17日(木) ブダペスト 曇り

 

【あの娘、いや、実は年齢が近いのかも】

 7時半起床。朝食用にとキッチンでモチを焼き、ショーユをつけてノリを巻いて食べていると、一昨日ののんびり娘が現れた。彼女は席に着かず、台所の中を立ち歩きながら勝手に話をする。

「昨晩、オペラ劇場を見に行ったんですよ・・・ あの、おっきな劇場で・・・ 一番安い席だったんだけど・・・ なんか最悪で・・・ 横の3階席だったから正面は向かいの座席で・・・ ステージは半分しか見えなくて・・・ しかも5時間もかかって・・・ 終わったのが夜10時で・・・ なんか・・・」。

オペラの「お」の字も知らずに見に行ったのだとすれば、ろくに舞台の見えない安席に5時間も座り続けたのは「ごくろうさま」としか言いようがない。きっと天井画を眺めていたのであろう。

 

【それでも我々が知らない土地での話は気になる】

 それはそうと、彼女はブダペストに来る前はポーランドに2,3週間いたというので話を聞く。

おすすめは、やはりなんと言ってもクラクフだと言う。また、ポーランドにおけるキリスト教の大本山チェンスタホヴァも良い。ポズナニも、美しい町並みが楽しめるし、コルニックへの日帰り旅行も楽しい。そして港湾都市グダンスクは、ポーランド人も憧れる良いところである。彼女は基本的に話好きなのであろうか、いつものようにのんびりとした、しかし妙な押しの強さで語ってくれた。おかげさまで意外にも多くの情報を得ることができ、旅程を決める参考になった。

 

【今日はブダペストを少々見物に】

 国会議事堂見物に出かける。建物が霧にむせぶ。

英語のガイドツアーに参加し、すばらしい内装を見学する。議事堂内部でも議会場そのものは本来は非公開なのだが、

「今は建物全体が修復中なので、幸運にも見ることができます」とはガイドさんのお話である。

ドーム天井を持つホールで目を上に向けると、ホールを取り囲むように16人の歴代王像が並んでいる。王像はすべてホール側を向くなかで、ハプスブルグ朝時代の王と対面に向き合うマジャールの初代王ゲーザ公だけがそっぽを向いている。これは一種のジョークであり、またマジャール人としての誇りを表しているのだそうだが、話が今ひとつ飲み込めず、僕だけ笑えなかった。

 

 両親や出発前にお世話になった知人への土産ワインをぜひとも送りたい。船便ではなく、なるべく早く着くようにしたい。それでDHLへ行く。

観光客が多いヴァーツィ通りの事務所だけあって英語が通じる。しかし料金が高い。ワインは「私どもが用意する箱で送っていただくことになりますので」と、頑丈な箱を出してくれるのは良いが、困った。

しかし、これから郵便局で行って航空便で手続きするのもめんどくさいし、時間の無駄だと思い、送ることにする。

酒の価値が10倍になってしまった。

 

「輸入品というのは、だから日本で買うと高いんだね」と自分を納得させるが、なんとなく面白くない。正味56日分の生活費を使ってしまった。それでも3営業日で届くのだから、さすがという他はないのだが・・・。気分が冴えないまま、インターネットカフェへ行く。友人からいくつかメールあり。

 

 いつも利用していた近所のスーパーKAISERで、「ブダペストの思い出に」とトカイの6putワインを買った。

あらためて値段を確認すると、繁華街の土産屋では同じものが2倍の値段で売られている。

しかし、味は甘美で優雅である。これはうまい!

「どうせならこれをみんなに送れば良かったなあ」と思った。

「しかも郵便局で送れば格安だったのにね」とユウコ。

 

とは思いながらも、「あれもこれも送ると、話のタネがなくなってしまうかなあ」とも考える。お土産を遅れなかった方々には申し訳ないが、我々だけで楽しませていただく。6putには、3putのような「どこか紹興酒の香りと味」が全くない。さらにまろやかで、さらに角が取れて、濃厚芳醇になった感じだ。さらに、3putはブランデーのような香りが強かったが、6putにはそれがない。もっともっと甘い香りである。コルクを抜いたとたん、香りが部屋中に広がるといったところだ。

 

