5:西安・後編〜見どころを訪ねる〜

西安は古くから発展してきた街である。この街の歴史は紀元前にまで遡ることができ、中国最初の統一国家・秦の始皇帝は、西安郊外に自身の墓「始皇帝陵」を作った。そしてそれを護るべく周囲に造られた「兵馬俑」は西安における最も有名な遺跡だ。また、漢・隋・唐代には、西安に都が置かれて文化の中心地となり、日本の遣隋使・遣唐使たちが朝貢・文化の摂取のため、飛鳥時代〜平安時代にかけてこの地を訪れた。その時代を思わせる遺跡としては、前漢・後漢の皇帝たちの墳墓のほか、唐代に建立された玄奘三蔵ゆかりの大慈恩寺をはじめとする寺院群、遣唐使の阿倍仲麻呂と友人である中国を代表する詩人、李白の詩の記された碑がある興慶公園などがある。そして何より、この街の中心部はいまでも四方を城壁が囲んでおり、東西南北に門がある。それが奈良の平城京・京の平安京の都市デザインのお手本となったことは、日本の子どもたちが歴史の教科書で必ず学ぶ事項だ。このような「古代日本文化のお手本」というイメージがあるからだろうか、シルクロードの東の出発点だからだろうか、「西安」という響きには、どこかロマンとノスタルジーのようなものが感じられる。しかし、現代の西安は立派な「都市」であり、上海よりややノンビリとした雰囲気があるものの、街は絶えずかき鳴らされる車のクラクションと人々の喧噪の中にあり、ロマンやノスタルジーといったものはほとんど感じられない。だが、長い中国の歴史をくぐり抜けてきた遺跡の数々を訪れると、再びそれが思い起こされる。

 

中国で寺院などを訪れるたびに感じるのが、そのスケールの大きさだ。仏像にしろ、仏塔にしろ、なにしろ規模が大きい。こぢんまりした日本の寺院を見慣れている目には、その大きさだけで圧倒されてしまう。配色も日本のものに比べて鮮やかだ。しかし、軽々しい感じではなく、荘厳な雰囲気を醸し出している。「すごいなあ、その昔、遠路はるばる船を出して、日本から勉強しに来ただけのことはあるなあ」と、心から思う。このスケールの大きさは寺院だけでなく、遺跡についてもいうことができる。例えば兵馬俑は、写真などで見る限りでは兵士や馬のミニチュアを造って埋めたように思えるが、実物はどれも等身大、兵士傭の身長は実際の成人男性と同じく、1.8メートルもあるそうだ。それが何万体という単位で埋められているらしい。らしい、というのは、現在も発掘が継続中で、現在掘り出されて存在が確認されている部分の広さだけでも、1200uはあるという。驚きだ。また、大きいからといって造りが大味なわけではない。兵士傭の細部は髪の毛の一本一本に至るまで、精巧に作られている。一体一体が、本当の人間のように、一つとして同じものがない。この兵馬俑が造られたころ、日本ではまだ縄文時代だ。中国の文化的な歴史の長さを改めて感じさせられる。

 

ところで、歴史博物館や大雁塔(玄奘三蔵ゆかりの大慈恩寺内にある仏塔)など、西安市内の見どころは市内を走る公共バスの利用や徒歩で充分見学できるのであるが、兵馬俑や始皇帝陵、華清池(玄宗と楊貴妃ゆかりの温泉)などは市街からすこし離れた郊外にあり、これらへ行くためには観光用の乗合バスを利用すると良い。私たちは初めてこの「観光用乗合バス」を利用した。「バス」と呼んではいるが、大半は小型のおんぼろワゴンを利用した、ミニバスである。古い故にサスペンションがだめになっているのか、西安郊外の道が整備不十分のせいなのか、手すりに掴まっていると、ときどきふわっとお尻が浮くくらい良く揺れる。しかし公共バスと違って立ち席は無く、全員座って目的地まで行けるので快適だ。このバスは発車時間が決まっているわけではなく、座席が満員になったら出発という形をとっている。ツアーのように、兵馬俑・華清池・始皇帝陵といくつかの観光地をまわって西安市街を往復してくれるバスもあるのだが、私たちは兵馬俑だけに興味があり、他の興味のない場所に入場料を払うのがイヤだったので、兵馬俑直行の片道バスを選んだ。このバス、行きの時はすぐに満員になって出発したのだが、帰りは人によって見学にかかる時間がまちまちのせいか、なかなか人が集まらない。兵馬俑でしばらく停まっていたが、どうにもお客が集まらないようで、5元のバス代を4元に値下げし、さらに本来はこのバスの停留所ではない、華清池のまわりを客引きのためにぐるぐると2周して、なんとか満員になった。この客引きで1時間は経過してしまっただろうか。乗客もすこしいらいらしているようにみえる。その今までの遅れを取り戻すかのように、西安へとバスは快調に飛ばしはじめた。心地よい揺れと出発した安心感からか、私に午後の眠気が襲い、うとうととしていると、とつぜん「ぱあん!」と大きな音がした。「何だろう?」私の眠気が吹き飛んだ。どうもタイヤがパンクしたらしい。ただでさえお客が集まらなくて出発が遅れたのに、パンク修理でますます時間をとられてしまう。私たちは時間に制約のない旅だから良いが、他の人は大丈夫なのだろうか。私は、虹橋空港で飛行機が着陸しないうちに人々が列に並びだしたことや、上海駅での改札でのもみあい、そして停留所に停まるたびに「快上、快下!(はやく乗って、はやくおりて!)」を大声でくり返し続ける、市内を走る公共バスの車掌のけたたましさを思い出して、この場が混乱してしまうのではないかと案じた。しかし、誰も、何も言わず、乗務員の指示どおり神妙にバスを降りて、パンク修理が終わるのを待っている。1台のミニバスに男性の乗務員が3人と充分な男手があったのもあり、パンク修理は5〜6分ほどで終了したが、このバスの乗客の気の長さに、私は感心した。中国人だからといって、皆が皆せっかちというわけではないのだ。今回の場合は、日本人のほうが「すぐにほかの車の手配をしろ」だの「返金しろ」だのと、ヤイノヤイノ言うかもしれない。いや、これは日常茶飯事で、彼らはすぐに修理が済むことをあらかじめ予想していただけなのかもしれないが。

