1020日(火) テヘラン 晴れ、昼から雨(カスピ海沿岸では曇り)

 

【テヘランを出る】

 我々はイランに来て、まだテヘランしか見ていないが、イランを知った旅行者が「つぎはシリアだ、ヨルダンだ、オマーンだ」と、もっとディープな(?)イスラム世界を求めて旅するのも少しわかる気がする。我々は本日、エルブールス山脈を越えてカスピ海沿岸の街ゴルガンを目指す。イラン最高峰のダマバンド山(5671m)に近い峠を超えるはずなので、山を見るのも楽しみだ。

 

 6時半に起床し、820分にチェックアウト。メイダネ・イマームホメイニまでのいつもの道を、今日は久しぶりにザックを担いで歩く。

 

カスピ海方面へのバスはテヘランの東バスターミナルから出るとのことで、そこへ行くにはバスを乗り継がなければならない。まずメイダネから140番のバスに乗る。バスはフェルドウシー通りを北に向かい、メイダネ・フェルドウシーを右へ折れる。ここから東へまっすぐ走ると東バスターミナルに着くらしいのだが、140番はターミナルまで行かない。そこで、この通りのどこかで211番に乗り換える必要がある。僕は降りる場所をいち早く確認できるよう、ちばん前に座るが、ユウコは女子コーナーのため、バスの最後部から僕の挙動をうかがう。

運転手さんは優しく、ちょうど目の前に211番のバスを見つけ、「あれだ! あれに乗れ!」と僕をせかす。チケットを出そうとすると「お前は乗り換えるんだから、あっちのバスで払え! このバス賃は要らん」と、語気は荒いが、旅人へのその親切心は何よりも嬉しいものだ。後ろの昇降口で僕の様子を見ていたユウコに手で合図し、バスが停まったところで降り、前のバスへ走り飛び乗る。

 

 東バスターミナルは雑多だが、バスを降りたところで、すぐに中長距離バスの客引きのおじさん達が寄ってきた。「アモール行き」という誘いに乗った。そこで乗り換えればゴルガンに行けると思ったのだが、乗ったあとで確認すると、このバスはゴルガンまで行くという。乗り換えの手間が省け、助かる。

 

ところで、中長距離バスは男女別にはなっていない。が、見知らぬ男女が並んで座ることはないように、ときおり乗客同士で席の交換が行われている光景を目にする。

 

【なぜゴルガンか。ゴルガンとは、どこか?】

 ゴルガンに行くことを決めたのは昨日のことだ。僕はかねてから、イランの滞在はまるまる1ヶ月を見ていた。当初はトルクメンから入る予定だったので、イランの記念すべき第1夜はマシュハドになるはずだった。そしてマシュハドからバムまで南下し、そこからアジアハイウェイに沿うようにケルマン、ヤズドと西進し、その後、ペルセポリスのシーラーズ、世界の半分のイスファハン、首都テヘラン、観光地ハマダンなどを巡って、カラハン朝の首都タブリーズを経由し、さらに西進してトルコ国境へと至る。このような旅程を描いていた。

 飛行機でやって来たため、第一都市は思いもかけずテヘランになった。そこで、テヘランを起点とした時計回りのルートに変更した。つまり、まずテヘランからマシュハドまで一気に東進し、その後はさきのコースの通りに回る。

 しかし、ここで新たな案が出た。一つ、エルブールス山脈が近いのだから、山越えの道を取るルートを考えよう。一つ、カスピ海沿岸は「砂漠の国イラン」のイメージとは全く異なる環境だそうなので、この辺りの町も訪ねてみよう。そういうわけで、今日は山越えのバスに乗り、カスピ海に出る。そののち、あらためてマシュハドを目指すのだ。

 

 バスは東ターミナルを9時半に出発した。道はやがて山がちになり、遠くに見えていた山脈はどんどん近くなる。山には緑がなく、ごつごつとしている。雪を頂くダマバンド山も見えてきた。天気が良いのは何よりだ。迫る峡谷は深い。ユウコが言う。

