1021日(水)ゴルガン 晴れ

 

 英語の通じないフロントでなんとか意志疎通を試みたところ、ゴルガンからマシュハドへの直行バスはないらしい。100kmほど東に行ったゴンバデ・カヴースという街からなら、マシュハド行きの夜行バスがあるとのことである。そこで今日は、朝、ゴルガンのバザールを冷やかし、昼間はゴンバデ・カヴースまで移動。そこで街の名の起源にもなっているガーヴース・エヴネ・ヴァシュムギールの霊廟を訪ね、夜は夜行バスで移動。明日の朝には、聖地マシュハドに到着する予定だ。

ところでカヴースは、「カブース」と言ってはダメだ、といったことを、フロントのオニイサンに言われる。「カブースというのは、うつらうつら夢を見ていて、ハッと目覚めた瞬間、これをカブースというのだよ」と、身振りで演じて見せてくれる。辞書がないので確認のしようがないので、ここの記述も本当かどうか疑わしいが、とにかくそういうことだと理解した。

我々が出発するところで「今日は11時から『おしん』をやるぞ、見ないのか」と、ユウコを見て嬉しそうに言った。笑顔で出発。

 

 というわけで、午前中はゴルガンのバザールを散策する。ところで、僕の靴はかかとがだいぶすり減って気になっていた。ちょうどバザールに靴の修理屋がいるので直してもらう。靴を預け、代わりの靴を借りて歩く。バザールの一角にはセルジュクトルコ時代に建造されたというマスジェデ・ジャメ(金曜モスク)や、1415世紀に造られたという霊廟、イマームザーデ・ヌールなどがあり、これらを見物する。マスジェデ・ジャメは美しい建物だが残念なことに閉館で、門構えしか見ることができなかった。イマームザーデ・ヌールを参拝しているのは女性信者である。レンガ造りの霊廟の外見は、ペルシャ的というよりトルコ的で、中央アジアのモスクなどを連想させる。中にも入らせてもらったが、なんだか圧倒される雰囲気があり、異教徒としては場違いな気分になった。

 

 ゴルガンを11時に出発し、ゴンバデ・カヴースには13時に到着した。距離のわりに時間がかかったのは、各駅停車のバスだったからだろう。さて、ガーヴース廟は良く整備された公園の丘の上にある、まるでロケットをモチーフにしたようなデザインの現代建築のような建造物であるが、これでも1006年の建築だという。言われなければ人の墓だとは分かる由もない。廟の近くを通りがかったところでバスを降りる。

ザックを担いだままロケットへの階段を上っていると、丸顔で優しそうなオジサンが現れた。チケット売りらしい。ここでも外国人料金がある。ロケットの中も見せてもらったが、中はがらんどうであった。中央に立って声を出すと、奇妙な具合にエコーがかかる。そういう効果を計算した建築らしい。また、廟の前には円形広場があり、中央に立って声を出したり手を叩いたりすると、野外なのにエコーがかかる。まるで空から音が出ているような奇妙な錯覚に陥る。我々が面白がっているのを、オジサンは嬉しそうに見ていた。

 

 タクシーに乗ってバスターミナルへ行き、マシュハド行きの切符を買う。

バスターミナルは小さいが、5つほどのバス会社が発券窓口を出している。そのうち、マシュハド行きのバスがあるのは1つだけであった。切符売りに「夜8時に来てくれ」と言われるが、切符に書かれているのは「2130」。意図が良く理解できないが、ともかく、ここに荷物を預け、あらためて街へ散策に出かけることにした。

街からバスターミナルまでは車で5分ほどかかるが、散策ついでなので歩いていこうとすると、ほどなくしてライトバンに乗った若いあんちゃんに「乗ってけよ」と声をかけられた。「まあ、タクシーに乗ったと思って、礼金を払おう」と覚悟して乗り込むが、彼は我々を快くメイダネ・イマームホメイニまで連れていってくれ、そして金を取らずに笑顔で去っていった。

午後2時過ぎ、遅い昼食のサンドイッチを食べる。

しかし、散策するといってもそれほど面白い物はなさそうだし、闇雲に歩き回れば疲れるだけなので、どうしようかと思っていたら目の前に映画館があった。シリアスな表情の男と女の顔が大きく描かれている看板が目を引く。「暇つぶしにはもってこいだね」と、入る。

内容は、かいつまんで言えば、仲の良い若い夫婦が、子どもができず悩む映画である。主人公は妻で、彼女の苦悩がテーマになっている。医者に聞いたり、お祈りをしたり、それでも子どもは出来ず、しゅうと小姑からはヤイノヤイノと騒がれ、孤児院で養子をもらおうかとも考えるがふんぎりはつかない。けっきょく、夫は(親戚のうるさい提案を受ける形で)妾を迎えることになった。その後もすったもんだがあるのだが、最後的には(たぶん孤児院から迎えた)子どもがやってきて、おしまい。15時に始まり、17時に終わった。

その後、ふたたび街をぶらぶらと歩く。休憩がてら寄ったケパブ屋で茶を頼んだらおごってくれた。お茶を飲んでいると、主人に「おまえはトルクメン人か?」と聞かれ、驚いた。そういえば昨日、ゴルガンのホテルでのチェックイン時には「パキスタン人か?」と訪ねられた。イラン入国以来、「世間になめられないように」と、ヒゲを剃らずに伸ばしているが、そろそろこのヒゲ効果が現れてきたということだろうか。

