112日(月){811日} イスファハン 晴れ

 

【明日のチケットを】

 6時に起床し、ユウコに見送られてテルミナルへと向かった。

 

ところで、イスファハンのバスターミナルは街の東西南北にそれぞれ存在し、我々がシラーズから来たときは南ターミナルに到着したが、メインは北ターミナルである。ホテルの前を走るチャハルバーグ・バヘイン通りは南北の目抜き通りといったところで、並木の緑が茂る大通りである。ホテルからそう遠くないところにバス停があり、そこから適当にバスに乗り込む。通りをまっすぐ北に走ってくれれば、やがて左手にターミナルが見えてくるはず・・・なのだが、バスは無情にもメイダネ・ショハダで左折してしまい、慌てて降りる。ショハダにはサヴァリがたまっていて、僕も北行きのサヴァリに紛れ込む。3分ほど走ると大きな大きなターミナルが見えてきた。僕を含め、お客はみなターミナルで降りた。だからタクシーに変身することなく250リアルで済んだ。なんとなくうれしい。

 

バスターミナルというよりは、国際空港と見まがうばかりに立派である。バス会社のカウンターも、待合いも、みな大きい。そして綺麗でおしゃれだ。しかし、ハマダン行きのバスは無い。やっと見つけたバスNo.15の今夜の夜行(20時発)は1つしか席がない。昼便だと10時出発で、ハマダンには17時に着くというので、明日の10時発を予約した。ターミナルからの帰りは南(繁華街)に戻るバスにうまく乗れたが、大勢降りたので終点かと思って慌てて降りたら、バスはさらに南行してしまい、またも失敗。バスを乗り直し、ホテル前のバス停で降りる。

 

【揺れる? 廃墟?】

 昨日の夜食用ケーキの残りと、ホテル・ジョルファで獲得したナンと共に、お茶をフロントで頼んで朝食とする。今日はバスに乗って、街の西にある「揺れるミナレット」ミナーレ・ジョンパンに行くが、修復中のため、休み。入り口から「揺れないミナレット」を撮る。「夏のシーズンにお客さんが揺らし過ぎて、壊れてしまったのだろうか」。

 

気を取り直してアテシュガーへ行く。

アテシュガーはミナーレ・ジョンパンからさらに西にある。拝火教寺院の廃墟とのことで、「廃墟ならヤズドで一回見ているからなあ」と、たいして期待はせずに行ったのだが、バスに乗っていると、街道沿い右手に、突如として岩山がそびえ立つのが見えた。思わず「あっ!」と声を挙げる。そしてその上に、土造りの寺院の廃墟がはっきりと見える。岩山の高さは100mはあろうか。とりつく島もない。どこが入り口なのかも分からず、歩道なのかも分からず、頑張って登る。斜面を巡るように登っていくと、我々が登り始めたちょうど反対側に出たところで、眼下にチケット売り場らしい小屋が見えた。「券を買わなくていいのかなあ」とユウコが心配するが、すでに半分を登り終えているので今更降りるのは虚しい。「帰りに払えばいいよ」と、かまわず登る。

30分ほどかけて頂上に着いた。11月とはいえ日差しは強いが、風が冷たく、ほてった身体に心地よい。頂上にはヤズドの沈黙の塔で見たような鳥葬場もあり、また、ここからはイスファハンの街を一望することができた。場の持つ雰囲気としては、ヤズドよりもこちらのほうがよほど良いと思う。

 

 街へ戻り、イスファハン初日に若者にいちゃもんをつけられたサンドイッチ屋で昼食をとる。ここのサンドイッチはとても美味しく、我々はリピーターになったのだが、地元民にも人気がある。いつもお客さんで一杯だ。12時をまわったところで、店のTVで「おしん」が始まった。

 

【「おしん」がもたらす好奇の視線と不愉快な感情】

 暑くなってきたので、宿に戻ってひと休み。夕方、チェヘルソトーン宮殿を見物に行く。

宮殿は美しく、壁画も大変よろしいが、女学生の一団の無礼な態度が気になる。イスファハンに来て以来、修学旅行のような、20人ほどの女学生の団体に出会うことが多いのだが、彼らはユウコを見てまず「おしーん」と指さし、「ジャポーン」と冷やかし、そしてニタニタ、ケラケラと、我々を遠巻きにして笑う。決して話しかけることはない。「なにがそんなにおかしいのか」と、初めのうちは不思議に思うだけだったが、数を重ねると腹が立ってくる。だいたい、集団というのは無礼不遜な態度を平気でとるものだ。おしんが頭にスカーフを巻き、ワンピースコートを着ている、つまりペルシャ人の格好をしていることがそんなに奇妙だろうか? 奇妙にさせているのはあんたの国だ。人を指さしてクスクス笑うな! イランは「女性がひとり旅をしにくい国」という話があるが、その原因は男性のハラスメントだけではないような気がしてきた。いっそのこと、TシャツGパンでばっちり決めてみてはどうか? でもそれでは捕まってしまうんだよねー。

 

 イランの人々は人なつこくて、街を歩くと声をかけてくれることが多いが、時として妙にカンに障ることがある。それは例えば、ザックを背負っているときだ。こういうときはたいてい疲れているから、興味本位の目はうるさく感じられる。それから、さきの女学生達のように、あとから野卑な笑いが伴うときだ。そして、どちらかというと女性、しかも若い高校・大学生ぐらいの年頃の人々に対してムカツクことが多い。オッサン共の、人なつこくて親切心のある声とは明らかに質が違うのだ。一概には言えないけれども、これまでの経験からして、男性は、@単純な歓待心 A客引き B話しかけてみたい といったココロがあるが、女性は興味本位で、ただ物珍しくからかっていることが多い。つまり、話しかけてくることは少ない。ただ、それは2人連れであるということにも原因しているようで、ユウコによると、バスに乗っているときは結構話しかけられることが多いらしい。老若の別はない。そして、バスで話しかけてくるのはたいていインテリなのだそうだ。もっとも、英語がしゃべれるぐらいなのだから当然かもしれないが。

 

世界の半分とも今日でお別れだ。今でも充分その栄光を知ることができるが、全盛期は今よりもはるかにすごい街だったのだろう。162のモスク、48のメドレセ、182のサライ、173のハマム、とは!

 

【危険な国へ出かける旅人について少しばかり思うところ・・・】

 旅人の中には、イラクやら、アフガニスタン、タジキスタンなど、危ないと分かっている国にわざわざ出かける者がいる。いや、危ないからこそ行くのだろうか。旅自慢のために行くのか。もしそうだとすれば、それはヤクザの家に興味本位で遊びに行くのと本質的には同じなのではないかと思う。まるでTVの突撃レポーターだ。たしかに古い遺跡もあるし、現状がどうなっているのか気になるところでもある。それは分かる。しかし、物資に乏しく、死と直面する毎日の人々を前に、旅行者は金をぶら下げ、どのツラ下げて歩くのか。旅行者にとってはどんなに平和な国だって危険は付き物だが、紛争地域において、その質とレベルはあまりにも違う。もっとも、彼らはその「危険」を求めて行くのだろう。だから自慢話になるのだろう。「冒険談」として、誰も行かない危険な国を旅する話ほどおもしろいものはない。いや、それとも、「意外と平和なのかも」と勘違いしているのか?