1024日(土)ヤズド着 晴れ

 ヤズド行きの夜行バスの中では、従業員専用の茶をいただいたり、隣のおじさんはみかんをくれたり、うしろの若者は英語で話しかけてきたり、みな親切で人なつこい。暖房が効いているので暖かいが、さすがに朝方は冷えた。

ヤズドには朝8時に到着した。今までになく砂っぽい土地柄で、朝から日差しが厳しい。

トイレに行ったユウコを、ターミナルの屋外で朝日を浴びながらで待っていると、客待ちをしていたタクシーの運ちゃんに日本語で声をかけられた。

人の良さそうな顔で僕を誘うが、「こりゃあ、絶対ぼられるぞ」と思い、適当にあしらう。彼はかまわず運転席から僕に向かって陽気にしゃべる。

「俺の日本語、うまいだろ? 日本で3年働いたんだ。チバ、アキハバラ、シンジュク、ニシウラワ」

そこで、「何をしていたの?」と僕が尋ねる。

「トソウだよ。ペンキ塗りとか。ボクの奥さんも一緒に行った。金をためて、イランに帰って、家と、この車を買ったよ。日本、オカネ貯まるね。15000エーン、6000エーン。イランはダメだ。1日働いても、1日でオカネ、なくなる。だけど、日本はネダン高いね」。

ユウコが帰ってきても彼のしゃべりは続き、そして、どこへ行くのかと聞かれ、「ホテルを探す」と言うと、ならば乗って行けと言われ、僕が「タクシーは高いから」と断ると、「お金は要らない」と言う。

真に受けて「どうして?」と聞くと、

「トモダチだから」と答える。ほんとか?

「まさかなあ」と、思わずつぶやくが、彼は明るい。さすがに「タダ」ってことはなかろうが、多少のチップを払う覚悟で、彼の誘いに乗ることにした。

車中でも、彼は楽しそうに我々にしゃべり続ける。

「イランのタクシー、高くないよ。50エーン。日本は高いね。2000エーン、3000エーン。君たちは、どこに泊まる?」

「ホテルアリアに行きたいが」と、僕が答えると、

「グッド。ホテルアリアは高くなーい」。

そしてホテルアリアに着いた。こちらから金を出すのは弱気だが、チップをせびられたら少しぐらいは出してやろうかと思って降りると、彼は「じゃあねー」と手を振り、Uターンをして陽気な笑顔で去っていった。

 

ホントに金を取らなかった!

 

 ホテルアリアは平屋の宿泊所で、シャワー付きの2人部屋が20,000。ただしトイレは共同。敷地にはロの字のように通路があり、その内外に部屋がある。

我々の部屋は内側であった。部屋にいても、宿泊者が通路を歩く足音、外での話し声は筒抜けで、長屋に泊まった気分である。まさしく安宿で質素な雰囲気だが、ベッドのシーツは新しいし、部屋は清潔で快適である。

部屋にいつまでもいると根が生えてしまうので、荷物を置いて散歩に出る。

 

ヤズドの見どころは、「沈黙の塔」と呼ばれる、ゾロアスター教徒が近年まで使っていたという鳥葬の丘だ。他には、ゾロアスター教の寺院アタシュカデがある。あとは、旧市街にマスジェデ・ジャメ、それにアミール・チャクマクという2本のミナレットなどである。

 

まず食事をと思いチャイハネを探すが、ない。そのままバザールまで歩く。アミール・チャクマク広場、バディモスク、時計台、そしてマスジェデ・ジャメと続けて見物。とくにマスジェデ・ジャメは荘厳で美しい。起源は12世紀とも8世紀とも言われるが、そのように歴史深い建物が、とくに飾るでもなく、街の一角にちょいと存在するところがいい。イラン一高いという、このモスクのミナレットも素晴らしい。

 

沈黙の塔に行くには「メイダネ・ベヘシュティからメイダネ・アブザールまでバスに乗り、そこから徒歩45分」とガイドにある。そこで、メイダネ・アブザールまで行き、ここからタクシーを拾おうと思っていたら、通りがかった青年が「どこへ行くの?」と英語で声をかけてきた。

「ダフメイエ・ザルトシュティヤン(沈黙の塔)だよ」と答えると、「それなら、ここからバスに乗ってゴレスタンまで行けば近いよ」と教えてくれる。

「ほら、ちょうどバスがやってきた」と、いつの間にか集まってきた若者達に見送られ、バスに乗る。バスは空いており、我々の様子を見ていたのか運ちゃんも「ここだよ。目の前の道をまっすぐだ」と親切に教えてくれる。正面に岩山のような小高い丘が2つ見えていた。

降りたところにはバス停の目印も何もない。周囲は区画整理されている。新住宅の建設現場もある。丘の麓にはゾロアスター教徒が住んでいたという家屋の廃墟がいくつも残り、「うーん、歴史深い」と感慨深げにいきたいところだが、あいにく、そばには残土廃棄場のようなゴミ捨て場があり、振り返れば新興住宅街が迫り(つまりあのバスは宅地向け路線なのだ)、丘自体には雰囲気があるものの、どこか興ざめで、「へー、ほー」という程度だ。

この地はマルコポーロの時代から栄えていたというが、この沈黙の塔は、まさしく「夢の跡」である。日差しを遮るものはなにもない。暑い中、2人でウンウンと登っていく。バイクで遊びに来た若者がいる。我々よりあとに来て登り始め、我々より先に去っていった。バイクは速い。軽快で楽しそうだ。

目印のないバス停にもどると、すぐにバスがやって来た。

 

宿への帰り道の途上に、拝火教寺院アタシュカデがある。「味気ない近代建築で、雰囲気も何もない」とガイドには書いてある。実際、寺というよりは「拝火教資料館」という方が正解に近いのではないかと思う。そう思うと、たとえ味気ないとは感じても、がっかりはしない。ガラス越しに見た金杯の上の「聖なる火」は、「むしろあれでは『聖なる炭火』だね」とユウコが評したとおり、炎鮮やかと燃えているものと期待して来るとがっかりするのであろう。聖なる熾火(おきび)である。

 

「このままイランに居続けたら、カラダがサンドイッチとザムザムドリンクで出来てしまうね」とユウコが言う。

「つまりペルシャ人とは、ザムザム人のことだね」と、僕は笑った。続けて、

「しかしそうすると、アメリカ人はマックとコーラでマッコーラ人だ」と言うと、ユウコが怪訝な表情で、

「つまり、イラン人もアメリカ人も、組成はよく似ているということ?」と聞くので、僕は考えた。

「アメリカ人にはそれにコーヒーと酒がプラスされ、イラン人にはアイスと茶がプラスされているよねえ・・・。いずれにせよ、我々は、もはやザムザム人だね」。

夕食にはチェロモルグとホレーシュを食べる。ホレーシュは、ビーンズ&ビーフカレーのような料理であった。