【長期滞在も明日でお別れ。宿泊御礼は得意の料理】

 食事前、キッチンでヴァリさんと顔を合わせる。

「明日出るので、金を払います」と言うと、彼女は特に気にした顔をせず、

「あらそう。じゃあもらうわ」といったところである。マリアやバーバリャーナのように、

「あなたがたは何日泊まったからいくらで・・・」というのを予想していたので、拍子抜けだ。

そこで、「じゃあ、1110ドルということだったので、ちょうど10日間だったから200ドルですね」と、金を出す。

僕はあえて洗濯機の使用料には触れずに金を出した。いや、もちろん言われれば出すつもりではあった。しかし、むしろ「なら、洗濯機の分はまけてあげるわ、ちょうどだし」という反応を待っていた。

そして、彼女はどちらの態度も取らなかった。僕の言い値でよかったのである。

彼女はニコニコと200ドルを受け取った。僕は思った。

「こんなことなら、ここで『長居したんだから、少しまけてくれないか?』とでも言ってみれば良かった!」

 

 我々のそんな思いにはまったく気をとめるはずもなく、ヴァリさんは、「長く泊まっていたから」と、おもむろにユウコと抱擁する。そして「今夜はグラーシュをごちそうしてあげましょう」と言う。そういえばケン&ノリのコンビも、いつだったか彼女からグラーシュをいただいていたが(そして我々はそのおこぼれをいただいたが)、あれはもしかすると、彼らが2度目の訪問をした「御礼」だったのかもしれない。

 

 チーズを肴にワインを飲む。うまい。

 

 ぼちぼちドルのキャッシュがほしいところで、今日は銀行や両替所もいくつか回ってみたが、カードによるドルのキャッシングは何処へ行ってもできない。「フォリントでおろした後、再両替を」と言われるばかりである。

 

【ブダペストで思い起こす東京ディズニーランド】

 コシュート通りにある旅行案内所の少し東側(アストリア方向)にケーキ屋さん(カフェ)がある。

その脇で、焼きたてワッフルを売るコーナーがある。オバチャンやらオネーサンやらが列を作っているので、興味本位でその先を調べていたら、そういうことになっていた。

そこでは、細身のオジサンが1人でワッフルを焼いている。このオジサン、東京ディズニーランドにいるお掃除オジサン(たしか名物オジサンだったと思うが、我々も一度見たことがある。ニコニコした表情で、きびきびと、箒とちりとりを持って掃除に励む人であった)にどこかしら似ている。こういう顔は職人肌に多いのだろうか。

我々はそのまま行きすぎようとしたが、「そういえば少し小腹が空いてきたな」と思いたち、ユウコと目を合わせた。気になる店には並ぶのが良い。高校の頃によく買ったタイヤキ屋を思い出した。バニラクリーム鯛焼きとチョコ鯛焼き、ではなくてワッフル。これは大成功であった。さすが、地元の女性が列を作るだけのことはある。日本のワッフルなんか目じゃないね。

 

【“天国”ブダペスト】

 ところで、

 西から来る旅行者にとって、ここブダペストは天国のように見えるようだ。物価は安いし、快適だし、VISAは要らないし、ユーレイルパスは使えるし、ウィーンからは3時間で来られるし。でも、みんなすぐに行き過ぎてしまう。もっとゆっくりしていけばいいのに、と思う。ヨーロッパを回る若者達は急ぎ足が多いような気がする。「あっちもこっちも」という気持ちが強いのだろうか。もっとも、初めての海外旅行というのならなおさらだと思うし、欲張りたい気持ちは分からないでもない。しかし、他人の旅とはいえ、それが少し寂しいようにも思われる。そんな人たちに、「いいですねー、アジア横断」などと言われても、ちょっと困る。とはいえ、自分が学生のときに1人でやったヨーロッパ旅行も、けっきょく「東欧首都ツアー」になってしまったから、同じといえば同じなのだが・・・。

 

 しかしあらためて地図を見たり、時刻表を見たりすると、たとえばパリからブダペストというのは、途中ドイツという別国を挟んでいるにもかかわらず、上海−西安間よりも距離も時間も短い。ヨーロッパは小さい。いや、中国が広すぎるのか。

 

 そしてグラーシュをいただいた。今日はごはん付きであった。ごはんは長米だが、ポロポロしているのがかえってスープに合う。これぞ地元の味、という気がする。

 

 いよいよブダペストともお別れである。初日に出会ったマサさんやGさんたちのことを思い出した。あれは長い一日だったなあ。楽しかった。イチさんには御礼の手紙を書こう。