1012日(月)ヒワ 晴れ

 

【旅の中で交わす日本語】

 宿泊客は我々のみなのであろうか、朝食はSさんと3人で取る。

ところで朝食用のレストランは、ホテルヒワの中にはない。いったん外へ出て右に折れ、最初の角を右に曲がったところにある。内装は大理石の宮殿みたいな、高級ホテルのロビーのような、やたらと広いレストランに、お客は我々3人のみ。Sさんの話では、ここは夜は営業していないという。じっさい、昨夜は閉まっていた。団体客が来たときのみ、夕食を提供するのかしら。テーブルにはピーナツなどのおつまみものが小皿に載っていて、これは自由に食べて良いらしい。食事をひととおり終えたあとも、お茶とおつまみでひとしきりしゃべる。

 

僕はこのとき、自分たちの発する日本語がどこかぎこちないことに気づいたのだ。

とくに気になったのはユウコの話しぶりであった。昨日の店内は音楽がうるさく、薄暗かったこともあって気がつかなかったが、今日のユウコは落ち着きがなく、話す言葉がおぼつかない。話し相手はSさんであるにもかかわらず、いちいち私のことをチラチラと見る。それはまるで、自分の発する言葉に自信がなく、一語一語について確認をするかのように思えた。私に対して「この話をしても良いんだよね」「こういう表現で良いんだよね」という、『お伺い』を立てているような表情を見せるのだ。私からすると、まるで私が彼女の保護者が監視員であるかのようだ。おかしい。

ひるがえってみると、私自身の発する日本語も、どこか妙な感じであった。幸い、Sさんは興味深く耳を傾けてくれるが、しかし、私の話はどこか自己満足的で、独りよがりの表現が多いような気がする。会話をしているその場で自らそれを感じるのである。ずっとSさんと言葉のやりとりをしているが、なんだか会話になっていないような気がする。

そこで考えてみると、第三者とまともに日本語で会話をするのは久しぶりなのだということに気づく。日本人に出会っていないわけではないが、日本語でまともな「おしゃべり」をしたのは、もう1ヶ月以上も前のことだ。日本人に限らず、個人旅行者に出会わないのである。話し相手といえば、銀行、ホテル、警察、店の売り子など、会話は旅の必要最小限にとどまり、しかも日本語ではない。そのほかの時間は全てユウコと2人で過ごし、2人だけの空間における日本語の会話しか存在しない。つまり、我々は「第三者を交えた日本語会話」というものをほとんどしていないのだ。私とユウコの日本語のやりとりが、なにかしら閉鎖的な言語環境というのか、要するに「我々だけの世界」になっていたということになる。つまり我々は、2人だけにしか通じない日本語、極端にいえば「我々語」をしゃべっていたのだ。Sさんを前にしてそれが明らかになった。

この日以来、言葉に対しては気を遣うようになった。

 

【世界遺産ヒワ】

 朝食後、Sさんと別れ、我々はヒワ観光に出かける。

 ヒワは城門に囲まれた一帯の中にあるメドレセや寺院がソ連時代から良く保存され、全体で一つの観光名所となっている。ホテルヒワは、西門に近いムハマド・アミン・ハーンのメドレセのことであり、我々は既に城壁内に入っていることになる。

昨日、西門の受付で呼び止められたときに、「ホテルヒワに泊まりたい」と言うと、受付にいたオヤジがA4の藁半紙を1枚、僕にくれた。それは表になっていて、見所がリストになっており、チェック欄もある。つまり、これが城内の共通入場チケットになっているのだ。A4の紙1枚で2人分のチケットである。1人あたり300ソムと、はじめは高いと思ったものの、これでいくつも回れると思えば、まあ仕方がない。

 ムハマド・アミン・ハーンには、隣接する有名なミナレット、カリタ・ミナル(物見台)がある。完成すれば中央アジア最大最高のミナレットとなり、周囲400kmを見渡す予定だったというが、建設工事は3年で中止した。いや、「わざと中止した」という説もあるらしい。おかげで今あるミナレットは途中までしかないので、物見台ではなく、直径のやたら大きい煙突か、あるいは新宿の通風口のようにしか見えない。

ミナレットを横目にヒワの王城跡クニャ・アルクへと赴く。受付以外には誰も人がおらず、中は順路もなく、迷路のように入り組んでいる。階段をどんどん上がって展望台にでると、ヒワの街が一望できた。なかなか良い眺めだが、朝もやにけぶっていた。

西門から東門までは一本道であるが、この一角の広場にラクダが1頭、つながれていた。これは観光客目当てのラクダで、客は背に乗り、その広場を23周することができるのだが、今日は客がなく、ラクダも暇そうにしている。

その後は、ムハマド・ラヒム・ハーンのメドレセ、マトパナ・ヴァイのメドレセ(ここは別料金)、ジュマモスク、キャラバンサライ、東門外のバザール、小さなデパート、トシュ・ハヴリ宮と見て回って、いったんホテルまで戻り、休息を取った。

 

