14:トルファンからクチャへ〜期待に胸ふくらませて〜

 

 トルファンの次は、4世紀までキジ国という国が栄えていた、クチャという街へと向かった。クチャ人は管弦に秀でていた、と「大唐西域記」で玄奘三蔵が書いている。すっかりウイグルに染まったクチャではあるが、先日とはまたひと味違った民族音楽が聞けるかもしれない、ということが楽しみだった。

 

トルファンからクチャへはバスで直行でも12日かかるそうだ。私の体調もあまり良くなかったので、まず途中のコルラまで行き、そこで一晩休んでから、クチャへという日程にした。

 

その日は運悪くコルラまでの直通バスがなく、トクスンという街で乗り換えをして、思いがけない山道を走り、結局到着までに14時間もかかってしまったが、ウイグル人のおじさんたちが「ハミへは行ったか?モリは?」などと親しげに話しかけてくれたこと、コルラバスターミナルの隣に建っていた「遠東賓館」という宿が大変快適だったこと、そのはす向かいにある食堂のゆで餃子がとてもおいしかったことがなによりの救いであった。

 

翌日もバスで移動だ。コルラからクチャへは6時間半の予定だ。9時出発なので、夕方にはクチャへ着くだろう。今日は大型バスではなく、ワゴン型のミニバスで、速度も速い。クチャへの道は砂漠の真ん中を通り、ところどころ舗装も崩れているような悪路だが、ミニバスの身軽さでうまくよけられているし、予定より早くクチャに着くかも・・・と期待していると甘かった。突然バスが止まってしまい、何ごとかと窓から前を見ると、他の車がずらりと長い行列を成している。悪路を迂回しようとして、砂漠の中を無理矢理走ろうとした車が、次々と転倒したり砂地にはまったりしているようだ。その救出処理のためになんとここで2時間も足止めをくった。バスの中に缶詰となった乗客たちは、皆暇をもてあましている。あるウイグル人の中年男性は私たちのガイドブックを借りていき、巻末にあった、ウイグル語講座のページを開いて、うれしそうにしている。あまりに暇なので、子供の写真でも撮ろうと、暢が席を立った。子供はウイグル系の女の子が2人、乗っていたのだが、この子たちがなんともかわいい!!目がくりくりして、お人形さんみたいだ。暑い車内で、席に座ったまま、じっとしていなければならないのが、可哀想だ。

 

私たちはミニバスの最後列、左側の座席に並んで座っていたのだが、一つ前の席に座っていた漢人の少年、劉くんが、前の席から身を乗り出して振り返り、人なつこく私たちに話しかけてくる。高校生くらいだろうか。早口で、彼の言っていることはよくわからないなあ、と思っていると、右隣に座っていた男が「鉛筆だってよ。」とぶっきらぼうに日本語で言った。2人連れの日本人旅行者だ。彼らの会話が日本語なので、日本人旅行者だとはわかっていたが、全く愛想が無く、むしろちょっと感じが悪い。私たちが男女2人連れなので、ちゃらちゃらしているように見えるのかもしれないが、私たちにだけ無愛想なわけではなく、地元の人に「中国語できるか?」と聞かれて「ま、できるけど。」としか答えないような、高飛車な態度をとっている。せっかく中国語ができるのなら、周りの人と交流すればいいと思うのだが、そういうことはしたくないらしい。せっかくの旅なのに、寂しいものだ。彼らはひまわりの種をおやつに食べているが、ウェットティッシュで手を丁寧に拭いてから食べる。変なところで潔癖で、なんだかアンバランスだ。ここまで、タクラマカン砂漠の周りの都市をぐるっと一回りして戻ってきたところらしく、その旅程には興味があるが、彼らは私たちとあまり話をしたくないようなので、話しかけるのをやめた。蘭州であっためがね君は人当たりがよかったけど、くずうさんはそうでもなかったことを考えると、男の一人旅あるいは男同士の二人旅をしている日本人というのはああ無愛想になってしまうものなのだろうか・・・。

 

救出作業が終了して、バスが発車し、快調に走り、クチャ県に入ったかと思うと、今度はエンジントラブルをおこしてしまった。劉くんは「着くのが明日になっちゃうよねえ。」と周りの人に話しかけている。とはいえ、その口調は屈託無く、その顔に深刻さはない。他の人も「仕方ない」とあきらめているのか、呑気だ。6時間半の予定が、結局11時間近くかかって、午後8時頃、やっとクチャに到着した。劉君は「僕の家はカシュガルにあるので、来ることがあったら、ぜひうちに遊びに来てください。」と住所と電話番号を教えてくれた。

 

クチャの街では雨が降っていた。しとしとと止む気配もない。なぜ砂漠の都市に雨がこんなに降っているのだろう、と不思議に思う。オアシス都市というのは、けっこう降水量もあるものなのだろうか。

 

今日の宿は「清潔」とガイドに書かれている通達賓館の予定だ。あの、感じの悪い日本人も2人組も通達賓館に泊まるらしく、前を歩く彼らのことを、私たちはまるで尾行しているかのようだ。しかし、一向に振り返ったりせず、親睦を深めようという気配もない。チェックインの時も、同じロビーで待たされたのに、全く無視だ。目もあわせてくれなくては、こちらも話しかけるきっかけがない。その後、彼らは普通間(バス・トイレ共同)を選び、私たちは標準間(バス・トイレ付き)を選んで、それぞれの部屋へと別れた。気分も切り替わり、明日はクチャ観光で移動もないので、清潔な部屋でゆっくり休めることを期待していた。しかし、案内された部屋を見て驚いた。汚すぎる!部屋の中に、ブンブンとハエが飛んでいて、誰が飲んだのかわからない水が、コップに残っている。床なども水がこぼれていて、汚らしい。前の人がチェックアウトしたあと、掃除していないのではないだろうか。しかし、この時点では文句を言って掃除させる、あるいは部屋を替えてもらうという考えが頭になかった。あてがわれたものを受け入れるしかない、そう思っていた。そして、どうにもできないとあきらめて、ともかく食事に出た。通達賓館の近くに屋台村があり、そこでパンメン(トマトスープ味のうどん)とシシカバブを食べた。羊肉は苦手なので、食べられるか心配したが、11時間車に揺られたあとで、空腹がまさったのか、問題なく食べられた。

 今日は期待を裏切られることばかりだったからだろうか、清潔で、都会すぎず、遺跡もあり、人情もあった「西安」の街が、ふと、恋しくなった。暢に

「今までで一番どの街がよかったと思う?」

と尋ねると、同じく「西安」という答えが返ってきた。暢も少し、疲れているのかもしれない。(つづく)