中央アジア15(No.35) ウズベキスタンの宝石〜サマルカンド

【サマルカンドへ】

下痢が止まったので、だいぶ元気になった。今日は朝食をとったあと、サマルカンドへ向かう。マサトはホテルで頼んであったズボンのリフォームが返ってきてごきげん。これで社会の窓も安心だ。サマルカンドへは大型バスで行く。しかし、システム自体は公共バスではなくミニバスと一緒で、時間がきたら出発というのではなく、お客が一杯になったら出発という形態をとっている。バスに乗って車窓の風景を眺めていると、ふと自分が外国にいるという感覚を忘れてしまうことが最近よくある。旅に慣れ、旅が日常となり、絶え間ない緊張感を持ち続けるのではなく、リラックスできるようになったという現れだが、これは良いことなのだろうか・・・。それともこんなこと考えて、慣れたつもりでいると、そのうちガツンとやられてしまうのか・・・。

途中、ウズベクの田舎の人が乗り込んでくるが、男の人が日本の着物のような形の半纏というか綿入れというか、丈の長い厚地の着物を着ていて興味深い。

サマルカンドでは旧市街のバザールが終着点で、ここで全員下ろされ、荷物も多いのでタクシーでホテルザラフシャンに向かった。ガイドブックには、「うるさくて、放浪者が多く、安全面に不安があり、虫がいる」と書いてあるが、ヨルダムチでは「ホテルタシケントより良いと思うわよ。」といわれたホテルである。なによりも、ガイドブックでは「10ドル相当のウズベクスムで泊まれる」と書いてあるが、ヨルダムチでは「30ドル」といわれたのだ・・・。不安を胸に、ホテルザラフシャンの前でタクシーは停まる。これが、予想に反してきれいなホテル!!修理されたのかしら?黒地にバラ柄という、色彩は強烈だが清潔なベッド、もちろんお湯も出る。廊下にはカーペットが敷かれ、オランダから団体観光客も泊まりに来ている。

「ここにもリノベーションがきたんだね。」マサトが感慨深そうに言う。フロントで料金を確かめても、ヨルダムチで言われた30ドルというのは正当な料金だったそうだ。

 

【今まで見てきた中で最も美しい建物・レギスタン】

一休みして「レギスタン」へ行った。なんという素晴らしい建物だろう!!ここは15世紀から17世紀にかけてサマルカンドが「ティムール帝国」の首都であった時代に、ティムールの孫ウルグベクが建設した神学校をはじめ、3つの美しい神学校が集まっている。マサトは「いつかユウコにもこれを見せたいと思っていたんだ。」と今日初めて教えてくれた。圧倒的な存在感で私たちの前に巨大な芸術が居座っている。

「こんなに美しいものが世の中にあるのか。旅に出る前は、旅の大変さや辛いことなどばかり想像していたけれど、怖がっていて外に出なければ一生このようなものは見ることができないのだ。しかも、マサトが自分が楽しむだけでなく、『私に見せたい』そう思ってくれていたということは、何と幸せなことなのだろう。この人についてきて本当によかった。」

私は感慨で胸がいっぱいになり、青色の繊細なモザイクが涙で溶けて見えた。

 

【ビビハニム・モスクとバザール】

夕食は近くのチャイハナで。ラグマンとスープを食べる。食べ物や飲み物など買い物をしてホテルに戻る。サマルカンド市内ではミニバスが頻繁に市内を巡回していて、何処まで乗っても125スム。停留所などはなく、タクシーのように道ばたで手を挙げると乗れ、「オリマス」と言うと降ろしてくれるので、とても便利だ。

快適なホテルでぐっすり眠れたせいか、翌日はさらに健康になった。朝食をとってバザールへ。バザール行きのミニバスがみつからず、レギスタン行きに乗ってそこから散歩しながらバザールを目指す。しかし、バザールの手前にビビハニム・モスクがあり、そのあまりの美しさにバザールよりもそちらを先に見に行く。入場料といって1200スム、写真撮影料といって100スム、ミナレット登り料といって1100スムとられる。なんだかチョコチョコとたくさん払わされるシステムだ。