 西門を出たところにチャイハネが2軒ほど並んでいるので、そこで昼食を食べる。テーブルにハエがいるのは毎度のことだが、厨房での、ハエが飛び交う中での調理の様子がなまじ見える店だと、衛生面に心配がいってしまう。しかし、「まあ、見えない店でも同じようなことなんだよね」と納得し、ラグメンを頼んだ。羊肉だったら困るなあと思いながらも、多くの客はこれを美味そうに食べているので確かめもせず頼んだのだが、幸いに牛肉であった。しかも中央アジアでは珍しく辛口である。さらに、こういう店では往々にしてぬるいラグメンが出てくることがあるが、これまた珍しくアツアツのラグメンが出てきた。「これぐらい辛いと、殺菌作用があるかと思って安心するよね」「熱湯消毒もばっちりだ」と、根拠のないことを言いながら2人で食べる。これほどうまいラグメンを食べたのは久しぶりのことだ。

 

 午後はサイード・アラウッディン廟(閉館につき、外見のみ)、コジ・カランのメドレセ(中は音楽博物館で、ソ連時代などの有名な歌い手の写真や楽器、楽譜の展示がある)、パフラヴィン・マフムド廟(ヒワで唯一、宗教的に真面目な場所なのではないかと思う。神聖な空気を感じたのはここだけだ)を回り、さらに、大したことのないイスラムホジャのメドレセを見、イスラムホジャのミナレットには登らず、これでひととおりの観光は終わった。

 

 共通チケットとは別料金を取るところもあり、このシステムは何とも理解することができないが、そんなことはどうでもいい。メドレセの多くは博物館あるいは資料館になっているので、ほとんどの場所では宗教色を感じない。もぎりのオバチャンや、部屋でときどき目にする博物館員もヒマそうで、彼らは、おしゃべり、読書、編み物に余念がなく、こんな場面が俗物感を助長させている。僧侶でもいればカッコはつくのだろうが、そんなものはいない。

路上のベンチに腰掛けてひと息つくと、ユウコが「テーマパーク“ヒワ”って感じだね」と言った。なるほど、良い表現である。ここには生活臭はない。だから、ブハラのような面白さが感じられないのかもしれない。良く整備されていると言えば聞こえはよいが、きれいすぎて今ひとつ興に欠ける。

ユウコはさらに言う。「ここじゃ、ホテルで生活できないよね。東門のバザールは遠いし、品数も少ないし」。1日見ればそれで充分な場所だ。それでも、ウルゲンチに泊まらなくて良かったと思う。日帰りでここを訪れていたら、テーマパークの印象をさらに強めたことであろう。

 

東門から西門への一本道は地元民にとっての通行路となっており、バザールへ買い物に行くおばちゃんや、学校帰りの子ども達が行き交っている。4人組の少女が我々のもとに近づいてきたので「サラームアレイコム」と声をかけると、嬉しそうに笑った。彼らは我々に、教科書やらノートやら筆記用具を見せて、なにかを訴えたい様子だが、彼女らは英語はもちろん、ロシア語もよく話せないらしく、喉まで出てくる訴え事が、我々には伝わらない。

名前を書いてほしいのか、写真を撮って贈ってほしいのか。

否、否。

1人の子のボールペンは先が壊れているのか、インクの部分がすぐにハズれてしまい、何を書くにも苦労している。おまけにボールの滑りが悪いのかインクが悪いのか、文字はかすれてしまう。そういうことをやって見せ、「これじゃあ、ダメなのよ」と苦笑いする。もしかしたら、彼女たちはこういうことを言いたいのではないか・・・。「私たちはこんなに粗悪なノートとペンしか持っていない。だから、あなた達のものを少しわけてくれませんか」。・・・そうなのか、と思い始めたとき、リーダー格の子が「帰りましょ」と言って、素っ気なく我々のもとを去った。もちろん真相は不明である。

 

 夕日がきれいなことを期待して、夕方再びクニャ・アルクへ赴く。「おまえ、朝に来たではないか」とオヤジの言うところを「もういちど入りたい」とせがむと、しぶしぶ「5時半で閉めるから、それまでに戻ってこい」と許可してくれた。5時を過ぎていた。朝よりは情緒のある景色であった。これがヒワの見納めである。

 

夕方、部屋に戻って休んでいると、Sさんがドアをノックし「バーで食事しませんか。用意してやるぞって言ってるんですが」と誘ってきた。しかし我々は夕食用の食べ物を買い込んでいたので、断ってしまった。Sさん、残念そうに去る。誘いを受けても良かったかと少し胸が痛む。あるいは朝、相談をすれば良かったのだ。

 

【明日の予定】

朝食後、ウルゲンチ空港へ向かい、券を買ってタシケントへ飛ぶ。そしてタシケント空港で、その日(より正確には翌日)の深夜のテヘラン行きのチケットを入手する。その後街へ出て、郵便物を出す。さらに、もはや用無しとなるウズベク・ソムを使い切る。夕食は適当に街中で取る。

予定が首尾良く進めば、これで中央アジアとはお別れだ。ユウコはロンプラを読み返し、中央アジアでの旅の総括に励んでいる。

 

