11月3日{8月12日}(火)イスファハン 晴れ
【イラン人たちの、ちょっとばかり気になる風習】
どこの部屋かは知らないが、昨晩は子どもの泣き叫ぶ声がたいそううるさかった。そういえばシラーズのホテルでも、同じフロアの部屋で子どもの泣く声がうるさく、寝苦しかった。バスの中でもそうだが、イラン人は、我が子が泣いてもほったらかしにする傾向があるように思う。抱いている子がわめいても、夫婦はかまわずおしゃべりをしている。
寝苦しいといえば、夜行バスではお客はたいていおとなしく、おしゃべりをするときも周囲に気を使ってヒソヒソとやっている。それは良いのだが、イラン人の特徴すべきクセとして「舌打ち」がある。なにかイヤな話を聞いたりするときに、決まって「チッチッチ」と3回、やる。これを、とくに夜行バスの背後の席でやられると、耳障りで不愉快だ。
【ハマダンへ】
ホテルを出て目の前にあるバス停からテルミナルに行くバスに乗ろうと思うのだが、バスが停まるたびに運転手に聞いても「ナー」の返事ばかり。周囲のオジサン共からは「タクシーで行ったほうがいいぞ」と言われる始末。けっきょくそれが早道と観念し、タクシーを拾った。
テルミナルの待合いで休んでいると、ケルマンシャーに戻るというAir Aviation Academyの学生の一団(7-8人)に声をかけられた。年を聞くと18歳から19歳だという。英語は、学校で習い始めたばかりの者が多く、あまり上手ではない。彼らはパイロットなのではなく、メカニックになるための勉強をしているのだそうだ。
そこでユウコが、自分の持つグライダーの免許を見せ、説明する。みんなして「君、操縦できるの?」と驚いた。
バスは10時過ぎに発車した。テヘランへと北上する街道をかなり長いこと走り、ペルシャの古都コムの手前で西へ向かう街道にそれる。昼食休憩で、レジの横で食事をしているオジサンのチェロモルグとホレーシュが美味しそうに見えたので、「あれを食べよう」と2人で注文することにした。
が、「チェロモルグ1つと、ホレーシュ・・・」と言いかけたところで、我々が見ていたオジサンの隣にいたオヤジが、「注文を手伝ってやろうか?」と英語で余計なお節介をいただき、まとまりかけた注文がかえってややこしくなり、時間をとってしまった。
注文した料理はなかなか出てこず、しかも1つずつ頼んだつもりが(昼食時には、我々はたいていこうして1つの料理を分け合って食べていた。1人1つだと、ライスが多すぎるのだ)2つも出てきて、一生懸命食べなければならなくなった。
このとき、我々は運転手の隣のテーブルに座っていた。昼食休憩の時間は、彼らの休憩の度合いで決まる。彼らが食事をし、茶を飲み、おしゃべりをしている間は我々もゆっくり食事をすることができる。ところが、運転手と助手の2人は、我々が半分も終わってないうちに談笑を終えて席を立ち、我々に「急げよ」と声をかけて去っていく。頑張って全部食べきると、さすがにおなか一杯である。
ハマダンへ向かう街道はひたすら砂漠の中を走るが、手前200km辺りからは耕地も見えてきた。肥沃なのだろう。バスは17時に到着の予定が若干遅れ、18時半にハマダンに着いた。テルミナル入り口前の通りは街灯が少なく、暗い。そこにバス停があるのが見えた。ここから市バスで街の中心に行こうと待つが、テルミナルから出てきたオジサン達に「タクシーで行ったほうが早いぞ」と勧められる。たしかに、テルミナルで降りる乗客も、けっこう安易にタクシーを使っている。彼らは、ぼられたりしないのだろうか。
街の中心、メイダネ・イマームホメイニまで出て、宿探しに歩く。まずホテル・ヤスに行くが、ここは中級で1泊60000と高いのでやめる。隣のホテル・オルディベヘシュティは繁華街にある安宿で、4人部屋を2人で占拠しても15000と安い。トイレ・シャワーは共同。シャワー室はちょっと臭うが、ユウコも「お湯が出るなら気にしないよ」というのでここに泊まることにする。シャワー室には大きなたらいがあるので洗濯には便利だ。夜食のケーキを買う。