ミナレットは最初中年のおやじに200スムといわれたが、私たちが声を合わせて「ドーラガ(高い)!!」といってごねると、べつのオバチャン(自称カッサ《入場券売り》)に「100スムでいいわよ」といわれた。入場料といっても、払ったからといって入場券があるわけでもなく、ぼられたような気がする。

それはともかく、モスクは素晴らしい。

内部が暗く、階段が小さくて崩れ落ちそうなミナレットに登って街を見たが、上からの眺めは面白いものの、ミナレットのほうは下から見るだけでも十分だという気もする

これはティムールの愛妻、ビビハニムが、ティムールが他国に遠征している間に「ティムールが遠征から帰ってきたとき、ちょっと驚かそうと思って」などといって建設させたらしいが、そんなに簡単にこんなものを作らせてしまう王族って、すごいというか、わがままというか。

バザールに行く。トマト、きゅうりがおいしそう。果物はざくろがすごい。こんなにたくさんのざくろをみたのは初めてである。他には小リンゴ、なし、りんご、ぶどうなどが季節のようで、たくさん積まれている。欧米人の団体観光客がバザールを訪れているが、手に手にサフランやパプリカなどの香辛料をまとめ買いしていく。安くて軽いから、お土産によいのかもしれない。ビビハニムのお墓はこぢんまりしていて修理中。レギスタンに戻る。バザールからレギスタンまでの道は歩行者天国になっていて、並木が美しく、とても平和な感じだ。日曜日のせいか、老若男女、人通りも多い。

中央アジアは日中暑いが、女性はみな派手なワンピースの下に派手なモンペを穿いている。厚着に見える。イスラムの影響か、スカーフをしている人が多い。そしてイスラム教徒とはいえ、男性は飲酒の習慣がある。これはソ連時代の影響なのだろうか。

 

【もう一度レギスタンへ】

昨日外から見て大感激したレギスタンだが、中はさらに美しい。

中央にあるティラ・カリのメドレセは中が金で装飾されていて、おもわず「おおっ!!」とうなってしまう。あまりのまばゆさに内部や天井の写真をとった。

ウルグベクのメドレセは中庭から後世(最近?)に造った立派な銅像が見えるが、モザイクはまだ修理中。

シェルドールのメドレセは、人面虎が外壁に描かれていて、変なデザイン。しかし本来、イスラム教では偶像崇拝を否定するので、このような絵がデザインされているこのメドレセは大変貴重な建築物だとか。中庭の中央がステージになっていて、ウズベク音楽ショーがある日もあるという。

入り口に戻り、石の上に腰掛けてメドレセにみとれていると、50代くらいだろうか、日本人の男性旅行者と知り合いになった。この人は私たちと反対のルート、キヴァからブハラをまわって、サマルカンド、タシケントといくらしい。ブハラの宿、キヴァの宿について情報を得る。ブハラで泊まった「Sasya & Sons」というB&Bは、「今までで最高のホテル」だそうだ。優しい人で、話が非常に参考になって、会えてよかった。

食事はヨルダムチの女性スタッフお薦めの「ゴーリキーパークのチャイハナ」で今日もとる。プロヴとシャシリク、チャイ。いままでシャシリクはかたまり肉(角切り)しか食べたことがなかったが、ここで初めてマサト肉団子(ミンチ)に挑戦。けっこうおいしい。

 

【グル・エミール廟】

グル・エミール廟(ティムールとその息子、孫の墓)に行く。メドレセが壊れていて、外見はレギスタンに比べると大したことないが、中はすごい!この廟にはイミテーションのお墓と、本物のお墓があり、イミテーションといわれている方のお墓は地上にあり、装飾が金ぴか!!本物のほうは地下にあって、地味な感じ。

マサトは、以前ここを訪れたとき、「本物のほうに入れてあげるから、割増料金を」と言われたそうだが、今日は割増料金は払わずに済んだ。ただ、門番のおやじに「ボールペンかライターはないか?」とせびられたので、「絵はがきならあるよ」とわらぶき屋根がデッサンされた地味な絵はがきを見せると、「それならいらん」と言われた。

