタンに入国した以上、まず第一の仕事は「外人登録」と「宿探し」だ。ウズベキスタンのInvitationはカンテングリを通じて現地ウズベクの旅行代理店「ヨルダムチ」から取得したので、ここを訪れアドバイスを受けに行くことにした。住所はターニャからメモをもらっているので、タクシーを捕まえてそれを見せ、行ってもらうことにする。

15分ほどで着いた住所は街の中心から少し外れた郊外で、並木の緑が一杯の静かな通りだが、8階建てぐらいのアパート風建物が並んでおり、事務所を見つけるのに苦労した。やっと見つけてスタッフに声をかけると英語の分かる2人の女性が応対してくれたが、「ちょっと待って」と奥へ引っ込んだ。オフィスにはパソコンが数台有り、全てWindows95で、1人の女性は業務の暇つぶしにソリティアをやっている。日本で見る光景と変わらない。部屋の壁にはさまざまな国の宣伝ポスターがある。エジプト・タイなど、異国情緒のものが目立つ。ウズベクの人々にもこのような海外旅行が浸透しつつあるのだろうか。ウズベクは日本から見ると十分にエキゾチックだが、彼らからするとエジプト・タイがエキゾチックで旅心をそそるのだろうか。そんなことを考えながら待っていると、さっきの女性が上役らしい1人の男を連れてきた。もらった名刺を見ると「Chief of Department Acceptance」とある。彼は英語がしゃべれないので2人の女性が通訳に立つが、なまりがひどいのか話しぶりがわるいのか、何度聞いてもよく分からない。

結局、カザフやキルギスの旅行社でやってもらったような、OVIRでの外人登録を代行するサービスはここではやってくれず、「ホテルに泊まれば登録はホテルでやってくれる」という話が出てくるのみであった。そこでアコモデーションについて尋ねると「我々のところでいちばん安いのはホテルタシケントです。140ドルで、朝食付き。シャワー・トイレもあって、お湯も出ます」との答え。ロンプラには32ドルとあったこのホテルは、旅行会社を通さないと部屋を取れないのだが、言い値ではちょっと高いのではないかと思い、ディスカウントを試みる、しかし「40ドルというのは、ディスカウントされた価格です。あなたが直接行けば60ドルになります。我々のサービスにより、40ドルになるのです」という返答である。もう少し安い宿が出てくるのを期待していたのだが、残念であった。とりあえず外人登録を兼ねて1泊し、翌日に安宿探しに出ることにしよう。宿泊費は外人登録の手数料と考えることにしよう。

次なる国トルクメニスタンの大使館の住所を尋ねると、これは快く教えてくれたが、ホテルタシケントからどうやって行けば良いかは「ややこしいので教えるのは難しい」との答えであった。

 

タクシーで来たから地理が分からず、ホテルへの行き方を教わる。ヨルダムチのオフィスから歩いて10分ほどのところに地下鉄の「ハムザ」という駅があり、ここから街の中心方向へのメトロに乗る。4つ目の「ムスタキリク・マイドーニ」駅で降りる。ここから歩いて5分のところにホテルタシケントはあった。通りは広く車も多いが、ここら一帯も緑がいっぱいである。今の我々には勿体ないくらいの、素敵で立派なホテルである。1階にフロントのようなものはなく、うろうろしていると廊下に「レセプション」と掲示してある部屋を発見した。部屋は開け放しだが誰もいない。ここでしばらく待っていると、やがて大きな眼鏡をかけた、おっとりした雰囲気の、太ったオバサンがやって来た。「ヨルダムチから来ました」と言うと、彼女は無表情のまま「まず4階の旅行代理店に行って、予約の確認を取ってください」と答えた。言われるとおり4階に行くと、たしかに旅行会社がある。入るとオッサンが2人いた。彼らに「ヨルダムチから来ました」と言うと、パスポートを確認したあとメモ紙を渡され、「これを持って1階のレセプションへ行け」とつっけんどんに指示される。再び階下へ降りる。オバサンがメモ紙を受け取り、さらにパスポートを渡して、宿帳らしい大きなノートに我々の名前やら今日の日付やらを書き込んでいく。そして宿泊カードを僕らに渡し「部屋は3階です。3階ロビーの人にこれを見せ、鍵をもらってください」と指示される。3階まで上がったところ、階段の目の前にあるロビーに事務机が1つ有り、そこに女性が1人座っていた。こちらのオバサンも太い。カードを見せると、このオバサンも宿帳らしき大きなノートになにやら書き込み、そして我々に鍵をくれた。

 

