15日(火) 曇り(霧) ブダペスト

 

【休養日】

 ユウコは「体が重い」というので休養日とし、久しぶりに朝9時まで眠った。

昨晩に引き続き、本の整理、返送用荷造りなどして、荷物を出すべく僕は1人で中央郵便局へ出かけた。

国際郵便の窓口へ行くと「中身は本か?」と聞かれ、僕は正直に「本とワイン」と答えると、奥の小包窓口へ行くよう言われる。そこのオジサン、英語が全く通じない。書類の書き方の説明も全て身振りである。

ここは差出人、つまり君の名前。

その下は受取人の名前。中身はなんだ?

「ワインだよ」とグラスを飲み干す身振りをすると、オジサンは笑って、今度は違う質問をする。

「船便か、航空便か」ということで、胸の前で腕を波立たせてみたり、両手を広げて空飛ぶマネをしたり。今度は僕が笑った。

 郵便局を出たところに公衆電話があったので、荷物を受け取った旨を親父に伝えた。

 

 4番のトラムで中心街へと戻るが、今日のブダペストは霧の中で、何も見えない。午後3時、早々に宿に戻る。

 

【来ては去り、去っては来る・・・】

午後4時、我々はお互い昼食を取っていない。お腹が空いたので、かなり早い夕食にする。

台所で食事をしていると、昨日の夕方にチェックインした、にこやかで愛想の良い京都弁の女の子が顔を出してきた。

ユーレイルパスが今日で切れるのだそうで、「これからウィーンに行って泊まるんです」と言って元気に出ていった。明後日には日本に帰るらしい。

ブダペストに来るヨーロッパ旅行者は、皆、1泊か2泊で去っていく。

もっとゆっくりしていけばいいのにと思うのだが、もっとも、彼らにしてみれば、この宿に既に1週間も滞在している我々のほうが奇異に見えるのかもしれない。

 

 その直後、別の女の子が現れた。

 

その女の子は眼鏡をかけ、髪は長く、多少ウェーブがかかっている。20歳過ぎ〜20代後半といったところであろうか。

一見おっとりとした雰囲気だが、我々が簡単な食事をしているのを眼前にしながら、あいさつもそこそこに、誰も何も尋ねていないのに、

「街中のハンガリーレストランで郷土料理が食べたいんですけど・・・」と切り出した。

 

「今日見つけたんですよ・・・そこでは、3人だとコースセットが安くなるっているですけど・・・」。

見た目通りのおっとり口調だが、妙な押しの強さが感じられる。「一緒に行きませんか?」とは一言も発せず、しかし明らかに我々が誘いに乗るのを期待している口調である。そして、我々の卓の背後、狭い台所を、所在なさ気に、しかし思わせぶりに、右へ左へと歩き回る。

いっぽうの我々は、高級料理屋にはまるで興味がないし、ハンガリーの食堂にも既に何度か入っているから、悪いがこの話に乗る気は全くなかった。

 

すると彼女は話を変え、

「いつからここにいるんですかぁ?」と聞き、我々が既に一週間滞在していることに驚き、そして、

「この街って、どこ見に行ったら良いんですかぁ?」と尋ねる。

その言い方は、まるでこの街には見どころが全くないと思っているのか、あるいはこの街の見どころを全く知らないまま、ただブラリとやって来ただけなのか、あるいはその両方か・・・と思わせるほど、我々に対して、というより、ブダペストに対して、失敬な物言いである。

 

 彼女はドミ(4人部屋)に泊まっていると言い、

「残りの3人がみんな韓国人で、なんか話が盛り上がってて、さびしくなって」

台所に来たら我々が居た、と言うのだが、しかし我々は食事中である。この女の子は、他人の食事を妨げて、自分のおしゃべりを中心に据えようとしている。食事の邪魔をされて気を悪くした我々は、

「『歩き方』に書いてある見どころは、やはり素晴らしいですよ」とお茶を濁した。

 

【じつはオジサン方もいる】

 さて、この場には我々の他に、エジンバラから来たというオジサン2人が、我々が食事の支度をしているときから食卓の一角に座っていた。

テーブルは小さく、4人座ればもういっぱい。台所も、これだけ人が入れば人にぶつからないようにするのが難しい広さである。

このオジサン方は、いつもビールを片手にしており、いつも赤ら顔で、宿の女主人ヴァリさんと気が合い、今日もごきげんで、横で食事をする我々になにくれと英語で話しかけてきてくれる。