ホテルサマルカンドでサマルカンドの絵はがきを買おうとしたが、高いので買わない。

 

【ウズベクオペラ】

一休みして再びレギスタンへ。シェルドールのメドレセで今日はコンサートがあるというのだ。11000スム(5ドル)。チャイとパン(ナン)がつくという。確かにお茶とお茶請けにナンとナッツや砂糖菓子、干しブドウなどが出た。権利、権利とぼりぼり食べているのは私たちくらいで、他の観客はそれらに手もつけない。私たち以外の6人の客はすべて欧米人でわりと年齢層が高く、東洋人は私たちだけだ。見せ物の内容は2人の若者の出会い、恋愛〜結婚までを題材にしたオペラで、お世辞にもうまいとは言い難く、田舎劇団の草オペラといった雰囲気。だが、女性達の踊りはなかなかだ。オペラの合間には曲芸(火くぐりやおなかに刀を突き刺すなど)がなぜか挟まれている。最後のほうでは出演者と一緒に観客も輪になってダンスを踊る。私たちも踊る。ステップがなかなかむずかしい。「お客さんもご一緒に!」というのはカシュガルでウイグルダンスショーを見たときも行われたが、こういう見せ物の定番なのだろうか。主役の女の人は気象会社の先輩、Tさんに似ていた。ライトアップされたレギスタンを見て、ホテルに戻る。もう7時を過ぎているが、ミニバスはまだまだ走っていた。ウズベキスタンもナイトライフが楽しめるくらい、だんだん治安が良くなってきているのかもしれない。

 

【シャーヒ・ジンダ廟と物乞い】

今日はまず、モハメットのいとこの墓と、ティムールの姪や妾達の墓があるという、シャーヒ・ジンダ廟に行く。

サマルカンドは非常に物乞いの多いところで、通りをあるいていると、子ども達は「ボンボン?ペン?」とねだるし、若い女性はなにやら柄杓のようなものに枯れ草を入れて燃やし、それを手に持ってもくもくと煙をあげながら、「お金をくれ」という。(この煙で清めてやっているのだから、金くれといっているのかもしれない)かれらはしつこく、ことわってもことわってもついてくる。何か対策を考えねばならないと思い、子どもが指先をすりあわせながら「カネクレー」というのにあうと、今日はわたしもまけずに同じジェスチャーをし、日本語で「ワタシニクレー」といってみた。すると、こどもは「なんだこいつ?あたまおかしいんちゃう?」というような顔をしてびびり、物乞いをやめた。

これからはこの方法で撃退しよう。物乞いにこのようなことをするというのは、ひどいと批判もあるだろうが、少しのお金を恵んだからといって、彼らのためにならないし、第一、きりがない。これは私の信条なので、しかたないのだ。

シャーヒ・ジンダ内部は、いくつかが修理中で、一番奥の立派なモスクは作業員も多く、入れない。モハメットの従姉や、ティムールの姪の墓は修理が終わっていて、きれいな青のモザイクで飾られている。私たちにとってここは「観光名所」だが、地元の人にとっては「聖地」で、お祈りに訪れる一般人の姿が見られる。欧米人ツアー客が多く、旅の記念にと8ドルから15ドルする絵を購入していく。私たちは絵はがきとTシャツを買った。

 

【ウルグベクの天文台】

まだ時間があるので、バスに乗って「ウルグベクの天文台」へ行く。ウルグベクはティムールの孫だが、政治家としてより学者としての識見が高く、特に天文学に造詣が深かったという。サマルカンドの郊外にぽつんと天文台があるのだが、ここも修理中で土台しかない。深く掘った滑り台のようなものがむき出しになっている。滑り台のところが観測室で、本来はこの上にドームがあったらしい。となりに博物館があって、ウルグベクに関するいろいろな絵や写真、説明があっておもしろい。いくつかの展示物には英語の説明書きもある。バスとミニバスを乗り継いでホテルに戻る。フィルムを現像に出し、ホテルサマルカンドでテヘラン行きの飛行機について尋ねる。直行便はウズベキスタンからはなく、イスタンブールを経由していくか、アシガバートから行くしかないという。まに、「先にイスタンブールに行って、そこから東進してイランに行くのはどう?」と聞いてみたが、「道順が逆だ。」論外という感じで却下される。いっそのこと、ロンドンに行く?バンコクに行く?などと半分やけくそで考えたが、イスタンブールへ行って、アシガバートへ戻るという案に落ち着きそうである。いろいろ私が提案しても、結局はマサトの行きたいルートにせざるを得ない。明日、ウズベキスタン航空のオフィスに行って、詳しい話を聞いてみることになった。