「なじんでいる証拠だよ」と、ユウコは笑う。

アイス屋で三色盛りのトッピングセットを食べる。うまい。

お酒を飲めないこの国では老若男女の別なく甘党になってしまうのか、こういうおしゃれな、というか日本ならば若い女の子しか入らない、いや、入れないようなカワイイ喫茶店で、いい年をした丸いお腹の中年オヤジが目を細めてイチゴ味のアイスクリームを楽しんでいる。また、アイスもそうだが、ケーキ、シュークリームの類もおいしい。イラン紅茶に良く合う。イランに来る前、「酒が飲めないとはどういうことだろうか」と、半ば心配であったが、無ければないで、別に困ることはない。

だいいち、街に存在しないのだから誘惑もなく、また、欲しても買う手だてはなく、それが頭に入っているせいか、喉が渇いたからといって、「ああ、冷たいビールが飲みたいな」とは思わない。ユウコに言わせれば、「ここで『ああ、きつねうどんが食べたいな。天ぷらそばが食べたいな』と思っても、食べられないでしょう。だからそういう思考に至らないようになっているよね。それと同じだよね」ということらしい。

 

 すでに、サヴァリと呼ばれるイラン式乗り合いタクシーには何度か乗っている。サヴァリは決められたルートを走るのが原則で、この点はウズベクの乗り合いタクシーと同じだが、イランにおいては車に目印がないので、どれがサヴァリなのかタクシーなのか、はたまた一般車なのか、区別はまったくつかない。だから自分たちがヒッチハイクをしているのかタクシーに乗っているのか、判別がつかないのだ。先客がいる車が停まってくれる場合は「これはサヴァリかな」と思って乗るのだが、その先客が降りてしまうと、いつの間にかタクシーに転じていて、彼らが払うよりも少々高い料金を取られることもある(というよりお釣りが来ない)。ルートを外れた要求を、こちらから出しているから悪いのかな。むしろ運ちゃんとしてはサービスのつもりなのかも・・・と思うこともあるが、真相は分からない。しかし、はじめからタクシーに乗ると、ぼられる確率は高いようだ。

 

イランでは外食産業が発達していないようである。少なくとも気軽に入れる食堂といえばサンドイッチ屋ぐらいだ。そのサンドイッチ屋にはたいてい茶がない。飲物はザムザムコーラとザムザムオレンジで、いうなれば「コカコーラかファンタオレンジか」といったところだ。自然、これらを多く飲むことになる。酒を飲まない代わりにコーラを飲む。どちらが健康的なのか分からない。

 

薄暮の中、のんびりとバスターミナルまで歩く。18時半。ターミナルにはバスが何台も待機し、発券所も昼間より活気づいている。夜行バスが主体なのだろうか。昼間は休む時間? ターミナルの外れにあるトイレは、イランにしては珍しく、詰まっていた。

我々が乗るバスはイランペイマ・カルヴァン(キャラバン)という会社のバスで、発券窓口に行くと、スタッフ達が我々2人を歓待してくれた。事務所の中に入り、従業員用の椅子に座らせてくれ、お茶まで出てきた。そのうちの若い青年が英語をしゃべるので、彼が仕事をしながら我々の相手をしてくれた。

彼は周囲のオヤジ達にあれこれ指示を出しているので、「なかなかやり手だな」と思っていたが、じつはこの事務所のマネージャーの息子さんらしい。名はヨーゼフという。25歳である。年下だったのは意外であった。

ところでゴンバデはトルクメン人の街だそうだが、「僕もトルクメン人だよ」と彼が言う。この町では黒紺系のスカーフをしている女性は少ない。さすがに頭を出している女性はいないが(違法行為なので)、スカーフもワンピースコートも色彩豊かで、目を見張る。しかもよく似合っている。国境も近いことから、トルクメニスタンから来ている人も多いのかもしれないが。さて、ヨーゼフさんはカスピ海沿岸都市ラシュトの大学を出たあと、イラクに近いアフワーズの大学院に進んだ。土壌関係の学問を専攻し、卒業後はこうしてオヤジの仕事を手伝っているのだそうだ。我々の話を聞くとき、ときどき「ほう?」とばかり、片方の眉をピクリと上げる仕草と、鼻の下にはやしたちょび髭が特徴的だ。

その彼が我々に問う。「日本人はなぜ酒を飲むのか?」。

彼は言う。「酒は、麻薬と同じく、悪だ。だいたい、酒を飲む前と飲むあとで、発言内容が変わるというのは、どうにも理解できないことだ。信用をなくすではないか。酒を飲めばみっともなく酔っぱらい、しかも酔った諸行は記憶にない。さらに、さんざん飲んで酔っぱらったあとに訪れるのは2日酔いというではないか。気分を悪くするために飲んでいるようなものだ。そのような諸悪の飲物を、なぜ人は、自ら進んで飲むのか」。

彼は笑顔であるが、大まじめな質問をしている。『酒は、麻薬と同じく悪の根元だ』とする彼の言い分は、日本では聞いたことがない。

僕は、「日本人にはストレスが多いので、解放されたい人が多いのです」と説明したが、そんな理由ではまるで納得してくれなかった。こういう敬虔な人に「酒は百薬の長」などと言ったら、終生軽蔑されるような気がする。

バスはチケットにある通り、21時半の出発であった。