イラン10No.46)世界の半分は確かに美しい〜イスファハン2

【アルメニア人居住区:ジョルファ地区へ】

111日(晴れ)

今日から11月・・・。と思うせいか、朝の空気が少し肌寒く感じられる。郵便局へ。職員は優しいが、ガイドと建物の場所が違っていたため、たくさん歩いて疲れた。郵便局にインターネットサービスはなし。

朝、すこししか食べなかったため、すぐにお腹が空いてポレ・ハージュの袂にあるサンドイッチ屋でサンドイッチを食べる。ポレ・ハージュは「ハージュ橋」という意味だが、この橋は橋とは思えないような建物で、昔宮殿だったというのも頷ける。

橋をわたってジョルファ地区へ。ここはアルメニア人居住地区だ。サファヴィー朝時代に、技術者として連れてこられたアルメニア人たちが住んでいる場所だという。昨日の更紗のおじさんも高度な技術者だから、アルメニア人なのかな・・・。アルメニア人たちは特殊技能を持っていたため、イスラム教に改宗する必要はなく、この居住地区にはイランであるにもかかわらず教会がある。今日の私たちの目的はその教会の見学だ。初めて目の前に現れた教会に入ってみる。おお、すごい!美しい絵、そしてイスラムの影響を受けたモザイク、ドーム。管理人が賛美歌をかけてくれ、それが厳かで神々しい。このアルメニア教会のフレスコ画は、キリストが拷問を受けてそれに耐えている場面が残酷なくらい詳しく描かれている。(このあと見学した「カイセリエ・ヴァンク」でも残酷なシーンが描かれていた)この地で様々な抑圧を経験してきたであろうアルメニアの人たちは、このフレスコ画を見て「ジーザスに比べれば、私たちの困難くらい、どうってことないのだ。」と耐え、励まされてきたのかもしれない。

ガイドに「最大の見所」とあるジョルファ地区の教会「カイセリエ・ヴァンク」は12時から14時までがお昼休み。ちょうど今お昼なので、見学できるまで2時間ほど時間が空いてしまったが、閑をつぶすにも適当な店がないので、仕方なく近くのジョルファホテルのレストランでお茶でも飲もうと入ってみる。

しかし、レストランにお茶はない。がっくりしてコーラとサラダを頼み、マサトは魚も頼む。サラダは食べ放題のサラダバーだ。

しばらくすると日本人学校の少年少女たちが団体でやってきた。すごいごちそうを食べている。サラダ、ナン、スープ、メイン、ポテト、デザート付き。飲物はもちろんコーラ。私が小学生の頃の旅行とはエライ違いだ。私が小学生の時泊まった修学旅行や林間学校の宿では、糊みたいな中華丼、カレー、冷たく、米のまずいおにぎりが出て、虫が多く、埃の溜まった旅館だった・・・。自動販売機でジュースを買って飲もうものなら、学校に帰ってから3日間は説教された。彼らは日本の小学生には考えられないような(それとも今では日本の小学生も良いホテルに泊まるのだろうか?)良いホテルですばらしいごちそうを食べ、先生を下僕のように使って、自分の好きなデザートを頼む・・・。先生方も「小皇帝」たちに言われるがままだ。もちろん子どもなので騒々しい。これでいいのか?上流階級な人たちの子ども達はこうなのか??私たちは1つのものを分け合って食べたのに、3万リアル近く請求されてびっくり。本当に高級ホテルだ。眼が飛び出た。2人できちんとした料理を食べていたら、どうなってしまったことだろう・・・。サンドイッチを食べておいて、よかった。

カイセリエ・ヴァンクでの見学を終え、インターネットをすべくイスファハン大学へ行くが、コンピュータが古くてDosしかなく、メールできない。「明日来なさい」と言われるが、これではビシュケクの大学と同じように「メールは送れるけれど読めない」だろう。私たちの目的は「送る」より「読む」ことなので、あきらめる。シオ・セ・ポルまで戻り、

メインストリートのチャーハル・アバース通りを散歩しながら帰る。通り沿いの宝石街近くにある、お菓子屋さんのミルフィーユは絶品!イランのお菓子はいつも「甘すぎる」と思っていたけれど、ここの甘さはちょうど良く、素晴らしかった。それとも私の口がイランの甘さに馴れてしまったのかな?

今日のアルメニア教会も、イマームのモスク同様、ずーっと見ていても飽きないものだった。イスファハンの文化は素晴らしい。

 

【イスファハン最終日】

112日(晴れ)

マサトは朝一でバスターミナルへ。夜行のハマダン行きは満席で、明朝10時の切符を取ってきてくれた。ありがとう。

「ゆれるミナレット」、ミナーレ・ジョンバンへ。しかし、修理中のため、「揺れないミナレット」になっている。入場券売りのおじさんもお金はとらない。外から写真を撮影するのみにとどめ、アテシュガー(拝火教寺院)に行く。おお、すごい丘だ。バスが停まったところが、入り口かと思い、登りはじめる。とても険しい。と、いうより危ない。しかし、「ガイドにも険しいって書いてあったし・・・。」と思う。しかし、途中でとうとう登る道がなくなる。がけをへばりつくように反対側に回ってみると、遙か下に入場券売場を発見。そこからは若干登りやすそうだ。「券(買ってないな)・・・」と思うが、マサトはかまわず進む。私も登る。頂上に着くと、おお、よい眺め。街は紅葉が始まっている。ヤズドにある沈黙の塔に登ったときは、暑かったし、近くがゴミ捨て場のせいかあまり良い景色とは思わなかったが、この緑に囲まれたアテシュガーは、なかなかの景色である。1人イラン人が近づいてきた。どうやら入場料を支払わないまま、ここまで来てしまった我々を見張っている様子。入場券売場のない方向に降りていこうとすると、後からついてくる。結局地上に着く少し前に声をかけられ、入場料を支払うことになった。

