12日(土) 曇り ブダペスト

 

【ブダペストにはもう少し滞在しよう】

 ユウコの微熱は下がらないため、彼女は今日も休養日とする。そこで僕は情報収集に出かけることにした。特に求められるのは、リスト音楽院を始めとする音楽情報である。

 リスト音楽院では、年末年始に目立った活動がない。学生が帰郷するからなのだろうか。5日に演奏会があるらしい。

 今日は「地球の歩き方」に掲載されているプレイガイドに出向いてみることにしたが、これはヴァーツィウッツァにあった。今までに何度も通り過ぎていたところにあり、いささか拍子抜けだが、閉店。ますます拍子抜け。もっと前から調べておくべきだった!

 

【デパート見物】

 「地下鉄M3Gyongyosi駅には大きなデパートがあるから、時間があったらぜひ行ってみてください」とはイチさんからの情報だが、今日は時間があるので試しに行ってみることにした。駅を降りると地下道はそのままデパートの入り口へと繋がっている。ホントに素晴らしいデパートである。日本のデパートよりもデパートだ。規模もデカイ。一大アミューズメント館とでも言うべきだろう。入り口にはまずペットショップがあり、これが目を引いた。大トカゲが3600フォリント、ボア40000フォリント、山リスはオスが16000、メスが28000、ハムスター、ウサギにネズミ、鑑賞魚もいろいろと並んでいる。トイレタリーのコーナーで、探し求めていたハードブラシの歯ブラシを発見、購入する。

 他に遊ぶところがないのか、ここには客が多い。郵便局も両替所もある。インターネットカフェもある。1時間500フォリントとは安い。また、一階の中庭にはスケートリンクがあり、子ども達が楽しんでいる。ゲームセンターもあるので覗いてみると、日本のそれにも負けないぐらい充実している。ケーキ屋さんを発見し、帰り道は遠いが、ユウコの土産にと買って帰ることにした(パイ、チョコクリーム)。

 

 しかし、ヴァーツィウッツァをはじめとする繁華街は休みである。地下鉄も、普段より空いている。スーパーマーケットも午前中のみの営業だ。それでも、宿に最寄りの駅前の小店の並びや、近所のMiniABC(キオスクのような小店)、八百屋などが開いている。

 ヴァーツィウッツァの格安航空券ショップの看板を見ると、ブダペストから中国までわずか100ドルで飛べるという。見間違えたかな?

 まだ明るいうちに宿へ戻る。

 

【日帰り旅行なども考える】

明日以降、ユウコが元気になれば、以下の旅程で日帰り旅行に出かけよう。

ブダペスト→エステルゴム(列車&バス) →ヴィシュグラド(バス) →センテンドレ(バス) ブダペスト(電車)

ガイドブックを良く読めば、ハンガリーにもそれなりに興味がわいてくるが、全て我々の求める線上からは外れてしまう。たとえば、ペーチ、ケスケメート、エゲル、ショプロン・・・。それはそうと、明日は温泉に行こう。

 

【出入りの激しいヴァリの宿】

この宿は出入りが激しい。今日の夕食は、ボストンから来たという黒人の若い男性と、夕方に着いたという日本人男性が一緒になった。もちろん料理はそれぞれが各個に用意するのである。黒人君は電子レンジで温めたグラタンを、日本人の彼はスパゲティを茹でていた。

「麺のコシが違うと思いませんか? いや、コシがないというべきかな」。

 

彼は小柄だががっしりした体格で、実直そうな性格が顔の輪郭と共に体格にも出ているような気がする。軽い関西なまりが、気分を和ませてくれる。

その彼が「いつこちらに?」と聞くので、

「年末から居ます」と答えると、続けて、

「いきなりブダペストですか?」と聞く。

「いや、その前はルーマニアに・・・」と、僕が言い終える前に、

「ははぁ、じゃあ成田からルーマニアに飛んで・・・」と小さくうなずきながら言うので、そこで今度は僕が彼の言い終える前に答えた。

「いえいえ、その前はブルガリアに居て・・・」。

 

彼の顔に、驚きの色が浮かんでくる。

「え? じゃあ、ブルガリアからですか?」

僕も、彼との言葉のやりとりがおかしくなり、ニコニコしながら、

「いえ、その前はトルコにいて、イスタンブールから夜行列車で・・・」

 

彼はいよいよ怪訝な顔をして、

「いつから旅をしているんですか?」と聞いてきた。

「そうですね・・・かれこれ5ヶ月になりますね」。

 

「ごかげつ?

 5週間の間違いじゃないですよね? いや、5週間でもすごいな・・・。 どういうルートを?」

 

我々が7月以来の話をすると「あぁ、アジア横断のクチですね。いいなあ。僕もやってみたいんですけどね」と、少々羨ましい口調で言った。

 

【そう、我々は5ヶ月ふたり旅】

僕は気がついた。我々はこのところ、長期旅行者として他の日本人旅行者に羨望の目で見られている。しかし、これまで中国で、あるいは中央アジアで、イランで会ってきた日本人旅行者に対しては、我々が羨望の目を向けてきていた。立場が逆転しているのだ。

 

その彼は、ヨーロッパをすでに2ヶ月回っており、あと1ヶ月は旅行を続けるのだという。

「帰りのチケットが有るんで、拘束されるんですが」。

1/28には日本に帰るという。モロッコに行きたいと言って笑った。

「モロッコを悪く言う人、いままで見たことないで、気になりますよね、そういうの」。

彼はすでに大学を卒業し、一旦は仕事に就いたものの、諸般の事情ですぐに辞めてしまった。4月には次の就職先が決まっているので、

「これを機に旅行に出たというわけです」。

次の就職までの間に旅行するという意味では、僕と境遇が似ている。

「そうなんですよねえ。日本じゃ、会社を辞めないと出来ないんですよね。韓国だと、できるみたいなんですよ。若い社員でも、1ヶ月休むことが出来るそうなんですよ。それが日本でも出来るなら、こんな長旅をわざわざする必要もないんですよね。働き出すと休めないから、働く前とか、仕事を辞めたりして、まとめて3ヶ月も旅をする・・・ということになるんですよね」。

