8月13日(木) 敦煌 曇り時々雨

 7時に目覚まし時計が鳴るまで眠っていた。これまでの旅行生活では珍しいことだ。寝心地が良かったのかもしれないが、それよりも、疲れているのだろう。

 それでも今日は莫高窟へ行くのだ。我々は鳴沙山や月牙泉といった、敦煌での他の観光地に行く気はない。莫高窟さえ見られればそれでよい。莫高窟行きのバスは、街の中心街に出ればミニバスを拾うことができるという。8時頃に本数が多いとのことで、鳴山路へ出た。ワンボックスタイプの車やマイクロバスが、通りをゆっくりと行ったり来たりしている。車を転がしながら、車掌が声を挙げて客引きをしている。運転手も顔を出して「マオガオクー!」と声を挙げる。どれも変わるものでもないが、それらの一つをつかまえるべく、通る車を長めながらうろうろしていると、通りかかった一台のライトバンから、娘が声をかけてきた。

「莫高窟、去不去?」

 この娘が車掌らしい。彼女と運転手のオヤジによれば、往復10元。まけることはできない。バスの客引きからは初めて声をかけられたのだが、とくに断る理由もないので乗り込む。客はすでに3人乗っている。定員は10人程度だろうが、この調子ならすぐに出発できるだろう。

 甘かった。客引きのため、街の通りを右往左往するが、この車には客がちっとも集まらない。娘が通りのお客に声をかけても、別の車にとられてしまう。食堂に入って客引きをしてもだめ。娘は小さな女の子を従えていたが、その子すら「お客さん、来ないね」と娘を慰める。

僕はユウコに言った。「車掌は運転手の嫁かね。若いのに子連れで大変だなあ」。

するとユウコは目をまん丸にして答えた。「ちがうよ、娘だよ。いくつだと思ってんの」

僕は、その車掌娘が20才ぐらいの子だとばかり思っていたが、改めてよく見るとせいぜい12かそこらといったところだ。つまり、そばにいる7,8歳と思われる小さな子は妹である。どちらも小柄でショートカットのかわいらしい子だが、「嫁かね、とは、とんでもないことだね」と、自分でおかしくなってしまった。

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客は集まらない。運転手のオヤジも声を挙げるが、だんだん切実になり、そしてだんだんとイライラしてきた。オヤジは声を張り上げる。「マオガウクー!!」通りの客を見つけては「おい、行け!」と娘を出す。娘が声をかける「莫高窟、去不去?」すると横から別の客引きが現れる。こちらは男だし年も上だ。交渉負けして客が取られる。娘は意気消沈する。押しが弱いのだ。この押しの弱さは我々にも一本通じるような気がして、「がんばれー」と応援したくなる。

しかし我々は客だ。客はサービスの良い方を選ぶことが出来る。すなわち、このミニバスに乗っていた他のお客さんたちは、1人、また1人と降りてしまい、ついに我々2人だけになってしまった。ほかのバスは客を満載にして繰り出していく。新しい車が通りにあらわれる。我々も早く出発したいので車を変えたくなるが、この親子3人がなんだか不憫になってきた。

我々だけが呑気にしている。

その後、ふとお客が何人か集まってきた。空席を2つ残して、運転手のオヤジはしびれを切らしたように出発した。8時半だ。

オヤジは、先を越されたライトバンやマイクロバスどもに対する恨みを晴らさんが如く、莫高窟までの一本道をブッ飛ばす。速い速い。先を走る一台のバスに追いつき、追い越した。瞬間、オヤジが得意げになったように見える。

敦煌の街を出るとしばらくは農耕地が広がるが、やがて砂漠となる。今日は天気が悪い。雨も降っている。砂がしめっている。重く、陰気な色が広がる。閑散とした砂浜が、延々と続いているようだ。

ときおり、道沿いに高さ1mほどの盛り土というか盛り砂がある。円錐形をしている。その前には墓石のような石碑がいくつも並んでいる。墓地なのか。しかし、この盛り砂はいずれ無くなってしまうのだろう。彼らもやがて自然に帰るのか・・・。

9時に到着。駐車場の案内の「P」の字が左右反対になっている。

ここで集金。復路の分も払わされる。帰りは12時出発とオヤジが言う。あやしいものだが乗って来てしまった以上、信用するしかない。

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莫高窟の入場料は1人50元。個人で見ることはできず、20名ぐらいの一団となって、ガイドとともに回る。

さすがに世界に有名な石窟とあって、見応えは十分だ。説明は中国語だけなので何を言っているのか分からないのが残念だ。ユウコも「周りがうるさくて、よく聞こえないし、だいいち早口で」、かいつまんだところがやっとのようだ。それでも、お客さんは笑ったり感心したりしている。なかなか楽しい話のようでもある。

