1113日(金){822日}マクー 曇り

 

【イラン最後の朝】

 イラン30回目の朝を迎えた。今日こそ、国境を越えてトルコに入るのだ。

 

【国境はバザルガン】

 7時起床。朝食には昨日買っておいたケーキを食べ、8時に出発。フロントのオヤジがサヴァリを拾ってくれた上に料金交渉までしてくれたおかげで、ぼられずに済んだ。同乗したオヤジの1人が英語を話す。「国境のバザルガンに着いたら両替の仲介をしてあげよう」と言う。兄弟が貴金属店をやっているというのだ。こういう人の場合、レートは良いとは思えないので渋るが、彼は「闇両替は危険が多いし、彼らはインチキをすることがある」と主張する。乗りかかった船なので話に応じることにする。

 

 国境バザルガンまではマクーから25km。一本道をほぼまっすぐ西に進んだところにある小さな町である。車を降りると闇両替のオヤジ達が寄ってくるが、英語のオヤジは「彼らを相手にするな」と言い、我々を1軒の貴金属店へ案内してくれた。長い交渉の結果、両替が成立した。

 

【ゲートをくぐり・・・】

 店の並びを過ぎると、マクーからの街道を遮るようにゲートと検問所があり、道と垂直に金網のフェンスが左右に続いている。ゲートから先の道は緩やかな上りになっている。大きくSの文字を書くように左・右と折れ、上りの頂上までは約2km、そこに国境があるという。国境事務所(イミグレーションオフィス)は山に阻まれ、検問所からは見えない。右手後方はるかに、アララト山が顔を覗かせている。ゲートからの坂道は大型トラックの長蛇の列が続いている。

ゲートをくぐるとバス停がある。バス待ちらしい男たちに混じり、そこで呑気に立っていると、ほどなくしてくたびれたミニバスが1台、国境への坂道から降りてきた。

このバスはゲートから国境事務所までの往復バスで、我々の他にも何人かお客が乗り込んだ。車のバッテリーやタイヤなど、車用品を積み込んでいる。国境の事務所での出入国審査は日中しかおこなわれないはずなので、トラックの運転手はおそらく夜のうちにここに到着し、トラックを行列に並べておいて、ミニバスでバザルガンの町まで戻り、宿を取ったり買い出しをしたりするのであろう。そして朝になれば、再びバスに乗り込んで自分のトラックに戻るのである。バスは数珠繋ぎに並ぶトラックの脇をのんびりと上がっていった。

 

【峠の事務所へ】

 イミグレーションに着くと、ちょうど9時であった。

イラン側の出国審査事務所はさして混んでいない。簡単に質問を受け、ポンと出国スタンプをいただき、誰もいない税関を過ぎ、トルコ側の入国審査事務所に入る。

と、そこには手続きを待つ男達が大挙していた。

イランとトルコの時差は1.5時間なので、こちらはまだ8時前である。仕事が始まっていないらしい。

入国審査の窓口は小さく、窓口の周囲の壁には金網が張り巡らされ、男達はその金網にへばりつくように順番を待っている。

列は、あるようで、無い。我々はどこに並べばいいのだろう。窓口は、部屋を入ったすぐ右側と、さらにその奥に1つずつあった。近い方はすでに営業を始めているようだが、これは健康診査の証明スタンプをパスポートに押すようだ。我々には不要だろうと呑気にしていたら、立ち並ぶ男の1人に「まずあそこでスタンプをもらっておけ」と言われた。

 窓口は小さいが、部屋は小学校の教室ほどの広さで、隅に腰掛けがある。

 

【役人、商人、イラン人、トルコ人、日本人】

 ようやく入国審査の業務が開始された。男達は金網にしがみつきながら、狭い窓口に向けて、手にしたパスポートを人より早く受け取ってもらおうと必死だ。中の役人(警官)は、入国申請者たちの熱気をまるで意に介さないかのように、じつにのんびりと、はっきりいえば、やる気ゼロ丸出しで、仕事をこなしている。

我々は2人して並んでもモミクチャにされるだけだと思い、ユウコを腰掛けに座らせ荷物番をしてもらい、僕が男ドモに混じって並ぼうと試みる。

が、どこにどう取り付いたらよいものかわからない。

 

