225日(木) 承徳 晴れ

 

【北京へ!】

4時半起床。いよいよ北京に行く。

鈍行とはいえ、承徳始発の854次客車は検票口からすごい人だ。列車は満席。

なんと硬臥が1両ついている。

「知っていればそっちにしたのになあ」と思うが、もう遅い。

座席は6人ボックスの対面、通路側の2席である。窓側4人は家族連れで、高校生ぐらいの姉と弟が1人ずつ。

すでに満席なのだが、ひと駅ごとに人と荷物が増えていく。

「このままでは、北京に着く頃には車両がパンクしてしまうのでは」と心配になるが、とちゅうから人を乗せないようにしているらしい。というか、デッキも人と荷物が一杯で、もはや乗れない。田舎の駅では、ホームの上もすごい人と荷物だが、みな苦笑いするばかり。どうするのかな・・・。

 

それにしても、これほどに混雑するのはおそらく毎度(毎年)のことで、分かっているのだから、もっと列車を増やせばよいのに、と思う。いや、そもそも普段も混んでいるに違いない。しかし、国鉄にその気はなさそうだ。オペレーションが追いつかないのか、車両がないのか、人のやりくりがつかないのか・・・。

「この国に、『人手が足りない』ということはありえない」と思うと、あとはやる気だ。ハナからその気がないのだろうか。

それを思うと、普段から過密なスケジュールの中に、臨時列車を更に増発して超過密にし、それをほとんど問題なくオペレートしている日本のJRは大したもので、これは世界に誇れるものだ。

 

我らが直快は、たしかに乗客は多い。しかし、ひと昔前の日本国鉄ほどではない。なぜなら、列車員も乗客も、とりあえず通路を使ってトイレに行けるし、車内販売だって通れる。

日本だって、ピーク時には自由席に車内販売は来ない。ついさきほどまでは、「やっぱり硬座は大変だよ。ここでひと晩もふた晩も過ごすのだから、中国人はタフだね」と感心していたが、昔は日本もそうだった。日本人も、昔は辛抱強かったのだ。今はどうだか、なんとも言えないが・・・。

 

北京市に入る。市の範囲が広いので、終着の北京站に着くまで、それからさらに1時間かかった。

市に入った辺りから乗客が少しずつ減り始め、終着駅では半分ほどであった。30分遅れの、1415分の到着である。

 

【渤海飯店は町のど真ん中にある小さなホテル】

さて、宿探しだが、歩き方には有効な安宿情報がない。

それより、こういうときは紹介してもらうに限る。

ホームから駅構内に階段で出たところに、「住宿介紹」がずらり並んでいた。これを見ただけで安心するが、同時に、どの人に話を持ちかけて良いのか判断に困る。

カウンターのオバチャン、オネエチャンは、我々と少しでも目が合うと元気に声をかけ、いや、目が合わなくても、

「ここの宿の料金は・・・」と看板を見る素振りを見せるだけで、

「うちにしなよ! まけとくよ!」とばかり、考えるヒマを与えてくれない。

ユウコ、少し高そうな宿の紹介カウンターのオバチャンで止まり、話を聞く。

 

我々は交渉前の覚悟として「1150元」と決めていた。値段交渉で200元以内におさまればそれでよい。120元まで下げると、良い宿に当たる確率は激減する。

看板には「標準間240元」とあるので、「ちょっと難しいかなー」と思ったが、オバチャン、軽く「好、好」と応じる。

場所は火車站から近い。決めた。

「タクシーで10元だよ!」とオバチャンは元気だが、我々は「近いんだから」歩いて行くことにした。

 

北京站から駅前通りを北へ行き、「建国門内大街」なる大通りで左に曲がる。通りに沿った並木の歩道を歩く。北京は暖かく、空気が優しい。

地図を見ると、このまままっすぐ、つまり西へ歩けば、ほどなく王府井に出て、さらに進めば天安門に至る通りだ。

我々は王府井のひとつ前、東単の交差点で右へ曲がり、最初の細道を再び右に入る。

賑やかな通りから一本入った、静かなところに、目指す渤海飯店はあった。

 

建物の造りといい、辺りの雰囲気といい、学生時代に住んでいた京都のワンルームマンションを思い出す。

ロビーはきれいで、フロントのオバチャンは、今まで中国で見てきた不愛想で圧倒的なフロントスタッフとは全く異なり、物静かで優しい。

案内された1階の部屋は、2人部屋としては少々狭いが、清潔だし、文句はない。

「北京の街中で、150元出して、ここまで良い宿が簡単に見つかるだろうか?」と思って、外出するときにフロントで確認すると、「内賓240元、外賓300元」とある。

駅の介紹所の話はハッタリではなかったのだ。しかし、「2人部屋が外国人300元は、ちっと取りすぎだな」と思う。

 

北京を見ることは大きな目的ではあったが、我々の旅にはまだ先がある。北京には4泊し、そして次の目的地は、雲南省の省都昆明である。北京発昆明行き61次特快は、第1日目の1139分に北京を発し、49時間、つまり2晩走って、第3日目のお昼、126分に昆明に到着する。道中は、石家荘、鄭州、武漢、岳陽、長沙、貴陽などなど、気になる地名は多いが、今回は全てカットした。「あと1ヶ月余裕があれば・・・」と思うと残念だが、これはどうにもならない。

 

昆明行きの特快の始発駅である北京西站へバスで向かう。バス停で待っていると、ミニバスが来た。

東西に延びる大通り長安街を軽快に飛ばす。街が大きく、通りも広く、視界が広い。空が青い。モギリの若い女性車掌のしゃべり口が、いままで見てきた車掌と違い、喧噪な感じがなく、実際、大声は出さない。どこかゆとりが感じられ、僕はなんとなく落ち着いてユウコにこう言った。

