中央アジア17(No.37) 城壁に囲まれた街〜ヒヴァ

【世界遺産ヒヴァへ】

今日はヒヴァへと出発する。ここは、ウズベキスタンで一番最初に世界遺産に認定された場所だ。城塞まるまる一つが世界遺産になっているという。

ドイツ人の皆さんも今日でチェックアウトとのこと。サマルカンドへ向かうという。ドイツの皆さんが出発した後、本館の客室を見せてもらう。とても美しい!サマルカンドで会った人が、「最高のホテル」といったのもよくわかる。ミニ・バーやシャワーなども全室にあり、たしかに別館よりグレードが上だ。泊まってみたいと憧れる。ただし、「バスルームで洗濯をしないでください。洗濯はランドリーサービスを使って下さい」という注意書きがあり、私たちのように洗濯したり、食事を作ったりと生活しながら旅をしているものにとっては、美しい本館に泊まるよりも、気楽な別館に案内してもらって、かえって良かったと思う。Sasha氏も人を見たのかもしれない。

10時過ぎにチェックアウト。バスターミナルへ行き、バスでキヴァまで行こうと思ったが、バスは午後2時半に1本しかなく、しかも「今日あるかわからない」という状態なので、タクシーで行くことにした。

途中、野生の駱駝を見る。車窓からは砂漠とステップしか見えず、街道沿いにも建物は少ない。

トイレは砂漠の真ん中に木の板でできた囲いがぽつんと立っていて、そこにするのだが、穴はなく、排泄物がやまもりになっている。げんなりして、マサトについたてになってもらい、別の場所でする。

お昼になったが、運ちゃんは食事などとらない。私たちもそのほうがありがたい。

しばらくして、「ガソリンがない。ガソリンスタンドも休みだ。」と運ちゃんは言いだした。そんなこと言われても、こちらとしても困る。

アムダリア川流域のオアシス都市までねばり、一般民家からやっとのことでガソリンを購入した。

16時半ヒヴァ到着。運ちゃんは「ガソリンが高かった」とマサトに料金アップをねだったが、

「それは俺の知ったことじゃない」とマサトは強気につっぱねた。マサト、頑張った。最初の交渉どおりの50ドルを受け取り、しぶしぶながらも運ちゃんは帰っていった。

今日泊まる、ホテルヒヴァは本当にメドレセで風情があるが、ちょっとボロい。しかし、110ドル(朝食付き)と思えば、こんなもの?お昼も食べなかったし、おなかが空いたので、街を1周するが、食堂がない。ヒヴァは街全体が博物館になっていて、人々の生活する場所ではないので、博物館の閉まる5時を過ぎると、お店というお店は皆閉まってしまうのだ。

仕方なくホテルのバーで食事をとる。めだまやきしかできないそうで、300スムもする・・・。食事していると、もう1人日本人がやってきた。Sさんという。ロボットコンテストのトレーナーを着て、NHK手帳を持ち、取材スケジュールと書いたA4の書類を持っているので、NHKの人かな、と思う。マサトと話がはずむ。私たちが飲んでいたシャンパンを勧めるが、残念ながら下戸らしい。トルクメニスタン・イラン・トルコと大陸を渡っていくという。線の細い人だが、冒険好きなようだ。

 

【ここでも結婚式】

食事後、外を散歩していると、イスラムホジャのメドレセの前で結婚パーティーが行われている。ちょっと見せてもらうつもりが、「まあまあ座れ」となり、「食べろ食べろ」となり、「飲め飲め」となり、「写真写真」となり・・・。すっかり長居してしまった。以下のようなごちそうの数々や、ウォッカなどいただき、すっかり酔っぱらう。さっき、ホテルで目玉焼きをたべてしまったことが悔やまれる。

キヴァ 結婚式の料理

羊肉とニンジンのプロヴ、魚のフライ、ポテトフライ、ソーセージ、ナン、すいか、りんご、ぶどう、ももなどなど・・・

 

【ヒヴァ観光】

朝は冷えるが、毛布のおかげでよく眠れた。朝食はホテル内でなく、別館のレストランでとった。目玉焼きとパンと内容は質素だが、砂糖菓子やナッツ、ヨーグルトそしてコーヒーと紅茶が付く。朝食時、Sさんと一緒になった。今日も話がはずむ。気さくな人だ。

中央アジアに入って以来、Sさんはおなかの具合が悪いという。ナッツを食べながら「これはおなかに良いんですよ。固めてくれる。」とおっしゃるが、かえって消化に悪いのでは・・・?