 素敵な部屋に入ってまずはじめに、本当にお湯が出るかどうかをチェックする。お湯はドバドバと出てくる。素晴らしい!ってんで、2人してシャワーを浴び、溜まっている衣服の洗濯を開始した。まだ日は高いので、このような「仕事」をするのは勿体ないとも思うが、外へ出れば疲れを忘れ、何かモノに憑かれたように歩き回ってしまうのが常なので、部屋にいることが結局体力温存/回復の有効手段となるのである。ホテルタシケントは街の中心にあり、立地は文句なしだ。ここで2泊してもいいかなーと考えるのは贅沢だろうか・・・。

ホテルの目の前にはブユク・ツロン通りが走り、通りを挟んだ向かいに大きな噴水のある公園がある。その向こうには、恐らくウズベキスタンで最大の、重厚なナヴォイ劇場が控えている。さてロンプラに依れば、タシケントには「アパートレンタル」のアコモデーションが存在する。それは街のヘソとも言うべき「アムール・ティムール広場」の一角に「House Market」と呼ばれる場所があり、そこにアパートレンタル屋さんがたむろしている、という話である。我々の経験では、アルマトイの駅前でバーバリャーナという「間貸しの大家」に出会っているので、それと同じシステムがウズベキスタンにも存在するということになると理解していた。あるいはアパートの部屋をまるまる借りることが出来るのかもしれない。だからきっとまた、気の好いおばあちゃんに出会えるのではないか、都会での宿代を安く抑えることが出来るのではないか、と思っていた。ユウコは「台所を借りて料理をつくろうっと!」と張り切っている。

ところが、書いてる場所に行ってもそのような人は全くいない。「それはもしかしたら『アパートレンタル紹介所』のような事務所を意味しているのではないか」と考え、近場の建物に入ってうろうろしてみるが、それらしいものは何もない。ならば鉄道駅に行ってみるが、ここにもその類は何もなく、メトロの駅構内で警官のパスポートチェックを受けるのみであった。「お昼を過ぎて、もう夕方だから人がいないのかもしれないね」とユウコが言う。なるほど、バーバリャーナも、昼過ぎには家に帰ってくるのが常であった。だから借り主達は、もっぱら午前中のみを「仕事時間」としているのかもしれない。そう考えて、明朝出直すことにした。

 

 中央アジアではオペラやコンサートの類を観に行きたいと常々思っていたのだが、ここまでなかなか機会がなかった。ナヴォイ劇場の発券窓口の案内板を見ると、ちょうど今日からここで新しいオペラが始まるとのことで、発券窓口のオバチャンに尋ねると「プレミアよ!」と嬉しそうに我々に勧める。なにがどうプレミアなのか分からないが、チケットも安いので試しに観ることにした。話は歴史物のようで、カザフの王様っぽい人、タタール人ぽい武将、いわくありげな女王、ロシア人将校風の人がメインとして出てくる。新作オペラの上演という感じで、今回はその「ダイジェスト版」をお送りする、といったところで、はじめに作者か誰かの公演挨拶があった。プレミアとはその意味かと、本当のところは何も分からないまま勝手にひとり納得する。歌有り、踊り有り、色恋あり、各人の思惑もあり、言葉は分からないが、中近世の話であることは彼らの衣装からも明白であり、踊り子の衣装もきらびやかで、なかなか楽しい見物である。

 

 僕がはじめてタシケントを訪れた4年前に比べ、街が相当にきれいになったように思う。まず、車が良くなった。バスも、自家用車も、新車が増えた。その多くは外車である。以前は、旧ソ連製、あるいは共産圏製の車しか走っていなかった。また、新築の建物も増えた。街行く人々もおしゃれだ。大都会は、みなそういうものなのか・・・。

 街の地図が欲しいところだ。ロンプラでは物足りない。ヨルダムチで聞けばもらえたかな。あそこでの収穫はトルクメニスタン大使館の住所を確認できたことだ。あとはインターネットカフェが見つけられれば良いのだが、これも聞いておけば良かったか、と思うと悔やまれる。

 

 ホテルシムケントは今ひとつであったが、ホテルジャンブールや、このホテルタシケントでくつろぐことを覚えると、敢えて金をかけないようにかけないように日々努力していることがアホらしく思えてくることがある。それは、中国の銀川で、銀川飯店から銀川賓館に移ったときに思ったのとよく似ている。我々は、タシュクルガンで、アクスーで、あるいはアルスランバブで、金をかけない方法を知った。だから、それはそれで良いではないかと思う。つまり、敢えて無理をしなくても、金をかけずに済むこともある。だから、無理をしないでもいいのだ。しかし、金はない・・・否、金はある。だから旅行できるのだ。