「言葉が洗練されてるよねえ。さすが、都会だね。首都だもんね」。

ところがユウコはさして感動がない。

「まあ、北京語が公用語だからね。だけど、田舎臭いよね。建物も少なくて、街がすかすかしていると思わない?」

 

と、天安門を横目に過ぎた。あまりにも呆気なく現れ、そして通り過ぎる。観光客が多い。

 

そして、西站は大きい! 駅舎の大ビルディングは最近の建築らしく、新しい。どこか、最近改築した京都駅を思わせるが、ビル屋上に楼閣を造るところが、中国らしい。

翻って考えると、京都駅はちっとも日本らしくないどころか、安普請丸出し、という感じで僕は好きでない。この駅舎のように、味のあることをしてほしいものだ。日本人はセンスが悪い。

 

集票処では3日先までの切符しか買えず、我々は4日先のキップを目当てにしてきたので、残念ながら出直し。

構内の大きな電光掲示板では、各方面への列車の予約状況が一目で分かるが、3日先になると、「有」の字が目立つようになる。きっと明日に来れば買えるだろう。

 

「バスで来る途中にコンサートホールがあったね」とユウコが言うので、そこまで戻る。

過日、どこだかのテレビで「中国民族楽団」の春節コンサートを放映していて、それは北京からの生中継だったと思うが、それがたいそう気に入ったので、

「北京に行けば、聴く機会があるかも」と、少し楽しみにしていたのであった。が、ホールの案内では、春節コンサートは「終了」。がっくり。

 

ホールから出ると、通りの向かいに中国電信があった。

「インターネットができるかもしれない」と、気を取り直して歩き出す。

そのビルには大きくてきれいな受付カウンターがあり、清潔感のある若い職員にユウコが尋ね、言われるままカウンターの椅子に座ると、書類が出てきた。

「これは入会申込書だね」とユウコがつぶやく。

職員は、申込書のアンケート調査票を我々に見せながら、熱心に問いかける。

「コンピュータを持っていますか」

「我々はホテル住まいなので、コンピュータはありません。ここでできますか」

「そのためには入会金が必要で、使用料は・・・」。

口頭の会話では少々辛いのか、ユウコは筆談で話を進めようと頑張るが、どうもうまく疎通できないらしい。

少ない頭で、僕も「今日一日だけできれば良いんだけどなあ」と考えるが、とつぜんユウコが「いいです、やめます」と言って立ち上がった。

僕はあっけに取られたが、彼女は開き直ったように笑って、「いいや、iで聞くから」と言う。

匙を投げたのだ。

「iったって、どこにあるのさ」。僕は面白くないが、しかし僕1人では交渉のしようがないので、後に続いて席を立った。

 

ユウコは、たまにこうやって頓珍漢なことをする。ここを、どこだと思っているのだろうか? 旅行者優位、街中の主要な場所にi(観光案内所)があり、そこでは確実に英語が通じるヨーロッパとはわけが違う。そんなことは分かりきっている。それにここまで、中国にiなんて、あっただろうか? iに代わるものは、高級ホテルのフロントか、CITSぐらいしかない。そして、実際そういうところに問い合わせる以外に、もはや方法はない。

僕はすっかり腹を立てたが、しかしインターネットに大きくこだわっていたわけでもないので、昼飯でも食べに行こう。

と、その前にフィルムを現像に出した。王府井の裏道に入ったところにある食堂に入った。安いうえに、めちゃくちゃ美味しかった!

 

近所のデパート「東安市場」に夜のつまみを買いに行く。立派なデパートだ。

エスカレータに乗ろうとしたら、店員に「カバン」と声をかけられた。

驚いて振り向くと、女性店員が立っている。彼女の後ろの壁には日本語で、「買い物の方はここでカバンを預けてください」という看板がある。

突然の日本語にポカンとしていると、彼女が、看板を指さし、ふたたび日本語で「カバンを預けてください」と言った。

酒はホテルに近いスーパーで買った。「老猪頭」(Old Hunter)なるコーリャン酒だが、これはうまい。

 

宿の部屋は1階であるせいか、妙にくつろげる。

目の前の細道は車が通れず、行き交うのは徒歩か自転車、たまにバイク。すべて地域住民である。犬の声も聞こえる。生活感が、たまらなく良い。

久しぶりに、たくさん洗濯をする。

 

夜、酒を飲みながら中国電信での話をしたら、

「私だってそれぐらいのことは考えていたけど、あそこで話をややこしくしても金ばかり取られて終わってしまうでしょ。べつにノンキにしていたわけじゃないよーだ」と、ふくれた。

 

中国に来て以来、とても安く上がっている印象があるが、ここで以前の日記を読み返してみると、物価が変わっているわけではない。

元との換算レートは、円から見ると2割ほど安くなっているとはいえ、それ以上に「安い」印象がある。それはとりもなおさず、「心理面」の要因が大きいのであって、

(1)8月当時は旅始めであり、「とにかく、なるたけ安く」とばかり考えており、「なんとかして15000円」が目標であった。これは、不可能ではないが無理がある。

(2)今はヨーロッパ帰り(とくに直前はロシア)なので、全て安く感じる。とくに食費は安い。宿も、今では「120ドル(=160元)でおさまれば上々だ」と思える心のゆとりがある。安宿も、もちろんあるけれども、これより下げれば、快適さはなくなる。逆に言えば、ここまで出せば、快適が確保されるのだ!