【旅の総括というより、道中で見る夢の話】

このところ、日本に関する夢を見なくなった。

これまで、道中ではよく夢を見た。とくに日本を出てから2週間ばかり、引っ越しの夢をよく見た。それは例えばこんな感じである。出発前に終わっていたはずの引っ越しが実はまだ終わっておらず、引き払ったはずの部屋に荷物が残っている。それを片づけるために、旅先から日本に戻る夢。そのとき、あらかじめ頼んでいたのかいないのか、会社の同僚や大学時代の友人が現れ、「久しぶりに帰ってきたおまえのために宴会をする。今日は一緒に飲もう」ということになる。しかし、僕は旅先からちょっと帰ってきたところで、また元の街に戻らなくてはならない。しかし待てよ、僕は飛行機のチケットも取っていないし、だいたいビザはどうなってしまったのだろう?

たとえばそれが中国、敦煌にいたときに見ると、こうなる。時期は8月、つまり現実と同じ日付である。僕は幕張で住んでいた家に戻っている。引き払ったはずのアパートには、まだ荷物が残っている。これまで大家さんに黙ってこっそり置いてあったものだ。これを片づけるために僕らは日本に戻ってきた。大学時代の音楽仲間が何人か手伝いに来た。久しぶりに会ったのだから、荷物を片づけたら帰国祝いで飲みに行こうと言う。しかし、僕には予定がある。9月のはじめにはカザフスタンに入らなくてはならないのだ。アルマトイへは日本からの直行便はないし、それに、アルマトイにはウルムチから列車で入りたい。いや、旅を連続させるためには、なんとしても敦煌に戻りたい。が、中国のビザはどうすればいいのだろう? 日本に帰ってきたということは、これまで使っていたビザは切れている。ということは、中国のビザをもう一度取らなければならない。ということは、中国大使館に申請しなければならない。いつ? 明日申請しても、急いでも45日はかかるだろう。しかもそれから敦煌までのチケットの手配だ。取れるのだろうか。31日のアルマトイ行きに間に合うかな・・・。

 次に訪れる国への不安の夢も見た。これはカザフスタンに入る前に何度か見た。薄暗い、夜明け前ぐらいの時間(だからたぶん、実際に夢を見ている時刻と同じ)で、だいたい、ひなびたラブホテルのような宿に寝泊まりしている。ホラー映画などでよくあるような、うすぐらい感じ。しかし、不思議と恐怖感はない。部屋は広くて、ややもすると合宿所よろしく、人が何人か登場する。その多くは僕の知らない人か、面識の少ない人である。会話があるわけでもない。テレビがついていることがある。気がつくと外を歩いている。それは新宿や渋谷のはずれという設定が多いが、実際には歩いたことのない風景が出てくる。どこかの庭園のような感じもする。夜中だ。眼前に高層ビルがそびえている。僕は駅を目指して歩く。始発にはまだ時間がある・・・。

勤めていた会社のオフィスに遊びに行く夢というのもある。日付はやはり現実の時刻と同じ。気がつくと僕はあの会社の、あの机の前にいる。同僚や後輩が僕の姿を見てやってくる。「久しぶり! 今日は飲みに行こうか」。しかし、僕には予定がある。明日はまた、あの街へ戻らなくては・・・しかし、待てよ。チケットは? ビザは?

 

【旅の総括というより、道中で聞かれる話】

バスなどに乗っていると、地元の人から良く挙がる質問として「月給はいくらか」というのがある。僕はいつも「1000ドルぐらい」と答えることにしている。「1000ドル」という数字が答えやすい、というのが大きな理由だが、事実はそれの3倍近い額面をもらっている。それであっても、彼らは大いに驚く。そんなとき、「日本人は金持ちなのだろうか」と考えてしまう。それで、あるとき、「それでも生活は楽ではないですよ、日本は物価も高いし」と言うと、「その日本で生活できるんだから、君は金持ちだよ」と言われた。我々が意識していなくても、彼らはそう思っている。もちろん、僕らの家庭はさして裕福ではない。日本人のサラリーマンの平均年収より少ないのだ。それでも、東京で(より正確には千葉市幕張で)アパートを借りて生活をすることができた。つまり、その行為こそが「金持ちの証」なのだと彼らは言っている。じっさい、自分の本当の月収は、彼らのそれとは文字通りケタがちがう。マルの数がちがうのだ。そもそも「旅行をしている」こと自体が、金持ちの証拠なのだ。と、彼らは言う。金があるからできるのだ。「働かなくてもよい時間」を持っていることも、彼らからすれば羨ましいところなのであろう。「旅するための金」と「旅するための時間」。我々は貧乏を気取って旅行しているわけでは断じてないが、世に言う「貧乏旅行」にしても、けっきょくはゼータクな遊びでしかない、という気がする。「1日に使える予算が限られている」のは、「金がない」のとはわけが違う。極端な話、日本ではエアコン付きのワンルームマンションに住み、自動車を持っているような人間が、ネズミが走り回るボロッチイ安宿に泊まることに、なにかこだわりがあるのだろうか。旅行者は旅行者たる格好をしていれば良いのであって、いちいち小汚い姿になる必要もあるまいに・・・。