【最後のおたすけマン登場】

あっけに取られていると、背の高い男が片言の英語で話しかけてきた。パスポートをよこせという仕草をする。俺が代わりに出してきてやろうと言っている。イラン人はどこまでも優しいのだ。それで彼に託す。すると彼は我々のパスポートを、自分のパスポートと共に、金網にしがみついている同僚の1人に託した。その男はすでに5つものパスポートを手にしていた。僕はユウコの隣に座り、事態の進展を待つ。

しかし手続きは遅々として進まず、背の高い男は我々に「トルコはダメだ。俺達の国のほうが良い」と言う。仕事が遅いことを言っている。しばらく待っていると、彼はおもむろに、白黒のビーズでできたライターケースを僕に差し出した。「スーベニール(おみやげ)だよ」。

 

【仕事に切れ味のない役人でも、キレるとこわい】

 我も我もと手を伸ばす我々の態度に、ちょび髭を生やしたスタンプ役人がついにキレた。彼は男共が無秩序に差し出すパスポートを払いのけ、怒鳴った。

11つだ! 2つも3つも出すな! こんなことでは店じまいにしてやるぞ!」

ペルシャ語であったか、トルコ語であったか、判別しかねるが、身振りから、こんなことを言っているに違いない。男達はシュンとなる。白けた空気が流れる。我々のパスポートも床に吹っ飛ばされてしまい、背の高い男が拾ってきてくれた。そして申し訳なさそうに「順番を開けてやるから、列に並んでくれ」と言った。ユウコには引き続き腰掛けで荷物番をしてもらい、僕も金網にしがみついて皆とともに並び、パスポートを差し出した。

 

【閉じ込められているの?】

 入国スタンプを押してもらえば仕事はおしまいなのだが、部屋の出口には鍵がかけられ、すぐには出られない。15分に1回ぐらいの間隔でちょっと偉そうな風情の役人が現れ、これまたやる気のない様子で出口の扉を開ける。ようやく外に出たとき、時計は10時半を回っていた。これはイラン時間なので、トルコ時間に直すと9時を過ぎたことになる。

 

【トルコの太陽と彼女の髪】

 事務所を出ると晴天であった。きれいな大型バスが2台停まっている。前にはまっすぐ道が続いている。右手には平坦な草原の向こうに、雪を頂いた大小2つの山が、美しくそびえていた。

「アララト山だ!」 僕は思わず声を挙げた。

裾野から山頂までの全容が明らかになっていた。「マクーに泊まって良かったね」と2人して顔を見合わせる。

そしてユウコが嬉しそうに言った。

 

「ね、もうスカーフ取って良いんだよね? ワンピースも、要らないんだよね。わー! 自由万歳だねー!」

 

【ここはギュルブラック。目指す町はドゥバヤジット】

とくに当てもないが、そのうち声がかかるだろうと思って道を少し歩いていくと、案の定、ドルムシュのオヤジが声をかけてきた。

ドルムシュすなわちトルコの乗合タクシーである。イランと違い、タクシー業が徹底しているトルコにおいては、日本と同じくタクシー車は認可制である。ドルムシュも然り。ただし料金交渉は存在する。

「料金は11.5ドル相当」という「アジア横断」の情報を頼りにオヤジと交渉した結果、1300,000リラ(1ドル程度)に落ち着いた。

この国境ギュルブラックからドゥバヤジットの町まで35km。ドルムシュはマイクロバス型で内装も外装も清潔である。

 

ユウコは窓際に座り、走る風に髪をなびかせ「頭(スカーフ)がないって、解放されるねー」としみじみ言った。この1ヶ月、彼女はホテルの部屋以外では必ずスカーフとワンピースを着ていたので、いまこうして青空の下で髪をなびかせている彼女のジーンズ姿は、始終そばにいる僕の目から見ても新鮮であった。朝日を浴びて、なにやら神々しくさえも感じられる。

 

やがてドルムシュは、小さいながらも賑やかな活気ある町並みに入っていった。

 

(つづく)