よくしゃべる方のオジサンは、我々にとっては残念なことに非常に早口で、そのうえサッチモのようなしゃがれ声なので、楽しそうな英語の話は半分も理解することはできない。

10月で65歳になるという。「歳をとっちまったよ」と苦笑いする。軍隊勤務を27年間続けてきたのだそうだ。

「じゃあ、世界をあちこち回ったんですか?」と尋ねると、

「さよう。世界のオンナで最も良かったのと言えば」と、聞いてもいない話になり、

「フィジーのオンナはみんな大きいんで、びっくりしたよ。コペンハーゲンが良かったねえ。あそこはいいぞ、高いけど」

と笑う。

「あと、プラハも良かった」

そこで、「プラハには我々も行ったことがありますよ」と話に乗ると、

「おお、そうか! あそこのビールは美味いよなあ! 絶品だよ。安いし」

と喜んだ。じっさい彼ら2人はビール党で、台所に置いてある大きな冷蔵庫の中にも、自分たちのビールが大量にストックされている。

 

話に間ができたところで、「ユウコが作ったシチューですが、いかがですか?」と誘うと、オジサンは、

「じつはブダペストに来る前にルーマニアに居たんだが、お腹をこわしちまってね。食欲がないんだよ」と腹をさすった。

何も食べられないのだが、ビールは美味いらしい。

 

【そして話が戻る、いや、蒸し返すと表現するべきか】

 ところでさっきの彼女は、我々がオジサン2人とこうして英語で話をしている間にも、我々に対して日本語で話しかけてくる。迷惑もいいところである。「英語できないのかなあ」とイライラする。オジサン達との会話を多少でも分かっていれば、それに乗ることもできるはずなのだが、彼女はそれをするどころか、我々を自分の世界に引っ張り込もうとするだけで、オジサンとは一言も言葉を交わさない。

さらに、話の流れでオジサンに食事を誘った手前、彼女に何も言わないのはさすがに失礼に当たるので、簡単に「あなたは?」と聞いてみた。

僕としては断るのを想定していたのだが、なんと

「あ、じゃあ」

という答えが返ってきた。そして黙ってニコニコと席に座り、なにかを待っている。

 

ユウコは呆気にとられながら、彼女のために食器棚から皿を取り、彼女のためにシチューをよそって、彼女のために差し出した。

彼女は「ありがとう」も言わず、出された料理を前にして、やおらカメラを構える。

「これ、私の趣味なんです。旅の食事はいつも記録しているんですよ」。

その気持ちは分かる。

「わあ、そう言ってくれた人、初めてです。いつもみんなにバカにされるんですけど」。

そう言って、彼女は簡単に食事を済ませたが、片づけもそこそこに、その場で日記を付け始めた。

 

オジサンと我々が横でおしゃべりを続けているのにかまわず、である。おそらく食事の内容でもメモしているのであろうが、僕は不愉快の絶頂に達していた。「写真をとってもいいですか?」「メモを残してもいいですか?」という言葉はもちろん、「美味しかった」「ごちそうさま」「すみません」「材料は何ですか?」・・・なんでもいいが、何か言うべきことがあるのではないか? メモを取るのは勝手だが、それは部屋に帰って1人になったときにするべき行為だ。

我々はいよいよ閉口し、使った食器を洗い(もちろん彼女の分は洗わない)、リスト音楽院のコンサートに行くために外へ出た。

 

【リスト音楽院と「だめだこりゃ」】

 コンサートは、弦楽オーケストラとオーボエの夕べである。

我々は意外にもいちばん前の座席に案内され、ネクタイを決めたスーツ姿の紳士や素敵なドレスのご婦人が多く居る中で、セーター姿の我々が最前列に座るのは少々心苦しい。それは我々が、もっとも安いチケットを買ったからなのである。つまり、いちばん前がいちばん安いとは驚いた(900フォリント、あとは16002200)。

しかしこれは思いのほか良い座席であった。演奏者の緊張感というか、その表情、息づかいまで、間近で見られるのだ。ライブハウスで熱い音楽を聴いているような気分である。

 

「クラシックでもここまで人間くさく感じることが出来るんだなあ」と、妙なことに感心する。

オーボエの人も、コンサートマスターも、演奏中の表情に味があって素晴らしい。

19時半開演。22時終演。たっぷり5曲(オーボエが入るのは、そのうち3曲)だったが、あっという間に過ぎた。

 

演目の途中で、学長さん(あるいはそれに準じた偉い方)と思われるジイサンが、黒いタキシード姿でヨタヨタと壇前に現れ、観衆を向いてペコリとお辞儀をした。そのとたん、ジイサンのズボンが、まるでドリフのネタのように、ずるりと落っこちた。

「あっ!」

という声も出ない。一瞬の静寂。みな目を丸くして驚いている。笑う者はいない。我々は、彼のすぐそばに座っている。どうしたものか。助けに立つべきか。いや、それはかえって失礼に当たるか、しかしジイサンもモタモタしているし・・・と思っていると、関係者と思われる若者が駆けつけ、ジイサンのズボンを素早く上げると、彼をエスコートして去った。大拍手が起きた。

 

 この音楽院では94年当時にもコンサートを聴いたことがあるが(それはどうも、フルートの学内コンテスト優勝者発表会のようであったが)、あれも良かった。この音楽院のコンサートはハズレがないように思われる。