中央アジア3(No.22)  続くトラブル(アラザン・バス事件)〜アルマトイ3

 

警察連行事件から1週間後、アルマトイ滞在の最終日に私たちは「アラザン・バス」、日本でいうところの「健康ランド」に行ってみた。

バス(風呂)といっても湯船はなく、サウナが主で、あとはシャワー室と洗い場、それにプールがある。とても楽しい場所だ。

 

私たちは平日の朝10時半に行ったのだが、「なぜ平日の真っ昼間からこんなにたくさんの人が風呂に入っているのだろう。皆さん、仕事は?」と

疑問に思うくらい、たくさんの人がいて、不思議なくらい、みな太っていて、その見事な巨体をさらけだしている。客は老いも若きもおり、年齢層に偏りはない。

 

ロシア系の人が多いようだが、カザフ系というか、東洋系の肌、髪の毛をした人も結構いる。風呂なので男女はもちろん分かれており、サウナでは裸だし、付属のプールもみな裸で泳ぐ。日本人は銭湯ではタオルで前を隠すのがマナーだが、こちらの人は下半身に何もつけない。しかし、プールでは頭にタオルをまいて泳ぐのが、こちらのマナーらしい。カザフの女性は皆、髪が長いので束ねる意味があるのかもしれない。熱いサウナにはいったあと、プールで泳ぐのはとても気持ちいい。ただし、カザフスタン人体型に合わせて作られているので、プールは深い。私は身長154センチなので、一番浅いと思われる端の部分でも、つま先立ちしてやっと顔が出るくらいだ。中心部では、怖くて試せなかったが、たぶん足もつかない。私は端から端までヒッシに泳いだ。プールは円形で直径が15mくらいだろうか。けっこういい運動になった。シャワー室の横にはマッサージコーナーもあり、気持ちよさそうに横たわっている地元の人の姿が見えた。そこでは、フェイシャルエステもやっていて、顔パックをしてもらっている人もいた。このあたりは日本と一緒で、どの国でも女性はお肌の手入れに余念がないのね、とほほえましい気分になった。私も金銭的に余裕があったら、エステしたいところだが、今日は我慢である。入浴時間は1回2時間で、毎回入れ替え制ということになっている。昼間の回は夜よりも料金が安いようだ。建物も石造りで重厚感があり、掃除もしっかりされていて、なかなかきれいである。ロッカーは鍵当番の職員がいて、その人が鍵をかける。とくにチップなどは必要ではない。私はあがって、ホールで暢を待っていた。男風呂からは、ビジネスマン風の男の人が、真っ昼間から何食わぬ顔してスーツ姿で風呂から出てきたりする。人間観察も楽しく、私はお風呂を満喫し、ごきげんだった。

 

しかし、暢が予定の2時間を過ぎてもなかなか出てこない。このままでは次の回が始まってしまうが・・・しばらくして、浮かぬ顔をした暢がやってきた。開口一番、

100$足りないんだ。」

という。どうも男湯では貴重品のチェックがあり、パスポートと現金を預けさせられたらしい。暢はいぶかしげに続けた。

「昨日バーバの部屋で、お金を数えただろ。今日、貴重品を預かるおやじが目の前でドルを数えてみせたんだけど、あのときの金額に比べて、すでに100$少なかったんだよ。昨日、裕子が触ったあと、きちんとお金を元に戻さなかったんじゃないか?」

確かに昨日、私たちは久々に銀行に行き、生活費をドルでおろした。金額を夕食後部屋で数えて確かめたのだが、私はそれに含まれていた新デザインの100$札が珍しくて、部屋で窓のほうにお札を持っていって「すかし」を眺めたりしていた。確かに最後に触ったのは、私だろう。しかし、お金だし、きちんと戻したはず・・・。