イスファハンの中心に戻る。昼休みの間、ホテルで一休みして、チェヘル・ソトーン宮殿の見学。宮殿のテラスは木造。この木造の20本の柱が、庭の池に映って40本にみえるというのが、この建物のウリなのだが、逆光で40本も柱があるようには見えない。柱よりも、宮殿内の絵が面白い。インドとの戦いの図、ウズベクとの戦いの図、トルキスタンの王をもてなす図・・・。官能的な女性の絵もある。外で髪を洗う裸の女性の図。建物の中にいるが、白いシャツを羽織っているだけで、乳房があらわな女性の図・・・。今のイラン女性は肌という肌や髪の毛を黒い布で覆っているが、昔はこんなにも開放的だったのだ!(もちろん髪もあらわになっている。)

通りに体重計屋がおり、体重計に乗ってみる。○×キロ??となりのおっちゃんが針をのぞき込んでいたので、よくわからないまま、あわてて降りてしまう・・・。たいして減っていない・・・というか増えている。マサトは「△×キロの間違いだったんじゃないか?」と言うが・・・。自分ではその中間の△□キロくらいになったかなと思っている。マサトは「△☆キロくらいになったぞ」と言ってくれるが・・・。マサトは実際、そうとう体重が減ったらしい。

ナリマン氏に教わった、「キャラバンサライのチャイハネ」に行ってみる。ナリマン氏は「わかりにくいところにあるから、自分たちでは行けないよ。行きたいときには、またうち(NOMAD)に来ればいい。案内してあげるから。」と言っていたし、実際、バザール内を歩いても見つからないのだが、どうもまた商売人のナリマン氏に会って、いろいろと教えて欲しいとは思わない。とはいえ、自分たちではどうにもらちがあかないので、バザール内の日用品店を経営している人に尋ねたら、親切にチャイハネまで連れていってくれた。

半地下にあるチャイハネ内はたくさんのランプで装飾されていて、ちょっと薄暗い。ランプの赤茶色の灯に、虫を集めて殺す電灯が青白く浮き上がっており、それにかかった虫たちが、ときどき「じじっ」と音を立てて焼けていく。客層としては、職人的な男の人たちが多く、このような場所で彼らがぷくぷくと水パイプをくゆらせている様は、少々退廃的なものを感じる。まさしく「男の隠れ家」である。女性としては昨日のチャイハネの方が居心地がよい。私たちはパイプはやらず、ポットでお茶を飲んだ。ナリマン氏おすすめだけあって、たしかに雰囲気はある。

イスファハンにある土産物の話に戻るが、モザイク模様の小箱は、寄せ木細工ならぬ、寄せ金細工。よくみると、できのいいものと悪いものがある。今回は買わなかったが、いつか買うことがあったら良く目利きをして買いたいものだ。しかし、イマームの広場は何回行っても飽きない美しさ、愉しみがある。

明日の朝は移動なので、バス内で食べるための菓子を買った。ノバハールレストランでマサトはチェロモルグ、私はマーヒー(魚)を食べる。なかなか美味しい。このレストランは2回目だが、2度来て良かった。

ところで、イランの人は良い人が多いが、女子高生や小学生はどうして通りすがりや遠くから人を見てくすくす笑うのだろうか。そんなに外人がおかしいか??彼らも画一的な教育や規則に縛られて「異なるもの」を受け入れられない体質になっているのだろうか?言いたいことがあるなら、ひそひそ、くすくすではなく、堂々と言え!と怒りがこみ上げる。群れているときにタチが悪いのはどこの国でもおなじなのだろうか。それにしても失礼だ。私も女だし、子どもだったときも、女子高生だったときもあるが、私は「女、子ども」が嫌いになりそうだ。

また別の話。昨日、ホテルのフロントであった英語の上手なイラン紳士に「どうしてこんなに寒いときに来たの!?イスファハンは夏の終わりがベストね!」と言われたが・・・、今のイスファハンは寒いか??我々にとって朝晩は少々冷えるといえるが、日中は今でも暑い。実はイラン人は寒がりなのかも??今日、私たちは長袖1枚で充分(それでも昼の日向は暑い)だが、彼らはセーターに上着まで着込んでいる。女の人のチャドル姿も実は苦痛ではなく、チャドルしていないと寒いのだろうか??もし夏になんか来て、あんな格好したらゆだっちゃうよー!(たこの絵)!!

そういえば、今日宮殿の絵で見た、ペルシャの昔の服(サファヴィー朝くらい)は中国の服に似ていて面白い。機能的な服というのを追求すると、中国服のような、ああいう形になるものなのだろうか。

(つづく)