 

翌日の前半は、学生時代の勉強不足を少しでも埋めるべく、少しは中国文学専修出身者らしいことをしたくて、西安市内にある碑林と興慶公園を訪れた。

興慶公園は前述のとおり、阿倍仲麻呂と李白の碑がある公園であるが、その碑はひっそりと建っていて、目を向ける人はほとんどいない。本来の「公園」としての使われ方が主流であり、子供の遊び場、噴水、ボートなどがある。天気がよいこともあり、噴水近くの芝生で一組のカップルが結婚記念写真を撮っている。中国でも花嫁衣装は洋装が人気のようで、この花嫁さんはウェディングドレス、花婿はタキシードという出で立ちだ。この写真では、自分たちが映画のヒーロー・ヒロインになったように、ぼかしや効果ばりばりのブロマイドを何枚も撮る。この光景は西安だけでなく、ウルムチや北京などでも目撃した。きっとどの街にもある中国の人気サービスなのだろう。

 

次は、北宋のころに孔子廟として碑が各地から集められたという、碑林へ向かう。公共バスの車掌さんに「碑林に行きたいのですが」と尋ねると、車掌さんは「わかった」といって、私たちが下車したあと、バスから落ちそうなくらい身を乗り出して、進むべき方向を示してくれた。このような親切に触れると、中国を旅行する元気のもととなる。車掌さんのおかげで、私たちは迷わず碑林に到着することができた。入場料を払い、入り口にさしかかって「靴にかぶせてください」と、受付の人から配られるビニール袋を手にして、私たちははっとした。赤い大きなカタカナで「スーパー○○○」と書いてある。日本のスーパーのものだ。どういうことなのだろう。日本のスーパーで回収して、再利用しているのだろうか?それとも、中国でビニール袋を製造して日本に輸出するつもりだったのが、何らかの理由で輸出が中止されたものなのだろうか?いずれにせよ、日本(向け?)のビニール袋というのは、本当に丈夫だ。西安の一般商店で買い物をしたときにくれるビニール袋はペラペラで、1回荷物を運ぶとたいてい破れてしまうのだが、日本から持ってきたビニール袋や、このビニール袋は何度も利用できる。実際、渡されたビニール袋も何度かすでに他の人の靴に被されたことがあるようで、ビニールの内側には泥がついていた。再利用と言えば、中国では時々、日本の中古車を再利用した車に出会う。昨日の兵馬俑の帰り道では「京都バス」を再利用したものに出会った。日本のものは、なににつけても丈夫にできているのだなあ、と思う。

 

碑林の話に戻ると、碑林もとてもスケールが大きくて、これでもか、というくらい碑がある。1095碑もあるらしい。最初は「わー詩経だ!」とか「これが景教大流行の碑か…」などと、一応蘊蓄をたれて面白がってみるのだが、あまりにも多すぎて、10個も見ると飽きる。最後の方はくたびれ果てて、もう題名しかみていない。展示している方の側も適当になってくるのか、最後の方の展示室では、碑が上下逆さまにガラス内にはめ込まれて展示されている始末。それともこれはなにかの風刺なのだろうか。学の浅い身には、情けないがわからない。ともあれ内外の観光客でにぎわっている。

 

碑林を見学し終わって、気分転換に西安市街を取り囲む城壁にのぼってみた。城壁は城壁の上が幅15mもある通路になっていて、その気になれば城壁の上から西安市街を東西南北にぐるっと一周することができる。塀の高さはもちろん人の背丈よりも高くされており、一直線に延びる通路を歩いていると、どの辺りを歩いているのかがわからなくなってしまうので、通路のわきにはところどころ起点(一番近い門)から何メートルという距離が示されている。城壁一周は12キロであり、かなり長い距離なので、通路の上ではミニタクシーも走っている。暢は「この街では、西安城壁マラソン大会ができるな。」と言って、笑った。

 

本日の後半のハイライト、清真大寺へ向かう。不思議な建物だ。「清真」とは、中国語で「イスラム」の意味で、いわゆる「仏教寺院」の建築様式であるのに、「イスラム教の寺院」である。よく見ると、仏式の建物にイスラム教独特のモザイクが描かれている。これが、大変美しい。イスラム教の人々は、お祈りをする前に必ず身を清めるのだが、寺院内にも沐浴室があり、沐浴をしてサッパリとした様子の回教徒の老人が、本堂へ向かって歩く姿がかいま見える。イスラム教徒が多く住んでいる寺院の外側の街並みは、雑然としていてどちらかといえば不潔な感じであるが、ここの境内はゴミ一つなく美しい。

 

私たちが本堂の階段でひと休みしていると、広島から来たという、中年の女性個人旅行者に声をかけられた。小柄で優しそうな女性だ。50代くらいかと思われるが、フットワーク軽く、「きままな一人旅よ」と笑う姿はたくましい。彼女は乾陵にタクシーで同行してくれる個人旅行者を捜していたようだが、私たちとしてはもう西安は堪能した感があり、残念だがお断りする。明日はもう、夜行列車で銀川に向かう予定だ。(つづく)