「その人が何か細工したんじゃないの?」

と私は反論するが、

「オヤジは上半身裸で、下もバスタオルしか巻いていない。座っていたけれど、隠すというのは考えにくい。あの人にだまされたとは思いたくないんだよなあ。」

と、暢は譲らない。

「でも、1000$もの大金をもっていたんだよ。そんな大金を見せたら、『1枚くらい・・・』って思うんじゃない?」

「でも・・・。」

水掛け論になっていた。暢は貴重品を預けなさいと言われただけでなく、そのほかにもいろいろと質問されたらしい。私は何も預けなさいとはいわれなかったし、話しかけられたといえば、せいぜいサウナの中でお客さんの1人に

「お嬢ちゃん、ここに座っていいわよ。」

と場所を譲られたくらいだった。「お嬢さん」ではなく「お嬢ちゃん」と話しかけられるのは、それだけ、私が周りになじんでいたのだろうか。それとも本当に子供だと思われたのだろうか。

 

暢が100$無くなってしまったのは本当に痛いが、その場ではどうにもならないので、とりあえずバーバの家に帰ることにした。

 

しかし、良くないことはこれで終わりではなかった。やっと家に着いた、と暢に鍵を開けてもらおうとすると、暢が

「鍵がない。」

という。アラザン・バスで落としたのかもしれない。幸い玄関が開いていたので、

「アラザン・バスに戻って探してくるから、裕子は部屋で待っていてくれ。」

と、暢に言われ、私は1人で先に部屋に戻った。なぜ、玄関が開いているのかと思ったら、バーバと同居している孫娘のナーディアとその彼氏が中にいたのだった。バーバは気を利かせたのか、外出しているらしい。いつも2人一緒の私たちが別々に行動していることを不思議に思ったのか、ナーディアが

「マサトは?」

と聞いた。

「街に行っているの。」

と私が答えると、

「お酒を買ってくるの?マサトはDrink , Drinkね!」

とナーディアは笑った。暢は日本でも酒量が多いと言われるが、毎晩ビールを2〜3本あけているので、お酒を飲まないバーバとナーディアは、滞在中に出る空き瓶の多さにびっくりしているのかもしれない。私も乾いた愛想笑いをしながら、

「鍵をなくしたことを知ったら、笑ってはすまされないだろう・・・。どうか見つかりますように。」

と、心の中でつぶやいた。1時間ほどして、がっくりした様子の暢が戻ってきた。アラザン・バスではもう掃除が終わったあとで、鍵は出てこなかったという。私は

「正直に話そうね。」

と言って、暢をなぐさめた。

 

帰ってきたバーバに鍵をなくしたことを伝えると、意外にもバーバは優しく、

「新しいのを作るからいいよ。」

と言ってくれた。これまで10日間バーバの家に滞在し、バーバにはなんの迷惑もかけず過ごしていたのだが、よりによって最後の夜に、信用を失う事をしてしまうとは・・・。なんとも残念な気持ちになった。それにしても今日はついていない1日だった。

 

しかし、私は思った。このことで暢を責めるべきだろうか?暢は今日、100$を失い、鍵まで失ったが、反省している人に追い打ちをかけても仕方がない。それよりも暢はいつもリスクを負って、私の代わりに全ての貴重品を持っていてくれたのだ。なんと私は暢に甘え、頼っていたことか。このような状態では「旅についてきた」と言われても仕方がない。中国で反論してはみたけれど、カザフスタンにはいってから、また私は甘えた生活に逆戻りしてしまっていたのだ。言葉ができる、できないという問題じゃない。一緒に旅をする以上、どちらかに寄りかかってしまってはいけないのだ。これからは、私ももっとリスクを負おう。今日、今ここで何かが起こり、私が一人になってしまっても、その後もきちんと旅が続けられるくらい、自分自身自立する必要があるのだ。私はそう思い、深く反省した。背も低く、童顔で、旅行中は子供に見られやすい私が、日本でも20代のときから30代に見られ、旅行中は私の保護者のように思われている暢より大金を持っているとは誰も思うまいと、私が暢よりも多くの現金を持ち歩き、鍵などの管理もするようになったのは、この事件があってからである。

 

自分自身が自立して過ごしていけるようにすること、これは旅先であっても、旅先でなくても、相手と対等な立場で暮らしていくためには必要不可欠なことであると、旅を通して私は気づいたのである。

(つづく)