朝食後、早速観光へ。昨日、ホテルにチェックインしたときに、「見所パスポート」のようなもの(とはいえ、何カ所かの見所のチケットを藁半紙に印刷しただけのものなのだが)を購入させられたので、ほとんどの見所はそのチケットで入場することができる。

クニヤ城に行ってみる。城壁に登ることができ、そこからの眺めは非常に美しい。美しすぎてテーマパークみたいだ。人々の生活臭がしないからだろうか。お城にはむかし裁判所として使われた場所があり、審判は3つの入り口を示すことで行われるそうだが、左の入り口は無実(自由)を、真ん中の入り口は懲役(牢屋入り)を、そして、右の入り口は死刑をしめしたそうだ。

ジュマ・モスクへ。高床式倉庫を思い起こさせる造りで、珍しい。柱しかない建物なのだが・・・。博物館にはウズベク人の生活風景が蝋人形で示されていて、くつをぬぎ、絨毯の上で生活するところや、冬はこたつを使うところなどが日本人の生活様式と似ていて、興味深い。キヴァの街は、西安のように四方を壁で囲まれているが、東門のはずれにバザールがあるので行ってみた。

しかし、月曜日のせいなのか、もともと物が少ないのか、私たちの求めるものがない。ナンも売ってはいるが、冷たくて固い。がっかり。歩き回って少々くたびれたので、ホテルに戻って休む。小一時間ほど休憩して外に出ると、今度は「昼休みだ」といって、見所はすべて閉まってしまった。

仕方なく西門の外にあったチャイハナで昼食をとることにする。カフェテリア方式で、ラグマンくらいしかない。蠅がわんわんいる。清潔とはいいがたいが、味はよろしい。牛肉を使っている。よかった・・・。地元の人は蠅は気にしない。きれいな街だが、小さい街なので14時には全て見終わってしまった。長居したくならないのは、あまりに不便なせいか?

今日見学した中で、一番美しく立派だったのは、パフラマン・マフムドという詩人の廟だった。靴を脱いで上がらなければならないところも有り難い感じ。一歩入ると、おもわず「おおっ」と感嘆の声があがる。夕方、もう一度城壁に登る。夕焼けのキヴァを見て、満足。

明日、うまくテヘラン行きのチケットがとれれば、もう中央アジアも終わり。長かったけれど、途中「はやく別の場所に行きたい」と思ったこともあったけれど、終わってしまうと思うとちょっと寂しい。かといって、もう他に見るところもないのだが・・・。

 

【金持ちの道楽の話など】

翌日、朝焼けのキヴァを見よう!と早起きして散歩した。街のすべての見所はまだ閉まっているので、城壁にも登れず、美しさはあまりわからない。でも、気はすんだ。

マサトの日記に昨日「金持ちの道楽」の話が書いてあったが、「金持ちの道楽旅行」というと、マサトに出会うまでは私の中で旅行とはイコール(=)休暇であり、つまり日頃疲れた肉体を休めるため、温泉でのんびりしたり、南の島で泳ぐとか、ツアー旅行で豪勢なホテルに泊まるとか、そういう「豪奢でぐうたらした生活」を意味するものだと思っていた。私はそういうものにはあまり興味はなかった。ゆえに、旅行にもあまり興味はなかった。(そりゃ、温泉は好きだけど)しかし、この3ヶ月の生活はどうだ!?日本にいるときよりも、もしかしたらハードな毎日、規則正しい生活!何もしないでぼやっとしているような日はない。これはマサトが几帳面な性格で、それが旅行スタイルとしても出てくるのか・・・。

