【道中で見る夢】

旅の直前、それまで2年ほど住んでいたアパートをバタバタと引き払った。家財はそれぞれの実家へ預けたのだが、引っ越し業者を頼まず、義父が普段仕事で使っている1tトラックを借りて、冷蔵庫、洗濯機、布団、洋ダンス、食器棚、オーディオ、書籍に衣服、食器にCD、すべて自力で、つまり2人で運び出した。搬送は2日で済ませる計画だったが、全て運び出すのに4日もかかった。部屋の掃除も2人で済ませた。

ところで、旅の前半で2人して体調不良になったのは、不慣れな食事、寒暖の激しい風土、衛生問題、慣れない料金交渉、言葉の違いから来るイライラなど、さまざまな旅の苦労が重なった結果だが、出発前のドタバタから来る疲れが残っていたことは否めない。

 

旅の苦労と引っ越しの苦労が、心のどこかで重なったのかどうかは知らないが、旅の途上ではしばしば日本の夢を見た。とくに、日本を出てから2週間ばかりは、引っ越しに関係する夢ばかりを見た。それは例えばこんな感じである。

出発前に終わっていたはずの引っ越しだが、引き払ったはずのアパートの部屋に荷物がまだ少し残っている。それを片づけるために、我々は旅先から日本に戻っている。会社の同僚や大学時代の友人が現れ、「今日は一緒に飲もう」と我々を誘う。「しかし」。僕は考える。我々が旅先から一時的に帰ったところだ。また、元の街に戻らなくてはならない。「しかし」。僕は再び考える。待てよ、我々は飛行機のチケットも取っていないし、どうやって戻れば良いのだろう?

 

より具体的に、敦煌に滞在していたときの例で考えると、こうなる。夢の中の時期は8月上旬、つまり現実に敦煌に滞在しているときと同じ日付だ。我々は幕張で住んでいたアパートに戻っている。部屋には、まだ家財と段ボールが少し残っており、掃除も済んでいない。部屋の賃貸契約は、当然ながら出発前の7月下旬に切れている。部屋に残した荷物は、この日まで大家さんに黙ってこっそり置いてあったものだ。この荷物を片づけるために、我々は日本に戻ってきたのである。ふと気がつくと、大学時代の音楽仲間が何人か手伝いに来ている。荷物を片づけたり床の雑巾掛けをしながら、「帰国祝いで飲みに行こう」と彼らが言う。

しかし、我々には予定がある。9月のはじめにはカザフスタンに入らなくてはならないのだ。アルマトイへは日本からの直行便はない。そもそも旅の計画として、アルマトイにはウルムチから列車で入りたい。いや、それ以前に、旅を連続させるためには敦煌に戻りたい。戻らねばならない。だが、中国のビザはどうすればいいのだろう? そもそも我々はどうやって日本に帰ってきたのだろう?? まぁ、いいや。ともあれ、日本に帰ってきているということは、中国のビザはもはや無効だ。ということは、ビザをもういちど取り直さなければならない。ということは、中国大使館に申請しなければならない。いつ行く? 明日申請できるかな。明日は大使館業務をやっているのだろうか。かりに申請がうまくいっても、ビザの発給には45日は見るべきだろうなあ。しかも、ビザを取得したあとには敦煌までのチケットの手配をしなければならない。チケットはすんなり取れるのだろうか。アルマトイ行きの列車に間に合うかな・・・。

 

このほか、次に訪れる国への不安の夢も見た。これはカザフスタンに入る前に何度か見た。薄暗い、夜明け前ぐらいの時間(だからたぶん、実際に夢を見ている時刻と同じ)で、だいたい、ひなびた田舎宿のような宿に我々は寝泊まりしている。ホラー映画などでよくあるような、うすぐらい感じ。しかし、不思議と恐怖感はない。部屋のテレビがついているが、静かな雰囲気である。部屋は広く、ややもすると合宿所のようだ。人が何人か登場する。その多くは僕の知らない人か、面識の少ない人である。会話があるわけでもない。

気がつくと外を歩いている。それは新宿や渋谷のはずれという設定が多いが、実際には歩いたことのない風景が出てくる。どこかの庭園のような感じもする。夜中だ。眼前に高層ビル群がそびえている。僕は駅を目指して歩く。始発にはまだ時間がある・・・。

 

勤めていた会社のオフィスに遊びに行く夢というのもある。これは旅の後半、二度目の中国で何度か見た。日付は、やはり現実の時刻と同じで、つまり2月頃だ。気がつくと僕はあの会社の、あの机の前に座っている。同僚や後輩が僕の姿を見てやってくる。僕より先に辞めた人なども出てくる。彼らは口々に言う。「久しぶり! 帰ったの? 今日は飲みに行こうか」。しかし、僕には予定がある。明日はまた、あの街へ戻らなくては・・・しかし、待てよ。チケットは? ビザは?

 

ほかに、こんなこともあった。

イラン、トルコでは昼間の長距離バスを乗る機会が多かったせいか、白昼夢を見た。やることがないと、自分でもおかしなくらい、あれやこれやとたわいもないことを考えているのだなあと、我ながら感じ入ってしまう。気がつくと、これまでに見たことのある映画などを再現しているのだ。「1人空想上映会」である。今までに見たり読んだりした映画やマンガの場面展開を、細部にわたって思い出そうとしている。日本語に、あるいは日本の文化に飢えていたのかもしれない。少し疲れているときのほうが、こういうことを考える傾向が強かったように思う。ちなみに、「1人空想上映会」に現れたのは、たとえば「風の谷のナウシカ」「銀河鉄道999」「ガンダム」「スラムダンク」「レース鳩0777」など、アニメ映画やマンガばかりであった。これは趣味の問題でもあるのだろうが、それだけ深い思い入れがあったことを意味しているのに違いない。事実、いずれの作品も、子どもの頃、あるいは学生の頃から、何度も読み込んだものばかりであった。

 

もっとも、マンガのキャラクターが夢の中に登場したり、そうでなくても日中にボンヤリと考えごとをしたりするのは、子どもの頃からしばしば見られた傾向なので、こうした性癖は昔ながら持っているのだが、上に書いた「1人空想上映会」のような白昼夢は、旅の前にも後にも全く経験がない。

 

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