「ここには中央アジアで見てきた『良い所』が詰まっているみたいだね」。

しばらく黙ったあとで、彼女が続ける。

「でも、ラグマンはないね」。

僕は笑った。

彼女はさらに少し考えて、感慨深げに言った。

「でも、両方見たから言えるんだよね」。

 

 その感慨は、ひとえに健康回復の面からも言える。

 テヘランに来て以来、胃の調子がウソのように良くなった。中国からここに至るまで、長いこと下痢や腹痛に悩まされてきた我々にとって、こんなに快いことはない。とくにユウコの回復がめざましい。

「イランの水は水道水も飲める」という話がある。ホテルのロビーにも、また街中にも、飲料水コーナーがある。地元の人々はそこで水を飲んでいる。しかし、我々にとってその水は、当初は非常に疑い深いものであった。しかし、あるとき試しに飲んでみた。うまい。そして胃の調子は快活である。いまや、ホテルのロビーにある水飲み場で、空いたペットボトルに水を汲んでから外出する習慣がすっかり身に付いていた。

 

 峠を越え、山に緑が増えてきたところで。12時半に昼食休憩。チェロモルグを食べた。13時出発。その後の山下りの沿道には緑がいっぱいだ。水田もある。山々には雑木林がこんもりと茂っている。ガイドにもあるとおり「日本的風景」である。久しぶりに緑の山を見るとホッとする。カスピ海はまだ見えないが、下り始めると雨が降ってきた。どんよりとした雲が空を覆っている。まだ寒くはないが、悪天候というのは心配の種だ。13時半にアモール、14時にサーリーを過ぎ、ゴルガンへの到着は17時であった。

街中にさしかかったところでバスの運ちゃんが「君たちはテルミナルへ行くのか?」と聞く。むろんペルシャ語である。手元に持つ唯一のガイドブック「アジア横断」には、ゴルガンの地図がないが、メイダネ・ヴァーヘドが街の中心だとあるので、「メイダネ・ヴァーヘドへ行きたい」と答える。が、通じない。というより「そこで降りて、それからどうするんだ」と聞いているようにも思える。

そこで「アジア横断」をさらに開き、書いてあるホテルを当てずっぽうに、「ホテルハイヤムに行きたい」と伝える。

すると了承してくれた。しかも運ちゃんはメモ紙に「ホテルハイヤム」とペルシャ語で書き、僕に渡す。そして通りがかったメイダネで「降りろ」と指示した。我々が降りたところで運ちゃんも続いてバスを降り、たむろしていたタクシーの1人に声をかけ、「こいつら日本人だ。ホテルハイヤムまで2,000リアルで連れてってくれ」と料金交渉までやってくれる。快諾したタクシーの若い運ちゃんにさきのメモ紙を見せようとすると、「分かった分かった」と手で制してうなずく。「2,000で大丈夫ですか?」と聞いても「分かってる分かってる」とうなずくばかり。10分ほど走ったところでホテルに着いた。

 

 ホテルハイヤムのフロントのオニイサンは英語が通じないが、張り出された料金表によると、イラン人なら2人で20,0001人で泊まると15,000)、外人は40,000(同25,000)とある。シャワーは部屋に付いているが、トイレは共同である。部屋は2階で、階段を上がったところに広いホールがあり、部屋の扉はそれぞれ、ホールに面するようにある。我々の部屋のちょうど反対側にトイレがあった。

 ホテルハイヤムの前を通る大通り(おそらくイマームホメイニ通り)は大きな商店街になっている。さして大きくない街のはずだが、並ぶ店には物があふれている。貴金属店が目立って多い。が、レストランはない。ホテルの地下にあるレストランは18時から開店すると言われたので楽しみに行くが、ケパブしかなかった。しかも、18時を過ぎたのにまだまだ仕込み中のようであった。イラン人の夕飯は遅いのか?(そして朝は早い)

 食後、散歩がてら街を歩き、ケーキを買う。酒が飲めないこの国では、なぜかケーキがうまい。

 

 ケーキを食べつつ、ペルシャ語会話練習帳で勉強する。とにかく数字も違うのだから、しっかり覚えなければならない。自分の名前の書き方などはだいぶ上達してきた。