ところでSさんはNHKの人じゃなかった。フリーライターだそうである。名前も私の思っていた名前とは違った。私の思いこみは相当なものだ。Sさんは主にガイドブックに寄稿しているという。まだ、この街に残るSさんは私たちを見送りしてくれると言う。いい人だ。マサトも友達ができて、うれしそうだ。今までSさんが出した著書は、双葉社の「好きになっちゃった」シリーズ(共著)、近畿日本ツーリストのガイド「ブルガリア・ルーマニア・バルト3国」などだそうだ。Sさんとの別れが名残惜しいが、朝食後、空港へ向かう。西門のタクシーは商売気が全くなく、私たちの言い値、1000スムであっさりOKする。(あとで考えれば、タクシーではなく、一般人だったのかもしれない)鈴木さんは私たちの車が西門から見えなくなるまで手を振ってくれた。Sさんも元気でね!

 

【チケットでまたどたばた】

ウルゲンチ空港に到着。チケット売り場はあるが、閉まっている。隣の窓口におじさんがいるので、

「チケット買えませんか?」

とマサトが聞くと、

「街中にあるチケット売り場で買え」

とぶっきらぼうにいわれる。しかし、少しして

「ここにもチケット売りがくるから待っていろ」

と言いに来てくれた。実際、すこししたら人が来て、チケットを売り始めた。隣の窓口にいたおじさんは少しエライ人らしく、我々のチケット取りをなにかと手伝ってくれた。マサトは

「いかつい顔してるけど優しいナ」

と言った。そして、順調にチケットが取れる・・・はずだった。障害になったのは、なんと、ドル払いじゃだめだというのだ!なんで、ドルじゃだめなの?チケットにはドルで値段が書いてあるのに。公式レートで払うと言っているのだから、チケット売りのおばちゃんにとっても良い話じゃない!!と思うが、だめなものはだめと融通がきかない。空港の銀行も閉まっていて、両替ができない。

「ホテルが近くにないかな」とマサトが言う。空港の外にコンクリートのやや大きめな建物がある。ホテルかもしれない・・・。私がずんずん入っていこうとすると、入り口で軍人さんに呼び止められた。

軍人さん「何の用だ?」

私「ここ、ホテルじゃないんですか?」

軍人さん「軍の施設だ。」

私「失礼しました・・・。」

ここには両替できる施設はない。私は荷物番をすることにし、マサトが1人で街に出て両替してきた。マサトの頑張りにより、なんとかタシケントまでのチケットがとれた。よかった、よかった。

無事、タシケントに到着し、テヘランまでのチケットをとるべく、イラン航空とトルコ航空のオフィスへと急ぐ。

イラン航空のオフィスは閉まっていて、フライトがあるかどうかもわからない。

トルコ航空へ。イスタンブール経由テヘラン行きで、明朝4時のフライトに空席あり。しかし、1840ドル!めが飛び出た!!(・o・)!!

しかし、ほかに選択の余地もない。イラン航空に聞くといっても、すぐにフライトがあるかどうかもわからない。最悪の場合、タシケントに1週間足止めだ。そしたら、500ドルはかかる。考慮するにも、もう夕方の5時で、トルコ航空のオフィスもあと30分でしまってしまう。イスタンブールに行くしかない・・・。エイヤアと2枚チケットを買う。馬鹿だっただろうか?でも、考えた結果だから・・・。

「これでラグマンも最後」とラグマンの食べ納めをして、空港へ行く。

明朝4時のフライトなので、今晩は泊まらずにしばらく空港で過ごすのだ。

その前に小包を日本に送りたかったのだが、郵便局で国際郵便が出せなかったので、国際空港ならDHLでもあるだろう、と考えるが、甘かった。

タシケント空港の国際線ターミナル(ロビー)にはトイレさえない。国内線の設備は最近良くしたらしく、非常にきれいでシャワー付きのトイレなどあるが、国際線はあとまわし。一旦外に出て、暗い夜道を国内線ターミナルまで歩いてトイレに行かねばならない。12時をすぎると、国際線ターミナルは鍵をかけてしまうので、中に閉じこめられて外にも出られない。もちろんトイレには行けない。ましてやDHLがあるどころではない。もちろん空調もないので、おそろしく寒い。治安的にも心配なので、眠ることもできない。