彼はしみじみと言った。長期旅行をする日本人の、これはけっこう本質的な課題かもしれない。

 

【ハンガリーの物価は安い? 高い?】

「それにしても、ハンガリーは物価が安いですねえ。驚きました」と彼が言うので、僕は物価が高くて驚いたと笑うと、

「うーん、まあ、アジアから来るとそうなんでしょうけど、ウィーンやパリなんかに比べると、相当安いですよ。そういえば彼らは、」

と、今はお出かけ中のケン&ノリのコンビに話題が移り、

「なんか、パンと水で生活しているらしいけど、でも、ここまで戻って来た気持ちは分かりますよ。同じ境遇だったら、俺もやるかもしれない」。

 

彼は鉄道駅でヴァリさんの客引きに誘われ、ここにやって来たのだが、来てみると日本人が多くて驚いたという。

「まるで日本人宿みたいですね。お二人は知ってたんですか?」

「いやぁ、僕も彼女の客引きですよ。でも確かに多いですよね。日本語の案内もあるし」。

 

ブダペストの日本人宿と言えば「テレザの家」が有名である。僕は94年に東欧を旅行したときに利用したことがある。8人ぐらいの大部屋が2つある宿は、宿泊客のほぼ全員が日本人であった。なんでも女主人テレザは大の日本人旅行者びいきで、その理由は「玄関で靴を脱ぐ清潔さ」にあるという話を現地で聞いた。当時、僕は同宿人にも恵まれたのか、この宿で有意義に過ごしたものだ。今回も利用しても良かったのだが、ドミしかないのでユウコには黙っていた。

その話をすると、彼は苦虫をかみつぶしたような表情でこう語った。

「年末年始は一杯ですよ。僕も行ってみたんですけど、ダメでした。それでここを薦められて、駅でヴァリを探して。でも、良かったですよ。なんかねぇ、この時期は常連さんばっかりになるらしいんですよね。合う人には良いんだろうけど。それと、番頭さんにもよるらしいですよ。ほら、長期滞在者が宿代浮かすためにそこで働くでしょう。中には偉そうに仕切ったりするのがいてね。最悪ですよね。旅行しているのを人にとやかく言われる筋合いはないですよね」。

「まったくだ」僕はうなずきながら、ふと、ヤズドのアリ・アミリ・ゲストハウスにある旅行ノートを思い出した。テレザの家にも旅行ノートがある。

 

【サラエボ「見物」とは・・・】

 彼もサラエボに行ったという。戦禍の傷跡が生々しいサラエボの状況は、ブラショフで同宿したNさんからすでに話を聞いていたが、

「いやぁ、ひどいもんですよ、空爆のあとがそのままですから」

と熱っぽく語る彼らに対し、僕はどうも違和感を覚える。

とりあえず停戦して、とりあえず国境が開いて、とりあえずビザは不要だから、鉄道を使えば簡単にサラエボに行ける。これは事実である。しかし、空爆の惨禍をわざわざ見物に行くというのは、いかがなものだろうか。実のところ、行きたくなる気持ちは分からないでもない。いや、よく分かる。

しかし、「ならば君は、阪神大震災後の様子も見物に行くのか?」と考えてしまう。行為としては同じ事をしている。

曰く、「破裂した水道管から出ている水をポリタンクに汲んでいる」「窓ガラスが無くなった住居に人が住んでいる」云々。

 「それは、旅行者としてやってはならない行為なのではないだろうか」と、僕は思う。

 

【アジアで出会う旅行者、ヨーロッパで出会う旅行者、そしれ我々は】

ところで・・・

 冬休みということもあり、このところヨーロッパを旅行する日本人に多く出会っている。ヨーロッパにありながら、かつてはワルシャワ条約機構に組まれ、旅行するにはちょっと勇気のいる国、しかしヨーロッパにありながら唯一アジア系民族の国家ということで、エキゾチック気分がそそられる国。民主化の流れに早くから乗ったハンガリーは、もはや旅行にビザは不要だし、ユーレイルパスも使える。ウィーンからは特急で4時間ほどで着いてしまう。気軽に、しかも西側諸国とはちょっと違った雰囲気を味わえるハンガリーに、ユーレイルパスを利用して、「ちょっと寄り道がてら」ブダペストにやって来る。彼らの旅程は、長くても2週間程度のものだろう。

 

 中国をはじめ、アジアではこういう短期旅行者にほとんど出会わなかった。むしろ、経験豊富な旅行巧者、強者、猛者に多く出会った。当時、我々はユウコの表現する「若葉マーク旅行者」であり、旅行者に会って、彼らの旅行ぶりに驚いたり、羨ましがったりしていたのだった。

 

しかし、ヨーロッパに来て、というより、ブダペストに来て、立場が一転した。我々は旅行巧者として見られる立場となり、長期旅行者として驚かれる立場となり、道中の話に耳を傾けられる立場になった。つまり、我々こそが、羨ましく思われる存在になっているのだ。それを自覚した日、僕はふと思った。「これが俺の旅の目的の本質だったのかもしれない・・・」。

そのような自分に気づいたとき、僕は同時に、旅の終わりが近づいていることを感じた。

食後、手紙を少し書く。