115日(木){814日}ハマダン 晴れ

 

今日は日本を出て第100日目である。

 

【今日は日帰り旅行でケルマンシャー行き、しかしその前に】

 ケルマンシャー行きのミニバスに乗り、ミニバスターミナルを845分に出発して、11時過ぎにビストゥーンで途中下車。

ビストゥーンとは「神々の住居」という意味だそうで、その名の通り、街道に面した高い絶壁の中腹にダリウス1世の戦勝記念の浮き彫り、すなわち岸壁碑がある・・・はずなのだが、我々が降りたところから見えるのは工事現場に良くある骨組み(足場)だけで、当の目的物は何も見えない。修復中なのか、それともまさか、はぎ取って博物館にでも持って行かれたのか・・・。

 

街道の反対側に、おそらく観光客向けと思われる1軒の茶屋がある。そこでザムザムを飲んでひと休み。我々と同じようにビストゥーン目当ての地元観光客も何人かいるが、みな残念そうに車で引き上げていった。

さて、我々はここから再びバスに乗り、ケルマンシャーにある別のレリーフ、ターゲ・ボスタンを見に行く。これまで、沿道でバスを拾う地元民の姿を何度か目にしているので、それにならって街道に立ち、バスが来るのを見計らって「停めてくれー」とばかり手を上げる。が、止まらない。次のバスも、止まらない。困った。

 

通りがかった1台の乗用車が、我々の少し手前で止まり、中から人が出てきた。4人ほどの若者だが、やはりビストゥーンを見に来たらしい。レリーフは見えず、組まれた足場を見て、なにやら話をしている。その様子を眺めていると、彼らが話しかけてきた。

我々がケルマンシャーに行きたいことを知ると「それならバスを停めれば良いんだよ」と、彼らも手を上げてくれるのだが、バスは停まらない。彼らは肩をすくめ、「バスがダメならサヴァリがあるよ」と、今度はやって来る乗用車に向かって手を上げる。と、すぐに1台つかまった。助手席には1人先客がいる。若者達は料金交渉までしてくれ、その結果、ケルマンシャーまで2000リアルで良いということになった。

 

【あらためてケルマンシャーへ】

運転手は40歳ぐらいのオジサンで、助手席に乗っているのは、高校生ぐらいだろうか。あるいは息子なのかもしれない。

オジサンも少年も、しきりと話しかけてくるのだが、ペルシャ語は挨拶と数字ぐらいしか知らないので、我々は笑ってうなずくばかりだ。オジサンが少年をこづいた。

「おまえ、学校で英語習っているんだろう? 話をしてやれよ」。

少年は照れくさそうにニヤニヤと笑う。

「イランは良いか?」とオジサンが聞く。答える前に彼が1人で続ける。「レザー・シャー(の時代)は良かった。頭をぐるぐる巻きにした連中(聖職者のことを言っているのだろう)はダメだ。酒も飲めなくなっちまった」。

ケルマンシャーの街まで来たところで、「あと500払ってくれたら、ここからターゲ・ボスタンまで連れていってやるけど、どうだ?」とオジサンが聞く。いずれにせよバスかサヴァリをつかまえ直さなくては行けないと思っていたので、値段もそう悪くないし、好意に甘えることにした。

 

【ケルマンシャーでも寄り道】

 ターゲ・ボスタンの入り口から実際のレリーフまでは、歩いて15分ばかりある。その間、木々に囲まれた遊歩道に沿って野外レストランが何軒も並ぶ。こうなるとついつい「花より団子」だが、まず「花」を見てから、と気合いを入れて、右手にはボートばかりが浮かびお客のいない池を見ながら、遊歩道終点のレリーフを目指す。ターゲ・ボスタンとは「楽園のアーチ」という意味だそうで、ここにはササン朝時代のレリーフが3つ並んでいる。アルダシール2世がローマとの戦いに勝ったことを記念した戦勝記念碑、シャープール2世とシャープール3世の浮き彫り、そして大きなホスロー2世の帝王叙任式図、帝王猪狩図および帝王鹿狩図。どれも見事で素晴らしい。これは見にきた甲斐がある。