マサトは

「同じ国際空港なのに・・・成田って本当にすごいよな。」

本当に。成田国際空港はすばらしい。

ここでの楽しみは、余ったスムを売店で使い切ることくらいだ。きちんと計算して、お菓子やコーヒー、ホットドッグなどに残らず化けた。

 

【思いがけずイスタンブールへ。でも見ない。】

朝が来た。

イスタンブールへ。トルコ航空は5時間の短いフライトの間に、2回も食事を出した。もちろん、最初の食事しか食べきれない。あと、お持ち帰り用洗面セットがおまけで付いてきた。なんだか豪華だ。

イスタンブールからテヘランへの乗り継ぎには、約1日の空白があり、今日は思いがけずイスタンブール観光だ。寝不足の頭で見たアタチュルク空港は、まばゆいばかりの大都会!免税店もでかい!!しかし、出入国手続きの簡単なこと!いままで、幾度となく尋問されてきたので、これでいいんか?と思うくらい。ビザなしってありがたい・・・。(日本人はトルコはビザなしでよい)

そして、イスタンブールの街は美しい!!旧市街も見たが、店が一杯!!なんでもあるし、ゆたかだ〜!!街もきれいで、ごみを路上に捨てる人もいないし、みんなタンも吐かないし、馬糞もないよ〜!!銀行のATMでキャッシングしようとするが、使えない。しかも、カードが機械に飲み込まれたまま、戻ってこない。やっぱり海外では窓口でキャッシングしなければだめなのだろうか。でも、ガイドにはできると書いてあるし、実際中国ではできたのに・・・。右往左往してると、カードは戻ってきた。お金はまだなんとかなるから、とりあえず食事しよう。食べ物がおいしい!!カフェテリアでは、どれを食べようかまよってしまうくらい、どれもおいしそう!!胃袋が3つはほしい!そして今までよりは数段清潔!!しかし、高い・・・。

建物はいわずもがな美しい。海が目新しい。カモメが懐かしい。しかし、もう一度来るその日のために、今日は一生懸命見ないようにする。イスタンブールに来てしまったのは、本当のアクシデント。私たちはあくまでも東から西を目指すのだ・・・。

 

【大きな落し物】

郵便など出して、散歩して、空港に戻った。空港ではどしゃぶりの雨。夕立だ。その雨の中「確認」と称して、乗客の荷物が外に出しっぱなしになっている。タシケントからトランジットで来た人々の荷物のカーゴが外に出されているのだ。皆雨の中、滑走路に降りて、自分の荷物を手で持ち、片方のカーゴから、もう一つのカーゴへ「載せて」と頼んでいる。私たちもそれに習い、荷物もあった!でも、私の寝袋がない!しかも、カバンが開いている!!緩くなった金具が外れてしまったのだ。

「寝袋はどこ〜!?Where is my sleeping bag!?

私は、叫ぶ。

係りの人が

「探してきますから、待っていてください。」

マサトも係の人に一生懸命説明してくれる。2人で雨に濡れながら待つ。しかし、寝袋はみつからない。

「テヘランで落とし物預かり所(Lost & Found)に申し出て下さい。」といわれてしまった。

がっくり。マサトさん、ごめんなさい・・・。半泣きでシュンとしていたら、マサトが

「アラーの神が、もうイランと言っトルコ」

と下手な洒落を言って慰めてくれた。私は大笑いした。ありがとう。マサトはこれでアルコールが当分飲み納めと、機内食で出されたワインをごくごく飲んだ。私も疲れているのか、少しでよく酔いがまわった。いよいよ、イランだ!

 

(つづく)