ヨルダムチおすすめのゴーリキーパークのカフェは美味しくて安い。シャシリク5100スム、プロヴ80スム。しかし、メニューはシャシリクと、プロヴとショルパしかない。もちろん羊肉だ。念願の食べ物の写真をとる。口で言うだけではどんな食べ物かわからないだろうから・・・。

 

【ウズベキスタン航空へ】

今日は晴れてはいるが、雲が多く、やや肌寒い。ウズベキスタン航空のオフィスが入っているという、ビジネスセンターへ行く。建物は立派だが、まわりはがれきの山で、テナントが入っている様子はない。1階の入り口のところをよく見ると、一つだけオフィスが入っているのが見えた。これがウズベキスタン航空のオフィスであった。スタッフは若い男性1人とパソコンのオペレーションをしている若い女性1人のみ。親切にいろいろと教えてくれる。しかし、イスタンブール行きのチケットは1500ドルするとのこと!高い!!ウルゲンチからタシケントまでのチケットは80ドル弱と、そんなに高くない。ここでチケットの予約することはできず、「チケット売り場へ行ってください」と言われる。男性スタッフがチケット売り場のある街へ行けるバス乗り場まで、親切に道案内してくれる。彼の話では、19993月にドル両替が解禁になるという。そしたら、闇両替も少なくなるのだろうか。チケット売り場へ着き、ウルゲンチ発タシケント行きを買おうとすると、「満席でキャンセル待ち」だという。(そんなアホな。)しかも、チケットがとれるかどうかわかるのに2〜3日かかるという。「困ります」というと、「今日の5時に来なさい」といわれる。しかも、有無を言わさず、一般人のチケット売場から「インツーリスト」と書いた窓口に回され、さっきは高くて80ドルだと説明されたのに、ここでは103ドルだと言われた。なんでこんなに高く言われるの?意気消沈する2人。ホテルに一旦戻り、現像された写真にコメントなどをつけ、もう一度気分を変えるため、レギスタンを見に行く。何度見ても美しい・・・。

5時前に再びチケット売場へ行く。すると、「ウルゲンチで買えるわよ。端末がないから、ここで空席を確認するのには2〜3日かかるの。」と言われる。早く言え~!!と頭にくるが、怒っても仕方ないのでウルゲンチでとることにする。

今日はタバカが食べたかったが、ないので仕方なく昨日の店でまたシャシリクを食べる。口の中が脂っこいので、冷たいものが欲しくなり、アイスクリームを買った。この包装紙が「ウルグベク印」で、ウルグベクのイラストがかわいらしく印刷されている。140スム。(約5円)いつもお酒のラベルしか取っておかないのだが、あまりの愛らしさに、この包装紙は取っておくことにした。アイスクリームのほうはチョコがけされたバニラアイスで、ロシアの影響か、なかなかおいしい。もちろん国産(ウズベキスタン)。ウズベクでも老若男女問わずアイスクリームをよく食べる。

ウズベキスタンの商店街やバスではリチャード・マークスの「ハザード」という曲が良く流れている。リチャード・マークスは私が高校生の時に1人で初めてコンサートに行って、(五反田の「ゆうぽうと」だった)前から3列目の席になって「目があった!」と大感激した歌手だ。この曲はシングルカットされていないはずなのに、どうしてウズベキスタンではやっているのだろう。しかも、暗い曲調なのに・・・。あとはディズニー映画のテーマ曲などが街で良く流れている。

 

 

(つづく)