 

「花」の次は「団子」ということで、野外レストランで僕はウシ、ユウコはトリのケパブを食べた。なかなかうまい。

 散歩がてらケルマンシャーのバスターミナルまで30分かけて歩く。ターミナルには乗り場がたくさんあって迷ったが、なんとかハマダン行き乗り場を見つけ、ミニバスは15時に発車した。来た道と同じ街道を戻る。収穫の終わった農耕地には遊牧民のテントがいくつも張られ、羊の群が草を食んでいる。彼らの姿が夕日に映え、美しい。行きのバスではほとんど寝ていたので、車窓の景色が楽しい。ハマダン手前30分ほどのところでは山越え道となっていた。なだらかな山並みが、これまた夕日に映える。そしてハマダンには18時に到着した。明日はハマダンから北上し、カスピ海西南岸の街ラシュトへ行く計画だ。そこでテルミナルの発見窓口に問い合わせるが、唯一ラシュト行きを出しているバス会社SAYROSAFARは「売り切れ」という。ならば途中のガズヴィーンまで行き、そこからはテヘランから来るであろうラシュト行きを捕まえようかと考えるが、ガズヴィーン行きもない。困った顔をしているとチケット売りのオジサンが「チケットは無いが、9時に来るといい」と言う。「席があるのか?」「席はないけど、なんとかなる」というようなことを言われたが、そういえば今朝もターミナル内で客引きを盛んにしていたので、彼の言うとおり、なんとかなるのだろう。僕も楽観視していた。バスがなければタクシーでもいいかな・・・。

 

 ターミナルから20分ほど歩いてホテルに着く。フロントの担当は日替わりなのか、初日のオヤジに戻っていた。このオヤジは愛想が良い。

 

【イラン旅行で思うところ少しばかり】

 ここまできわめて順調に来ているイラン滞在だが、ここまでのイラン滞在で欠けているのは人との交流だと思う。

もちろん、地元の人々は親切だし、バスの中でも街中でも話しかけてくる人は多いが、今一歩物足りない気がする。しかし、それはペルシャ語を話せない自分が悪いのだし、テヘランやイスファハンの大学に行けば、英語ペラペラの学生もいるはずなんだから、そういうところに行けばチャンスはあろうが、我々は行ってない。そう考えると、けっきょくは自分の姿勢に依るところが大きい。もっとも、そのかわり観光をいっぱいしている、ということも言えるのだが。ナリマンさんとか、ヨゼフさんとか、そういう人も居たけれど、しかし・・・何かが足りない。

 

なんとなく、ルーマニアが待ち遠しく思われる。

 

イラン人にとって、日本人という生き物を見る驚きとはつまり、滅多に見られない希少な動物を見る驚きと同質なのでは無かろうか、と最近とみに思う。

たとえば新宿の通りをとつぜんインド象が歩いていたら、人々は如何に驚くことであろうか?

「歩いてる、歩いてる!」「うおー、耳でけー」

と、指さし、その一挙一動に興味の目を向け、笑う。これが、イラン人が日本人(というか我々)を見る目と、本質的には同じなのではないかと思うのだ。その一方では、人なつこい部分もあるにはある。

だがしかし、ルーマニアでは「アイドル」になれる、つまりチヤホヤされるのだ。遠巻きにするのではなく、「きゃー、サインちょうだい!」とばかり、大人も子どもも寄ってくる、という点がイランと大きく違う。中央アジアでも好奇の目が強いが、どちらかといえば「観光客」として扱われていると思う。それは、東京の都会人が農村にフラリと出かけたときの、地元の人々の目と似ている気がする。少々距離がある感じだ。