客は多い。各団体が入り乱れる。その中には日本人ツアーもある。こういうときばかりは日本語の説明がうらやましいが、隊列を離れるわけにはいかない。

莫高窟には一般公開をして誰でも見られる窟と、特別料金を払わなければ見られない窟とがある。我々は特別料金を払わないが、それでもガイド付きツアーでは、一般公開中の一部をダイジェスト紹介しているだけだ。そしてどれを見せるかは、どうやらガイドの趣味で決定されるようである。これはユウコの観察による。さらに、ある窟の中での説明、というよりお話の内容も、ガイドの趣味、というよりネタの準備度で決まるらしい。つまり、同じ窟の中でも、ガイドによって説明内容が違うのである。

ちなみに我々が説明を受けたのは以下のとおりであった。カッコは見物当時に書いた自分のメモである。

16 17 332(大味な臥仏) 328(GOOD) 420 427(笑顔の仏像) 428(トラに食われた僧侶の話) 257(唐王 最古の飛天 裸) 249 96(でかい!) 130(これもでかいが、やや汚い) 148(あうん像 大きな涅槃像 弟子がいっぱい見守る)

ひととおり説明が終わるとあとは自由行動になる。元気に歩き回る日本人がいる。なるほど、たしかにここには1日いても飽きないだろう。問題は、一般公開の窟でも公開しているのはごく一部に過ぎないということだ。むしろ閉じている窟が多い。残念なことである。

なんとなく、地元民も着用している敦煌Tシャツを買った。40元のところ、短パンもつけて33元までまけた。

土産物屋に富士フィルムのISO400を発見した。値段を聞くと1巻60元とは日本よりも高い。この店ではISO100のフィルムでも25元する。土産物屋の暴利だ。それともこの国ではフィルム自体が高いのだろうか。しかし、ここにあるということは街にもあるに違いない。

12時に駐車場に戻ると、朝のライトバンの姿はなかった。まさかここでずっと待っていたとは思えず、きっと別の場所でひと仕事しているのだとは思う。しかし、20分たっても現れない。一緒に乗った人たちもうろうろしているから、行ってしまったということでもないのに。あきらめて、別のバスに乗る。片道5元。行きに同行した中年夫婦が乗っていた。我々を見て、少し疲れた笑顔を見せた。「彼らは来ないよ」と言ったかどうか。

敦煌に戻る。市場の食堂で面を食べる。この店は、テーブルは古くさいが厨房は忙しそうで、客もいる。うまかった。辛くなくしてもらったので、胃にも優しい。

「そういえば」と思い出す。西安で昼飯を食べた麺屋は衛生的に問題があった。しかしそのときは特に気にせず食べた。ユウコは目の前で「ハエが交尾をはじめたので」食欲が減退したのだそうだ。あのとき食べたのは刀削面だったかな。ユウコは「あのあとかなあ、お腹がおかしくなったのは」と言う。以来、ずっとすっきりしない日が続いている。

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 敦煌には「西涼碑酒」の看板が多いが、西涼碑酒・西涼干酒(ドライ)・西涼氷酒(アイスビール)などに混じって「西涼果碑」なる看板がある。あれがどうも気になった。なにがどう「フルーツビール」なのだろうか。店先にある空き瓶を観察すると、ラベルにはパイン・イチゴ・リンゴ・ミカンなどが描かれている。店で所望するとおかしな顔をされたが、とにかく1本買ってみた。ラベルに小さく「パイン味」と書いてある。それが妥当であるかどうかは微妙だ。甘いが、意外とうまい。それでも、冷えていないと飲みにくいかもしれない。アルコールは0.9%の飲料だが、ビールより高い。「この書き方だと、ほかにリンゴ味やミカン味もあるに違いないよ」とユウコが言った。

 雨が降る中、フィルムを求めて買い物に出る。カメラ屋でISO400のフィルムをついに発見した。値段は1巻45元。やはり日本より高価だが、さきの土産物屋に比べるとだいぶ値が落ちた。考えてみれば写真は記録として重要だし、土産を買う代わりという名目もあるし、消息を日本に知らせるための情報でもある。42元までまけてもらって4本買った。違う店では55元で売られていた。

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 飯はうまいのだが、胃の調子はいまひとつだ。あいかわらず朝に痛みが来る。ひととおり出せば楽にはなるのだが、先々への心配の種である。蘭州で買った薬「寫痢停片」を飲んでみることにした。

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 街の郊外で背の高い白い幹の樹をよく見る。銀川で雇った(というか雇わされた)CITSのへっぽこガイドによれば、あれを「陽樹」という。調べてみると「ポプラ」のことだ。さながら防砂林のように、街の郊外には多く植わっている。

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